先日入部したマネージャーのなまえは監督の轟より練習には厳しかった。例えば、その日にエラーを六つしたとする。するとランニング後にその数の分だけミスをした人間に学校の周りを走らせた。何とかミスをごまかしてペナルティを免れようと知恵を働かせれば、ランニングと、翌日の練習は連帯責任とのことで全員の練習が倍になる。部員達は轟に助けを乞うたが若いから大丈夫だと一蹴され相手にされなかった。むしろなまえの指導を信頼しているのか、重要なこと以外はあまり口を挟まなかった。
最初のうちは嫌だった練習だが、エラーをせぬよう丁寧に慎重に、それでいてすばやく処理をする。体を動かすことに必死になり、気づけばエラーの数は減り、短期間で随分と体力もついてきた。
いつものようにランニングを終えるなり、そういえば今日は一日、安息日だったと部員達は思った。何故なら今日はなまえが居ないからだ。なまえは今、青道高校対明川高校と、その後に行われる市大三高と他校の試合を観戦している。目的は本命の試合をビデオに収めることなのだが、なまえは今朝からかなり高いテンションで出かけて行った。
本当に安息日だ等と話しながら部員達は部室に入り着替えを始める。他愛のない話で盛り上がっていると、突然、部室のドアが勢いよく開いた。開けたのは恍惚とした表情を浮かべているなまえで、ハンディビデオカメラの入ったケースを腕に抱えている。興奮冷めやらぬ色でなまえは言った。
「青道と市大の試合、ビデオに撮って来たわ。今から皆で観ましょう!」
いやいやいやっ!! と一部を除いて半裸姿の部員達はまるで女子生徒のように、脱いだ、または着ようとしていた着衣でさっと体を隠す。雷市は上半身裸のままなまえの傍へ駆け寄ると、さっそくビデオを観ようと言った。なまえも元気よく頷いた。元来野球馬鹿の二人がますます馬鹿になりだした時、普通に着替えを終えた真田が、おいおい、と二人の間に割って入った。
「まだ皆着替えてるんだ。一応、健全な男子ばかりだし、ビデオは着替えが終わってからな」
雷市の隣に並ぶと、なっ、と真田は微笑みなまえの頭をくしゃくしゃと少し乱暴に撫でる。入部してから何度も行っている真田なりのスキンシップなのだが、されている本人はまだ馴れていないのかきゅっと緊張した面持ちになった。ほどなくして無言で二、三度、頭を縦に振ると、ギギギッとブリキ人形のようにぎこちなく踵を返し、部室から出て行った。手と足が一緒に出ているぞと真田が声をかければ、キッとなまえは振り返り、視聴覚室に居ますから! と返すとすぐに前を向き再び歩き出した。
着替えを終え、雷市と真田、そして部員達はなまえの言っていた視聴覚室へと足を運んだ。学校側から許可を得て借りたらしいのだが、なまえと轟は随分と寛いだ雰囲気でビデオを観ている。もちろん観ているのは今日行われた二大本命の試合内容を収めたビデオだ。
第三試合まで薬師高校は順調に勝利を手にしていた。特に今しっかりと観ておかなければならないのは、二日後に行われる準々決勝をかけて第四試合で戦う市大三高の試合。戦いの準備は着々と進んではいるものの、まだ持っている情報は少なく、なまえが撮ってきたこのビデオは良き追加情報となるだろう。
各々空いている席に楽な体勢で腰掛け、なまえと轟と同じようにビデオを観始めた。
生で観てきた試合はどうだったのかと三島に問われ、なまえはすぐさま青道の凄さを伝えた。いや青道のことじゃねぇよ! と慌てて三島は突っ込みを入れる。なまえは不満な色を浮かべ唇をすぼめたが、収穫した情報をわかりやすく、それでいて的確に全員へ伝えた。
「やっぱり一番怖いのはエースの真中さん。あの人をリズムに乗せればこっちが不利になるわ」
恐るべきはキレのある変化球――スライダー。打者の手元から急激に落ちる低めのスライダーは手を出す打者をことごとく空振りさせていく。守備、打線ともに全国クラスで何より絶対的エースが君臨する市大とどう戦うか。
なまえは轟を一瞥する。轟は耳が痒いのか、小指を片耳の穴に入れ掃除をしていた。
「こういう時、普通は監督がこう……チームを引っ張るようなことを言うんだけど」
と、なまえはポツリとこぼしため息をつく。本当に駄目だこの親父、と口では言わなかったが続けるかのように大げさにため息を吐いてみせた。いま失礼なこと思ったろ、と轟は耳掃除をやめなまえに向き直る。別にー、となまえは肩をすくめた。
「……勝てるのかな」
誰かがぽつりと言った。シンッと視聴覚室は静かになる。音といえばテレビから流れてくるブラスバンドのヒッティングマーチと、スタンドからマウンドで戦う選手達を応援する声だけだった。全国クラスの相手に自分達はどう挑むべきか。挑んだとしても、もしかしたら――という不安を強く持つ部員も居る。初めて出場した大会、勝ち進むにつれ強くなる敵。
一人が小さく息をこぼした時、なまえは静かに唇を開いた。
「雷市、次の市大の試合で勝ったらバ監督がお腹いっぱいトンカツを食べさせてくれるって」
「えっ!? う、うちのどこにそんな金が……!?」
「知らないの? 父さん、こう見えてもちゃんとヘソクリ隠してるのよ。古いグラビア雑誌の中に」
「バッ!? おま、な、な、なんでそのこと知ってンだよ!? つか、今言わなくても良いだろそれ!?」
「それからここだけの話。大会に優勝したら全員に焼肉をおごるそうです」
「はあ!?」
一言もそんなことを言った憶えはないと慌てて否定しようとするも、あの轟が優勝すれば焼肉を全員分奢るという夢のような話に部員達はざわついた。ちょっと待てと轟は話を遮ろうとするも、パパステキー、と棒読みで言うなまえにまずは抗議を始める。一瞬にして重かった雰囲気を払拭してしまったなまえに、すげぇなぁ、と真田は笑った。
「それじゃあ、焼肉と甲子園。二つを手に入れるために、俺達はいつも通り、俺達の野球をしましょう」
真田の言葉に部員達も一致団結したらしく、おおっ! と声を揃えて呼応した。それに応えるかのようにテレビからも同時に歓声の声が響いた。
部員達ひとり一人を見回しなまえはふと思う。このチームならきっと、もしかしたら奇跡を呼び込むかもしれない、と。カハハッ! と笑っている雷市に視線を向ける。
奇跡を呼び込む方法は彼――わたしの弟だ、と心の中で強く感じた。
愛子||160131