なまえの手の中にあるのは、ずっと"彼女"が探していた物――"あの人"の手袋……否、グローブだ。
ようやく二人の都合が合い、休日のある日、なまえは青心寮にある降谷の部屋にお邪魔している。同室の者は食堂に居るらしく、何名かと集まって話に花を咲かせているらしい。
今日は午後から野球部はオフで、この後は近くのファミリーレストランにでも行き二人でゆっくりとした時間を過ごす予定だ。
「預かっていた物だし返すよ」
するとなまえはふるふると首を横に振った。何故、受け取らないのかと尋ねると、だってと睫毛を伏せる。
「わたしが持っていても、意味がないと思うの」
「どうしてそう思うの?」
「……勘」
勘って、と降谷は軽くこけそうになるのをなんとか堪える。勘だけならやはり持っておけば良いと言おうとした時、あのね、となまえ。
「これは暁に持っていて欲しいの。だって、これは――」
と、言いかけてなまえは言葉を濁した。こほんと軽く咳払いをするなり降谷の名前を呼ぶ。
「もし迷惑でなければ……なんだけど。これをつけて、ボールを投げてもらうことって出来る、かな……?」
突然のお願いに降谷はぱちりと目を瞬いたが、ぎゅっとグローブを胸の中に抱いているなまえを見ていると、聞かずには居れなかった。そっと手を伸ばすと、なまえは首をかしげる。
「貸して」
こくりと頷くと、なまえは降谷に持っていたグローブを手渡した。片手で持つなり、空いている手でなまえの手をとり部屋を後にする。
降谷に連れられて来たのは室内練習場だった。そこには午後はオフだというのに自習練習をしている数名の部員達の姿があった。降谷が探していた人物の姿もある。降谷は足早に探していた人物のもとへ歩み寄った。
「御幸先輩、ちょっと良いですか?」
「何だよ降谷。今日は用事があるって……」
言いかけて御幸一也は降谷の後ろにいるなまえを見てにやりとする。いつもなら沢村栄純とともに練習後、すぐにでも球を受けろとうるさく詰め寄ってくるはずなのに、今日は用事があるからと夜に付き合って欲しいと言っていたのを思い出す。球を受けることを前提で話していることについてはあえて突っ込まないことにしていた。
「一球、受けて欲しいんです」
「今から?」
頭を縦に振る降谷に、ちょっと待て! と御幸に球を受けてもらっていたらしい沢村が割って入った。
「今は俺が御幸先輩に受けてもらってんだよ! 後でにしろ、後で!」
順番は守るようにっ!! と、まるで教師のようにガミガミと言う沢村を他所に御幸は降谷の意思を快く受け入れてくれた。目を見張り口を大きく開ける沢村に、降谷と代われ、と御幸はシッシッと手で指示する。何故!? と驚いている沢村の襟首を金丸信二が掴み、無言でずるずると下がらせた。何故だ金丸! と声を荒らげる沢村に、空気読め、と一言。よくわからないのか、ぐぬぬっと沢村は険しい表情をした。
そのグラブで投げるのか? と御幸に問われ降谷はこくりと頷く。何か理由があると悟ったのか、御幸はそれ以上何も言わず球を受ける姿勢をとった。
沢村が立っていた場所に降谷は立つと、軽く土をなじませる。なまえは少し離れた場所に立ち、どきどきと胸を高鳴らせていた。
密かに、上級生の一人が同級生である小湊春市にあの女子生徒は誰かと尋ねる。クラスメイトであり降谷と仲の良い例の彼女だと答えた。あれが降谷の彼女か、あれがそうか、という声が耳に入ってきたが、聞こえない聞こえないとなまえは暗示をかけた。今は降谷の投球を見ることが大事なのだから。
「いきます」
降谷が声を出すと御幸は球を投げてよこす。パシンとミットを叩き、いつでも投げて来いと余裕の色を見せた。球を受け取った降谷はグラブの中でボールを握り、投球体制をとる。力いっぱい、降谷はミットに向かって投げた。うなりを上げて球はミットへと走る。パァンッという鋭い音。それは一瞬の出来事。この場の空気が一瞬でピンッと張り詰めたような気がした。
