それは何もない休日の、のんびりとした時間を家族ですごしていた時のこと。みょうじが買ってくれたなまえお気に入りのクッション兼抱き枕を抱えながらソファに座りテレビを観ていた。掃除が苦手な自分に代わって、みょうじは溜まっていた掃除等をしてくれている。ようやく掃除がひと段落し、鼻歌交じりに一つひとつ洗濯物を丁寧に始めたので手伝おうかと言ってはみたが、任せるとやり直すはめになるから嫌だと断られるのはいつものことだった。
チャンネルを変える作業にも飽きて、たまたま音楽番組がやっていたからそのまま観続けた。正直、他のアーティストにはそれほど興味はない。幼い頃から歌を聞いているアーティストは別だが。
みょうじに誘われて入った道。姉であり先輩であり、自分を唯一認めてくれる大好きな人。
以前、事務所の偉い人と偶然会った際に、自分達が今の稼ぎ頭だから期待していると言われた。みょうじは喜んでいたが、自分は何とも思わなかった。歌はみょうじの為に歌っている、歌うものだと思っていたから、稼ぎ頭と言われてもピンとこなかった。
他のアーティストなんかよりも自分達が一番だと自負していた。まだまだ駆け出しではあるが、ライブや新曲の発売等で既に来年のスケジュールまで埋まっている。きっとこれは世間がみょうじを認めた証なのだと、密かに嬉しい反面寂しいという感情が心の奥底にあった。
「あっ。確かこの子、あれだ」
みょうじが手を止めてテレビに視線を向ける。首を傾げつつ、あれ? と復唱し液晶画面に映った人物を観た。金髪の男性と、その隣には見覚えのある白い髪の――事務所の偉い人の姿。MCとのトークは主に事務所の偉い人が行い、男性は緊張した面持ちでテレビに映っている。酷い顔だと口の中で呟くも、自分も初めてテレビに出た時は同じだったから気持ちはわかるが。
「マーリンさんが見つけた原石だよ。あたし等の後輩。といっても、年齢はなまえの二つ三つ上だったかな?」
事務所の偉い人――マーリンが見つけた、自分と同い年の後輩にあたるらしい原石である彼を観る。MCとの会話が終わり二人はステージへ移動し、そして歌い始めた。
その瞬間、自分の中に何かが差し込んだ気がした。鼓膜をくすぐる温かくて優しい声。ぎこちないながらもステージで一生懸命にパフォーマンスをする姿。ぎゅっとクッションを抱きしめ、原石と呼ばれている彼をただじっと見つめていた。
「名前は確かアーサー……アーサー……なんだっけ。イギリス人らしいけど、日本語はペラペラなんだって。機会があったら、同じ事務所だし会えるかもねぇ」
珍しくみょうじの声は耳に入ってこなかった。何故かはわからないが彼から目が離せなくて、ずっと聴いていたくて、まるで心を奮い立たせ希望を与える歌声。
嗚呼、何だろうこの気持ちはと考える。けれどもよくわからなくて、答えはいつか出るだろうと、彼に会えば何かわかるだろうと思った。
「ねえ、みょうじ」
「うん?」
「いつか彼と……同じステージに立ってみたい」
「!? ――そうだな。いつか四人で立って、思い切り歌いたいな!」
洗濯を畳むのを一旦止め、傍へ来るなりみょうじは隣に腰掛ける。よしよしと唐突に頭を撫でられ、えっ!? と驚くとみょうじはにこりと笑顔。
「一目惚れだろ、アーサーって子に」
「ちょっ!? そ、そんなわけないでしょう!?」
「だって、じーっとテレビ観てるし? いやー、あの堅物真面目系なまえちゃんにもようやく春が来たかー」
「ち、違うってば! わたしは別に、みょうじが居れば他の人なんて興味ないものっ」
「コラコラ。さらっとシスコンアピールをするな」
本当のことなのに、とむっと顔をしかめると、もっと外を見ること、とみょうじ。今度はてしっと頭に手刀を落とされた。
原石と呼ばれる彼の歌が終わり、次のアーティストがテレビに映る。もう観る必要もないと判断し、テレビの電源を切った。
みょうじと光り輝くステージに立ち、歌い続ける日々。
ずっと続くと思っていた幸せな日々。
けれどもそれは、ある日突然、終わりを迎えた。
雨の日の交通事故。車の信号無視。
ずっと傍に居てくれたみょうじが突然居なくなった、なんてことは、信じられなかった。
連日、みょうじの死が報道されている。事務所の人達も常に気を使って声をかけてくれたが、喪失感は計り知れない。
