薄暗い部屋――否、節電の為に必要外の電力を落とした管制室を見回してから自身のデスクに腰掛ける。管制室に居るのはなまえだけで、時刻は午前0時を少し過ぎた頃。今日は夜勤で、面倒臭いなという気持ちと頑張るぞという意気込みが入り混じるも、人類最後のマスターである藤丸立香やその後輩のデミ・サーヴァントであるマシュ・キリエライトを支えるのが職員の仕事だから業務に手を抜くことだけは決してしない。
キャスター付の椅子に腰を下ろし、さっそく引き継いだ仕事に取り掛かる。しかし、我ながら夜勤準備は完璧すぎると自画自賛してしまう。忘れているものなんて何一つないだろうと胸を張れる程だ。デスク周りには夜勤の為に準備したお菓子や飲み物、万が一の為の眠気覚ましのドリンクも三本用意している。休憩は、ちょくちょくと挟むつもりだ。
カルデア職員として働いて早五年。オペレーターを任されており、最初こそ失敗は多かったが今ではベテランとして一目置かれている。カルデアへ来た経緯は、実は"誘拐"されたから。五年前、実家近くの志望大学へ受かっていたので春休み期間中に大学デビューを目指してアルバイトで貯めた貯金を少し崩し美容院や初めてのネイル、エステサロンとはしごして自身を磨いた。その帰りに家族にも幸せのおすそ分けをと思い駅近くのデパ地下でちょっと高いケーキでも買って帰ろうかと考えながら道を歩いていた矢先、まるで某眼鏡をかけた見た目は子ども頭脳は大人な少年探偵が活躍するマンガに出て来る黒ずくめの人物に声を掛けられた。

『ヘイ、ユー! ちょっと献血しない? ユーの血が何故かとっても必要だと感じた気がしたのさ!』

余りにも胡散臭く怪しすぎるし真顔で断ってその場を去ろうとしたが、突如として身体が金縛りにかかったかのように動けなくなり、目隠しヘッドホンをつけられあれよと言う間にバスに乗せられ、乗り物を乗り継ぎ乗り継ぎ、到着したのがカルデアだった。金縛りの原因はマスター候補をスカウトするその人物の放ったガンドだったと知るのは此処へ就職してからの話。
マスターとしての適正はもちろん無く、けれども何故か当時のお偉い人――カルデア創設者のマリスビリー・アニムスフィアに気に入られ、様々な好待遇条件と年単位で更新の右肩上がりの給料に釣られてしまい当日付けで働くはこびになった。
それから様々な出来事があったなと思う。
運が良いのか悪いのか。命の危機は何度かあれど、こうして生き残ってカルデアベースで仕事をしているのだから恐らく自分は前者の類だろう。
それに――……つい最近、人理を取り戻した時と同じくらい嬉しいことがあった。人理の重要さと比べるなと言われそうだが、それに等しい喜びがあったのだ。夜勤を頑張れるのも、そのお陰でもある。
夜勤といえば、立香がまだまだ新米マスターだった頃、夜中に皆で食べたうどんが美味しかったなと思い出す。厨房を牛耳るサーヴァント達が居らず、立香が夜食を作ってくれたのだ。Dr.ロマンの許しを得て保管していた食材を使って振る舞ってくれたのは温かい月見うどん。皆で小さな食堂のテーブルを囲んで食べたあれは、最高に美味しい夜食だった。今度は自分が作り手として夜食を振る舞うのも良いかもしれない。近日中に要検討してみようか。
タイピングの手を止めて背伸びを一つ。ふうっ、と軽く息を吐き椅子に深く腰掛ける。
突然、ことんと何やらテーブルに物を置いたような音と、同時にずしりとした重みと温かさに襲われた。

「ひゃうっ――!?」

咄嗟に声を上げる。しかし、視線を動かし重みの正体を知った瞬間、力が抜けた。さらりと揺れる黒髪に、端正な顔立ちをした、中華風の衣装に身を包んだ細身の男性――後ろからなまえを抱きしめているのは、先日カルデアベースへライダー霊基で召喚された太公望だった。
太公望は、わざと大きく深いため息を吐く。ハッと何かを思いだしたかのようになまえの表情は密かに歪んだ。つい先程まで夜勤の準備は完璧だと自画自賛していたが、一つだけすっかり忘れていた。太公望に、今日は夜勤である旨を伝え漏れていた。
視線を逸らしていると、太公望はジトッした目をなまえに向ける。

