どうしてこうなったっけ、となまえは考える。おいおいとうれし涙を流してなまえを抱きしめている中年男性を他所にぼんやりと状況整理を始めた。
自己紹介を終えた後、クラス全員に好奇な目で見られたのは言うまでもないが、初日終了を告げる予鈴とともに久方ぶりにあった弟の雷市に突然手を引かれ、野球部のグラウンドへと連れてこられた。何でも会わせたい人が居るとのことで、グラウンドに行くなり雷市は集まっていた人集り(ひとだかり)に声をかけ大きく手を振る。人集りはほとんど上級生のはずだが、お互いに顔を見知っているのか手を振り返してくれた。
その中にまた覚えのある男性の姿があった。男性は、最初は面倒臭そうに雷市に視線をやったが、後ろに居たなまえを見るなりさっと顔色を変えた。雷市達が近くに来るなり、男性は感極まったのか人目を憚(はばか)らずにぶわっと泣き出すや否やなまえに抱きつき今に至る。
嬉しそうに笑っている雷市とは反対に、集まっていた上級生達は突然のことについていけず、なまえと、なまえに抱きついている男性――雷市の父であり野球部の監督である轟雷蔵を交互に見る。えーと、と代表して二年生の真田俊平が涙を流し続ける轟に声をかけた。
「監督、その子、誰ですか?」
「俺の娘だ!」
つかの間の沈黙が訪れるも、轟親子となまえ、そして後から輪に合流し事情を知っている一年生以外が、娘!? と声を荒らげ破った。三島達とクラスの離れた者達は、話はここへ来る前に軽く聞いていたものの半ば信じられずにいたが、轟の言葉に、本当に親子だったのか……、とこぼした。轟は鼻を啜り涙を拭うとなまえから離れた。
「なまえと雷市は姉弟でな。えーと、あれだ。双子だ」
「双子!?」
「なまえは雷市の姉貴だ。まあいろいろあって、お前等の知ってる通り嫁(カミ)さんに逃げられちまって……そン時になまえも一緒に連れて行かれちまったんだよ」
ワハハッと笑う轟に、野球のこととなると駄目人間すぎる、と声には出さずとも誰しもが思う。それにしても、と轟はなまえに向き直った。
「でかくなったな! つか、お前も薬師(ここ)に入学してたとは驚いたぜ」
「……今からでも転校したいくらい最悪だわ」
喜ぶ轟とは正反対になまえは遠い目をしてそっけなく返す。だが嬉しさに浸っている轟にはその返事すらも可愛いのか大きく笑った。
「そういや、あいつは元気か?」
「あいつ?」
「元嫁」
あー、とこぼすとなまえはさらりと答えた。
「再婚したわ」
「そうかそうか……再婚!?」
「三年くらい前に。どこかのお偉い社長様と」
今頃どこかで二人で暮らしてるんじゃない? と母親のことをさも興味無さ気に淡々と話すなまえに雷市は尋ねた。
「暮らしてるんじゃない、って……姉ちゃんも一緒に暮らしてるンじゃないのか? 幸せじゃないのか?」
瞬間、なまえの肩がかすかに揺れた。幸せなんだろオイ! と背を叩く轟には見えてはいなかったようだが、一瞬だけ、なまえは寂しそうな色をしたように雷市には思えた。しかしすぐに冷めた表情に戻ると、関係ないでしょう、とこぼした。
「そうだ、なまえ。確かお前、野球が好きだったろ。小さい頃よく雷市とキャッチボールしてたし、俺も色々と教えてやったしよ。お前さえ良けりゃ、野球部のマネージャーやらねぇか?」
それは名案だと主に上級生達が賛成した。もしなまえがマネージャーとなれば、女性の居ない野球部では貴重な花になるだろう。本人の意見も聞きましょうよ、と苦い笑みを浮かべる真田を無視し、どうだ!? と轟はなまえの顔を覗き込む。なまえは数秒と経たずに不機嫌に眉根を寄せた。轟は、あれ? とパチパチと目を瞬く。なまえは肺いっぱいに空気を吸い込むと声高らかに告げた。
「わたしは……野球なんて――大っ嫌いよ!!」
面食らった轟と雷市、そして野球部員達を残し、なまえは逃げるようにしてその場を去っていった。誰も、なまえの後を追おうとはしなかった。何故かはわからなかったが、小さくなるなまえの背中は悲しそうに雷市には見えた。
愛子||151115