「あれ? もう上がっちゃうんです?」
出逢いは本当に最悪だった。
水浴びを終えて川から出ようとしたところを声を掛けられた。視線を上げて声の主を見れば、綺麗な黒髪に、物腰柔らかな顔をした青年の姿。呑気に釣り竿を持ち岩の上に座って釣りをしている。
何故か、目が離せなかった。
さらりと、柔らかな風が吹く。
くしゅんっと小さなくしゃみを一つすれば、青年は視線をこちらに向けたまま続ける。
「ああ、僕のことはお気になさらず。釣りをしながら、時々あなたを盗み見しますから」
それは――つまり堂々とのぞき見すると宣言したのと同じではないか。というより何時から青年は居たのだろう。何時から見られていたのだろう。頭が冷静さを取り戻すなり、爪先から頭のてっぺんまで同時に熱が駆け上る。急いで隠せるところは隠し、思いきり息を吸い込んで声を張り上げた。
「嫌ァァァァ――ッ!!」
師匠から教わった仙術を岩の上にいる青年に放つ。岩もろともその場所は轟音を立てて吹き飛んだ。更地と化したその場を見て、ハッと我に戻る。師匠から下山したらあまり術は使うなと言い聞かされていたのに、やってしまった。
青年は、無事だろうか。
――否、無事ではないだろう。怪我を負っていたら手当てをしなくては"仙人"である自分の名折れだ。それに師匠の面子に泥さえ塗ってしまう。急いで川から出てようと足を一歩踏み出した時、ぱさりと素肌に柔らかな感触があった。
「風邪を引きますよ、同士。まあ、仙人に病は無縁かと思いますが。それにしても随分と立派な更地にしましたねぇ」
いやァ驚いた、とすぐ傍で笑っているのは先程まで更地と化した場所で釣りをしていた青年だった。同士――なるほど、青年も仙人なのかと理解する。この辺りであれば崑崙山で学んだ"道士"になるのだから。素肌に触れたのは近くの木に掛けていた衣で、どうやら青年が避けるついでに取って来てくれたらしい。土遁の術で移動したのだと理解する。しかも一瞬で此処まで距離を詰めたのだ、相当修練を積んだ身で間違いないだろう。
袖を通して取り急ぎ片手で前を締める。どなたから学んだのです? と先を続ける青年に振り返り、にっこりと笑顔。空いているもう一方の片手で力の限り頬を叩いてやった。
始まりはいつも此処から。
"彼女"にとっては最悪な出会いだったけれども、"彼"と縁を結んだ出来事でもある。あの後、仙術合戦になるかと思いきや頭の切れる青年が言葉で諭し――もとい言い包め、綺麗な場所がさらに更地と化すことはなかった。去り際に青年は最後に一つだけ、方便なのか本気なのかわからない声音で残した。
『とても、美しかった』
幼い頃から師匠のもとで修行の日々に明け暮れていた彼女にとって、異性を知らぬ彼女にとって、深くふかく、心に刻まれる言葉となった。
次に見るのは――……思い出すだけでもこちらが照れてしまうからやめておこう。いつしか二人は夫婦となり、その営みは
けれども、一つだけ。
互いに胸の内に秘めていたことを曝け出した。彼には前妻が居たこと、斃すべき敵に
『魂がそう感じてしまったのでしょう? 幻滅なんてしない。だってそれは、心があるということだもの。――話してくれて、ありがとう』
温かな笑顔で全てを許し受け入れた彼女に、これはもう頭が上がらないし芯の強い人だと改めて理解した上で、改めて添い遂げたいと彼は思ったようだ。
そしてその日、二人は一つになった。
二人――否、彼女の最期を知っている。夢はいつも、此処で終わる。
とある計画の終盤――捕らえられた狐の姿をした美女が恐ろしい眼光をこちらに向け刹那、聞きなれない鈍い音がした。腹部が熱い。唐突に身体の力が抜けていく。何気なく視線を下ろせば、腹部に刺さる真っ白い何か。九つある尻尾の一本が腹部を貫いていた。臓器のほとんどが貫かれた衝撃で外に飛び散っている。致命傷だ。一呼吸のち、様々な感情が入り混じった愛しい声が
『文字通り、道連れ。
高笑いと共に、先に美女――金色白面の魂が宙を飛ぶ。
『あぁ……最期に一つだけ、我が儘言いたいな……』
嗚呼――魂が身体から離れていく。
