鬼よりこわい
ぷきゃああああ! と奇妙な叫び声を聞いて、鱗滝は一瞬だけ顔を上げた。すぐに端材を集めた焚き火に目を移す。
ぽんぽんと弾む鞠のようにこちらに駆けてきたけむ里が、両手で鱗滝の胸を叩いた。
「う、鱗滝さんの浮気者ぉ! こんな、こんなのあんまりですよぅ!」
「なんの話だ」
うんざりと鱗滝が尋ねると、けむ里はべしょべしょと泣きながら地団駄を踏む。
「鱗滝さんのおうちで女の子が寝てる! なんてことですかぁ!」
「ああ……」
ああ、と鱗滝は呻く。一から説明してやろうとしてふと口を噤む。どうして説明してやる必要がある。全く面倒くさい。
「ぴゃー! あんな子! ちんちくりんじゃないですか!」
けむ里がちんちくりんの短い手足を振り回しながら鱗滝の背中をぽかすか叩く。
「あの子はいったい何に化けられるんですか!」
「化けはしないな」
「ふふん! 私の勝ちですねえ!」
勝ち誇って胸を張る。
「鬼とはいってもあのくらいの弱い鬼じゃ私の足下にもおよびませんね!」
けむ里がそう言うので、鱗滝は天狗面の下で顔をしかめた。のんき面でへらへらと笑うけむ里に屈んで視線を合わせると、けむ里は嬉しそうに「接吻ですか!」と言った。違う。
鱗滝はすり寄ってくるけむ里を押し返す。
「あの娘が鬼と分かるのか」
竹を噛ませているとはいえ、眠るだけの禰豆子は人の姿をしている。それに、あほ極まっているけむ里の口から「鬼」という単語が出たのが意外であった。
けむ里は不可思議そうに首を傾げる。
「おやぁ、鱗滝さんには分かりませんか?」
「分かるが……お前はどこで判断するんだ」
「どこ? 人間と鬼は違うものですよ。鱗滝さんだってアナグマとタヌキの違いは分かるでしょう?」
「……いや、そんなに区別しようとしたことはないな。どっちもマミだ」
「なんと乱暴な!」
話が進まない。鱗滝は溜息をつく。
「狸たちにとって鬼は害あるものではないのか」
眠っているとはいえ臆病で怖がりなたちのけむ里が平気な顔をしている。そう聞くとけむ里はけらけらと笑った。
「鬼は狸を食べませんからねえ、鬼は人間を食べ、人間は狸を食べますけれども」
鱗滝は無言でぽんぽんとけむ里の頭を撫でた。けむ里は嬉しそうにくねくねしてからハッとした顔で「こんなことでは騙されませんよ! まあ浮気は多目に見るとしても本妻は私ですからね!」と言った。