昼休みを告げる予鈴が鳴った。雷市は三島に誘われ、いつものように野球部の仲の良いメンバー達が集まる中庭へ向かう準備を始める。準備を終え教室を出ようとした時、扉の前になまえが立ち塞がった。きょとんとしている雷市をなまえはジドッと睨む。雷市の後に続こうとしていた三島も驚きどうしたことかと目を瞬かせた。
なまえの手には持ち手のついた小ぶりの可愛らしい紙袋が握られている。雷市は皺の入った大きなスーパーのビニール袋を握りなおすと、目を泳がせつつもちょいと首をかしげた。
「ちょっと来て」
そう言うなりなまえは雷市の腕をつかむと教室を出た。慌てて後を追おうとした三島を親友は呼び止め、他愛のない話を振る。特に打ち合わせをしてはいないが、なまえのことだから何も言わず雷市を教室の外へ一度連れ出すだろうと親友は予想していたのだ。頑張れ、と心の中でエールを送り、親友はついでに三島のことを唐突にいじり始めた。
親友の気遣いなど露知らず、なまえは足早に人気のないところへ向かう。階段を降り何度か角を曲がると、ようやく人気のない場所へとやって来た。見知った顔はいないことを確認し、なまえは歩を止めるとバッと振り向く。雷市も足を止めると、突然になまえが振り返ったことに驚いたのかびくりと肩を震わせた。掴んでいた腕を離すと、なまえは持っていた紙袋を無言で差し出した。しかし予想以上に鈍くぎこちなく首をかしげる雷市に、ん! となまえは紙袋を軽く揺らす。
痺れを切らしたなまえは雷市の手を取ると、無理やり紙袋を持たせた。その際に手のひらがとても硬く、厚かったのことに驚いたが、表情には出さないように努めた。頭の上に疑問符をいくつか浮かべている雷市になまえは軽く鼻を鳴らすと、ふと目をそらし胸の前で腕を組む。
「昨日、バイト休みだったの。学校の帰りにたまたま。たまたま! スーパーの特売時間に間に合うことが出来て、その……晩御飯、作りすぎたの。冷蔵庫に入らなかった分、えっと……勿体ないし。弁当箱、うちになんか知らないけどたくさんあるし……」
言いたいことがまとまらないのか、なまえは一度深呼吸をする。とにかくっ、と話を続けた。
「バナナばっかり食べてないで、たまには肉とか食べなさいよね!」
ビシッと指さして告げると、なまえはくるりと雷市に背を向けた。しかしすぐに雷市に向き直ると、それから、と紡ぐ。
「別にあんたの為に作ったわけじゃないから。本当に、なんか色んな偶然が重なっただけだから。勘違いしないでよねっ」
一息で言い終えるとなまえは雷市の横を通り抜け教室へ戻ろうとしたその時、ぐいっと腕を掴まれた。驚いて振り返ると、腕を掴んでいたのは目をキラキラと輝かせた雷市だった。
「あ、」
と口を開いては一瞬、喉の奥で声を詰まらせたが、これはしっかりと伝えねばならないと思ったのか、雷市は繋いだ。
「ありがとう……姉ちゃん」
雷市が無邪気な笑顔を浮かべた瞬間、なまえの頭にある光景が蘇った。
二人が家族として一緒に居た時のことだ。草の生い茂った河川敷でキャッチボールをしていた時、父が二人を迎えに来た。傍へ来るなりなまえは肩車をねだる。願いを叶えようと膝を折った父と、そして喜ぶなまえに雷市は羨ましそうな目を向けていた。それに気づいたなまえは自分の特別を譲った。すると雷市はキラキラと目を輝かせ、ありがとう、と言うなり無邪気な笑顔をした。
昔の記憶になまえは胸が締め付けられそうになった。腕を振り払うと、何も言わずにその場から逃げるようにして去った。教室へ戻る最中、頭の中には雷市の笑顔がこびりついて離れなかった。
♪
少し遅れて雷市は中庭に向かった。既に仲の良い野球部員達は昼食を広げ、楽しそうに話しながら食べている。雷市に気づいた三島は素早く手を挙げ、大丈夫だったかと問う。雷市はこくりと頷くと輪の中へ加わった。
「雷市、随分可愛らしい物持ってンな」
と、自前の弁当を片手に真田は紙袋を指差す。
「姉ちゃんがくれた。たまには肉とか食えって」
「みょうじがお前に!?」
ぎょっと驚く三島や同級生達とは反対に、良かったじゃねぇか、と真田は微笑むと何気なく校舎の方に目を向けた。すると、窓からこちらを見ていたらしい人影がサッと姿を隠した。盗み見られていたことに気づいたのは真田だけらしく、誰一人校舎の方に顔を向けなかった。
信じられないと三島と同級生達は口々にぼやく。そうかなと思いながら雷市は自身が持ってきていた弁当――否、スーパーの袋に入ったバナナをひとまず後に残し、なまえから渡された弁当を膝の上に広げた。中身を見るなり雷市は感動のあまりに言葉を失う。三島や真田も弁当の中を覗き込むと同時に目を丸くした。特に真田は感心しているのか、へえ、とこぼす。弁当の中身は素朴ながらも丁寧に、尚且つ食欲をそそるような盛り付けが施されていた。