『いつか、一目だけでも、"私"に会いに来てくれたら……嬉しい、な……』
これは、心の奥底に別の××を秘めている者にとってはある種の呪いかもしれない。それでも、魂が求めてしまったものは、願ってしまったものは止められない。
最愛の人の姿を瞳の奥に焼き付けながら、彼女の魂は金色百面後を追うように宙へと飛び去った。
夢はいつも、此処で終わる。
この先は知らなくても良いとでも言い聞かされるように、ノイズでかき消されて目を覚ます。
近頃、頻繁に同じ夢を見る。幼い頃から見続けた夢だが、あまりにもリアルな内容、映像になっているから、起きた直後は思わず自身の腹部を触り、怪我をしていないのを確認してしまう程だ。カルデアベース内にある職員に割り当てられた小さなマイルームで一人ため息を吐いた。
今日は、人類最後のマスターである藤丸立香がライダー霊基のダ・ヴィンチに促されカルデア職員でありデミ・サーヴァントのマシュ・キリエライト立ち合いのもと新たな英霊召喚に試みる予定だ。カルデア職員でありオペレーターを担当しているなまえは、管制室で仕事を片付けながら三人の話についつい聞き耳を立ててしまったのが昨日のこと。ふと、視線を腕時計に移せばもう召喚している頃だろうか。
カルデアには様々な英霊達が力を貸してくれている。カルデアベースに来てからますます数は増え、年下ながらも立香は凄いなと敬意を払う。後でお姉さんらしくジュースの一本でも奢ろうかな等と考えていると、唐突に激しい頭痛に襲われた。
呻き声を上げてしまう程、ギリギリと頭と、次いで胸が締め付けられる。呼吸をするのも苦しい。眼前がちかちかと白みを帯びる。この症状に似たものを一度、味わったことがある。それは中国異聞帯へ踏み入れた時だ。あの時は頭痛に耐えきれず、ほとんど気を失っていたが、攻略後は痛みに襲われなかった。帰還後にダ・ヴィンチや医療関係に詳しいサーヴァント達から精密検査を受けたが異常は確認できなかった。
なまえの異変に気付いた他のスタッフが慌てて駆け寄り、大丈夫かと遠くから問われるも返答は出来ない。
――何だこれ、何だこれ、何だこれ。
心拍数は跳ねあがり血液が沸騰するかのよう。
――何だこれ、何だこれ、何だこれ。
身体の中でかちゃり、かちゃり、と音を立てて"鍵"が外れていく。
――何だこれ、何だこれ、何だこれ。
『嗚呼、やっと彼が――、』……頭の中で、誰かがそう告げた。
「――ちょっと失礼」
聞き覚えのある声がした。
パチンッという軽快な音と共に、フッと全身が軽くなる。痛みは消え、呼吸もでき、視界もはっきりとし始める。
今のは一体、何だったのだろう。
肩で息をしつつ、誰かに助けられたのだけはわかっていたから礼を言おうと顔を上げる。
瞬間、息を呑んだ。
黒と赤、白を交えた中華風衣装に綺麗な黒髪。物腰柔らかな顔に、爽やかな声音。
知っている。
「魂に制限を掛けるとは、いやはや。昔から強力な術師だとはわかってはいましたが、随分と無茶をする」
呆れたように、けれども流石だと言わんばかりに笑顔する目の前の彼を、知っている。
「久しぶりですねェ、"なまえ"」
元気にしていましたか? と、続けて呑気に尋ねて来るものだから咄嗟に片腕を上げて力なくペチンと彼の頬を叩いた。
「――やっと会えた……遅いよ、"子牙"」
様々な想いが胸の中で渦を巻き、ようやく伝えられたのはその一言。感情が込み上げ瞳が熱くなりぽろぽろと涙が溢れ出る。遅くなりました、と彼は本当に申し訳なさそうに謝った。
「太公望、居たーッ!!」
管制室の入り口で立香の声が響いた。走って来たらしく肩で呼吸している。その後からマシュ、ダ・ヴィンチが続き、二人も走って来たのか息は上がっていた。
「来るなり、"妻が居るからちょっと行ってきます"っていきなりなんか変な術使うのやめてくれる!?」
「アッハッハッ! すみませんマスター。でも、本当に妻が居たから仕方ない」
「妻って誰のこ――、」
ハタッ、と立香と目が合う。泣いている姿を見られてしまい、嬉しいのに年上として恥ずかしい気持ちもあり、もうなにが何だかわからなくなってきた。妻ってまさか、と立香が唇を開いたと同時に色々と耐えきれなくなり子どものように大きな声を上げて泣いた。