埋まっていたスケジュールを無断で断り、家の中で一人閉じこもる。マネージャーからの電話にも出ず、ただ静かな部屋で過ごす日々。両親とは既に死別しており、親族も居るらしいとみょうじから聞いてはいたが顔も名前も知らない為、こういう時に支えてくれる人なんて誰も居ない。
天涯孤独――とはきっと今の自分を示すのだろう。
愛用の抱き枕を両腕に抱えると、止まっていた涙がまた溢れ出てきた。何度泣いただろう、目を拭いすぎて痛い。
気力もなく、無意識にチャンネルに手を伸ばしてテレビの電源を入れる。数秒と経たずにチャンネルを変えていく。みょうじの死は時間が経つにつれて報道の回数は減り忘れ去られていくような気がした。結局、テレビなんて、人なんて、そんなものだとどこかで納得している自分が居た。
ソファの上に倒れ、ぼんやりとテレビ画面を眺める。ふと、チャンネルを変える指の動きが止まった。意図したわけではなく自然に動きを止めた。
液晶画面に映る、事務所の後輩の――名前はなんと言ったか。確か、偉い人が見つけてきた原石くん。その原石くんがとある情報番組の特集に出ていた。
明らかに色目を使い猫撫で声で質問を続ける女性キャスターと、律儀に紳士的に対応する原石くん。以前に感じたものはなく、チャンネルを変えようとした刹那、女性キャスターがあこがれているアーティストは居るかと問うと原石くんは強かに頷き答えた。
憧れであり目標は自分とみょうじのボーカルユニットだ――と。
ぴたりと動きを止め、テレビから目が離せなくなった。
『いつか彼女達と同じステージに立って歌う……それが、私の夢です。今は、言葉では上手く言い表せないことが起こってしまったが、それでも……それでも。私は君と――ステージに立ちたい。だからどうかもう一度、戻って来て欲しい。そして共に歌おう……!』
お茶の間ではなく、自分ただ一人にかけられた言葉。
ふと、みょうじと交わした会話が脳裏によみがえる。いつか四人で思い切り歌ってみたいと笑ったみょうじの姿。
特集番組は終わり、報道番組に切り替わる。体を起こし、抱き枕に顔をうずめた。
しかしすぐに、頭を上げて前を見る。
今まで何をやっていたのだろうと悔いた。大好きな存在はもう居ない――けれども、みょうじの意思は、夢は、すぐ傍にあったじゃないかと悟る。それを継ぐのも残すのも伝えるのも、自分にしかできないことにも気づいた。
全てがどうでも良いと思っていたが、原石くんの――確かみょうじはアーサーと呼んでいたか――のお陰でやっとわかった。
自分がみょうじの夢を叶える。
もう傍には居ないけれども、歌うことで隣にいるように思えるのだ。
この気持ちを、意志を、電話ではなく直接誰かに伝えたくて、軽く身なりを整え必要なものだけを手にすると飛び出すようにして家を出た。向かったのは事務所で、偶然にもマネージャーと入り口でぱったりと出会った。マネージャーは自分の顔を見るなりぶわっと涙を滲ませ勢いよく抱きついてきた。もう大丈夫なのかと聞かれ、こくりと頷く。何度もメールや電話をくれていたにも関わらず返事をせずに申し訳なかったと詫びたが気にしなくて良いとマネージャー。今日はどうしたのかと聞かれ、マネージャーに自分の気持ちを伝える。すると、突然腕を取られどこかへと連れて行かれた。首をかしげてぱちりと目を瞬いている間に、エレベーターへ乗せられ上の階へ。あの……、と声をかけるも良いから付いて来て! とマネージャーは力強く言う。エレベーターが止まり扉が開くと、やってきたのは打ち合わせで良く使っている大きな会議室。ちょっと待ってて、と言うとマネージャーは会議室の中へ入った。その時、あっ、と声が出た。会議室の中にアーサーの姿があった。一瞬、目が合った気がするのだがこちらの気のせいだろう。
会議室の前で待つこと数秒と経たずに扉が開き、マネージャーとともに事務所の偉い人――マーリンが出てきた。マーリンは自分を見るなりにこりと笑うと腕を伸ばして近づいてきたが、マネージャーが盾となり一定の距離を保った。こほんと咳払いをひとつしたマーリンに、マネージャーに伝えたことと同じことを話す。すると全てわかっていたとでも言うかのように黙ってぽんっと肩を叩いてくれた。
「――さて、そうと決まればさっそく今後のことで打ち合わせが必要だ」
