途中、恋の話になった。目の前の客二人は大学のサークルで出会い、付き合って現在で2年目らしい。今度、互いに就職活動期間に入るらしく会えない時間が増えるのではないかと少し危惧しているらしかった。ところでお姉さん恋人は? と聞かれ、居る事には居るけれどオヤジギャグが好きな普通の人、とはぐらかした。
二人が帰り、後片付けを行いながら、そういえば自分の初恋はいつだっただろうと考える。
あれは――……高校に入学してすぐのことだ。
ある日、同居していた親代わりの祖母が日曜日の夜に急に発熱し、徹夜で看病に追われた。病院嫌いの祖母を何とか説得し、救急車は呼ばない代わりに早朝に救急外来として総合病院へタクシーで行った。もちろん学校には連絡を入れて休みも取った。待合室でぼんやり待っていると、一時間目の授業が始まっているだろう時間帯にスマートフォンにメッセージが届いた。それは幼馴染からで、大丈夫か? の言葉と変なスタンプメッセージが添えられている。事情を打ち込み、家に戻ればまた連絡するとだけ伝えてスマートフォンをスリープモードに戻した。祖母の発熱原因はわからず詳しく検査をする為、入院をしてくれと医者から言われた。家に帰るとごねる祖母をなんとかなだめて一週間程の入院が決まった。一度家に戻り、入院の仕度をし、祖母の店であるお好み焼き屋には臨時休業を行う張り紙をしてから再び病院へ。何もなければすぐに帰れるから伝えると、祖母は、今度は申し訳なさそうにした。慣れないながらも入院手続きを行い、一通り終えた頃には既に夕方だった。寝ずに看病していた疲れもあり、ふらふらとした足取りで帰宅すると、家の前にはメッセージをくれていた幼馴染の姿があった。制服姿なのに煙草を咥え、片手には大きめのスーパーの袋を持っている。しぱしぱと目を瞬いていると、幼馴染は煙草を地面に落として火を消し、よっ! と片手を上げた。
「お疲れさん、大変やったみたいやな」
「……なんで、」
「やっぱ見てなかったか……」
ずっとメッセージを入れていたと幼馴染。スマートフォンを取り出して確認すると、液晶画面にはメッセージが入りきらず「+」で表示されている。一呼吸開けて、ごめん……、と謝ると、気にせんでええ、と幼馴染は笑った。
「ちゃんと飯食うたか?」
「ううん、食べてへん」
「そんなことやろなぁ思ったから、適当に買って来たわ」
スーパーの袋を手渡され、中を軽く覗き見る。おにぎりに惣菜、こちらの本業はお好み焼き屋なのにお好み焼きが詰められたたタッパーまである。普段なら、お好み焼き屋にお好み焼き渡すんかい! と突っ込みの一つでも入れるところだが、今はそんな元気すらなかった。ありがと、と素直に頭を下げ、家の鍵を開ける。お茶でも飲んでいくかと尋ねると、今日はこれで帰ると幼馴染は言う。
「明日は学校行けるんか?」
「うん、行く予定。ばあちゃんも、学校には行きって元気に怒っとったくらいやし」
「その調子やったら、はよ退院できるやろ。あのばあさんが病気持っとるとは思えへんわ。むしろ、病気が逃げていきそうやし」
「あははっ、それ、ばあちゃんに直接言って。たぶんしばかれると思うから」
「想像だけで
「はいはい、おもしろい面白い」
ホンマか⁉ と表情を明るくした幼馴染に、知らんけど、と最後に添えると、知らんのかい! と返された。
「ありがとうね、簓。ごはん、すごい助かる」
家に入る前に立ち止まり振り返り改めて礼を言う。予定では一週間、祖母は帰って来ないから少し寂しさがある。けれども泣き言は言えない。しばらくは一人で我慢をしなくてはと思う。そんな、複雑な感情が入り混じり、笑っているつもりなのだが酷い顔になっている気がする。寝不足も重なって鏡にも写りたくないような姿になっているに違いない。また明日ね、と踵を返して家に入ろうとした時だった。荷物の持っていない方の腕を掴まれたかと思うと、唐突に手を引かれる。わっ、と声を上げたのも束の間で、気づけば身体は簓の両腕の中にあった。
「手洗って、うがいして、飯食うて、そんでゆっくり寝ェや。無理そうやったら、明日も休み。また何か買ってきたる」
強く抱きしめられたかと思うと、まるで小さな子どもをあやすかのように後頭部をぽんぽんと撫でられる。驚きと、けれども突然やってきた温もりに、ふいに胸が締め付けられじわりと視界が歪んだ。幼馴染の名前を呼び、顔を上げた刹那、唇に柔らかな感触。一度離れたかと思うと、再び、今度は深い口づけが落ちて来た。呼吸をするのが精一杯で、頭の中は真っ白になる。全身から力が抜けて、持っていたビニール袋を地面に落とす。ぐしゃっと嫌な音が響いて、幼馴染は慌てて離れた。
「すまんっ。その……――、」
言葉が思い浮かばないのか、珍しく右往左往している幼馴染をポカンとした表情のまま眺める。けれども、嗚呼、そっかと心のどこかで安堵と高揚が込み上げる。幼馴染は、自分を一人の女の子として見てくれているんだ、と。落ちたビニール袋を拾い上げ、忙しく寒いダジャレや親父ギャグを連発する幼馴染の制服の裾を掴むと、お返しとばかりに触れるだけのキスを一つ。
「じゃあ、また明日!」
照れ隠しにペロッと舌を見せて足早に家に帰り、扉を閉めた後、玄関で疲れからか恥ずかしさからか嬉しさからなのか良くわからないままその場でしゃがみ込んだ。
いま思えば、あの瞬間から幼馴染が好きな人≠ノ変わったのだと思う。否、想いはあった。想いはあったが、幼馴染の方が自分の中で強く踏み切れなかったのだ。その壁を壊してくれたのがあの時で、しかも初恋なのにしっかりと実っている。祖母も入院してから二日後に、異常も何も見つからずに帰ってきたことだし、今でも元気で居るから感謝しかない。
あの時のキスの味は――覚えていない。それも良い思い出かもしれない。初恋はレモンの味と言ったのはいったい誰だろうどつくぞ、なんて心の中で悪態を吐いていると、店の扉が開く。どうやら本日二人目のお客が来たようだ。
「はいどうも〜、仕事が早く終わった白膠木簓さんです〜! 席、空いてまっか?」
噂をすれば何とやら、というのは本当らしい。幼馴染――今や売れっ子お笑い芸人でテレビやラジオに引っ張りだこの簓が、変装になっていない変装姿でやって来た。ガランとした店の様子に、全席空いとるっ、と驚く。店に入るなり昔から座っているカウンター席に腰掛け、ビックリした? とあどけない笑顔で問いかけてくる簓に、無言でこくりと頷いた。おしぼりと水の入ったグラスを持って、カウンターの奥から出るなり簓の隣に立ち並べる。えらいVIP待遇やなぁ、と笑う簓に、不意打ちのキスを一つ。まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔色を浮かべポカンと口を開けた簓に、にこりと笑顔を浮かべた。
「あの時のお返し」
「――何の!?」
ひらりと手のひらを振ってカウンターの奥に戻る。数秒と経たずに我に戻った簓は声を上げた。
もちろん、答えなんて渡さない。
これは、自分にとっての宝であり大切な思い出なのだから。
愛子||231105