急遽オペレーター業務を停止し、残った作業は他のスタッフがまかなってくれることになり、落ち着く為に管制室を離れた。彼――新たにカルデアベースへやってきた英霊・ライダー太公望に手を引かれ、声を上げて泣きながら廊下を歩く様はある意味滑稽だったろう。後日、悪属性を持っているサーヴァント達からからかわれそうだが今は何も考えないでおく。
大人数が入れる食堂へ移動し、空いている席に腰掛ける。昼時から随分と時間はずれているので人の姿はない。隣に太公望が座り、その前に立香、そしてマシュとダ・ヴィンチが並ぶ。ひとしきり泣いてしゃくりをあげつつも、少しずつだが落ち着いてきた。手は、まだ太公望に握られたままだ。
「――さて、」
ダ・ヴィンチが話を切り出そうとした時、突如、立香が腕につけている通信機が起動した。小さなスクリーン画面が立ち上がり、騒ぎを聞きつけて管制室に足を運んだらしい新所長ゴルドルフ・ムジークの姿が写る。
《職員の一人が突然泣き始めて仕事にならなくなったと聞いたが何が起こったのかね!? しかも、新たな英霊・太公望を迎えたとも聞いたぞッ! こう見えても私は封神演義のガチファンなんだがね!? 後で挨拶させてくれたまえよ!!》
「はーい、ゴルドルフ君ちょっと黙っててねー。今から大事な話をするところだからさ」
まだまだ話したいのは山々だったようだが、此処は意を汲んでゴルドルフはぐっと言葉を飲み込んだ。
「まずは、召喚に応じてくれてありがとう。名軍師、太公望」
「いや何、元始天尊様のお導き――もとい、今回は人理の呼び声に応えたまでのこと」
そういえば自己紹介がまだだったと、太公望は簡潔に述べる。本当ならキャスタークラスでグランドに当たるはずなのにと愚痴めいたことも呟いたが、改めてよろしくと立香とマシュはぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ、さっそくだけど本題へいこっか」
ダ・ヴィンチの視線がこちらの方を向き、ええと……、と口ごもる。無意識に助けを求めるようにして隣を見ると、はいはい、と太公望はわかっているとでも言わんばかりに説明を始めた。
「隣に座る彼女――なまえは、正真正銘、僕の妻です」
おかしな話なのは重々分かる。
「彼女は我々カルデアの職員だ。優秀なオペレーターとして勤務している。君が此処へ来る前からね。それに、英霊と人間が夫婦関係だなんておかしな話だろう?」
「ええ、本当に、不思議な話です。ですがこれが
やれやれとダ・ヴィンチと太公望は互いに肩を竦めた。
「なまえが、元は僕と同じく仙人で輪廻転生を繰り返す魂の持ち主だとしたら……ダ・ヴィンチ殿の言うおかしな話は辻褄が合いませんか?」
「輪廻、」
「……転生」
立香とマシュが声を揃えるようにこぼす。ダ・ヴィンチは目を丸くし、太公望の言葉を今は咀嚼するのに精いっぱいのようだ。
太公望がなまえの引き名を紡ぐ。数秒経たず、あっ! と声を上げたのはマシュだ。
「封神演義を題材とした派生作品で登場する、太公望さんの後妻として描かれている仙女!」
《書き手によって出生や容姿は違うが、太公望より優れた仙術を収めたと言われる秀才ではないか! その力を認めた元始天尊が封神計画に参加する太公望の補佐としてつけたお目付け役の!?》
「あ、一つ補足を。彼女、秀才の割には力加減が下手くそだったので良く様々な場所を更地にしていました」
《秀才とはッ!?》
「え、ええと。ですが、最後はどの作品でも封神寸前の妲己に致命傷を負わされ、太公望さんの目の前で封神されてしまう……」
二人の封神演義ファンが語るあまりにも詳しい内容に、ポカーンと立香は大きな口を開けながら軽く相槌を打った。後ほど自分の推しを含めて作品について語り合おうと通信機越しにマシュとゴルドルフがグッジョブポーズをしたのは今は横に置いておく。
「彼女、実は封神されていなかったんですよねェ」
