いつか×××する日



 ポアロ帰りにふとケイノの様子を見に――不意な訪問は彼女への牽制として大きな意味がある――レンタルオフィスに寄った。薄っぺらいドアを開けて現れた降谷の姿を、彼女は大きな三白眼で一瞥しただけだった。
 大きな椅子を軋ませ、ケイノは陰鬱な表情でモニターを眺めながら明るい声をあげる。

「どうも、お世話になっております! 御社の新作パズルゲームのインタフェース周りの改善案についての件なんですけれども!」
「近くに用があったから寄っただけだ」
「情婦のところに寄るヤクザみたいなこと言うんだ」
「ヤクザの情婦だったことがあるのか」

 ケイノは天井を仰ぐとしばし何か思い出すような素振りを見せた。

「ない」

 ないならば何故思い出す必要があるのだ。降谷の考えを見透かしたようにケイノは口の端に薄い笑みを浮かべる。
 
「コーヒーは?」
「もらおうか」

 降谷が答えるとケイノは黙ってドアの方――正確にはドアの向こうの共用スペースにあるコーヒーマシンの方を指差した。

「ついでに私の分もお願い。カフェラテ、ミルク多め、砂糖無し」
「顧客への敬意が足りないんじゃないか」
「コーヒー淹れるのに慣れているでしょう」

 ケイノは目を細め、挑発するように降谷を見た。降谷は一瞬言葉を詰まらせる。

「忘れろと言っただろう」
「人間というものは、はい分かりました忘れますとは出来ていないよ」

 降谷は鼻を鳴らす。

「そうか、知らなかったな」
「だろうね。ひとつ勉強になったようで良かった」

 皮肉なのか本気なのか分からない口調で皮肉を言い、ケイノは髪を掻き上げる。黒い髪の内側から目映いほどのピーコックグリーンが覗く。
 先週までは違う髪型だった。奇抜だな、と降谷は思う。

「たしか、一番最初に会ったときは金髪だった」
「覚えてない」

 降谷は覚えている。大規模な不正アクセス事件絡みで出会ったケイノは、白に近い金髪に目元を囲む化粧をしていて、任意聴取に対して人工物めいた質感の唇で「ただのバイトだからなにも分かりません」だけを繰り返した。
 いかにも軽薄そうな見た目に、彼女への調べは早々に打ち切られた。彼女のバイト先であり、嫌疑をかけられたセキュリティコンサル会社には、もっと怪しげな風貌でもっと怪しげな経歴の者がいくらでもいた。地元の大学を中退したフリーター女に割いている時間はなかった。
 そんな状況で、降谷は彼女に目を付けた。理由はよく覚えていない。直感といってもよかった。だが無個性な化粧で覆い隠された双眸の一種異様な知性が降谷に彼女を強く印象づけた。

「もう金髪はやめた。色々試して似合わないと分かったし、なんだか老けて見える。それに、あなたと同じ髪色はごめんだ」
「そうか、気にかけて頂いて光栄だ」

 ケイノは指先で髪の毛のグリーンの部分を摘まみ上げると弄ぶ。細くて長い指には、きっと小洒落た細身の煙草が似合うのだろう。あいにく彼女は非喫煙者で、そのうえよく分からない理由で持ち歩いている煙草は垢抜けない安煙草であった。
 人工的な鮮緑色の髪の毛は、光を受けても表情を変えない。

「気にかけてるわけじゃない。あなたの髪の色は――」

 そこでケイノは言葉を切る。何を言おうとしたのか気にならないわけではないが、髪の色の話を好んでしようとも思わなかったので追求はしなかった。
 だが、彼女はしばらくすると勝手に先を続けた。

「きれいだから」
「――は?」

 思わずそう問い返してしまった降谷に、ケイノは眉を顰めた。

「金髪が似合うのはこういう奴なのかという知見を得た」
「……ああ」

 降谷は何の気なしに前髪を掻き上げた。視界の端で恨んだこともあった色がちらつく。

「子供の時分はこれでいじめられた」

 ケイノは意外そうに目を丸くする。今日初めて自主的に降谷を見ると、まるで珍しい物を見るかのようにじろじろと視線を送ってきた。

「なんだ」
「いじめられて黙っているようなタマには見えない」
「これでも昔は幼気だったんだ」
「それを私に告げたことにも驚いてる」

 降谷はケイノの目を覗き込む。不快そうに揺れた双眸はすぐに逸らされた。降谷は苦笑する。

「いったい僕をなんだと思っているんだ?」
「敵。生涯を通じての」

 軽口に思いの外真剣な口調で返された。内容がまた穏やかではない。
 降谷はそれに言及せず、ただ笑った。どうして彼女にそれを伝えたのか、自分でもよく分からないでいた。それが少し気にかかった。
 ケイノはデスクに頬杖をつく。葉擦れのような皮肉げな笑声が脳をくすぐり、些細なわだかまりは霧消した。

「気にすることないよ。我々はみんな自分と異なるものを攻撃するのが大好きで、馬鹿だからそれに自覚がない」
「きみも普通の学校生活に馴染めたとは思えないしな」

 的外れであったのか図星であったのかは知らないが、ケイノは口の端に薄笑いを浮かべたまま降谷に目をやる。

「そうでもない。特に試験前は人気者だった」
「……ああ、予想が付く」
「情報は力で、金になる。――まあ、たいして稼げはしなかったけど、得がたい経験だった」
「いやなガキだ」

 降谷が言うと、ケイノは楽しそうに痩せた肩を震わせた。