雷市と三島はすべての授業を終えるなり屋上へとやって来た。二人を呼び出した本人はまだ来ておらず、本当に来るのかと三島は顔を顰める。雷市はぼんやりと空を眺めていた。少し遅れてから屋上のドアが音を立てて開いた。姿を現したのは二人を呼び出した張本人――なまえの親友だった。遅くなって申し訳ないと親友は二人に謝る。三島は文句を言うが雷市は本題を切り出した。

「姉ちゃんの話って?」

いきなり来たかー、と三島を軽くあしらっていた親友はへらりと笑う。ひとまず落ち着いてと伝えると親友は順を追っていこうかと言った。

「まず、なまえの野球嫌いについて」

と、利き手の人差し指を立てくるりと回す。二人はずっと気になっていたその理由の答えを早く教えて欲しいとばかりに親友に目を向けた。特に雷市は一体どのような理由なのかと息を呑む。弁当をもらった日から再びなまえにマネージャーにならないかと辛抱強く誘っていたものだから、同時に緊張もした。

「なまえと弟くんの両親って、確かお父さんの野球好きが原因で離婚をしたんだよね」

雷市はこくりと頷く。なまえと雷市の両親は父親の野球好きが興じ過ぎたが故に離婚という道を歩まざるおえなかった。雷市は父親に、なまえは母親に引き取られ別々に暮らすこととなり、それから今まで二人は遇うこともなかった。

「もしかしてみょうじが野球嫌いになった理由って、監督の所為(せい)なのか?」
「うーん、惜しいなぁ下まつ毛!」
「だから下まつ毛言うな!」

キッと目を吊り上げる三島を無視し親友は続ける。

「なまえの母親が野球嫌いになって、それをなまえに押し付けたんだよ」
「押し付けた……?」

離婚後、なまえは引越し母親と一緒に暮らし始めた。ある日、母親の居ない時に偶然にもつけたテレビで野球中継がされていた。もともと野球好きななまえはそれを楽しんで観ていたのだが、帰宅してきた母親はその光景に色をなくし、買ってきた物を放り投げチャンネルを奪った。テレビを消すと同時に母親は力いっぱいになまえの頬を叩いた。そこからの記憶は断片的で、ヒステリックに声を上げる母親が恐ろしく、その日を境になまえは"野球"から遠ざかるようになった。

「時々、散歩がてらに通る河川敷の下で野球の練習をしている子達が居たらしいんだけど、羨ましかったって言ってた。本当は大好きなのに母親の為に嫌いにならないといけないのが辛かったってさ」

"野球なんて大っ嫌いよ!"――と以前、声を大にして告げたなまえの姿が雷市の脳裏に蘇る。あれは本心を隠す為の嘘だったのだ。

「それじゃあ次になまえの生活について。えーとね、」
「あれだろ。みょうじの母親、どっかの社長と再婚したんだろ?」
「あ、それは知ってるんだ」

意外だと驚く親友に本人から聞いたのだと三島は言う。幸せに暮らしているのだろうと続けてこぼすと親友は肩をすくめた。

「それ、なまえが言ってたの?」
「……えーと、」
「言ってなかった」

遮るように雷市ははっきりと答えた。

「あの時、姉ちゃんはその質問には答えなかった」

一度言葉を切るもすぐに雷市は紡ぐ。

「姉ちゃん……母ちゃんと一緒に、暮らしてないと思う」

大正解と親友はパチンと指を鳴らした。えっ、と三島は声を上げると、それじゃあ、と継ぐ。


「あいつ、誰と暮らして……」
「一人で暮らしてる。去年までおばあちゃんと一緒に住んでたんだけどね」

中学に上がったと同時に母親は離婚をしてから付き合っていたパート先の会社の社長と再婚をした。それにあわせて母親との折りがあわずに居たなまえは家出をする形で祖母の家に逃げた。母親は何度か連れ戻しに来たがなまえの意思は強かった。祖母の助けもあったため、程なくして母親は姿を現さなくなった。祖母との仲は良く、平穏に、温かな日々を過ごしていた。たが、昨年に祖母が逝去し本来なら母親の家に帰るべきなのだろうが、なまえはそれを拒み一人で祖母の残してくれた家で暮らし続けている。
とんでもない話になってきたと三島は思った。ふとある素朴な疑問がよぎり親友に問う。

「生活費とかはどうしてンだよ」

バイトをしてるんだよ、と親友は返した。甘えるだけではいけないと考えたなまえは許しを得て祖母の友人が経営している店で中学生の頃は手伝いということで夜の20時まで、高校に入ってからは正式なバイト雇用として規定時間まで週六日間というペースで働いているのだという。普通のバイトよりも時給は良く、まかないも出るらしい。

「けど、バイトだけじゃあ生活できない面は、やっぱり頼るしかないってぼやいてたよ」

詳しくは教えてもらえなかったけど、と親友は結んだ。
なまえの生活と野球嫌いの理由を知り、雷市と三島は何も言えなかった。ほどなくして、何故そんな話を自分達にしてくれたのかと雷市の代わりに三島は聞く。親友は息を吐くと、そんなの簡単な理由よ、と繋いだ。

「大好きな親友にはさ、笑ってて欲しいじゃん。幸せで、居てほしいもん」

それだけ、と親友は少し照れたように笑った。なまえが両親の都合で小学校の高学年で途中編入してきた時からずっと一緒に居る親友はなまえのことを何でも知っている。知っているからこそ、そろそろ一人ですべてを背負わずに楽にさせてあげたいと考えていた。それが今だと思い親友は二人を呼び出した。

