(※太公望・夢主仙人時代設定の話。捏造多々あり。ご注意下さい)



周の城内に与えられたとある一室で、竹簡を片手に太公望はひとりごちた。近々、大きな戦が起こるのは間違いない。場所、規模、人数を頭の中で想定し考えること既に百を超えていた。不安なところは出来るだけ無くしておきたいが、一つ乗り越えればまた一つ問題が出てくる。その問題個所を竹簡に書き留めていくが、書ける場所も埋まりつつあった。
軽く息を吐くなり竹簡を机の上に放り投げる。
策がどん詰まった。
これはもう、どこかへ息抜きしに出掛けるしかない。例えば、近場の川へ行き釣りをするのも良いかもしれない。
そうと決めれば腰を上げ、太公望は部屋を出た。薄暗い部屋に閉じこもっていたから太陽の光が心身に沁みる。背伸びをするなり出かける前にある人物を探した。最初は四不相と共に誰にも行き先を告げずに出かけていたが、その度に"お目付け役"に怒られた。出かける時は必ず行き先を告げて欲しいと耳にたこができる程言い聞かされたものだから習慣となってしまった。
封神計画もようやく終わりが見えてきているように思う。周りには頼もしい仲間と人が集い、弟子もとった。様々な変化はあったが、変わらないものもある。それが計画当初から一緒に居るお目付け役の存在だった。
近くに居た者にお目付け役を見かけなかったかと尋ねると、園林の方で姿を見たとの情報を貰った。園林へ赴けば、果たして探していた人物の後姿が。長椅子に腰掛け、美しい春の花々と池を眺めているようだ。弟子に出かけると言づければ良いのだが、どうしても直接告げたかった。

「探しましたよ、なまえ殿」

声を掛けると、ぴくりとお目付け役――仙女なまえの肩がぴくりと動く。振り返った姿をみるなりギョッと太公望は目を大きく見開いた。ピタリと動きは止まりその場に固まる。唇から出たのは、えっ、の一言。なまえの腕の中には一、二歳くらいの子どもが居た。安心しきった色ですやすやと寝息を立てて眠っている。
はて、なまえに子どもは居ただろうかと停止したままの思考で考える。否、居ないはずだ。居るわけがない。計画当初から共に過ごしていたのだから、男の噂も聞いたことがない。むしろ、噂となった男は自分・・なのだから。

「太公望殿?」

顔を見つめたまま動かないでいたからか、なまえが心配して声をかけてきた。ハッと我に返り軽く頭を左右に振り戸惑いつつも、その子は? と尋ねればなまえは視線を下ろして快く応えた。
腕の中で眠っている子どもは知り合いの仙女の子だと言う。封神計画中に出逢った仙女と人間の混血児。何でも、三日前に父親が伏せってしまったらしく病を治す為に母親は一度、崑崙山へ秘薬を取りに帰っているのだという。病気の父親だけでは見きれないから、昼間だけでも良いので面倒を見て欲しいと頼まれたそうだ。今日は母親が帰って来る予定日で、こうして部屋に籠らず朝から外で待っているのだと結ぶ。ただ、子どもはなまえと居るのが余程楽しかったのか遊び疲れて眠ってしまい今に至る。
話を聞き、太公望は密かに胸を撫でおろした。安堵の息が零れそうになったのをぐっと堪える。落ち着きを取り戻したところで力が抜け足元がふらついた為、さり気なくなまえの隣に腰掛けた。ところで、となまえは子どもの背中をぽんぽんと撫でながら首を傾げる。

「何か御用でしたか? 探していた、と仰っていましたが」

ふいと目を逸らして、忘れました、と一呼吸あけて笑って見せた。しっかりしてください太公望殿、となまえはため息交じりに肩を竦める。出かける予定だったが急遽変更になったとは言えない。正直、たったいま一日分の労力を使い果たした気分だ。子どもに視線をやれば、しっかりとなまえの衣を握っている。随分と好かれているのが目に見えてわかった。