今から時間はあるかとマネージャーに問われ、大丈夫と返す。空いている部屋はあったかと呟くマネージャーの隣で、何かを思い出したかのようにぽんっとマーリンは手を打った。
「今、アーサーとライブの打ち合わせをしているんだが……良かったら何かアドバイスをくれないかい? 先輩として」
本当は会って話をしてみたかったが、ふるふると頭を横に振り拒否した。酷い顔のままだし、服装だって適当に着れるものを着ただけに過ぎない為、本来なら人前に出れるような格好ではない。それに――アーサーと話をするなら"自分"を取り戻した時が良い。
残念だとマーリンは肩をすくめたものの表情は明るい。空き部屋を教えてくれると、次の新曲とか諸々楽しみにしてるから、と残し会議室へと戻っていった。
前を見て再び走り始めた、そんなある日。
マネージャーと新曲の打ち合わせを終え、軽く背伸びをする。まとまった資料等を片付けながら、送っていこうかと言うマネージャーに今日は一人で帰るから大丈夫だと告げた。どうも自分は人混みの中に入ると個性がなくなり溶け込むらしい。以前、みょうじと出たバラエティー型の検証番組ではその実力ならぬ特技を如何なく発揮した。番組でも検証されたことなのだが、今でも普通に電車に乗って誰一人と自分だとばれたないものだから、マネージャーも理解してくれているらしくそれ以上は何も言わなかった。自分よりマネージャーの方がここ最近働きづめで大変なようで、目の下にはびっしりと隈ができている。だから、マネージャーも今日は早く帰ってゆっくり休んでくださいね、と伝えると、ぶわっと涙を溢れさせつつ、ありがとう!! と声を大にして言うと先に部屋から出て行った。
荷物をまとめて後を追うように部屋を出る。誰も居ないエレベーターに乗りほっと一息つくと、携帯電話にマネージャーからのメッセージが届いた。何かあったのか、やっぱり帰れませんでしたー!(泣)、液晶画面に文字が映し出される。思わず苦い笑みがこぼれ、がんばってください! と返す。するとすぐに、がんばる…気をつけて帰ってね、と返事。同時にエレベーターの扉が開き、歩を進めながら、口の中でありがとうと呟く。誰かの前を通った気がするが、特に何も考えずに携帯電話をかばんの中へ入れた。
裏口の扉を開け外へ。しかし、すぐに踵を返し再び事務所の中へと戻った。外は土砂降りの雨が降っており、帰るに帰れない状況。今朝の天気予報で雨の予報なんて出ていなかったし、ましてや降水確率も0だったはずだが。ただし、その後に始まった星占いでは素敵な出会いがある反面、水に注意とあった。なるほど、星占いは見事に悪い方が的中したらしく、無意識に顔を顰めてしまう。雨雲の動きを見て頃合を見計らって帰宅することにし、鞄の中に手を入れる。だが、先程まで持っていたはずの携帯電話はいつ入れているはずのポケットの中になく、あれ? と首を傾げつつ弄った。今日に限って荷物が多くなかなか目当てのものは出てこない。指先に覚えのある質感を感じ、これだ! と直感する。案の定、手に取り出したそれは求めていた物でほっと安堵の息を吐いたときだった。
「今から帰るのかい?」
時間が、止まったような気がした。
顔をあげるなり瞳に移ったのは、壁にもたれ掛かり誰かを待っているらしい原石――否、再び自分に光を与えてくれた彼の姿があった。
「……アーサー・ペンドラゴン」
ぽつりとこぼすように名前を呼ぶと、アーサーはぱちりと驚いたように目を瞬く。それは当然の反応かもしれない。自分がただ光を与えてくれた人と思っているだけで、当の本人はそこまで"なまえ"という人間に興味等抱いてはいないだろう。ましてや初対面の相手を呼び捨てにしてしまったことにはっと口を噤む。けれどもこのままではいけないと思い、初めまして、と挨拶した。
嗚呼、まさかこんなことがあるだなんて――……うれしさのあまりに携帯電話をぎゅっと握り締める。星占いは悪い方ではなく、良い方も見事に当ててくれたようだ。
このチャンスを、この運命をくれた神様に、心からの感謝を。少しでも近づけるように一歩前へ進もうとした時、背中を何かにそっと優しく後押しされた気がした。
それは小さな恋のおはなし
(背中を押してくれたのはきっと――……大丈夫、わたしも一人で羽ばたけるようになったよ)
愛子||200217
(title=空想アリア)