誰もいなくなった食堂で偵察をしてきた相手校の特徴等をまとめていると、静かに扉が開いた。来客を確認するなりクリスは驚いた。

「上がったんじゃないのか、みょうじ?」

先程、他の女子マネージャー達と一緒に上がったはずのなまえが色のついたプラスチック容器を片手に傍へとやって来た。ちょっと忘れものがあったので、となまえは言いクリスの前の席に腰掛ける。

「クリス先輩こそ、上がったんじゃないんですか?」
「まだデータをまとめていなかったからな。これが終わったら部屋に戻るさ」

凄いなぁクリス先輩は、となまえは感心した色を浮かべ、ノートにまとめている内容をまじまじと見た。ふと、クリスはなまえの持ってきた容器に目をやる。良くぞ気づいてくれましたと言わんばかりに、なまえはにこりと微笑んだ。

「クリス先輩、さくらんぼってお好きですか?」
「まあ、嫌いではないが……」

良かったー、となまえはこぼすと容器の蓋を開けた。中にはへたのついたさくらんぼがたくさん入っており、クリスは目を丸くした。

「すごい量だな……どうしたんだ?」
「親戚がさくらんぼ農家なんです。毎年、大量に送ってきてくれるんですよ」

そういえば昨年もこの時期にたくさんのさくらんぼをなまえは持って来ていたなとクリスは思う。親戚がそういう家業だということを知り、なるほどと納得した。忘れものを取りに行った後みんなにも分けてきたんですよ、となまえは付け足す。だからマネージャー達が帰った後も残っていたのかと理解した。どうぞ、となまえは容器を差し出す。ノートを閉じ、シャープペンシルをテーブルの上に置くと、クリスは素直に好意を受け取ることにした。
さくらんぼを一つ手に取り実を食べる。甘酸っぱく、それでいてほんのりとした甘さが口の中に瞬時に広がった。種の出し場所に困っていると、ティッシュを何枚か敷いた容器の蓋を渡される。ポケットティッシュを持参していたのか、用意の良さに感心した。種をその上に捨てるともう一つさくらんぼを取る。あまりの美味しさに手が止まらなくなりそうだ。

「美味いな」

そう告げるとまるで自分のことのようになまえは嬉しそうに笑顔する。わたしも食べよ、と呟くとなまえもさくらんぼに手を伸ばした。

「そういえばクリス先輩」
「なんだ?」
「さくらんぼのへた、口の中で結べますか?」
「意識してしたことはないな」

へたを一つ手に取りクリスはくるくると回す。そういうなまえは結べるのかと尋ねると唇を窄めた。結べないのか、と小さく笑うと、あれ難しいんですよー? となまえは顔を顰める。

「結べたらキスが上手いとか言うじゃないですか。あれ、本当なんですかね?」
「さあ、どうだろうな」
「そうだ! ねえ、クリス先輩。結べるか挑戦してみてくださいよ!」

目をキラキラと輝かせるなまえに嫌だとは言い難く、さくらんぼを貰っていることだしと妥協し、クリスはへたを口の中へ含んだ。

「あれ、まだ居たのか」

と、食堂の扉が開くなり風呂から上がったのかタオルを頭にかけた御幸がやって来た。お疲れー、となまえは声をかけ、ちょいちょいと手招きする。御幸はクリスに軽く挨拶すると、二人の傍へとやって来た。

「御幸もおーたべ」
「さくらんぼか」
「美味しいぞよー、わたしの親戚が作ったさくらんぼくん」

えへんと胸を張るなまえに、去年も貰ったし知ってるよ、と御幸は言う。クリスの隣の席に腰掛けると、御幸はさくらんぼを一つ食べた。

「……というか、何してんすか? クリス先輩」

先程から無言で口だけを動かしているクリスに御幸は問う。あれだよ、と代わりになまえが答えた。

「さくらんぼのへた、口の中で結ぶやつに挑戦してもらってるの。ほら、結べたらキスが上手いとかいうあれ」
「クリス先輩、こいつの頼みってたまーに面倒なものがきますから、スルーとかして良いんですよ?」
「ちょ、面倒ってひどい!」

