辺りはすでに真っ暗だったが、いつもの慣れた道の為、なんとも思わなかった。バイトをあがりいつもより早く家に帰った。ただいま、と声をかけるも電気のついていない我が家からは当然返事はない。靴を脱ぎ、居間に鞄を放り投げるようにして置く。風呂を沸かそうかとも考えたが、今日も手早くシャワーで済ませようと思った。
夕飯は昨日の残りものと、冷蔵庫にあるもので軽く作ろう。ご飯も炊いて余ったものをラップに包んで冷凍庫に入れているからそれを解凍すれば良い。着替える前に仏間に行き、祖母と祖父の遺影に手を合わせた。
一息つき自室へ向かおうとした時、インターホンが鳴った。なまえは動きを止めこんな時間に誰が来たのだろうかと考える。訝しんだ色を浮かべると急いで自室へ行った。押入れの中から隠すようにして仕舞ってあった、誰のものかはわからない古い金属バッドを取り出す。ぎゅっと柄を握ると同時にもう一度、インターホンが鳴った。
金属バッドを片手に居間に戻ると、壁に掛かった受話器の前に赴く。二、三度深呼吸を行った後、受話器を手に取りインターホンを鳴らしている来客へ応対した。

『おい、出てこねーぞ。本当にあいつこの時間に帰って来てンのかよ』
『ミッシーマがそう言ってた! ……風呂?』
『あー……その可能性があったか』

受話器越しに聞こえてきた声になまえは息を呑んだ。何故、と疑問が渦を巻いたが外に居る二人の声が次第に大きくなり始め、このままでは近所迷惑になりかねないと判断し、わざと大きく咳払いをすると、ちょっと、と声をかけた。

「聞こえているし、お風呂にも入ってないわよ」

すると一呼吸遅れてから、居たー!! と来客――雷市と轟は声をそろえた。なまえは深く息を吐くと、何の用? と問う。するとなにやら考えているのかすぐに応答はなかった。なまえは首をかしげ再度、同じ言葉をかける。すると雷市は元気よく言った。

『姉ちゃん、一緒に飯食おう!』
「……ごはん?」

ん!! と雷市は返事をし、ガサガサとビニールの音を立てた。聞きたいことは山とあるが、腹の虫も鳴った為、詳しくは中にあがってもらってからにしようと思った。待ってて、と告げると受話器を置き玄関に向かう。傘立てに持っていた金属バッドを隠すように差し、適当に靴を引っかける。鍵を外し扉を開けると、やはり二人は居た。二人は軽装で、銭湯にでも行ってきたのか首から白いタオルをかけている。轟の手には色のついた袋が握られており、その中から入浴道具が顔をのぞかせていた。
轟はなまえを見るなり、よお、と遠慮がちに片手をあげる。雷市は、カハハ! と笑いなまえの前にスーパーの袋をずいっと差し出した。

「……どうぞ」

家に上がる前に雷市と轟は一度顔を見合わせたが、たちまち笑顔を浮かべた。

「邪魔すンぜ」
「お邪魔しまーす!」

ずかずかと家に上がった二人の背に視線をやり、なまえは用心の為に扉の鍵をかけた。居間に向かうと二人はすでに足の低いテーブルを囲んで腰を下ろていた。雷市は近所のスーパーで買ってきた半額シールの貼られている弁当をテーブルの上に広げる。なまえは台所へ足を運び冷蔵庫からお茶の入った冷えたポットを取り出すと、食器棚から花柄のグラスを人数分、器用に片手で持ち出し、一度居間に戻るとテーブルの上に置く。ありがとよ、と轟は礼を言った。なまえは再び台所へ向かい冷蔵庫の中から昨日の残り物の入った小皿を取り出す。二人のもとへ踵を返すと、早く座れと轟は促した。雷市はグラスにお茶を注ぎ、それぞれの場所に並べる。なまえは無表情のまま黙って空いているところに腰を下ろした。

「いただきまーす!」
「いただきまーす……って、オイ雷市! おまっ、一つしかねぇトンカツ弁当取りやがったな!?」
「カハハハ! トンカツ弁当は俺が食う! 早い者勝ち!!」
「普通は俺やなまえに食って良いかを聞いてからとるモンだろ!」
「知らない! カハハ!!」
「アホー!!」

騒々しい二人をなまえはじっと見つめる。雷市は轟の言葉を無視してトンカツ弁当を食べ始めた。一人だけトンカツ食いやがって……、と轟は眉を吊り上げ、仕方がなく残った幕の内弁当に手を伸ばす。表情を戻すと、お前も食えよ、となまえに弁当をすすめた。

「……なんでここに、」
「話せば長くなるんだが……掻い摘んで話すとだな、」
「姉ちゃんの友達に教えてもらってここに来た」
「雷市、ちょっと黙って飯食ってろ」

胸を張って答えた雷市に轟はシッシッと手で払い、話に入ってこないよう伝える。雷市は一瞬、突っかかろうとしたが、空腹が勝っているらしく顔を少し歪ませたものの再び箸を進めた。雷市の言った友達という言葉になまえは察したのか、心の中で舌打ちをする。明日にでも電話で文句を言ってやろうと思った。轟は箸を置くなり、雷市の言っていたことをふまえて改めて話を始めた。

