藤女房
噎せ返るような藤の花の甘い香りがした。その向こうにかすかに不穏な匂いがする。鋼鐵塚築炉はそういう人であった。
宇髄天元に紹介された女性は、数年前から半人半鬼と化し、人と化生の間を危なっかしく行ったり来たりしているのだという。どういうことですか、と問い質す炭治郎に、天元は「まあ、会って聞いてみろ」とだけ言った。
天元は失った左手で髪をかきあげかけ、右手でそれをやり直す。
「おまえの妹を人間に戻す一助になるかもしれねえしな。それに、どうにもなあ、派手に不幸な人で。もうずっと鬼に成ることを恐れ続けてる。おまえの妹を見れば、救いにもなるんじゃねえかと思うんだが」
背負子の中で禰豆子がごとりと身動ぐ気配がした。
築炉は天元の言うように容貌からしてどこか薄幸そうな女であった。微笑むたびに薄い頬が持ち上がることさえ億劫そうに見えるほどの手弱女である。
薄墨色の地に薄紅で淡く藤の花の描かれた着物が、彼女をさらにひ弱げに見せていた。その虚ろな様がどこか禰豆子に似ていて落ち着かない気持ちになる。
「ごめんなさい、宇髄様から竈門様がいらっしゃることは伺っておりましたのに。家の者が留守でして、大したお構いも出来ないのですが」
「いえ! お構いなく! 俺は築炉さんにお話を聞きたくて来ました!」
築炉は首を傾げる。その瞳が悲しげな藤色をしていて、炭治郎はどきりとした。生来のものであろうか、或いはその身を巡る鬼の血の影響であろうか。
築炉は炭治郎の前に二つ湯呑みを置く。炭治郎がおずおずと築炉の方を見ると、築炉はうっすらと笑った。
「お二人いらっしゃると伺っておりましたので」
炭治郎は虚をつかれたが、一から説明するよりはと背負子を下ろした。箱を開けると中から幼い娘が出てくるので、築炉は目を丸くした。
「あらあら」
築炉はそう言ったきり口を閉ざしてしまった。おそらく彼女の最大限の驚きの表し方であったのだろう。
箱から這い出た禰豆子は、築炉を見て一瞬警戒するように眉根を寄せた。炭治郎は禰豆子に「築炉さんだよ」と言って聞かせる。
「築炉さん、禰豆子です。俺の妹で――今は鬼と成っています」
炭治郎が言うと、築炉は痛ましげに眉をひそめた。
「俺は、禰豆子を人に戻すために鬼殺隊に入りました」
そうでしたか、と築炉は言い、禰豆子に茶を勧めた。炭治郎がそれを制止する。
「飲食はしません。それに、人も襲わない。人の血肉は口にしていません。禰豆子は鬼と成っても人間の心を持ち続けている」
なのでこれは俺が頂きます! と炭治郎は禰豆子に出された茶を飲み干した。築炉の藤色の瞳に見つめられ、炭治郎は緊張して座り直す。
しばらく黙っていた築炉が迷うように口を開いた。
「私に聞きたいというのは、私が鬼と成りかけていることでしょうか」
炭治郎は首肯する。
「話して頂けますか」
「私が知っていることはそんなに多くないのです。私はもう死んでしまおうと思っておりましたから、鬼殺隊の方々のお話もよくよく聞いておりませんでした」
ころころと築炉は笑う。炭治郎は笑っていいのか分からず頬を引き攣らせた。それから築炉はぽつぽつと事の経緯を話し始める。一度目の結婚で家族を鬼に殺されたこと、再嫁したこの里で徐々に鬼と成っていることが分かり、藤の花を煎じた薬で鬼化の進行を止めていること。
淡々とした口振りで悲壮感はなかった。笑い、話せば物静かな普通の女性に見える。緊張のほどけた炭治郎ははじめから感じていた疑問を口にする。
「どうしてすぐに鬼に成らなかったんですか?」