面倒じゃないもん、と今度は両頬を膨らませる。御幸は笑い、はいはい、と適当に相槌を返した。

「――出来たぞ」

と、クリスは言い舌を出す。舌の上に載っているへたは綺麗に結ばれており、それを見たなまえは歓声とともに拍手をした。

「すごい先輩! え、なんで結べるんですか? コツとかあるんですか!?」
「えっ、お前結べねぇの?」
「うっさい御幸。そういう御幸は結べるわけ?」
「余裕。だから俺、キス上手いと思うぜ。試す?」
「試しません。というかしません、ふざけんな」

コノヤロウ、と御幸は軽くテーブルの上に乗り出すと腕を伸ばしなまえの頬に軽く抓る。いーたーい、となまえは大げさに反応してみせた。二人が攻防戦を繰り広げている間、クリスは次々とさくらんぼのへたを口の中で器用に舌を使い結んでいった。結んだそれを種を捨てる場所に一つ一つ丁寧に並べていく。以外に簡単だったことに正直驚きつつ、少し楽しく思った。

「みょうじ、長いへたを使えば案外結びやすいぞ」

さっそくつかんだコツと一緒になまえに教え、さくらんぼの実から長いへただけを取るとクリスは差し出す。まだ頬を抓っている御幸の手をペシッと払いのけると、クリスからへたを受け取り口の中に含んだ。椅子に座り、教わった通りにやってみることにした。

「そういえば最近、沢村の調子が上がってきてますね」
「ああ。この調子なら次の練習試合、先発としてマウンドに上がれるかもしれないな」

黙々と作業をしているなまえを余所に、二人は投手陣のことについて話し始めた。デッドボールを受け、現在調整中の丹波も宮内によれば最近ボールは走っていると聞いたと御幸は言う。クリスは相槌を打ち、時にはアドバイスを入れた。
ちょうど良く話しはまとまり、二人は一度言葉を切る。さて、と御幸はなまえに視線をやった。

「結べたか?」

なまえはベッと舌を出し、作業過程を二人に報告する。舌の上のへたは結ばれておらず、弓のように曲がっていた。ペッと種を捨てるところにへたをはき捨てると、なまえは腹を抱えて必死に笑いを堪えている御幸を睨んだ。

「舌疲れた。もうしない」

本当に結べないのか、とクリスは小さく笑う。なまえは御幸とクリスを交互に見ると、ぶすっと両頬を膨らました。拗ねているなまえを見るなり、二人は耐えられなくなったのか大きく声を出して笑い始めた。


adagio
「もー! 笑わないでよっ! 御幸はともかく、クリス先輩まで爆笑ってどういうことですか!?」
「すまない、みょうじの顔があまりにも可笑しくてつい……」
「はっはっはっ! さっきの顔、フグみてぇ! 腹いてぇっ」
「フグって何よフグって!」
「それよりみょうじ、そろそろ帰った方が良いんじゃないか? 遅い時間だし、家族も心配するだろう」
「あ、それなら大丈夫です。太田先生に車で送ってもらうことになっているんですよ。ほら、わたしと太田先生、家が近いので!」
「ああ……なるほど。それなら安心だな」
「はい。太田先生をさくらんぼ一ケースで今日、ばっちり買収してきましたから。太田先生は今日一日、わたしのアッシー君です!」
「さくらんぼで買収される先生って実際どうなんだよ……つーか、アッシー君って古っ」
「わかる御幸も実は年齢詐称してるんじゃない?」
「うるせぇ」
「――ふっ、」
「……クリス先輩、笑いの沸点低くなっていません?」
「……確実に俺より低くなってると思いますよ、クリス先輩」

愛子||150627
(title=rim)
(adagio=くつろいだ気分で、おだやかに)
(この後、笑い声を聞きつけた三年メンバーと倉持、一年トリオも合流するという裏設定)