外堀から埋めていく



 朝夕を問わず立ち込める狭霧山の乳白色の霧の合間から、彼女はいつも楽しそうなぴょこたん歩きで現れた。

「炭治郎は修行熱心、感心感心」

 そんなことを妙な節回しで歌いながら、岩を斬れず汲々とする炭治郎のまわりをぐるぐると回る。なんだろう、と思うのであるが、彼女は「鱗滝さんからの差し入れですよ!」と言って果実やら木の実やらを置いていくので、おそらく鱗滝の使いなのだろう。詳しくは知らないし、聞かなかった。
 なぜ聞かなかったのかと言えば、落ち葉と松脂と南天のにおいと、うっすらとした獣臭を纏う彼女は、きっと人ではないことを薄々勘付いていたからであった。
 風もないのに空がざわざわとする暗い夜が明けた朝方に、空気がそういうにおいをはらむ。酔い潰れて道に迷い狐に化かされたと騒ぐ男の着物からも、そういうにおいがした。
 だからおそらく彼女も、そういうものなのだろうと思った。
 どうしてそれが鱗滝の使いをしているのかとも思ったが、きっと何か深い理由があるのだと尋ねはしなかった。

「ええと、君は……」

 炭治郎は彼女の名前も知らなかった。禰豆子と同じか歳下に見える少女は、ぷうと頬を膨らませる。

「私としたことが! 名前も名乗っていなかった! ああはずかしい!」

 紅葉のような手がふくふくの頬をおさえる。

「私はけむ里と言います! けむ里ちゃんって呼んでいいですよ!」
「うん、けむ里は――」
「なんと呼び捨て! まあいいでしょう!」

 けむ里は腰に手を当て胸をそらした。炭治郎はその仕草が可愛いやらおかしいやらで、修行で張り詰めた肩の筋肉からふっと力が抜ける気がした。

「けむ里は、鱗滝さんのおつかいをしていてえらいね」
「ふへへ、そんなことはありません。当然のことをしたまでです」

 ふにゃふにゃと嬉しそうに笑うけむ里に、炭治郎も相好を崩す。けむ里が持ってきていた干し柿を、一つけむ里に差し出した。

「君が持ってきたものだけれど、食べる?」

 けむ里はぱっと顔を輝かせた。

「むむっ、そんな差し入れをいただくなんておこがましいですけれども、でもお断りするのも失礼ですし、どうするのが一番いいのでしょうねぇ、にんげんのお作法は難しくてしかたがないのですよ」
「俺には食べ切れないから」
「いただきます!」

 赤子でも分かるような炭治郎の嘘で、けむ里は遠慮なく干し柿に手を伸ばした。小さな口がちまちまと干し柿を齧るのをしばらく眺め、それからふと思いついたことを聞いてみた。

「ねえ、君は錆兎と真菰のお友達?」

 あの狐面の少年たちも、けむ里と同じくそういうものの類なのであろうか。だが、けむ里はまるで齧った柿が渋かったかのような顔をして舌をべえと出した。

「失礼しちゃう! みっともなく娑婆にしがみつく人間が一番嫌いですよ、私!」
「ああ、うん? なんだろ、ごめんごめん、ほら干し柿が飛び散って……」
「それにあの面はなんでしょう! 狐! ぷん!」

 狐の何がいけないのだろう。炭治郎がぶばばばと飛んでくる干し柿の欠片を避けながら言うと、けむ里はもすもすと雪の上で地団駄を踏んだ。

「私はあの二人のお友達なんかじゃありません!」
「じゃあ、どうして……」

 首を傾げる炭治郎に、けむ里は胸の前でもじもじと指先を弄った。

「私、鱗滝さんの正妻ですからね! 鱗滝さんのお手伝いをするのは当然なのです!」

 けむ里は「鱗滝さんにはひみつですよ!」とだけ言い残すと雪の上に足跡を残して去って行った。足跡は四ツ指であった。