「……心配したんですが」
「……ごめん」
「ものすごく! 探したんですがっ!!」
「ごめんなさいっ!!」

太公望はへらりと笑うとなまえからゆっくりと離れる。近くにある他の職員の椅子を引っ張って来るとなまえの隣に腰掛けた。さて、と太公望は軽く息を吐く。

「夜勤があるなら、次からは必ず言ってください。僕、本当に心配したんですから」
「……気を付けます」

太公望を横目になまえは密かに口元を緩める。心配したという言葉が嬉しかった。笑みを浮かべていると気づき、僕はこれでも怒ってるんですが!? と太公望。今度はなまえがへらりと笑顔し、ごめんなさい気を付けます、と改めて謝った。
なまえは、輪廻転生を繰り返していた元仙女だ。封神演義の派生作品では引き名で記されている太公望の後妻である。封神計画実行時より太公望と共に行動し、いつしか二人は惹かれ合い、物語の後半で正式に夫婦となった。だが、結末はどの作品も同じで封神寸前の妲己に致命傷を負わされ道連れにされる。本来であれば封神台へ魂が収められるはずだったが、魂を収める場所が無く、けれども身体から離れてしまった魂は戻れず、いつしか浄化される運命を待つしかなかった。しかし、なまえはそれを良しとせず、自身の力を使い輪廻を巡る旅へ立つ。
いつか、最愛の人との再会を願って。
獣の呪いを受けながら、何十、何百、何千と流転の旅を続けるも、長い歴史の中で様々な苦痛を受け、いつしか心を閉ざしてしまった。こころも耐えきれなくなり、記憶と力を封印しての最初の流転が今――みょうじなまえだ。
封印は太公望が来てから少しずつ解けており、記憶も戻ってきている。二人が夫婦であり、探し求めていた最愛の人は太公望というのも魂で理解した。
呪いは、祝福へと転じたのだ。
長きにわたる空白を埋めるように、二人は時間の許す限り一緒に過ごしている。職員用に割り当てられていたマイルームは太公望がカルデアのリソースを勝手に使い、一人部屋から二人部屋に魔改造したお陰で一日を共にゆったりと過ごすのも可能となった。もちろんダ・ヴィンチやシオン・エルトナム・ソカリス達に怒られ、この夫婦め、と呆れられたりはしたが。
それでも、今が幸せなことに変わりない。白紙化した世界を取り戻すという大仕事中ではあるものの、戦う側にも見守る側にも、休息は必要なのだから。
小言を流している最中、ふとあるものが目に入った。はて、自分はこのようなものを夜勤のお供として準備していただろうかと首を捻る。終ぞ話を聞いていないと理解したらしい太公望は、反省はしているだろうと思い直し、なまえが見つめているものの話題に切り替えた。

「ジャガーマン殿からいただいたんです。好きでしょう? 桃」

涼しさを感じる透明な平皿には、皮と種が剥かれ食べやすい大きさに切られた桃が盛られてあった。背後から抱きしめられる前に聞いたことんという音の正体は、どうやらこれだったらしい。
何でも、食堂でジャガーマンがもぎたてフルーツ各種をおすそ分けと言い様々な人達に配っていた。何故、ジャガーマンがフルーツを大盤振る舞いしていたかはわからないが、新鮮なのは間違いなく、厨房を牛耳るサーヴァント達は大喜びしていたという。その中に割って入り、嫁の好物が桃なのだと話すと、厨房担当の一人であるキャットが笑顔で桃を皿に盛り付けてくれたのだ。好物を持って帰ったのだから喜んでくれるだろうと、魔改造したマイルームで四不相と共に戻りを待っていたが、部屋の扉は開かない。痺れを切らして探しに出て、何だかんだとあって今に至ると太公望は結ぶ。ちなみに四不相は途中でフォウと出逢いどこかへ遊びに行ったらしい。四不相の居る場所くらい把握はしておけとなまえは思ったが心の中に留めた。

「まァ、それよりも! 桃、食べないんですか?」
「食べる!」
「アハハッ、そうこなくては!」

貰って来た甲斐があるというものです、と太公望は笑った。仕事内容をデータとしてしっかり保存すると、なまえは身体ごと桃へ向いた。小さなカトラリーが添えられていたのでそれを使い、ぱくりと一口。瑞々しく、優しい甘さが口の中に広がり、桃の香りがふわりと鼻から抜ける。これはもぎたて新鮮な桃だとすぐさまわかった。ほわっとなまえの表情が変わったのを見て、太公望は嬉しそうな色を浮かべた。

