お熱いのがお好き
鋼鐵塚蛍は築炉を抱いて眠りに落ちるのが好きだ。
隣の布団で眠っている築炉の寝間着の兵児帯を掴んで自分の布団に引きずり込むのが、これがおおよそ三日に一度である。毎日でないのは毎日それをやると慣れてしまって心地良さが半減するのではないかと思うからと、さすがに毎日は築炉に悪いものかと思うからである。
まず形がいい。疲れた腕を置くのに丁度いい。肩のあたりに顎を乗せてもいい。横臥で眠るときのどうしようもない胸元の隙間感がぴたりと埋まる。そして安心しきってすうすうと寝息をたてる築炉の顔を間近で眺めているのが楽しい。
この時期など築炉のひんやりとした肌が火照った体に心地良い。冬は冬で築炉の冷たい指先を手で温めながら眠るのが面白い。
きめの細かい柔らかな肌を撫で回しているととろとろと眠くなる。特に脇腹から尻にかけてなど吸い付くようで、鋼鐵塚は「このへん引っぺがして柄糸に出来ねえかな」などと思う。そんなことを考えながら眠るといい夢を見られる。
近頃は築炉が藤の花の甘く柔らかな香りを漂わせているのでそれもいい。あまり嗅ぎすぎると藤の牢でのことを思い出して嫌な気分になるので、これはほどほど嗜むのがいい。
二の腕の内側のたぷたぷとしたところを囓ると少し団子に似ている気がする。やりすぎると築炉が痛みに顔をしかめて起きてしまう。でもたまに起こしたくなってそれをする。
萎えているのかと心配になるほど細い脚に己の脚を絡めておく。小さな足の甲を足の爪で引っ掻くと、築炉は眠っていてもくすぐったそうに身をよじるので面白い。
次の日少し早く起きたいときなど、抱いて眠っておくと明け方に朝の支度をする築炉が小さく名前を呼びながら鋼鐵塚をどかそうとするので早く目を覚ますことができる。
だが、一番の理由は、築炉を夜闇に放っておくと融けて消えてしまいそうな気がするからだ。だから腕の中に閉じ込めておく。あちこち触れてちゃんとそこに居るかを確かめている。
蒸し蒸しと暑い夜だった。汗ばむ体に築炉のひんやりとした皮膚が心地良い。夜中に何度か築炉が「ほたるさん、あつい」「はなして」と囁いていた気がする。鋼鐵塚はそれを無視して築炉をぎゅうぎゅうと抱きすくめた。
うるさい、あつい、じっとしてろ、と夢うつつに言ったような記憶がある。とにかく暑く、涼しいはずの暁時でさえ汗が額で玉になるほどであった。
あまりの不快感にいつもより早く目を覚ますと、腕の中に築炉がいる。まだ夜中かと思えば、開け放った雨戸から眩しく白い光がさしている。なんだ、寝坊でもしたのか、と鋼鐵塚は築炉の肩を揺する。
「おい、築炉、起きなくていいのか」
どちらのものとも知れない汗が築炉の寝間着をびっしょりと濡らし、濡れた生地が肌に貼り付いている。うう、と築炉は気怠そうに声を漏らした。
よほど眠いのか、と鋼鐵塚は思う。まあ、それならば寝かせていればいいか、と己は布団を出る。着替え、顔を洗い、寝室に戻ると築炉がふらふらと布団を片付けているところであった。
その手付きがいつもより危なっかしい。目も虚ろで、息も苦しそうだ。大丈夫か、と声をかけようとしたところ、築炉は何の前触れもなく風に吹かれ転がる玩具のように倒れた。
鋼鐵塚は声もなく驚愕し、築炉に駆け寄る。いつもひんやりとしている築炉の首筋がひどく熱い。熱でもあるのか、と額に手をやる。ここも熱い。ひどい風邪か、或いは変化が亢進したのか、それとも人間に寄りすぎて中毒を起こしているのか、鋼鐵塚は静かに動転する。
医者を呼ばねばなるまい。だが、築炉をこんな床の上に置いていっていいものか。鋼鐵塚は二秒程迷い、築炉を抱き上げた。むぐ、と築炉が苦しそうな声を上げる。かろうじて意識はあるらしい。
「医者を呼ぶ」
言えば、ふう、う、と断続的で苦しげな呼吸だけ帰ってきた。中途半端に片付けられた布団に築炉を寝かせて、鋼鐵塚は慌てて医者を呼びに走った。
朝っぱらから叩き起こされ、引き摺るように連れてこられた里の医者は道中ずっと文句を口にしていたが、ぐったりと横たわる築炉を見ると急に厳しい顔つきになって築炉の容態を見分し始めた。助手である二人の若い女に次々と指示を飛ばしている。
おろおろと見ているしか出来ない鋼鐵塚を、医者はぎろりと睨む。
「暑気中りだね、体をよくよく冷やして休ませればよくなる」
そうか、と鋼鐵塚は安堵の息を吐く。医者は溜息をつきながら鋼鐵塚の胸を小突いた。
