薬師対市大三高の試合は球場全体を波乱の渦へと巻き込んだ。まさかの展開に試合を観戦しに来ていた次の準々決勝であたることとなった青道高校の選手はもちろん、スタンドから応援していたなまえも息を呑まずにはいられなかった。
初回に6点ものビハインドを背負いながらも雷市の放ったホームランにエース真中は精神的にも崩れ、9回には勝ち越し、13-12で薬師が勝利を掴んだ。はらはらとさせられる場面は多かったものの、試合を観戦していたなまえは胸の高鳴りを抑えられなかった。
試合後、市大を破った薬師の名は西東京中に轟いた。そのお陰か、学校側から是非、合宿を行ってくれという要望が轟のもとに入り、その好意に甘え、部員達は二日後に行われる対青道戦に向け準備と練習に精を出していた。
ふとなまえはどうしてこうなった、とたくさんのフルーツの入ったタッパーを三個重ねて持ちながら思う。隣には、なまえの家から持ってきた重箱を両手で抱えて歩く真田の姿。ポツリポツリと外灯に照らされた道を歩きつつ、なまえはちらっと真田をのぞき見る。軽装の真田は暢気に鼻歌をうたっていた。
視線に気づいたのか、どうした? と真田は声をかけてきた。いえ、となまえは前に向き直った。
「あの、有難うございました。夜食作り、手伝って頂いて……」
「気にするなって。料理は得意だし、一人で結構な人数分を作るのは大変だったろ?」
真田の言うことはもっともで、一人で作るとなるとかなりの時間を労していただろう。料理が得意だと言う真田の腕は確かで、まかないとして作ってくれたオムレツはなかなかに美味しく、時間が時間でなければおかわりをお願いしたいくらいだった。
「つか、よく夜食を作れる分の材料を揃えてたな。いつの間に買いに行ってたんだ? しかも凄い量だっただろ」
「友達に手伝ってもらったんです。夕方まで暇をしているからってメールが来てたので」
それにしても量が量なだけに二人でも大変だったに違いない。率直に金はどうしたのかと真田が問えば、当然、轟から貰ったとなまえは悪戯っぽく笑った。恐らく轟に出せと脅しでもかけたのだろうと真田は考える。その画がすぐに脳裏に描かれ思わずふき出した。なまえはちょいと首をかしげた。
「そういや三島から聞いたけど、バイトしてたんだよな。マネージャーになってからじゃあ、バイトなんて入る時間ないだろ」
「昔からの知り合いのお店なので、事情を話したら逆に泣いて喜んでくれました。バイトは入れるときに連絡をくれれば良いとも言ってくれたので、今はお休み中です」
「良い知り合いだな。普通、そんなこと言ってもくれねぇし喜んでもくれないだろ」
「……はい。すごく、良い人たちです」
タッパーを持ち直しつつ照れたように頷いたなまえに真田は更に尋ねた。
「友達って、雷市と三島に助言した子か?」
「なんで知って!? ……まあ、はい」
轟と雷市、そしてなまえを家族に戻したきっかけを作った親友の存在を真田はもちろん知っていた。三島曰く、すげー嫌な奴、だそうだが話を聞く限りでは想像ではあるがなまえに似て良い子なのだろう。現に気兼ねなくこき使ったりしているのだから、親友に対してなまえは抜群に信頼をしているはずだ。何故、親友のことを知っているのだろうと不思議そうな色を浮かべているなまえに、ちゃんとお礼は言ったか? と真田。するとなまえは少し驚いた表情を見せたが、それはもちろんです、と答えた。
「俺が言ってるのは今日の買出しのことじゃなくて、あの親子とのきっかけを作ってくれたことについて」
予想外の言葉だったのかなまえはぱちくりと目を瞬いた。真田の思った通り、意味を取り違っていたようだ。えっと、と一度声を詰まらせはしたが、一息遅れてからはいと頷いた。
雷市と轟と家族に戻った翌日、二人が出て行った直後にモーニングコールを兼ねて電話をしたとなまえは話す。寝ぼけた声音で出た親友に最初は小言をくどくどと説いてはいたものの、最後は感謝とうれしさのあまりに泣いてしまい、逆に困らせてしまったと続ける。感謝をしても仕切れない親友の存在に、本当に敵わない最高の友達です、となまえは少し恥ずかしそうにしながらも結んだ。そんななまえを頭を、片腕で器用に荷物を抱えなおすなり真田は空いた利き手でくしゃくしゃと撫でてやった。するとなまえは緊張した面持ちになって真田を見上げた。
「あの、ずっと聞きたかったんですけど……どうして真田先輩は人の頭をすぐに撫でてくるんですか?」
「あれ、嫌だったか?」
「嫌ってわけじゃないんですけれど……でも、撫でてもらった後は髪がくしゃくしゃになるので、それだけは嫌です」
「ハハハッ、どっちなんだよ」
