狐七化け狸八化け



 家の外から野犬のけたたましい吠え声が聞こえた。はて何事かと外を見れば、栗やきのこが散らばり、血の滲んだ着物の袖を押さえた件の娘が途方に暮れたように立ち尽くしている。

「あ、鱗滝さん、こんにちは」
「血が出ている」
「そうですねぇ、困りました」

 青褪めた顔で娘はへらへらと笑った。鱗滝は少し迷ったが、たとえ化生の者であっても目の前で失血死されては寝覚めが悪い。
 短く「入れ、手当てをしてやろう」と言うと、娘は目を輝かせた。

「あらやだそんな、大丈夫ですよぅ! 悪いし!」
「いらんならいい」
「うそー! 痛いよう! 助けて鱗滝さぁん!」

 ぽむぽむと弾むように屋内に転がり込んで来た娘は、きょろきょろとあたりを見回して鼻をひくつかせる。

「わあ、にんげんのお家だ」

 なんとも詰めの甘い一言を呟く娘に座るように促す。娘は垂れた目を細めた。

「犬にやられたか?」
「ええ、そうなんです。やだやだ、犬ってやつは。臭いし、うるさいし、涎だらけだし」

 血で汚れた袖を捲るとがっぷりと大きな噛み跡が残っている。傷を洗い、軟膏を塗り、包帯を巻いてやると、娘はしきりに軟膏の匂いを嗅いでいた。
 それからぱっと顔を上げる。

「むむっ、この御恩はお返ししなければなりませんね!」
「いらん、帰れ」
「わー! そんなこと言わないでよぅ! なんでもするからぁ!」

 おねがーい! と膝に纏わり付く娘を追い払う。こんなに自分勝手で押し付けがましい恩返しがあるだろうか。
 軟膏を戻そうと引き戸を開けると、彫りかけの扼除の面が物入れから転がり落ちた。それを見た娘はハッとした顔をする。垂れ目がくるくると丸くなり、間抜け面が一層間抜けになった。

「鱗滝さんは狐がお好きですか?」
「……まあ、そうだな」

 面の造形としては気に入っている。そういう意味で答えると、娘は神妙な顔で頷いた。

「そうでしたか……」
「なんだ、お前、狐だったのか?」
「うぇい! 違いますよ! にんげんですよぅ! 失礼しちゃう!」

 ぶんぶんと怪我をしていない方の腕を振り回す。
 それから、あ、と呟くと勝手におとなしくなった。

「じ、実は鱗滝さん!」
「どうした」
「私は、あのとき助けて頂いた仔狐でございます!」
「はて、狐なんて助けたか?」
「た、たたたた助けてますよ! 思い出してー! ほら、あの夏の日、目を閉じれば浮かび上がって……?」
「こない」
「なんと!」

 小さな手のひらが床をぺむと打った。

「鱗滝さんは仔狐を助けたんですよ!」
「ひとまずそういうことにしておこう」
「そして、仔狐は人の姿で恩返しに来たんです!」
「ああ、そうだったのか」
「これがどういうことか分かります?」
「知らん」
「お嫁にきたんですよぅ!」
「どうしてそうなる」
「ずぅっと昔からそう決まってるんです! 鶴の恩返し知らないんですか?」
「あれは老夫婦と鶴の話だろう」
「えっ、そうでした?」

 娘は愕然と顎を落とした。
 鱗滝は物入れの引き戸を閉め、娘の向かいに座る。

「ああ、そういえば、私、けむ里っていうんです。けむ里ちゃんって呼んでくださいね!」

 ぺかー、とけむ里は笑った。