束の間の沈黙。しかし数秒と経たず、大声を上げたのはマシュとゴルドルフの二人だった。あれだけ泣かされたのに!? とゴルドルフは逆切れも良い具合に食って掛かる。術を駆使して封神台を調べてみたが魂は無かったのだと太公望はため息交じりに結ぶ。
ようやく話を咀嚼し終えたのか、なるほど、とダ・ヴィンチは口を開いた。
「封神されなかった……つまり、"地位"がなかったんだね?」
「ええ、まァ、その通りです」
どういうことかと立香が問う。簡単に言ってしまえば、魂を収める場所がなかったのだとダ・ヴィンチ。しかし、一度、肉体から離れてしまった魂は元には戻れない。ただ彷徨い、いつしか浄化される
「――そう、私はそれを良しとは思わなかった」
ふと、なまえの唇から紡がれる言葉。
別人のような話し方に、太公望以外の全員が二、三度、目を瞬く。なまえ自身は瞼を閉じ俯いているが、そのまま続けた。
最後の力を振り絞り、咄嗟に組み上げた術式を用い、魂に直接、暗示を掛けた。
何十、何百、何千年と掛かっても良い。
もう一度、最愛の人との再会を願って――……魂を流転させる術を。
最期に獣が放った言葉を、魂の片隅でエンドレステープのように聞きながら。
何度も、転生した。
ある時は同郷の少女として、ある時は時代を駆け国を救う西洋の騎士として、ある時は東洋の医学者として――様々な人間へと流転を続け、その時代、人々に手を貸し助けた。が、訪れる結末はいつも同じだった。
ある時は傾国になり得るとして捕らえられ首を刎ねられた。
ある時は魔女として訴えられ火刑に処された。
ある時は人殺しとして指差され残虐に迫害された。
「だから私は――……記憶を封じた」
記憶を封じての最初の流転が今――みょうじなまえなのだと、なまえ自身が結んだ。
自分より秀でている者が居れば、その者を貶めるのは一部人間社会で起こる闇の一つだ。綺麗ごとばかりではない歴史の基盤。過去を聞く者達は、沈痛の面持ちへと変わる。ぽろぽろと、なまえの透明な雫が頬を伝い落ちる。
太公望は手を離し、腰を上げると、そっとなまえを抱きしめた。涙を隠す傘となるように、今までの辛い過去を受け止めるように、優しく、それでいて強かに。
これ以上、なまえから過去を引き出すのは毒となると判断し、瞬時に術をかけた。
「なまえ、気分はどうです?」
太公望から声をかけられ、ふいに我に返った。
瞼を開き、光を取り入れる。頭の中はぐるぐると混乱していた。様々な記憶が、映像が、駆け抜けていったが、それはまだほんの一部だと魂が訴えている。記憶の蓋を一気に開けてしまえば、自分自身が壊れてしまうのだけは理解できていた。だから、少しずつ、少しずつ、必要な
「――なまえさんのこと、わかった気がする」
黙って話を聞いていた立香がゆっくりと唇を開く。
「人が好きだったんだね」
立香の言葉になまえは大きく瞳を開いたが、すぐにふっと表情を緩める。
一呼吸開けてからこくりと頷いた。
「いつも俺達を支えてくれて、ありがとう」
人を助けることが嫌になりそうだった。最愛の人との再会だけを願って流転した人生の数々は思い出したくもないパンドラの箱へと変わっていく。負の感情が溢れてしまえば、魂が拒絶を示し何に転じるかわからない。
それでも――人を嫌いにはなれなかった。
立香のように、太陽のような温かな心を持つ人を知っていたから。
だから、最愛の人との思い出も、今まで積み重ねて来た研鑽も、全てすべて封じるだけにとどめたのだ。
「――なまえさんは、いま幸せですか?」
立香の何気ない問いかけに、迷わず応える。
「もう一度、最愛の人と出逢えてとても幸せ」
最期の願いを何十、何百、何千年と時間は掛ったが、やっと叶えてくれた。逢いに来てくれた。
彼と縁を結んでくれたカルデアに、立香達のような光ある心の持ち主達に囲まれていることに感謝を。
呪いは今、祝福へ転じる。
自然と表情は綻び、腕を伸ばし、太公望のぬくもりに包まれる幸福を思い出し嚙み締めた――。
カルセオラリアの愛
(また出逢えたね、愛しい私の伴侶)
愛子||211231(title=Liebe)