「太公望殿は、子どもはお好きですか?」
「ええ、好きですよ。特にこうして眠っている顔を見ると、こちらまで安心してしまいます」
「ふふっ、わかります」

起こさぬように配慮してか、なまえは静かに笑う。ふとあることを思い出し、太公望殿、と呼んだ。

「この子の頬、とても柔らかいのですっ。こっそり触れてみてください」

眠っている子どもの頬に、なまえは指の腹でツンツンとつつく。ふにふにもちもちと頬は柔らかな弾力があった。むうっ、と子どもは一瞬だけ眉を顰めたがそれでも眠り続ける。たまらなく可愛いのかなまえの顔はほわんっと和みきっていた。触れても良いのかと改めて確認すれば、起きなければ問題ないとなまえは頷く。人差し指を伸ばしてゆっくりと近づければ、ふにっもちっ、と何とも言えない頬の感触。確かにこれは癖になってしまいそうだ。ふにふに、もちもち、頬を突く指が止まらない。

「太公望殿、顔が緩みきっています」
「いやァ、だってこれ楽しすぎません?」
「お気持ち、とてもわかります」

互いに顔を見合わせて声を潜めて笑い合う。
これはただの想像の話だが――もし、彼女と所帯を持てたならこんな感じだろうか。殷を倒し封神計画を終えた後、自然あふれる山間に小さな家を持ち、いつか子を設け、家族として穏やかに暮らす。そんな日々も、悪くないかもしれない。
なまえの名を呼ぼうとした時、重なるようにして背後から女性の声が聞こえた。どうやら母親が帰って来たようだ。なまえは立ち上がり子どもを抱いたまま母親の傍へ向かう。さり気なく太公望も隣に並べば、母親は慌てて頭を下げた。楽にして良いと告げれば、太公望の顔色を窺いつつ母親はなまえに礼を言う。名前を呼び背中を起こすように叩けば、子どもはぱちりと瞼を開いた。なまえの顔を見た後、母親の姿が目に入り腕を伸ばして抱っこを求める。母親に渡すと、子どもは再び安心しきった表情で眠り始めた。本当にありがとうと改めて礼を言い母親は去って行く。去り際に、これさえあれば夜の方も元気になると怪しい笑みを浮かべて呟いていたのを耳にしてしまい、その薬が何なのか太公望はすぐ理解できたが敢えて黙っていた。なまえはちょいと首をかしげ、幸いにも母親が何を言っていたのか聞こえていなかったようだが。
子守りから解放されたなまえは軽く背伸びを一つ。これからどうするのかと尋ねれば、部屋に戻って昼寝でもしてくると言う。

「――なら、僕の隣で昼寝はどうです?」

咄嗟にそう提案していた。
きょとんとした顔のなまえが太公望を見つめる。無意識に出たとはいえ何てことを言ってしまったのかと内心焦ってしまう。

「なんて、冗談です。部屋まで送り、」
「今日は天気も良いですし……さっきの場所に戻りませんか?」
「……えっ?」

照れたようにほんのりと頬をそめつつ、そっと腕を伸ばしてなまえは太公望の衣の端を掴む。昼寝に付き合ってくれるのでしょう? と上目で言われ、太公望は口元を緩める。まさか本当に提案に乗ってくれるとは思いもしなかった。確かに今日は天気も良い。外で昼寝をするにはうってつけだろう。衣を掴んでいるなまえの手を取り、先程まで座っていた長椅子のところへ向かう。
隣を歩く太公望を見上げた。
いつからだろう、彼の傍に居るだけで心は温かいのに胸が苦しくなり始めたのは。遠くに感じていた背中が、今ではとても近く大きく見える。
傍から見れば夫婦にも見える二人を柔らかな風が撫でる。ぎゅっと手を握り返せば太公望は目を丸くするも、ふっと微笑んだ。

二人が夫婦になるのは、まだ少し先の話――。


春、うらら
(けれど、互いの気持ちに気づくまで、あとほんのちょっと)

愛子||220228(title=Liebe)