今日は快晴。外に出れば気持ちの良い気温と風に不思議と心は弾む。
朝は、仙界で修行していた頃から時折、顔を出して様子を見ていた村へ行った。当初は戦災孤児達が集まり村とは呼べないほど荒れた土地だったが、行き場を失った者を集め暮らせる場所と知恵を与えて、成長を見守り助けていたら村は発展し、今ではたくさんの笑顔が溢れる場所となった。村人達から他愛の無い話やちょっとした世間話等を聞き、この土地で実った感謝のこもった果物を籠いっぱいに貰った。
果物を抱えて土遁の術を借り周の城へ戻る。城内にある部屋の一室へ今度は歩を進めた。途中、"彼"の霊獣・四不相と弟子である武吉と出会った。四不相と武吉におすそ分けし、彼の様子を尋ねる。すると、ちょっと危ないかも、と武吉は目を逸らした。仕事のし過ぎでそろそろ限界が来ているようだ。薄々気づいていたが、このままだといつの間にか抜け出して皆で大規模捜索する未来が目に見える。そんなことにならないよう、果物の差し入れと併せて様子を見に、場合によっては手伝いに行こうとしているのだが。
四不相と武吉と別れ、程なくして目的地へ着く。外から声をかけるも返事は無い。数秒考えて、まさか既にどこかへ出かけており入れ違ったかと焦り、急いで扉を開けた。眼前の景色に、ほっと安堵の息をこぼした。
「太公望殿、起きてください」
束になった竹簡や筆を机の端に追いやり、静かに突っ伏している彼――丞相・太公望に声を掛けるも返事は無い。どうやら体力切れを起こして眠っているらしい。空いている場所に果物の籠を置く。身体を揺すってみるも反応は無い。道士だから病等には無縁ではあるが、流石に何も掛けずに眠るのは良くないだろう。
「掛けるもの……掛けるもの……」
辺りを見回し探していると、突然、腕を掴まれた。強い力で引っ張られ、体勢を崩す。膝の上にのせられ、いつの間にか太公望の腕の中。一呼吸開けて、えっ、とこぼす。思考は回らず、瞬きを繰り返していると、耳元で深く息を吐く音が聞こえた。
「眠い、」
「……仮眠用の寝台へ行きましょう。座ったまま眠るのは、身体に負担がかかりますから」
「このままで、良い」
何とか言葉を発し提案するも、太公望はそれ以上は応えずただぎゅっと腕の力を強めた。なまえの肩口に顔を押し当て、深い呼吸を繰り返す。どうしよう、と徐々に頭に酸素が巡り始め今がとてつもなく嬉し恥ずかしい状況だと理解する。
胸は早く高く鳴り頬に熱がのぼっていく。心臓の音が、聞こえてしまわないだろうか。無意識に、手持無沙汰となった腕を伸ばし太公望の背にゆっくりと回す。
眠っているのだから――そう、支えるだけ。支えるだけなのだ。
(……温かい)
良く子ども達に甘えられ抱きしめたりするが、それとは違うぬくもりを全身で感じる。規則正しい呼吸音をすぐ傍で聞きながら、とん、とん、とまるであやすように利き手で優しく背を叩く。
太公望を抱きしめたことは、実は何度かある。咄嗟に抱き合ったことが多く互いに意識したわけではないのだが。
(太公望殿は、この計画が終わったらどうするのだろう)
計画を遂行した後、彼はどんな道を選ぶのだろう。道士として再び崑崙山へ戻るのだろうか。それとも、このまま人の営みを助けるのだろうか。計画遂行後、なまえは師から好きにして良いと言われている。だから、もしもを考える。
(傍に、居たい)
計画当初から太公望とは一緒に居るが、いつからだろう、傍に居るだけで心は温かいのに胸が苦しくなり始めたのは。遠くに感じていた存在が、今ではとても近くて大きく頼もしい。ただ、背中を見ているだけで良かった。――良かったのに。
(私は貴方のことが――……、)
唇を開き呪文にも似た言葉を声にのせて紡ごうとした時だった。
「――……はっ!?」
「ひゃっ!?」
太公望は咄嗟に顔を上げる。なまえも動きを止めて固まった。
全身に感じる熱に驚き、太公望は静かに、恐る恐るといった風に腕を解きなまえと少し距離をとる。同時になまえも腕を下ろしてなかったことにした。むぎゅっと一度、眉間に皺を寄せてから太公望はいつもの朗らかな表情に戻る。
「なまえ殿……もしかして、僕を襲うつもりで!?」
「そ、そんなわけないでしょう!? 太公望殿がいきなりっ!」
腕を掴んで抱きしめてきた、と言葉にするのは恥ずかしく口ごもる。ふいと視線を逸らせば、太公望はちょっと考えた素振りを見せた。
丞相となる前から、計画のことはもちろん、周という国をより良くする為にやるべきことは多かった。太公望は周の内政や軍事、その他諸々をほとんど担っている。もちろん分担すべきものは他の者に振り分け手伝ってもらっているが、最終確認するのは太公望だ。休憩等はこまめに挟み、過労で倒れないようにしているが、今回はあまりにも内政や軍事面でやるべきものが多く息つく暇さえなかった。
その結果、急激な疲労と睡魔に襲われた。
なまえを抱きしめたのも実は理由がある。彼女の存在は身体を揺すられた時に気づいていたが、この時は夢だと思っていた。現という実感は無く、せっかく夢に
「そろそろ、下ろしてくれますか……」
距離をとった、といっても両腕は未だなまえを閉じ込めている。本来ならすぐにでも謝るところだが、微睡む意識の中で感じたあの温もりが忘れられない。
「なまえ殿」
「何ですか?」
「今からすること、怒らないでくださいね」
「――えっ?」
太公望がそう告げた瞬間、改めて強く抱きしめられた。衣服に顔を埋め、ぐっと体重をのせてくる。
「ちょっ、太公望殿!?」
「こう見えてもう限界でして。それじゃあ――……おやすみなさい」
「え、ええっ!?」
「――あっ、寝る前に一つ。僕のこと抱きしめてくれて良いですよ、先程のように」
このまま眠る宣言をしたのも驚いたが、更に吃驚したのは太公望の背に腕を回していたことに気づかれていた。深く息を吸ったかと思いきや、太公望は再び規則正しい寝息を立てる。本当にこの状況で眠ってしまったらしい。
どうしよう、となまえは内心焦ったものの自然と口元は緩んだ。いつも頑張っている姿を見ているのだから、怒るはずはない。むしろ、自分を必要としてくれるのが嬉しかった。だから、不思議と焦りは消え嬉しい高鳴りに変わる。彼が良いと言ったのだから、もう戸惑うことも無い。
太公望の言葉を思い出し、そっと腕を伸ばして背に回す。寄り添うように、支えるように、包み込むように――ぎゅっと抱きしめた。
「おやすみなさい、太公望殿」
なまえはもちろん知らない。口の中で、おやすみ、と太公望は返し微笑んでいることを――。
相思相愛
(これは、ふたりだけの秘密)
愛子||221128(title=水星)