目を覚ました瞬間、これは駄目だとなまえは口の中で呟いた。酷い悪寒に倦怠感。頭はぼうっとしており、呼吸をするだけでも苦しく感じる。ゆっくりと上半身を起こし、深く息を吐くと、よいしょっという掛け声とともに立ち上がり布団を畳んだ。
ふらふらとした足取りで居間へと向かい、体温計で体温を測る。数秒経つなり体温を測り終えた合図の音。体温計の数字を見て、なまえは再び大きく息を吐く。悲しくはないのに瞳には涙が溜まり、瞬きをするとぽろぽろとこぼれた。
とりあえず家族のお弁当と朝食の準備をし、そして今日は学校を休もうと思った。朝の仕度をすべて終えると、大きなあくびとともに父と弟が部屋から出てくる。おはようと眠気眼で挨拶するも、二人はぎょっと目を丸くした。
朝食の準備が整っているテーブルの前に座り、瞳を潤ませてぐったりとているなまえの姿。荒い呼吸を繰り返し、おはよう……、と苦しそうに返す。どうしたっ、と轟は急いで傍へと歩み寄りなまえの体を支えた。
「……熱、出た……後は、お願い……わたし、寝るから……」
「熱!? だ、大丈夫か!? 病院!? 救急!?」
「耳元で大声出さないで、お願いだから……」
眉根を寄せるなまえにすまんと轟は謝り、本当に大丈夫かともう一度尋ねる。疲れが溜まった時に出る体調不良だ。常備している熱冷ましの総合薬を飲んで一日静かに寝ていれば治るとなまえは答えた。雷市はおろおろとした色を浮かべ、何か手伝えることはあるかと轟を見やる。轟は、雷市になまえの手を取らせると部屋まで支えてやれと言った。雷市はこくこくと頷き、まるで壊れ物を扱うかのように慎重に支えた。
娘の突然の体調不良に轟は内心、困惑していた。寝ていれば治ると言っていたが、傍で付き添っていなくて良いものなのか。しばらく考えた後、轟はなまえの部屋へ足を向けた。中に入ると、雷市が敷き直した布団に入ったところだった。何? と聞くなまえに、休もうかと思ってんだが……、と轟。するとなまえは表情を変え、行けっ!! と強い口調で言った。それでもやはり心配だと伝えるも、なまえはキッと目を吊り上げる。
「今は……大事な時期なんだから、監督であるお父さんが、居なくて……どうするのよっ」
「いや、でもよ……」
「行きなさい」
怒るなまえと困っている轟を交互に見やり、雷市はどうすれば良いのかと考えているようだった。とにかくっ、となまえは話を切った。
「二人は行って。わたしは……大丈夫だから」
「けど、」
戸惑う二人に、行きなさい、と語気を強めた。轟と雷市は目を合わせるも、程なくしてわかったと頷いた。
時間が来て二人は家を出て行った。鍵の閉まる音を聞き、なまえは深く息を吐く。
風邪でないことは確かだ。今は一眠りし、それから起きておかゆか何かを作り、薬を飲んでもう一度、寝ることにしよう。おやすみなさい、と心の中でこぼすとなまえは瞼を閉じた。
――目を覚ますと、ふわりと良い香りがした。台所からことことと物音も聞こえ、誰か居るのだろうかとぼんやりとした頭で考える。上半身を起こした時、誰かが部屋に入ってきた。
「雷市!?」
「カハハ! 姉ちゃん、おかゆ作った!」
「あ、ありがとう……って、そうじゃなくてっ」
学校はどうしたのかと尋ねると、早退してきた! と答える。卵を混ぜたおかゆの入ったお茶碗とレンゲを載せた盆を手に、なまえの傍へとやって来た。膝を折り畳の上に盆を一度置く。お茶碗とレンゲを持つと、食べれる? と聞く雷市にぎこちなく頷いた。
「何で早退なんて……部活はどうするのよ」
「部活には行く!」
「あ、行くのね」
もちろんだとでも言うように雷市はキラキラとした笑顔を見せる。おかゆを冷ませる為に、雷市はレンゲでおかゆを軽く混ぜた。程よく冷めたおかゆをなまえに渡し、召し上がれ! と雷市。ぱちぱちと瞬きをした後、一呼吸遅れて受け取った。いただきます、と言うとレンゲでおかゆをすくい口の中に一口運んだ。優しい卵の味と程よく効いている塩加減になまえは驚く。素直に美味しかった。
もう一口、食べて咀嚼すると、唐突にじゃりっという音がした。何度か口の中を動かすと、その音はじゃりじゃりと続く。
顔をしかめたなまえに雷市はハッとなった。
「も、もしかして、不味かった……!?」
「味は大丈夫なのよ。味は、ね……」
「じゃあ何か入ってたとか!?」
「たぶん、卵の殻……」
口の中に音を残したままなまえはこくんと飲み込んだ。レンゲでおかゆを混ぜると、白い卵の殻がいくつか入っているのが見える。ごめんと謝る雷市になまえは、良いわよこれくらい、と返す。雷市なりにがんばった結果なのだなと思うと、怒る気にはなれない。むしろ心配し、早退までしてくれたその気遣いに感謝した。
「すぐに作り直し、」
「良いって。殻をよけながら食べるから」
それでもと気を使う雷市になまえは小さくふき出した。レンゲから手を離し、くすくすと笑った後、雷市の頭をくしゃくしゃと撫でた。普段なら頭を撫でるなんてことをしないなまえが突然にそんなことをした為、雷市はきょとんとした表情をする。そんな雷市に、なによ、となまえは顔を顰めた。
「姉ちゃんに頭撫でられたのって、初めてだと、思って……」
「わ、わたしだって、褒めたりする時にはこういうことをしたりするわよ」
「――カハハッ!」
ぱっと手を離し、何故笑うのかとなまえはむっとした色を浮かべる。ほんのりと頬を色付かせ、雷市は笑顔のまま言った。
「姉ちゃんに褒められたのが嬉しくて……カハハ!」
当人を前に平然と恥ずかしいことを言う雷市に、今度はなまえが驚いた。ふいと視線を逸らすと、はいはい作ってくれて有難う、とぶっきら棒にもう一度礼を言い再びおかゆを食べ始めた。雷市もなまえの作った弁当を持ってくると一緒に昼食を取った。
昼食を食べ終え、なまえは常備していた薬を飲み人心地ついた。盆を下げた雷市が居間から体温計を持って来るなりなまえに渡す。熱を測ると、朝と然程変わりは無かった。体温計を枕元に置き、なまえは布団の中に入る。熱の所為かまだ頭はぼんやりとし、倦怠感はあった。しかし、朝ほど悪寒を感じることはなかった。
寝る? と問いかけた雷市に短く返事をする。台所に置いたままにしている洗物を片付けようと、立ち上がろうとした雷市をなまえは呼び止めた。どうかしたのかと首をかしげる雷市に、布団の中から手を出した。
「手、握っててくれない……?」
ぱちぱちと目を瞬いたが、雷市はそっと手を握った。熱く、それでいて小さくて柔らかい手に雷市は思わず力を弱めた。なまえはふわりと微笑むと、ありがと、と声をかける。
「……おやすみ、」
「おやすみ、姉ちゃん」
瞼を閉じ程なくして、なまえは規則正しい寝息をたてた。なまえが寝たことを確認すると、雷市は静かに手を離すと、冷えてしまわないよう、布団の中に入れてやる。なまえの前髪を軽くかき上げると、雷市は目を細めた。
微睡みの旋律
(おやすみ、姉ちゃん。良い夢が見られますように――)
愛子||160420