「昨晩は暑かったけど、こんなひどい暑気中りになるほどではないよ。蛍、あんた築炉さんに無理させたんじゃないだろうね」
だいたいおまえは昔から加減というものを知らないし、思いやりもない、と医者はぶつくさ言い始める。
「してねえよ、抱いて寝ただけだ」
鋼鐵塚がぶっきらぼうに言うと、医者は思いきり顔をしかめた。
「正直な供述どうも。まったく、夫婦仲がいいのは構わんが程々にしなさいよ」
医者は溜息をつく。助手の女が口元を押さえてにやにやと笑い、顔を見合わせている。
ん、と鋼鐵塚は首を傾げた。何か誤解が生じていないか。
「おい、違う、こう首んとこに腕を回して――」
「ああ、やめろやめろ、おまえさんの房事なんて聞きたくもない」
桶を投げ渡され、鋼鐵塚はそれを胸の前で受け止める。
「冷たい水を汲んできな。錫子、氷屋叩き起して氷を一斤買っといで。アカネ、築炉さんの着物を緩めて、風を送って――」
鋼鐵塚は慌てて水場まで水を汲みに行く。水場で洗濯をしていた女達が、鋼鐵塚が水を汲み上げる姿を見て怪訝そうな顔をする。
「あら、おはようございます、鋼鐵塚さん。築炉さんはどうしたんですか」
鋼鐵塚は手を止めず、頭の中で色々と考える。暑さで体調を崩していて、今医者を呼んで診てもらっているところで――そこまで考えて面倒くさくなって「寝てる」とだけ答えて水桶を抱え家に戻る。
はたはたと団扇で扇がれながら、築炉が上半身を起こしていた。顔色こそよくないが、目を開け医者に水を飲まされている。鋼鐵塚はほっとするやら何やらでずいずいと築炉の傍らに立つと、その頭をぺちんと平手で叩く。ごく軽くのつもりであったが、築炉は水でむせてごほごほと咳き込む。
「勝手に死ぬなよ」
鋼鐵塚が呻くように言うと、背後から木盆で頭を叩かれた。ぐわん、とこもった音がする。
「おまえが殺しかけたんだこのバカタレ!」
鋼鐵塚は医者に殴られた頭を抱えた。かなり痛かった。
築炉は風通しのいい縁側に座らされ、水桶に足を浸す。やがて助手が買ってきた氷を、半分は水桶に入れ、半分は氷嚢を作って首筋に当てた。
「築炉さん、気分は」
「だいぶよくなりました、ありがとうございます」
「それはよかった。今日明日はゆっくり休んでいるんだよ。――と言ってもあんたは働こうとするだろうから……蛍、 築炉さんを見張っときな。今日明日は何もさせるんじゃないよ。栄養のあるもの食べさせて寝かしときなさい」
鋼鐵塚は火男面の下で「刀が……」と言いかける。医者にぎりぎりと睨まれた。
「刀はいつでも打てるが、築炉さんがどうにかなったらおまえさんに添ってくれる女なんていないんだよ」
くすくすと助手の女が笑った。不貞腐れる鋼鐵塚に、医者は懇々と説教を始める。
「いいかい「楽しみに節度があれば、心は穏やかで長生きできる。おぼれて顧みなくなれば病が生じ、いのちが損なわれる」って言うんだ。適度に節制して初めて男女の心身の和合があるんだよ。覚えておきなさい」
「なんだそりゃ」
「房中術の極意」
鋼鐵塚は閉口する。だからそもそも誤解であるし、そんなことをいちいち人に口出しされたくない。
「あんたも言われるままじゃ駄目だよ」
急にそう言われた築炉が困惑したように微笑む。それもそうだ。何一つ心当たりがないのだから。
「それじゃあたしらは帰るけど、具合が悪くなったらすぐに呼びなさいよ。蛍は築炉さんに誠心誠意詫びて西瓜の一つも買ってやりなさい」
そう言い残して医者は帰って行った。助手の女がくすくす笑いながら築炉に「おだいじに」と声をかけていた。なんだよ、と鋼鐵塚は思う。
人がいなくなって急に静かになった縁側で、鋼鐵塚はごろりと横になると築炉の膝を枕にする。築炉は何も言わずに鋼鐵塚の頭にそっと手をおいた。あれほど熱かった手が、いつもより少しぬくい程度になっている。
「ご心配おかけして……」
「なんで暑いからどけろと言わねえ。俺が寝てたらぶん殴ってでも起こせばいいだろ」
「それは、」
「こんなことでぶっ倒れてちゃ世話ねえよ」
「殴るのはちょっと……」
「勝手に死ぬな、ばか」
「ごめんなさい」
「死ぬときは一声かけろ、冥土から引き摺って連れ帰るから」
ふふふ、と築炉は笑う。
「二度目ですね」
「何度でもだ」
むすっとしたまま言う鋼鐵塚の肩を、築炉は何度も撫でた。
それから二日、限度を知らない鋼鐵塚に嫌というほど西瓜を食べさせられ、築炉が西瓜嫌いになる頃には、里中で「鋼鐵塚が築炉さんを抱き潰したらしい」「この暑いのによくやる」と散々な話の種になっていた。