築炉は頬に落ちる一筋の髪を耳に掛ける。不思議な形の髪留めをしていた。その意匠に見覚えのある気がした。どこで見たものであろうか。
「その頃は――病を得ておりまして、鬼と成る力も体に残っていなかったのです。快復するにつれ、鬼と成りました」
嘘をついている様子ではなかった。だが何か引っかかる物言いをする。頼みの嗅覚は藤の花の強い香りであまり使い物にならなかった。
「そ、そんなことがあるんですか?」
「あるのですねえ」
築炉はおっとりとそう言う。
「詳しいことは主人に聞いた方がいいとは思います。私が死ぬのを許してくれなかったのは主人なのです――いつ帰ってくるか分からないのですけど。申し訳ありません」
お茶のおかわりはいかがですか、と築炉は急須を持ち上げる。いただきます! と湯呑みを二つ差し出すと、築炉は目を細めて「ああ、竈門様」と何かを思い出したかのように話し始めた。
「炭治郎でいいです」
「そうですか、炭治郎さん」
「はい!」
「おだんごを召し上がりますか」
「はい?」
炭治郎が何か言う前に築炉はするすると立ち上がるとどこかへ消えてしまった。座敷に取り残され、禰豆子と二人顔を見合わせる。戻ってきた築炉は手に粉引きの角皿を持っていた。みたらし団子が二本、皿の上に載せられている。
「里の外からお客様がいらっしゃることがないから、嬉しくて」
皿を差し出しながら築炉はそう微笑んだ。炭治郎はいただきますと元気よく手を合わせる。
それから、宇髄に彼女を紹介されたときから気になっていたことを聞いてみた。
「あの、築炉さんって鋼鐵塚さんのご親戚なんですか?」
「――鋼鐵塚は……私ですが」
「あっ、そうですよね。ええと、俺の刀を作ってくださっている方も鋼鐵塚という人なんです」
築炉はしばらく考えるように視線を移ろわせる。
「鍛冶の鋼鐵塚であれば、この里には一人です」
「お名前を聞いたときに、ご親戚かご家族かと思ったんですけど……」
ああ、と築炉は呟くと、ふと目を上げた。
「ええ、そうです、私は――」
やはりそうなのか、と炭治郎は思う。まさかこのおとなしさであの鋼鐵塚と姉妹ということはないだろう。遠い親戚か、或いは姻戚か。
築炉が最後まで言う前に、禰豆子が築炉の膝元に擦り寄る。築炉は困ったように眉を下げた。
「あ、こら、禰豆子! 失礼だぞ!」
「いいえ、いいんです」
築炉のほっそりとした手が禰豆子の髪を撫でる。禰豆子は嬉しそうに目を細めた。
「可愛らしいのね、おいくつなのですか」
「ええと、十四になるんですけど……」
「随分と小さい」
「鬼となってから、体の大きさを自分で変えられるようになりました」
築炉は禰豆子を膝に抱き上げた。華奢な築炉は禰豆子が少し手足を振り回せばぽっきりと折れてしまいそうではらはらする。
禰豆子は築炉の髪留めを手にした。ほどけた築炉の髪が薄墨色の着物に落ちる。
「おい! 禰豆子! 駄目だぞ!」
築炉は微笑み、髪留めごと禰豆子の手を包んだ。
「素敵でしょう、禰豆子さんにも分かるのね。でもあげられないの」
ごめんなさいね、と築炉は禰豆子の手から髪留めを取り、髪を結い直した。
手足をぱたぱたと動かす禰豆子を見て、築炉は目を細める。
「禰豆子さんみたいな鬼もいるのね」
「はい、――もし、築炉さんが、」
「鬼に成っても? そうですね、こうあることが出来ればいいのですけど」
築炉は細々と囁いた。炭治郎が継ぐ言葉を探していると、玄関の方から物音がする。引き戸を開け、閉める音、次いでこちらに真っ直ぐ歩いてくる足音が聞こえた。あら、と築炉が廊下の方に顔を向ける。