「美味しい……っ」
「顔を見ればわかります。いやァ、喜んでもらえて良かった」

手は止まらず、ぱくぱくと口の中に桃を含んでいく。皿に盛られていた桃はあっという間に残り少なくなり、咀嚼しながらなまえは太公望に食べないのかと表情で問うた。もちろん食べますよ、と太公望は返事をすると何故か腰を上げなまえに歩み寄る。もぐもぐと動く頬に両手を添えた刹那、自身の唇をなまえの唇に押し当てた。なまえの瞳が大きく開き動きは止まる。手に持っていたカトラリーは小さな音を立てて床に落ちた。唇の間をこじ開けるようにして舌が割って入り、歯列をなぞり、緩やかに、啄むように、それでいて口内を味わうような、深い接吻くちづけ。生前も、今世でも、男性経験は"彼"だけしか知らないなまえにとっては刺激が強すぎる。きゅっと瞼を瞑り、咄嗟に太公望の衣服を掴んだ。なまえの唇の端から、桃の果汁と混じったどちらのものかわからない唾液がこぼれる。それを、勿体ないとでも言うように太公望は一度唇を離すと舌で舐めとった。

「ふ、ぁっ……子、牙……っ、」

終わったかと思えば一呼吸あけずに続き、次はまるで噛みつくような接吻だった。
酸素がうまく回らず頭がふわふわとしているのか、なまえからはくぐもった声がこぼれる。その声を聞き、感じて、身体の奥から熱がこみあげ頭の上からつま先まで駆け巡っていく。

「んっ、んンっ、はぁ、……ぁっ、」

口内を十分に味わい尽くすと、二人の間に銀色の糸が引いた。なまえの息は上がり頬を真っ赤に染め、息は上がり、開いた瞼からのぞいた瞳は潤んでいた。愛しいひとのとろけきった姿に、太公望の身体はぞくりと震える。唇の端には食べ残した桃の欠片がくっついており、親指の腹で拭ってやった。名前を呼び、こつんと額と額を合わせる。ふわりと香る甘い桃の香りは、熱を上げる毒にも似ていた。

「続き、しますか?」

だが、これ以上を望めば理性を制御できる自信はない。何せ約三千年分の想いが募っている。瞳を開き、どうします? と改めて問う。なまえは一瞬、目を逸らすも恐る恐る艶やかな唇を開いた。

「――夜勤中だから、だめ……」
「ここまで来て、え〜」

せっかく熱が上がっていたというのにまさか拒否されるとは露程も考えていなかった。改めて、え〜、とあからさまに残念そうな色を浮かべると、太公望はなまえから離れ座っていた椅子に腰を下ろす。

「……でも、」

床に落ちたカトラリーを拾い、利き手の甲で唇を隠しながら、なまえは紡いだ。

「仕事が終わってからなら……良いよ」

ぱちり、と太公望は目を瞬いた。しかしすぐに、ふっと静かにふき出す。目の前の嫁はなんとも誘い方が上手いと感心してしまう。ちらりとこちらを覗き見るようにして様子を窺うなまえに、太公望は優しい笑みを浮かべる。

「では、仕事後は桃以上に美味しく頂きましょう」

嗚呼、これは――誘ってしまった方も悪いが仕事後も寝かせてくれないなと理解する。だが、嫌だとは思わない。最愛の人に触れてもらえるのは、こころの奥底が震えるくらいに愛しいと感じるから。

「さて! 仕事後の話はさておき……終わるまで付き合いますよ、なまえ」
「えっ。い、いいの?」
「妻ひとりに仕事をさせるわけにはいきません。何か手伝えることはあります?」
「無い」
「え〜」

まさかの即答に再び本音が漏れる。なまえは小さく笑い、仕事でなくて申し訳ないと前置きしてから続けた。

「話がしたいな。たくさん聞いて欲しいことがあるの」

その程度ならお安い御用だと言わんばかりに太公望は快く頷く。太公望も話したいことが山とあるらしく、逆に時間が足りなくなるかもしれないと笑った。
カルデアベースでの夜勤勤務は、まだまだ始まったばかり――。


7月20日
(君と二人ならどんな時間も愛しく恋しい魔法になる)

愛子||220114(title=Liebe)
(7月20日=キスの日)