夢か、現か

 体が浮いているような、落ちているような不思議な感覚がして目を開けようとした。でも想像以上に瞼が重く、少し開いた視界の先には青々とした空が広がって、それがどんどんと遠ざかっていく感じがした。
 落ちているような、ではなく本当に落ちている。そう理解しても体が動くわけでもなく、思考も鈍っていた。そして、また眠気に襲われ、瞼が重たくなっていく。
 その時、近くで大きな音が聞こえた。何かが叫ぶような音だ。それから何かを切り裂くような音と、巨大なものが倒れるような地響き。どれも、普段聞きなれない音だった。


「おい大丈夫か!? しっかりしろ! クソッ、どうして壁外に人間が……」


 誰かに抱きかかえられて空を飛んでいるような感覚がした。視線を横切る黒髪と深緑の服。私は温かなその手の中で、また意識を飛ばした。







 次に目を開けると、白い天井が目についた。ここは何処だろう。起き上がろうとして頭痛が走り、コメカミを押さえながら上半身を起こした。
 自分の部屋ではないのは確かだ。あの店の奥だろうか。私はあのまま寝てしまったのか。色んな詮索をするも、ズキズキと頭を刺激する痛みに顔を歪める。


「オイ」
「ひっ!」


 突然聞こえた低音に、悲鳴にも似た声が出た。部屋には誰もいないと思っていたのに、壁に寄りかかり私を見つめるその人に心臓が跳ね上がる。
 その瞬間、私は夢を見ているのだと悟った。夢だと疑わなかった。

 私は、新しく会社に入った人の勧めで、休みの日にはよくアニメを見ていた。元々そこまで好きな類のものではなかったが、見始めると面白く、現実を忘れさせてくれるような気がして没頭していた。
 その中でも今熱を上げて見ていたのは「進撃の巨人」というアニメだった。そして、いま私に死んだような瞳を向けているのは、その中で一際熱を上げていた人物だったからだ。
 そんな事は有り得ない。だから夢なのだ。
 そう思って自分の手の甲を抓ってみるも、ただ痛みが走るだけ。まだ酔っているのかと思考を動かそうとする私に、彼が言葉を続けた。


「テメェは何者だ。何故壁外にいた。どうやって門外へ出た、その身なりで」
「え……?」
「もうすぐで巨人の餌になる所だった。それとも何だ、その方が良かったってのか?」


 笑えない冗談を真顔で言うその男は、間違いなく私が見たことのある、アニメの中のリヴァイ兵長だった。これは夢なのか。夢にしては精巧すぎると言うか、リアルすぎると言うか。
 固まる思考の中、片隅に過ぎったのは「異世界トリップ」という言葉だった。そういう物を題材にした漫画も多く、私も何度か目にしたことがある。だけど実際にそんな事、起こるはずなんてない。
 何も言わない私から一切視線を逸らさず睨むようにして鋭い視線を飛ばしてくる彼。私はこれが夢か現かを確かめるために、ベッドから起き上がり彼に近づいた。


「失礼します」
「何だテメェ、オイ!」


 一言断りを入れた私は、腕を組んで立っていた彼の体に抱きついてみた。当たり前に秒で剥がされて、何なら突き飛ばされて尻もちをついた。当然痛みが走ったが、それよりも感じた温もりがよりこれが現実なのだと教えてくれているようだった。


「イテテ……」
「今すぐ殺されてぇのかぁ?!」
「私、この世界の人間ではありません。異世界から飛ばされて来ました」


 異世界物の話は、大抵主人公がそう言うと天からの助けだ、君が救世主だ何だと崇められ、トントン拍子で物語が進んでいく。主人公にとって都合のいい展開満載なのだ。
 もしこれが私に舞い降りた異世界トリップならば、同じような展開にならないだろうか。とは言え、私はただのアラサーに片足を突っ込んだOL。流石にこの世界を救うなどの力は備わっていないけども。


「頭でも打ったか? お前のふざけた話を聞く時間は俺にはねぇぞ。女だろうと容赦はしない」


 眼光鋭い視線が更に強さを増す。期待した展開ではなく、今にも殺されてしまうのではないかと言う状況に心拍数が上がっていく。怖いと思う反面、あのリヴァイの鋭い表情を目の前にして、胸を弾ませている私がいた。やっぱりカッコイイ。素敵。
 だけど、いつまでもそんな事言っていられない。ここはどうすべきなのだろう。もし本当に異世界トリップしたと言うのであれば、この世界は巨人がいて、彼は命を懸けて戦っていると言うことなのだ。
 そんな世界に、どうして私は来てしまったのだろう。この世界に来たいと願ったわけじゃない。そう言えばあのBARで最後にマスターは何て言っていたっけ。


「……リヴァイ」
「……っ!? お前何で、」


 意識が遠のく直前に聞いたカクテルの名前。それが彼の名前と偶然一致するなんて事があるだろうか。
 咄嗟に口を割って出たその名。当たり前に目を見開き動揺した彼が、寄りかかっていた壁から背を離した瞬間、バタンと大きな音を立てて扉が開いた。


「目が覚めたんだね、君! 私はハンジだ。何だリヴァイ、君もいたのか。それより何で床に座ってるんだ?」
「いや、あの……」
「まさか突き飛ばしたりしてないだろうね、リヴァイ。彼女は熱があるんだよ」
「チッ」
「あの、私は大丈夫です! ちょっと転けただけなので」
「そう? 意識が戻ったなら食事を運ばせよう。それから色々と話を聞かせてもらう」
「ご、拷問……ですか?」
「それは君次第だな」


 眼鏡の奥で怪しく笑う目は見覚えがあった。だからこそ身震いし、肩が竦んでしまう。彼に視線を送ると、私を見ていたのかすぐに目が合った。まるで私を見定めるようなその瞳を、私は離さず見つめ返していた。


「ハンジ、俺が聞く」
「え?」
「どうやら記憶がねぇらしい。このまま俺が聞き出す」


 一先ず、拷問は免れた。その安堵から綻んだ顔を彼に向けると、静かに視線を逸らされた。
 どうやら、私の運命は彼に託されたらしい。果たしてこの先、私はどうなってしまうのだろう。
 分かった事は、画面で見ていた彼とは違って、ここにいる彼は視線も高く、何より逞しい体をしているという事だった。


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