なんかいる



 ほとほとと木の戸板を叩く音がするので、鱗滝左近次は訝しげにそちらに視線を向けた。また控えめに戸を叩く音がする。鱗滝は天狗の面を取り、顔を隠すと戸を引いた。

「こんにちは! どうか一晩泊めてはおくれませんか!」

 小柄な娘が立っていて、にこにこと笑ってそう言う。鱗滝はさては鬼か、或いは物の怪の類いかと身を固くした。そのような気配はちらともしなかったが。

「まだ朝だぞ」
「あっ! ……ああ、朝は泊めてはもらえないのですか?」
「いや……それは人によるだろうが。今から歩けば日の落ちる前に山を下れる」
「あ、別に山を下りたいわけではないんですけど」
「……娘、いったいどこから来た?」
「あっち」

 小さな手がぴっと藪の方を示す。鱗滝はむうと唸った。

「では、どこへ向かっている?」
「えっ?」
「藪から来て、どこへ行く?」
「そ、それは……」

 娘は首をひねって傾げたきり、何も言わなくなってしまう。鱗滝は溜息を一つつく。

「狐かイタチかは知らんが、儂を化かそうなどとは百年早い。出直してこい」
「ひっ、ひどい! イタチなんかじゃありませんよ!」
「帰れ」

 ばしんと戸を閉めると、戸の向こうで「なんでぇ!? これで大抵上手くいくって言ってたのにぃ!」と間延びした悲鳴が聞こえた。