楽園への扉

 私がBARでお酒を飲む時は、大抵気持ちが沈んでいる時だった。
 男と別れた時、仕事で悩んでいる時、友達とすれ違いになった時、孤独を感じた時。
 お酒は強い方ではないが、元カレにBARの楽しみ方を教わってからのいうものの、自分なりにそれを開拓していた。
 カウンターでひとりグラスを傾けるのは、別に気取っているからでも新たな出会いを求めているわけでもない。出会いがあるならそれはそれでいいけど、その為にひとりで飲んでいるわけではない。静かな雰囲気、適度に打たれるマスターの相槌、心地よいBGM。その全てが疲れた心に癒しを与えてくれるような感覚だった。


 金曜日の今日、一週間で溜まった会社でのストレスで空いてしまった心の穴を埋めるべく、行き着けのBARにやってきた。
 だけど、入口の灯りは消えておりCLOSEの札が木製の扉の前にぶら下がっている。いつもなら開いているのにどうして。ここで癒されようという気持ちで重い脚を運んできたというのにこの仕打ち。目に見えない重いものが背中にのしかかったような気分だった。
 仕方ないから帰ろう。
 そう思って帰路につこうとした視線の先、今まで気が付かなかったその看板が目に止まった。paradisと書かれている。控えめにライトアップされたその看板は少し古めかしくもあり、一見さんお断りのような雰囲気を漂わせていた。
 今までBARを開拓する時は紹介が多く、行き当たりばったりで足を運ぶことはなかった。だけどその時は癒されたいと思う気持ちと、あとは何故だか引き付けられるような感覚になり、自然と地下へと続く階段を降りていた。







 静かに押し開けた扉が軋む。その音に反応してカウンターから心地よく出迎える声が届いた。
 店内を見渡す限り、客は誰もいないようだった。まさか、ハズレの店だろうか。だとしても回れ右して帰ることなど出来ない。
 私はカウンターに座り、恐る恐るマスターに声を掛けた。髭をたくわえたマスターは見た目は紳士のような風貌で、笑うことなく私に視線を向けた。


「あの……この店は初めてで、」
「御来店ありがとうございます。では、私からおひとつサービスとしてカクテルをお作り致しましょう」


 鼓膜を揺らすその声は、心が静かになるような波長で私はマスターの動きに見とれていた。店内に足を踏み入れた瞬間から夢見心地だった。体がふわふわしているような、そんな感覚。大袈裟な言い方かもしれないけど、まるで生き返ったような、そんな気分。


「どうぞ」


 目の前に差し出されたのは、淡い赤色をしたあまり見ない感じのカクテルだった。底にかけて黒っぽい色に変化しているグラデーションが、少し手元を緊張させる。サービスとして出されるカクテルは、大抵女性に出されるものは淡いピンクかブルーの色合いだからだ。
 いただきます、とそれを唇につけ赤い液体を喉に流し込むと、口から喉へと熱が通っていくような感じがした。カクテルにしてはアルコール度数が高いのだろうか。胸が焼けるように熱を持っている。


「美味しいです。でも度数高めですか?」
「いえ、度数は弱いですよ」
「そうですか……初めて飲んだ味ですけど、美味しいです! それにお店の雰囲気も好きだし、気に入りました!」
「ありがとうございます」
「お店の名前、paradisってどういう意味ですか?」
「……楽園、です」


 雰囲気に酔ったのかは分からない。ただ、気づいたらマスターに色んな事を吐き出していた。自分の心にある不満を。息苦しい世の中を。孤独な毎日を。
 次第にマスターが滲んで見えて、自分でも酔いが回っていると分かっていた。それでもその口を止められず、仕舞いにはカウンターに突っ伏してマスターが入れてくれたカクテルをぼんやりと眺めていた。


「全てを投げ出してでもいいから、愛してくれる人の元にいきたい。そんな人現実にはいないけど……強く抱きしめて欲しい」
「……強く、そう願ってみてはどうですか」
「願うだけじゃ無理なことくらい、分かってます」
「……」
「マスター、私……変なこと言ってます?」
「いいえ」
「ねぇマスター……このカクテルの名前、なんて言うの?」


 殆ど飲み干しているそのカクテルは、今は赤黒く色が混ざりあってしまっていた。
 意識が頭からこぼれ落ちる寸前だった。黒幕が降りるように視界が奪われていく。こんな所で寝たらダメだと脳裏で意識はあるのに、体が言うことを聞いてくれない。
 そんな私の鼓膜を揺らしたマスターの声を最後に、完全に意識は闇へと落ちていった。


「名はLevi(リヴァイ)です……楽園へようこそ」


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