乱暴に障子戸が開けられ、火男面の男が無言でずかずかと入り込んできた。炭治郎は驚きのあまり声も出せないでいた。噂をすれば、ではないが鋼鐵塚が挨拶もなく現れ、どうしてか炭治郎に供されただんごを取り上げ食べ始めた。
「えっ、えっ、あっ、えっ、あっ、鋼鐵塚さん?」
鋼鐵塚はちらと火男面を炭治郎の方に向け、何も答えず二本目のだんごに手を伸ばす。
「ちょっと鋼鐵塚さん! な、なんなんですか! 人の家に勝手に入って! だんごまで食べて! 泥棒ですよ!」
「俺の家だ」
短く素っ気なく鋼鐵塚は言う。え、と炭治郎は言葉を失う。
「築炉さんと一緒に住んでおられるんですか」
「ああ? 悪いかよ」
「いや悪いとかではなく、ええと、築炉さんは鋼鐵塚さんの――」
一緒に住んでいるということは、かなり近い親族なのだろうか。もしも兄妹なのだとしたら、これほど似ていない兄妹も凄い。
鋼鐵塚は面の目穴から炭治郎を見下ろす。
「女房だ」
「……んっ?」
「こいつは俺の女房だ。……おい、なんだよその顔は」
炭治郎は絶句し、助けを求めるように築炉の方を見た。築炉は眉尻を下げながらにこにこと笑う。
「え、冗談ですよね?」
「……なんで冗談を言う必要がある」
「鋼鐵塚さん、結婚されてたんですか?」
「いやだからこいつが女房だっつってんだろ」
「鋼鐵塚さんが……結婚を……?」
「何が言いてえ」
ええええ! と炭治郎は悲鳴じみた声を上げ、座敷を後退った。
「そんな、鋼鐵塚さん、善逸が聞いたらなんて言うか……!」
「知るか!」
鋼鐵塚が結婚していたとは知らなかったし、無礼は重々承知だがこの男と生活を共に出来る女がいるとは思いもしなかった。しかも吹けば飛びそうなひ弱げな女性である。鋼鐵塚がいつもの調子で飛びかかろうものなら、すぐに死んでしまいそうではないか。
歳の頃や話しぶりを聞けば、鋼鐵塚と聞いたときに御妻室だと思い至ってもいいようなものであるが、鋼鐵塚のあの非常に難のある気性が思考回路を妨げていた。それだけはないと思い込んでいた。
炭治郎は口を開けたり閉めたりしながら鋼鐵塚と築炉の姿を何度も見比べる。
「築炉さん、大丈夫ですか!? ひどいことされてませんか!? 包丁持って追い回されたりしてないですか!?」
「いいえ、まさか。――あ、包丁で刺されそうになったことは」
「待て、嘘つくな、そんなことしてねえぞ!」
鋼鐵塚はそう言ってから「……ないよな?」と築炉を見た。築炉は眉根を寄せ、困り顔で鋼鐵塚を見上げる。
炭治郎が「あるんじゃないですか!」と言うと鋼鐵塚は「ねえよ!」と激昂した。
「おめえは亭主の留守に勝手に家に上がってんじゃねえ!」
「俺は事前に約束していましたよ! 鋼鐵塚さんがすっぽかしたんでしょう! 築炉さん困っていましたよ!」
「ああ!? 築炉は困ってねえよ!」
「な、なんで鋼鐵塚さんが決めるんですか! 大丈夫ですか!?」
「何がだよ!」
「日常生活」
「余計なお世話だ!」
鋼鐵塚は声を荒らげるとずいずいと炭治郎と築炉の間に割って入った。
「おい、ちょっと立って七歩下がれ」
「え、どうし――ああ、はい、やります! だからそんなに怒らないでくださいって!」
炭治郎はわけのわからないまま鋼鐵塚の言うとおりにする。このあたりでいいですか、と座り直すと、鋼鐵塚は目測で距離を測りながら鼻を鳴らした。
「いいか築炉に一間より近付いたら殺す。喋っても殺す。笑っても殺す」
「……本気で言ってるんですか。いくつですか。俺の弟だってそんなこと言わなかったですよ」