おかずのメインは一目でトンカツだとわかる。トンカツは他のおかずよりも多く入っており、紙袋の中にはソースの入ったプラスチックの容器も入っていた。
「……すげぇな、みょうじの奴」
「ト、トンカツ……!」
大好物にさっそく目が留まり、割り箸を持ちパンと雷市は手をあわせると料理に手をつけた。よほど美味しいのか雷市は黙々と箸を進める。
「後でちゃんと礼、言っとけよ、雷市。たぶんこれ、お前のこと考えて作ったと思うぜ」
真田の言葉に雷市はこくんと喉を鳴らし食べ物を飲み込むとふと思い出す。いろいろな偶然が重なってたまたま弁当を作ったのだとなまえは言っていたが、どちらが本当なのだろう。少し考えたが、今は美味しい弁当を作ってくれたなまえに感謝することしかできない。雷市はこくこくと頷くとすぐに咀嚼を再開させ、料理一つひとつに舌鼓を打った。
♪
雷市から逃げるようにして去ったなまえは一人、教室へと戻った。親友は定位置となった窓際の席に居り、なまえを見るなり早くおいでとちょいちょいと手招きをする。自身の席の横にかけてある鞄の中から弁当を取り出すと、なまえは親友の前の席に座った。待っていてくれたのか、親友は机の上に今朝コンビニで買ってきたらしいサンドイッチと菓子パン、ペットボトルのジュースを並べており、鼻歌を歌いながらスマートフォンを触っていた。どうだったー? とスマートフォンを机の上に置くなり親友は問いかける。弁当を広げながら、特に何もないわよ、となまえは答えた。
「弟くん、喜んでたんじゃないの?」
「……さあ?」
はぐらかすなまえに親友は目を細める。昨日以上に窓の外をちらちらと気にして覗いているなまえに、素直じゃないんだからと思った。机の上に広げられた弁当の中身を見て親友は驚きの声をこぼす。
「トンカツとか珍しい。油物をするのは嫌じゃなかったの?」
「た、たまたま! 揚げ物が無性に食べたくなって……買ったものはほら、早く油が回りそうな気がしたし……」
「弟くんの為に作ったんでしょう? 何だかんだ言って、弟想いなんだから」
「違っ。あいつの為なんかじゃ、」
「何年友達やってると思ってんの、お姉さん?」
うぐっと言葉につまりなまえは体を小さくさせると、フフンッと親友は上機嫌に笑う。静かにご飯を食べ始めたなまえに、そういえば、と親友は一度話題を変えた。
「あんたの応援してる野球チーム、昨日勝ったんだってね。さっきニュースで読んだよ」
スマートフォンで読んだスポーツニュースの内容を思い出し親友は言う。なまえは箸を止めると目をキラキラとさせた。
「サヨナラ満塁ホームランだったのよ! わたし、最後は叫んじゃったもの!」
「そういえば昨日はバイト休みだったのよね。テレビで観てたんだ?」
「うん! 7回で逆転された時は焦ったけれど、最後はひっくり返してくれて良かったわ。先発の投手、ちょっと調子は悪かったみたいだけど……途中から持ち直したし」
親友が聞かずともなまえは自身の意見を交え昨日観たプロ野球のことを語り始めた。なまえの語る野球は勝ち負けよりも選手についてのことが多かった。良く観察をしているのか、選手の特徴等を事細かに分析して話す。野球のことについて語るなまえはとても活き活きとしており、まるで太陽のように輝いていた。
それから――と続けようとした時、親友がじっと見つめていることに気づき首をかしげる。親友はひらひらと軽く手を振った。
「本当、なまえは野球のこと大好きだよね」
なまえは唇を閉ざし目を伏せた。
「……嫌いよ、野球なんて」
野球を嫌いだと言い張る理由をもちろん親友は知っている。だが、もう意地を張り続ける必要はないのではないかと密かに考えていた。一呼吸置いてから、そっか、とだけ返すと親友はサンドイッチの封を切るなりパクリと食べた。
ここへ入学して少ししか経ってはいないが、なまえは微かに変わりつつあると親友は感じている。中学まではごく一部の友人達にしか打ち解けず、尚且つ野球の話となるとあからさまに逃げていた。更になまえは野球と同じく家族の話題にも背を向けてばかりだった。
それがここへ入学してからというもの、初めは逃げてはいたが徐々に前を向き自分から一歩踏み出そうとしているようにも見てとれる。
しかし、踏み出すにしても何かが足りない。なまえの背中を押す大きな何かが――。
お節介かもしれないが、親友はなまえに前を見て明るい笑顔を浮かべてほしいと願っている。その為に必要なのは、きっと――。
突然、なまえはサッと体を隠すような動きをした。どうしたのかと問いかければ、なんでもないっ、となまえはどもりつつ答える。窓の外を覗くと、雷市とともに輪の中に居る、以前なまえを訪ねて来た上級生がこちらを見ていた。どうやら彼と目があったらしく、なまえは席ごと窓から離れる。前までは絶対に見れなかったなまえの姿に、親友はプッとふき出した。
愛子||151123