「お前、一人で暮らしてたんだな。俺ァ、てっきりあいつと暮らしてるとばかり思ってたぜ」

片手で後頭部をかき言葉を選びながら話を続ける轟に、母と暮らしているとは言ってはいないとなまえは呟いた。

「寂しくねぇのか?」
「別に、もう馴れた」
「けど、一人だと何かと大変だろ。それに年頃の娘が一人暮らしっつーのは、こう……親としては心配っつーか……」
「……何よそれ」

なまえはキッと轟を睨むや否や、いまさらっ、と声を荒らげた。

「父親面しないでよっ。そんなにわたしのことが心配なら、何であの時……雷市と一緒に、わたしを引き取ってくれなかったのよ!」

なまえの剣幕に轟は目を見開き動きを止める。雷市も驚き、最後の一切れだったトンカツを口に運ぼうとしたままピタリと静止した。なまえは唇をきゅっと結び俯く。轟は二、三度瞬くと、先程の言葉がなまえの本音なのだろうと悟った。雷市のトンカツがぽとりと弁当の容器の中に落ちたのと同時に、轟はまっすぐになまえを見据えた。

「俺のこと、恨んでるか?」

なまえは答えず俯いたままで居る。
あの日――なまえと雷市の母親でもある妻と離婚をした日、なまえは母親に、雷市は轟が引き取った。本音を言えば二人一緒に引き取り面倒を見てやりたかった。二人一緒に成長をさせてやりたかった。だが、当時は今以上に余裕もなく二人同時に面倒を見る心持を轟は持ち合わせてはいなかった。それに娘は母親に――女手に育ててもらう方が幸せなのだと考えていた。なまえと母親は折りが悪かったことにもちろん轟は気づいてはいたが、それでも自身が引き取るよりずっと幸せになると思っていた。
轟は改めてなまえを見やり昔の自分が考え出した結論を悔いる。こんなにもなまえを孤独に、寂しくさせてしまっていたのかと酷く心は痛んだ。
どうすればこれ以上、なまえを一人にさせないですむのか。どうすれば、昔のように無邪気な笑顔を見せてくれるのか。どうすれば――と一通り考え自問自答した後、轟の頭の中ではすでに答えは出ていた。
パチンと両手を合わせ、ご馳走様でした! と雷市が言ったと刹那、なあ、と轟は言葉を紡いだ。

「もう一回、家族にならねぇか?」

なまえは顔を上げ、心底驚いた色をした。

「そうしよう姉ちゃん! 三人で一緒に暮らそう!!」

そうなれば姉ちゃんの手料理が毎日食えるし! と、話を聞いていた雷市は明るい表情で続ける。言葉を失っていたなまえは程なくして乾いた声で小さく笑った。

「ふざけたこと言わないでよ……家族に、ならないかって……」

そんなの、となまえは繋ぐ。

「……そんなの、」

言葉をうまく発することができないのか、小刻みに肩を震わせるなまえに、轟は一度冷静になるために深呼吸をする。落ち着いたところで、昔の自分の考えをなまえに話し始めた。結果として今のような状況を作ってしまったことにも深く頭を下げるなり轟は継ぐ。

「空いた時間はもう埋められねぇけど、今からでも……なまえさえ良ければの話だが、家族としてやり直そうぜ。元嫁(あいつ)ともちゃんと話はつける」

だから、と轟は一度言葉を切ると、しっかりとなまえの瞳を見た。

「俺たちと一緒に暮らそうぜ、なまえ」

その一言はなまえにどれだけの意味を、心に光をもたらしたのかを、今の轟にはわからない。大きく見開かれたなまえの瞳から音もなく涙は溢れた。いまさらっ、とこぼすも頬を伝う雫は熱く、なまえは嗚咽をもらす。ブラウスの袖でごしごしと涙を拭うなまえの傍へ、腰を上げた雷市がやって来た。隣に座ると唐突にポンポンとなまえの頭を撫でた。なまえは目を真っ赤にして雷市を見る。雷市はニッと笑った。

「これからもいっぱい迷惑かけると思うけど……将来、俺が色んな奴等をぶっ飛ばして、姉ちゃんも一緒に楽させてやる!」
「あ。補足しとくが雷市のぶっ飛ばすは野球でのことだからな」

急いでフォローを入れる轟とは反対に雷市はいつも調子で大きく笑う。姉ちゃん、と呼ばれ雷市は笑顔のまま言った。

「家族になろう!」

なまえはきゅっと唇を噛むも、止め処なく溢れる涙をそのままにふわっと表情を崩すなり、こくんと頷いた。瞬間、なまえはぎゅっと雷市に抱きつく。雷市は突然のことに固まりどうすれば良いのかと轟に無言で助けを求める。その顔があまりにもおかしいのか、轟は指さして笑いながら、雷市の代わりになまえの頭を撫で始めた。
声の溢れる居間、光に満ちている三人の姿。
その光景を遠くに望みながら、開け放している仏間から覗いている仏壇の前に飾られている二つの遺影の中で祖母と祖父は温かい笑みを浮かべて見守っていた。

愛子||160112