まるで遊び場を独占したがる悪餓鬼のようではないか。呆れ果てる炭治郎に鋼鐵塚が平然と「本気だし、三十七だし、俺はお前の弟じゃねえ」と答えた。
築炉は禰豆子に急須を持たせ、茶を淹れていた。上手に茶を淹れられた禰豆子の頭を撫でてにこにこと笑っている。
「これではお茶のおかわりが淹れにくいですねえ」
言いながら立ち上がり、炭治郎の湯呑みに茶を足す。そのまま炭治郎の傍らに座った。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
築炉は炭治郎に耳打ちをした。
「ごめんなさい、気分が高揚すると変化の進行が早くなることがあるから、蛍さんはそれを心配してくださっているの」
炭治郎は目を丸くし、鋼鐵塚を見上げた。ふと築炉の言葉を思い出す。鬼と成りかけ、生きることを諦めていた築炉が死ぬことを許さなかった主人――築炉はそう言っていた。
「言葉の足りないときもありますけど、優しい人ですよ」
それは俄には信じられないのだが。
だが、あるかなきかの笑みを浮かべる築炉は、やはり嘘を言っている様子ではなかった。
築炉はついと鋼鐵塚の方に顔を向ける。捻られた頸が青白く、細い。
「蛍さん、炭治郎さんにお願いしたいことがあるのですけど、いいでしょうか」
築炉が言うと、鋼鐵塚は勝手にしろとばかりに座敷に座り込み茶を呷る。築炉は膝で炭治郎ににじり寄ると、声をひそめて「炭治郎さんの刀を見せていただけませんか」と言った。
炭治郎は目を丸くし、鋼鐵塚は舌打ちする。
「それは……それは構いませんけど……」
刀を鞘から抜く。沈む黒の刀身が鈍く光を反射する。築炉は息を呑み、口元に手をやりながら目を輝かせた。
「きれいね、すごいのね、炭治郎さんは蛍さんの打った刀を使うのね、うらやましい」
うらやましい、ともう一度囁き、築炉は身を乗り出す。禰豆子に髪留めを奪われ、緩んだ髪の間から築炉の視線が刀に注がれる。
ほっそりとした指先が畳を這う。そろりそろりと刀に触れようとしているのだろうか。刀を見る双眸が、焼けた鉄のように赤い。
「築炉」
低く、柔らかく、だが鋭く鋼鐵塚が築炉の名を呼んだ。築炉ははっとしたように身を起こすと、鋼鐵塚の方に顔を向けた。瞳は悲しげな藤色をしている。
「はい」
「だんごが足りねえ」
「そうですか、買ってきましょうか」
築炉は炭治郎に「ありがとうございます」と微笑むと立ち上がった。薄紅の藤の花が目の前で揺れる。
「炭治郎さんも何か召し上がりますか」
炭治郎が遠慮する前に鋼鐵塚が「全部だんごでいいから早く行ってこい」と築炉を追い払うように出て行かせてしまった。
消えかけの蝋燭のような頼りない後ろ姿を見送ると、鋼鐵塚が面の下で溜息をついた。
「あまり引っ掻き回すな」
それだけ、鋼鐵塚は言った。禰豆子は築炉の出て行った障子戸を見ている。
炭治郎は刀を納めた。藤の花の香りが薄れる。いつも鋼と熾火の匂いしかしない鋼鐵塚から、優しくて苦しくなる匂いがした。
「鋼鐵塚さん、築炉さんは――」
「見ての通りだ」
「本当に鋼鐵塚さんの奥さんなんですか」
「……お前、大概しつこいなぁ」
鋼鐵塚は立ち上がると、禰豆子を見下ろす。
「件の妹か」
「そうです、禰豆子といいます」
禰豆子は鋼鐵塚をちらと見上げ、また築炉が出て行った方を見た。通じ合うものがあるのであろうか。鋼鐵塚も同じことを思ったものか、鼻を鳴らして引き戸の方に目をやった。
「あの、禰豆子が、すごく良くして頂いて……また来てもいいですか?」
「駄目だ」
間髪入れずに拒絶される。
「でも、築炉さんも禰豆子と楽しそうに……」