笑いながらもぐしゃぐしゃと頭を撫でる真田に、ちょっとは手加減してくださいっ、となまえは顔を顰める。はいはい、と真田は返事をするなりなまえから手を離すと、再び両腕で荷物を抱えた。
「なんつーか、ほら。野球部(うち)ってなまえが入るまではむさ苦しかっただろ?」
「そうですね」
「冗談でも否定しろよ。まあ、いきなり花が入ってきたことだし、愛でたくなるだろ?」
「……真田先輩、」
そんな感じの何かだと言う真田に、先輩って、となまえはポツリとこぼした。
「イケメンのくせして言うことが残念な時あるんですね」
「入部したての時に見せてたあの謙虚さはどこに行ったんだよ」
上級生に対しても物怖じしないなまえに真田は小さく息を吐いた。
「お前、あの親子と暮らし始めてから変わったな」
「そうですか? いたって普通だと思いますけど……」
「いや、かなり変わった」
そうかなと考えるなまえに気づいていないのかと真田は口の中で呟く。思い返せば初めて会った時、なまえは人と接する――特に野球に関わる者達に必ず目には見えない分厚い壁を作っていた。マネージャーにならないかと誘いに行った時もそうだったが、一切笑顔を見せず、心は冷め言葉で人を突き放していた。
だが今となってはそれは全くといって良い程なく、みんなの前で本来の姿を包み隠さず出している。練習中、部員達に厳しくあたることはあっても発する言葉にはしっかりとした優しさと温かさが含まれてもいた。大好きな家族に、そして野球に囲まれ、いつの間にか結ばれている絆を無意識に感じ取り、次第に変わっていったのだ。
なあ、と真田は首をひねり考えているなまえに声をかける。
「俺達のことを頼んだぜ、マネージャー」
改めて感謝の気持ちを込めてそう伝えると、なまえはピタリと歩みを止めた。真田はまっすぐに歩き、皆が寝泊りしている建物へと足を進める。
程なくして我に戻ったなまえは小走りで駆け寄ると、再び真田の隣に並んだ。
「あの、」
と、なまえは一瞬口ごもったが、はっきりと紡いだ。
「不束者ですが、一生懸命がんばりますっ。えっと……サッナーダ先輩!」
まさか雷市達と同じように呼ばれる日が来るとは予想だにしなかったため、真田はブハッと勢い良くふき出し大きく笑った。
二人は夜食を持って部員達が集まっている一階のとある一室のドアを開けた。畳部屋のそこにはテレビとビデオデッキがあり、雷市と三島、そして数名の部員達がじっと先日行われた青道の試合内容を映したビデオを観ていた。ここに居ない他の部員達は早々に部屋へ引き上げ早めの就寝に入ったらしかった。轟はと尋ねると、風呂に行ったと誰かが答えた。
夜食を持って来たことを告げると何故か三島は驚き、毒は入っていないかと本気とも冗談ともつかない色で問うてくる。入ってるぜ、と真田が答えると、殺す気か! 鬼!! となまえを指さして抗議した。じゃあ三島は食うな、とピシャリと返し、じっと青道のピッチャーを見つめている雷市になまえは声をかける。
「雷市、ちょっと休憩しなさいよ。おにぎりとか作ってきたから」
しかし雷市は答えず、液晶画面に映る投手をただただじっと睨み続けている。雷市? と呼ぶと突然、カハハッ、と笑った。
「青道高校――今すぐ戦いたい! ぶっ飛ばしてぇっ!! 特にこの二人!!」
テレビに映った二人――、一年生投手を、まるで飢えた獣のような瞳で雷市は捕らえていた。豪速球を投げる右腕の怪物投手の降谷はわかるが、試合中によく吠えるサウスポーの沢村という選手は理解し難かった。しかし、観に行った試合では相手打者は沢村のボールになかなか手を出せず、出せたとしても振り遅れていたことをなまえは思い出す。画面に映らない何かを雷市は感じとっているらしく武者震いさせた。
「今すぐ戦いたいっ!!」
雷市の言葉にその場に居た全員は顔を見合わせた。ここまで野球に飢えた奴が今時居るのであろうか。なまえはテレビに目をやった。青道は強敵だ。
しかし、となまえは部員一人ひとりの顔を見回す。いくら強い相手でも、このチームなら大丈夫だと、心の奥底から自信は満ちた。
(準決勝に進むのはわたし達)
なまえは胸元で拳をつくりぐっと握ると、そう、強く感じた――。
「てか、一回休憩しなさいこの馬鹿!」
胸元で作った拳をそのまま振り上げ、ゴスンと雷市の頭を殴る。やっとなまえに顔を向けた雷市は、何故叩かれたのかと理解できない色をしていた。
「持って来た夜食、毒が入ってンだろ!?」
「いい加減あんたも殴るわよ、ミッシーマ!」
「ミッシーマ言うなっつーの!」
「ハハハッ! 二日後の試合、体調不良でも出ろよ、ミッシーマ」
「真田先輩まで!? だからミッシーマは止めてくださいよっ」
――薬師高校、二日後の準々決勝に向けて更に一致団結をする!
愛子||160131