マスターである藤丸立香は極小の特異点修復の為に、マシュ・キリエライトとブーティカ、キャットと反転したこの世界のアーサー王ことアルトリア・ペンドラゴンとともにレイシフトしており今は不在にしている。
甘いものが食べたくて何かあるだろうかと食堂へ足を向けるなり、思わずぱちりと目を瞬いた。厨房には、いつの間にかカルデア専属のシェフとなってしまった赤い外套のアーチャーことエミヤが巨大な肉の前でふむと考え込んでいた。何をしているのかと尋ねると、君か、とエミヤは振り向き答える。
「ベオウルフから新鮮な竜の肉をもらってね。どのように調理をすべきか考えていた」
これ竜の肉!? と厨房の中に入り、なまえはまじまじと巨大な肉を見る。ベオウルフ首の部位が一番美味しいらしく、厨房にエミヤが居ることを前提に先程持ってきたらしい。調理は任せたと残してベオウフルは再びドラゴンを狩りにどこかへ出かけたそうだ。勝手な英霊が多くて困ると肩をすくめるエミヤになまえは小さく笑った。
「霜降り部分を使った料理……か」
さてどうするかと再び悩み始めたエミヤに、なまえは頭の中にぽっと思い浮かんだものを呟いた。
「ビーフシチューとかどうかしら……」
「シチューか……では、ご期待に応えようか」
但しビーフを使っていない為ドラゴンシチューだがね、とエミヤはあげ足を拾う。言い直さなくても良いじゃない、と拗ねたように返すとエミヤは笑った。
「シチューならわたしが作るわ。生前では一番の得意料理だったから」
ぐいっと袖をまくり、エミヤの隣に立つと手際よく準備を始める。
生前はとある聖杯戦争にマスターではないものの参加をしていた。だが、仲間を助けるために汚染された聖杯に取り込まれてしまった。肉体は消失し、何の悪戯かはわからないが魂だけは破壊される前の聖杯に取り込まれ、祖先である安倍晴明に宿った。魔術師でありカルデアのマスター、立香の召喚に応じ、特殊なサーヴァントではあるが今では持てる力を存分に振るっている。晴明として第二の人生を歩んだものの、聖杯に取り込まれる前の記憶はしっかりとある。かなりのブランクはあるものの、肉の捌き方、下ごしらえ、味付けの段階まで一人で順調に行っていると、傍で見ていたエミヤは関心したように頷いていた。
ことことと心地の良い音を聞きながら、エミヤはにんにくを摩り下ろしながらぽつりとこぼす。
「かの有名な安倍晴明が、洋食が大得意だと世間に知られたら、いまごろ歴史学者は大慌てだろうな」
「あら。それを言うなら、アーサー王や織田信長が本当は女性だった、なんて世間に知れ渡れば、わたし以上に大騒ぎされていると思うけれど?」
「違いない」
学者達が大騒ぎしている姿を想像したのかエミヤの表情は自然と緩む。程よく煮込んだところで、下ごしらえの時に作ったデミグラスソースと赤ワインを鍋の中に入れると、とても良い匂いが鼻腔をくすぐった。全体的にソースが広がったのを見てとると、なまえはあるものを入れるためにいったん火を止める。が、とんとんっとエミヤに肩を叩かれ指差す方を見て、あらっ、とこぼした。鍋の中に入れるものを既にエミヤが用意をしてくれていた。どうしてこの三種の神器ならぬ2つの調味料のことを知っているのだろうかと疑問に思いつつ、ありがとう、と礼を言うと、用意されていた蜂蜜と摩り下ろしにんにくを加えひと煮立ちさせる。
ついさっきまでは甘いものを欲していた口だったが、今すぐにでもシチューを食べたいところだ。
他愛の無い会話を交わしていると、匂いにつられたらしい美の女神――イシュタルがふらりとやってきた。
「良い匂い。今日の夕飯は何かしら?」
「凛……じゃなかった。今日の夕飯の一つ、ビーフシチューならぬドラゴンシチューよ、イシュタル」
ドラゴン!? と驚いたものの、ふ〜ん、と鼻を鳴らしじっとイシュタルはなまえを見据える。あら? と小首を傾けると、イシュタルは眉根を寄せた。
「一応、私は女神なんだけど。それにあなたより先に召喚もされたし。呼び捨てっていうのはどうなのかしら」
「喚ばれたことに後も先もない。確かにあなたはここでは先輩だけれども……わたしは、イシュタルって呼び続けるわ」
にこりと笑って返すと、ばつが悪そうにイシュタルは色を変える。どうも今回の私ってこの子には逆らえないのよね……と小声で呟くも、こほんっと咳払いをする。ところで、となまえは話を遮った。
「イシュタル、少し味見をしてほしいのだけれど」
そう言うとエミヤは食器棚から小皿を取り出すなりなまえに手渡す。受け取った小皿にシチューを軽く注ぐと、はいっ、とイシュタルに差し出す。差し出された小皿を受け取ると、ごくりとイシュタルは喉を鳴らした。不味かったらすぐに言ってね、と添えると、当然よ! とイシュタル。
「不味かったら金星を落としてあげるから、覚悟しなさいよね」
ふぅっ、ふぅっ、と熱々のシチューに息をかけて冷まし、程よい温度まで下がったであろう頃合でイシュタルは小皿に唇をつける。くいっと皿を傾け味見。舌の上に広がる味にイシュタルは大きく瞳を開いた。
皿から唇を離したイシュタルの表情はほわっとしている。顔を見てわかったのか、口には合ったかしら? と問うと、美味しい……と答えるようにこぼすと同時に、イシュタルはすっと小皿をなまえに差し出した。
「も、もう一口くらい、味見してあげても良いわよっ?」
あくまでツンッとした態度を通すイシュタルに、はいはい、と相槌をうち小皿を受け取る。シチューを注ぎ終え再び小皿を渡すと、イシュタルは瞳を爛々としながらもう一度味見をした。
思わずエミヤと顔を見合わせて忍んで笑う。一緒にすごした日はまだ浅いが、それでもイシュタルの性格は随分とわかりやすい。
以前にも体験したことのある、温かな日々に戻ったような気がしてなまえは満面の笑みを浮かべた。
世界で一番優しい場所
(懐かしさと愛しさで、胸がぽかぽかと温かい)
愛子||181009(title=睡郷)