みんなのもとへ歩を進めようとした刹那、突然、足が重くなった。視線を下げると、二本の手が暗闇から伸びて足を掴んでいた。えっ、と声を上げるや否や、暗闇の中からぼんやりと幼い頃に死別した両親が現れる。顔が崩れ、血を流しながらこちらを見ていた。
『どうしてお前だけが生きている』
声になっていない声で問われる。
息を呑み、助けを求めて振り返るも光は消えていた。代わりに、山のように積み重なった死体と夥しいほど血が流れ、暗闇を染めて自身を濡らし穢していく。ずるりずるりと嫌な音が響き、無数の手が身体を這い上がってきた。
何故、どうして、お前だけ――最後は空洞となった目と、目を合わせる形となり問われる。恐怖により声は出ず、ぎゅっとまぶたを閉じて無意識に叫んだ。
「助けて……アーサーッ!」
ふと、遠くから声が聞こえた。
「――……、……マ……、ター……、なまえ!!」
最後ははっきりと声が聞こえ、力強く腕を引かれた。
唐突に差し込む眩い光。はっ、とまぶたを開く。
眼前には心配そうになまえの顔を覗き込む唯一契約をしているサーヴァント――異世界の騎士王こと、アーサー・ペンドラゴンの姿。
ゆっくりと上半身を起こし、自身の部屋であることを頭の中でしっかりと認識して深呼吸を一つ。ベッドの縁に腰かけ、大丈夫かとアーサーは問うてくる。小刻みに震えながらも、こくりとなまえは頷いた。震える手を強く握り、アーサーは続けて優しい声音で尋ねる。
「怖い夢でも見たのかい?」
肯定の意を込めて再び頷く。
どんな夢だったのか、とはアーサーは聞かない。怯え震える姿に全てを察したのか、握っていた手を解くと、体を寄せてなまえの更に傍へ。一筋の涙が零れた刹那、アーサーは強くなまえを抱きしめた。
まるで子をあやすかのように、優しい手つきでなまえの頭を撫でる。ぎゅっとアーサーの霊衣の端を掴み、なまえはその温かさにしばらく身をゆだねた。
程なくして、優しい声が耳をくすぐった。声――否、正しく言えば歌だ。アーサーが歌っている。これは――きらきら星だ。
恐怖で震えていた体と脳にしっかりと酸素が巡る。怯えていた心はいつしかぽかぽかとぬくもりを帯び、安堵の息が零れた。鼻歌を聞き終えた頃には、なまえの表情に柔らかさが戻っていた。
「……アーサー、歌、うまいね」
ぽつりと呟くように言うと、アーサーは小さく笑った。
「子ども達が歌っていたのを良く耳にしてね。綺麗な歌だったから覚えたんだ」
同じ人類最後のマスターの一人でもある藤丸立香が最近契約を結んだサーヴァント、アントニオ・サリエリが心穏やかな時はピアノを弾き子ども達に聞かせていたことをなまえも知っている。何度かサリエリと子ども達が一緒に居る姿を見かけたこともあった。
そういえばつい先日、そんなサリエリ達の様子をこっそりヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが覗き見していた光景を思い出した。何をしているのかと声をかけた数秒後、サリエリがアマデウス絶対殺すモードに入り大騒ぎになった。何とかサリエリを諫めようとアーサーと共に頑張ったが、アマデウスが火に油を注ぐものだから収拾できない事態となりかけたのだが、偶然にも立香がその場を通りかかり喧嘩両成敗となった。アマデウスはぶつぶつと文句を言っていたが、あれは聞かなかったことにしている。
あの時は大変だったと口の中で呟きくすりと笑う。アーサーはなまえから少し距離を開けるなり目を細めた。
「やっと笑ったね」
少しは落ち着いたかい? とも続けて問われ、ゆっくりと頷く。今はもう、悪夢の恐怖は薄れ穏やかな気分だ。
「君は泣いているよりも、笑顔の方が似合う」
なまえの額に触れるだけのキスを一つ。不意打ちに驚き、ほんのりとなまえの頬は赤く染まった。胸は高鳴り、ふいと視線を逸らした。
もう、先程までの恐怖は消え去っていた。嗚呼、この人は本当に――……アーサーと名前を呼ぶ。
「――ありがとう、」
こつん、と額をアーサーの胸元にあて礼を言う。一呼吸開けてから、あのね、と紡いだ。
「しばらく……このままで居させて欲しいの……」
ダメですか? と上目で問いかけると、アーサーは少しきょとんとした色を浮かべたがすぐに微笑んだ。ぎゅっと強くなまえを両腕の中に閉じ込める。
「イエス、マイ・マスター」
その声が心地よくて、優しい温もりに無意識に瞼を閉じると、ほどなくして再びアーサーのきらきら星が鼓膜をくすぐった――。
その唇で癒して
(あなたが居てくれるから、これから先も、ここから先も、振り返らずに立ち止まらずに前だけを見て歩んでいける――)
200420||愛子(title=空想アリア)