「おーい、哲〜」
と、グラウンドの外から結城を呼ぶ誰かの姿があった。一年生達は首をかしげ、声の主に視線をやる。
ブルペンの傍で捕手の御幸に球を受けろと絡んでいた沢村と降谷も、騒がしくなったグラウンドの方に足を進めた。そして程なくして、ぎょっと目を丸くした。
グラウンドの外では、主将である結城が一人の可愛らしい女性と話をしていた。
「水筒、忘れてたでしょう?」
「そういえば、今日はいつもより荷物が軽いと思った」
「そう思っていたなら気づきなさいよ……」
「助かった、ありがとうなまえ」
手のひらで頭を抑え、声の主――なまえは小さく息を吐くと肩に提げていた水筒を結城に手渡した。二人は幼馴染で、尚且つ家が隣同士だ。小さい時から一緒に育ち、同じ学校に進んだ。結城の母親に代わりなまえが忘れ物を届けることも今に始まったことではない。だから気にするなと告げると、結城は素直にうなずいた為、気にしろとなまえは突っ込んだ。どっちなんだと疑問符を浮かべる結城に、なまえは再び頭を抱える。
そんな二人の傍に、仲の良い同級生達が割って入ってきた。
「なんだよ哲、嫁が来てンじゃねぇか」
「珍しいねぇ、嫁が休みの日に来るなんて」
「誰が嫁よ、誰が。哲の忘れ物を届けに来ただけよ」
なまえの説明に小湊はなるほどと頷いたが、伊佐敷は顔をにやにやとさせたまま続ける。
「良かったじゃねぇか哲、嫁が忘れ物を届けに来てくれてよ」
顔を顰めるなり、伊佐敷? と低い声音でなまえは呼ぶ。伊佐敷は冗談だと笑い、同意を求めるように結城の肩を叩く。すると結城は真顔で結んでいた唇を開いた。
「ああ、俺の嫁は良く出来た嫁だ」
結城の発言に、束の間の沈黙が訪れる。からかっていた伊佐敷は思わず目を大きくし、小湊もぽかんと口をあけている。なまえはきょとんとした色を浮かべていた。動きを止めた三人を見回し、どうかしたのかとでも言いたげな顔を結城はする。
しばらくして沈黙を破ったのは、みるみると頬を真っ赤に染まらせていくなまえだった。
「ばっ、ばっかじゃないの!? も、もうっ。わたし用事があるから帰る!!」
くるりと背を向け逃げるようにして去っていくなまえに、結城は継いで言葉をかける。
「次の日曜日、ここで練習試合がある。時間があれば来い」
「言われなくても知ってるわよ! 観に行くわよ!!」
「さすが俺の嫁だ。待ってるぞ!」
「便乗して嫁って呼ぶなばーかっ!!」
と、捨て台詞を残して足早になまえは帰っていった。ふっと微笑む結城に、小湊と伊佐敷は一歩後ろに下がる。
「あの二人、早く付き合えば良いのに」
「見てる方がもどかしいぜ……」
声を潜めて話し合うと、やれやれと肩をすくめた。
結城となまえの最後の会話はもちろんグラウンドの中に居る部員達にも聞かれており、この後、大騒ぎになったのは言うまでもない。
片恋弾けて始まり始まり
「なあ哲、聞きてぇことがあるンだけどよ。お前、もしかしてわざと忘れ物してるのか?」
「良くわかったな、純。その通りだ」
「……お前、意外に策士だな。つーことは、やっぱみょうじのこと好きなのか?」
「ああ、本人は気づいていないようだがな。これからもずっと、俺の傍に居て欲しいと思っているくらいだ」
「哲、お前……」
「それ、みょうじ本人に直接言ってやりなよ……」
*おまけ*
「(哲ってばまた忘れ物して……今月で何回目だと思ってんのよ)」
沢村「あ! リーダーのお嫁さん! リーダーに御用ですか!?」
「え? えーと……え?」
沢村「ちょっと待っててください。俺、呼んできますンで! ――リーダー! お嫁さんが来てますよ!!」
「ちょ、ちょっと待って!? 君一年生だよね!? なんで嫁呼びが浸透しているのかな!?」
沢村「え。だって師匠もそう呼んでいたし……」
伊佐敷「お、みょうじ……じゃなかった。嫁、また哲の忘れ物を届けに来たのか?」
小湊「いつも大変だね、嫁」
増子「うがうが。この後、哲にジュースでも奢って貰うのはどうだろう? なあ、嫁」
滝川「礼をもらっても罰は当たらないと思うぞ、嫁」
「みんなはただわたしのことを"嫁"って呼びたいだけだよね!? ちょ、哲ー!? 一体あんたはどういう教育をしているのよ!?」
沢村「あ、お嫁さんが怒った」
愛子||191020(title=空想アリア)