「ったく、いきなり転げ落ちそうなほどはしゃぎやがってあのバカは。手のかかる」
「築炉さんは禰豆子と楽しそうにしていたので!」
「だから駄目だっつってんだろうが」
「また来ます!!!」
「コノヤロウ」
「手紙も書きます!!!」
炭治郎が言い募れば、鋼鐵塚は火男面の向こうで「ふざけんな、駄目だ!」と怒り狂った。
「なんでですか! 嫉妬深い男は嫌がられますよ!」
「うっ、うるせえ!! こんにゃろ、おら!」
「あ、あいたたたた、えっ、本当に嫉妬だったんですか!?!?」
「んなわけあるかばーか!」
ぎゅうぎゅうと髪を引っ張られて炭治郎は悲鳴を上げる。
そのとき障子戸が開いて、築炉が顔を覗かせた。
「おだんごは売り切れて――あら」
取っ組み合う二人を見て、築炉は目を丸くする。
「出直したほうがいいでしょうか」
身を引きかけた築炉の手を禰豆子が引いた。
「そうね、禰豆子さんも一緒に外をお散歩しましょうか」
鋼鐵塚は踵を返した築炉の後衿を掴むと室内に引き摺り込んだ。そんな乱暴な、と炭治郎はおろおろする。
「こいつら帰るってよ。送ってやれ」
突然言われた築炉は困惑したように首を傾げた。
「そうですか――お夕飯を召しあがって行かれるかと思っていましたのに」
炭治郎は鋼鐵塚に思い切り睨まれる。日輪刀のことは一手にこの鍛冶に預けている手前、機嫌を損ねることは得策ではない。一度機嫌を損ねると本当に面倒臭いので、このあたりで退いておいたほうがいいだろう。
「頂きもののお菓子があるのです。お土産に包みましょう」
「ありがとうございます!」
「食べきれませんから」
築炉は厨の方へ引っ込んでいく。禰豆子がぽてぽてとその後をついていった。
鋼鐵塚は築炉の気配が遠くなると、炭治郎の胸倉を掴みあげた。
「お前がやるべきは、鬼を人に戻す方法を見つけることだ。そうすりゃお前の妹だけじゃなく、築炉もどうにかなるかもしれねえ」
「――はい」
「俺は両腕が千切れても刀を打つ。その刀を……壊したり失くしたりしてみろ、ただで済むと思うなよ」
「……は、はい」
それは身をもって知っている。
鋼鐵塚は炭治郎の胸倉から手を離した。炭治郎は数度たたらを踏む。やりようこそ不器用であるが、どうやら鋼鐵塚は鋼鐵塚なりに真っ当に築炉を大切にしているらしかった。
「鋼鐵塚さん」
「なんだ」
炭治郎はそれを聞いてみたかった。かつて師に問われた内容を、酷と承知で繰り返す。
「もし、築炉さんが、鬼と成って人を――」
「そのときはあいつを殺して俺も死ぬ」
迷いなく鋼鐵塚は答えると「まあ、あいつがいっとう最初に食うのは俺だろうが」と続けた。
炭治郎は唇を噛む。
「鋼鐵塚さん」
「なんだよ、さっきから」
「また遊びに来ます。手紙も書きます」
「……好きにしろ」
鋼鐵塚は手拭いの上から頭を掻くと、小さく呟いた。
「あの、一つ聞いてもいいですか」
「いやだ」
「……恋愛結婚なんですか?」
鋼鐵塚は黙ったまま答えようとしない。
「お、お見合い……ですか……? 紹介……?」
この男は見合いの席だけでも大人しくしていることができるのだろうか。
鋼鐵塚は火男面を炭治郎に向ける。
「気が付いたら家にいた」
なんだそれは、と炭治郎は思った。
余談ではあるが善逸に「鋼鐵塚さんの奥さんと会ってきた」と伝えると善逸は悲鳴を上げてのたうち回り、それから三日寝込んだ。
床から這い出た善逸に「鋼鐵塚さんの奥さんだから、さぞやべぇ女なんだろうな」と聞かれたので「優しそうで線の細いきれいな人だった」と答えるとそのまま布団に吸い込まれ、また三日出て来なかった。