「……いやでも、そんな重い話なら俺必要なくねぇか!?」
「馬鹿ねぇ三島。弟くんがあたしと二人きりでちゃんと話ができると思う?」

突然、自分の名前を出された雷市はビクリと体を震わせると、三島と親友を交互に見やりおどおどとしながらカハハッと短く笑う。親友の言うことももっともだと理解したのか、そうだな、と三島は真面目な色をした。

「弟くん」

雷市はピタリと動きを止め親友に視線をやる。

「なまえのこと、お願いしても良い?」

もちろん雷市に断る理由はない。親友に向き直ると力強く頷いた。親友はふわりと微笑みありがとうと伝えた。



既に部活動は始まっており、グラウンドには金属バッドの高い音が響く。雷市と三島がまだ来ていないことに部員達は何をやっているのかと疑問に思った。グラウンドの端で練習を眺めていた轟も顔を顰めていた。しばらくして、どこからかドドドッという勢いある音が聞こえてきた。それはどんどんグラウンドの方へ近づいて来る。轟を含め部員達は動きを止め首をかしげた時、親父ーっ!! と呼ぶ雷市の声。雷市は猛スピードでやって来るも、グラウンドの前で一度立ち止まり素早く礼をする。そしてすぐさま轟のもとへと駆け寄ると、胸倉をぐっとつかみ力いっぱい体を前後に揺さぶった。

「姉ちゃんのところに行こう! 今すぐ行こう!!」
「はあ!? 何言ってンだお前、訳が分かンねぇよっ。つか、揺らすな馬鹿息子ー!!」

行こう行こうと言い揺らし続ける雷市に、轟は周りに助けを求める。驚いていた部員達だったがさすがに止めるべきだと判断したのか、二人の傍へ行き雷市と轟を引き離した。一旦、轟から離れた――否、剥がされた雷市に全員を代表して、いったいどうしたんだよ、と真田が問うた。雷市は至って真剣な色で答える。

「姉ちゃんの家に行こう! 親父!!」
「姉ちゃんって……あの、雷市姉の家にか?」

首をかしげる真田に雷市は頷く。

「いや……行くっつっても、いきなりはあれだろ。それに元嫁に会うのはなんか、ほら……察してくれ」

気まずそうに表情を歪め、轟は片手で軽く後頭部を掻く。しかし雷市は頭を横に振るなり言った。

「姉ちゃん、今、一人ぼっちだ!」

えっ、と轟は目を瞬いた。どういう意味だと尋ねようとした時、雷市ー! と遠くから呼ぶ三島の声。肩で息をしつつ三島は雷市達のもとへと走って来る。どうしたミッシーマ!? と問う轟に、ミッシーマって呼ばないで下さい! と声を枯らして返した。

「お、おま、お前なっ。話は、最後まで聞いてから走れよ!」
「ごめんミッシーマ!」
「親子揃って呼ぶんじゃねぇ!」

ケロッとしている雷市に三島は声を荒らげる。このままでは話は進まないと感じたのか、真田はやれやれと息を吐いた。

「いったい何がどうなってんだよ、ミッシーマ」
「真田先輩までお願いだから呼ばないでっ! ええと、とりあえず……聞いたこと、全部話します」

息を整えると、三島は雷市とともに聞いた親友の話をその場に居る全員に伝えた。時折、雷市も口を挟むが真田に制され唇を一文字に結んだ。しばらくして話を聞き終えるなり轟は俯き、拳を作ると強く握った。静まり返った場に、だから、と口を閉ざしていた雷市の声が響いた。

「親父、姉ちゃんのところに行こう。会いに行こう!」

轟はすぐに返事をしなかった。あの時、娘を手放したという思いに打ちひしがれているのか、己の中で葛藤しているらしく苦い色をする。話を聞いて会いに来た、だから――……と、いまさら迎えに行っても良いものなのか。逆にそれはなまえを苦しめる種になるのではないか。思考は巡る程に悪い方向へと考えてしまう。歯噛みする轟に雷市はしたたかに紡いだ。

「行こう!」

真っ直ぐな瞳で自身を見ている息子に、ふっと轟の力みはとれた。雷市は強く願いここまで言っている。ともなれば、することは一つしかないと轟は思った。

「行ってきたらどうですか、監督。雷市の姉ちゃん――なまえちゃんも、監督の大事な家族なんですから」

真田の言葉が後押ししたのか、轟は口元に笑みを浮かべる。顔を上げしっかりと雷市を見据えると、そうだな、と繋いだ。

「会いに行くか、なまえに」
「おう!」
「悪い、部長。この後のこと任しても良いか?」

三年生の部長は、はいっ、と返事をすると、早く行ってください、と笑顔する。良い結果を待ってますよ、と真田も続けると、おうよ! と轟はグッと親指を立てた。なまえの住んでいる場所を轟はもちろん知っている。昔、何度も訪ねたことのある家だ。雷市と轟はさっそくなまえのもとへ行こうと部員達に背を向けた時だった。

「あの、なんかすんませんけど……みょうじの奴、今日はバイトで今は家に居ねぇっスよ」

ピタリと親子の動きは止まりぎこちなく振り返ると、えっ? と顔を引きつらせる。だから話を最後まで聞けっつったんだよ、と三島は大きくため息を吐いた。親友から最後まで話を聞いていた三島は、なまえの帰宅時間を伝え、念のためにと預かった家までの道を記した手書きの小さなメモサイズの地図をポケットから取り出した。
さっきの良い空気はなんだったのだろう、と三島から事細かに説明を受けている親子を見ながら、部員達は密かに肩を落とした。

愛子|151124