ふっ、と球を受けた御幸は笑みを浮かべる。降谷に視線をやり、ナイスボール、と声をかけた。
「今日はやけに調子が良いな。球、走ってるぜ」
降谷も感じていたのかこくりと頷くと、何気なくなまえを見る。刹那、えっ、と声を出した。降谷の投球を見ていたなまえの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれていたのだ。これには流石に降谷以外の部員達も驚き、どうした何があったと慌てる。降谷もおろおろとし、急いでなまえの傍へと寄った。
どうかしたのかと尋ねると、なまえは涙を拭いつつ、なんでもないと答える。先輩達に軽く頭を下げると、降谷はグラブをはずすなり空いている手でなまえの手を取り室内練習場を後にした。
残された部員達は突然やって来た嵐にぽかんとしたものの、ぷはっと御幸は大きくふき出した。
「惚れた弱みってやつか。あいつも大変だな」
球の走っていた原因はすぐにわかった。きっとあの女子生徒が見ていたからだろう。良い影響だと思う反面、少し羨ましいと思ったのは御幸だけの秘密である。
♪
室内練習場から離れ人気のない場所へとやって来た。立ち止まりなまえを見ると、まだ涙はとまらないのかぽろぽろと頬を伝う。どうすれば良いのかわからず、おろおろとしたものの、腕を伸ばしてそっとなまえの頭を撫でた。しばらく続けるとようやく落ち着いたのか、鼻をすすりながらも、ありがと、照れたようになまえは礼を言う。どういたしまして、と微笑むとなまえは視線を逸らした。
何故泣いていたのかと降谷は問う。なまえは答えにくそうに口ごもった。しかし、軽く深呼吸をすると目を赤くしたままゆっくりと唇を開いた。
「暁が投げたのを見た瞬間、こう、説明し難いんだけれども……胸がぎゅうって締め付けられて……」
それと同時になまえはあることを思ったらしい。
「暁の投球を間近で見れて、すごく幸せって感じたの」
そうしたら自然と涙があふれてしまったのだと結んだ。止めるにも止まらず、迷惑をかけてしまったとなまえは謝る。降谷はふるふると首を横に振ると、これ、となまえにグラブを差し出す。両手で受け取ったと同時に、降谷は一歩前に進み、ぎゅっとなまえを抱きしめた。
何が起こったのか、なまえは目をパチパチと瞬き頭を回転させる。ほどなくして理解したのか、顔を真っ赤に染めあたふたと降谷の腕の中で身じろぎした。
しかし、降谷はお構いなしに人目も憚らず抱きしめる腕に力をこめる。どうしようと混乱し始めていると、名残惜しそうに降谷は離れた。
混乱したまま何気なく降谷を見ると、顔は林檎のように真っ赤になっている。どうやら無意識にした行動らしく、冷静になった瞬間、自分が今とてつもないことをしていると悟ったらしい。降谷も何て言えば良いのかわからないで居るのか、えっと、とそのまま言葉を発しなくなった。
「あ、あのっ」
と、声を上ずらせつつなまえは必死に先を継ぐ。
「この後、お茶をしようって言ってた……けど。わたし、暁が練習しているところを……観ていたいな」
照れ隠しに満面の笑みを浮かべる。今度は降谷が驚いた色を見せ、目をぱちりと瞬いた。見学は駄目かとたずねると、そんなことはないと降谷は首を横に振る。
「練習、見ても面白くないと思うけど……」
「それでも良いの。わたし、暁を応援したいの」
すると、ふわりと降谷は微笑んだ。
「なまえが応援してくれるなら、いつもより頑張る」
そっと手を差し伸べ、もう一度、室内練習場へ戻ろうと降谷。なまえは頷くと、グラブを片手で抱きながら、空いている手で降谷の手を握った。嬉しいような恥ずかしいような、それでいて幸せで、朗らかにはにかんだ。
幸合わせ
(どんな暁も、愛しくて大好きだ)
愛子||180417(title=星屑Splash!)
(この後、室内練習場に戻った2人に待ち受けているのは部員達からの質問etcでした)