花、或いは刃



 糞爺からおしつけられたその少女は、酷く無愛想であった。

 羽林軍の兵士に半ば引きずられるようにして連れてこられた彼女を、邵可は初め老人だと思った。俯いた顔が艶の無い白髪で隠されていたからだ。
 拘束され、なお気高く美しかった亡き妻に比べると、その姿はおそろしく惨めで憐れで滑稽だった。兵士によって床へ転がされ、血の滲む手枷が重い音をたてる。

「これを預かってはくれんか。なに、大して手間ではない。必要な金子は渡そう」

 その言葉に邵可はあからさまに眉を顰めた。今更邵可は何も求めていなかった。自分と娘と家人とそれから妻の思い出。それさえあれば、邵可は満ち足りていた。これ以上は邵可の掌から零れ落ちてしまう。
 傾いたあばら屋よりも預けるにふさわしい場所などいくらでもあろう。それをわざわざ邵可に預けるということは、つまり少女にとってそれは鉄格子の無い監禁である。不穏な気配があれば即首を落とせ、とそういうことだ。
 
「風の狼は私が解体いたしました」

 邵可の言葉に霄大師は薄い唇をにいと引き伸ばした。

「言いづらいことだが、陛下はお倒れになる日も近いだろう。次期王はどう転ぶか分からん。手駒は多いに越したことはない」

 病床に臥す王を思い出す。碌でもない暴君であったが、その政治は決して間違いではなかった。邵可は思う。政治に兇手を用いるのは間違いではない。しかし、正解でもない。

「全ては劉輝様次第じゃよ」

 王の采配ひとつで少女の行く末は決定する。彼女とその他の犠牲一つで国民が安定した生活を得られるのだ。そう思えば安いものである。それらも決して間違いではない。しかし、やはり正解でもないのだ。

 ふ、と白髪の合間からこちらを窺う褐色の瞳と目が合う。その瞳に映るのはただただ邵可だけで、憤怒でも憎悪でも反骨でもなかった。あえていうなら虚無だろうか。ぼんやりと、視線の定まらない目で少女は邵可を見つめ返す。
 その目が、邵可は何故か気に入らなかった。

「分かりました。預かりましょう」

 にも関わらずそう答えたのは、ただの気まぐれでは無かった筈だ。



 邵可が君はどうして王に仕えようとしているのか、と問うと銀児は不可解そうに首を傾げてその他に生きる術が無いからだ、と答えた。
 その言葉は忠誠の美辞より誠実である。

 府庫の一室で、伏目がちだった銀児の白い睫毛に縁取られた褐色の瞳が緩慢な動作で邵可を追う。
 銀児は眼前の男に見覚えがあった。記憶の中の男よりは幾分老いたが、柔和な表情の下の鋭い雰囲気は変わらない。
 この稼業を生業にする者で、この男の話を聞いたことが無い者はいない。だがおそらく、顔を知る者で生きている者はいないだろう。
 ふと思い立ち銀児は手元にあった文鎮を放る。決して投擲に向いているとはいえない形状だが、それは直線を描いて邵可の眉間へと空を切る。
 邵可は苦もなくそれを受け止め、静かにそれを傍らへ置いた。

「どういうつもりかな」

 邵可が言い終わるより早く銀児の片腕が空を薙ぐ。捉えるべき標的を逃した腕の反動で、銀児は距離をとった。
 先ほどまで蒼白だった顔色にほんのり朱がさす。薄い唇が愉悦に歪む。
 銀児は音もなく地を蹴り瞬きの間に邵可との距離をつめた。まるでそうされるのを望むかのように真正面から踏み込んできた銀児の胸倉を掴み、邵可はその痩躯を弾く。
 いとも簡単に吹き飛んだ銀児の身体は本棚に叩きつけられ、ばらばらと本棚から落ちる無数の書物とともに床に崩れ落ちた。銀児の両の手を拘束し床に縫いとめる。

「何がしたいの?」

 勝てるはずの無い相手に手を出すのは兇手としては失格である。兇手は戦いに勝つ必要は無い。ただ、標的を消せば良い。刺すような邵可の視線に銀児は目を細めた。血の滲む唇が弧を描く。
 銀児は作り物めいた顔に笑みにも似た表情を浮かべた。しかしそれは笑みというにはあまりに冷めている。

 銀児は嬉しかった。憧れ、半ば崇拝していた男が目の前にいることが。自然と気分が高揚する。

「私を貴方の御傍に置いて頂きたいのです」

 軋る手首の痛みさえ幸福で、銀児は短く息を吐いた。