花語り



 禰豆子のために築炉は部屋中の雨戸という雨戸を閉めきり、昼日中だというのに灯りを点した。すみません、と恐縮する炭治郎に、築炉はにこにこと笑って「私も禰豆子さんとお話ししたいから」と首を振った。
 お茶とお菓子が供され、炭治郎はそれに手をつける。可愛らしい薄紙に包まれた干菓子を口の中で溶かしながら「これ美味しいです」と言うと、築炉は嬉しそうにして「蛍さんのお土産なの」と言った。
 炭治郎は「じゃあ鋼鐵塚さんにもお礼を言わないと」と答えながら、心の内で「鋼鐵塚さん、そんなことするんだ」と思った。連れ合いに菓子を買うことがあれほど似合わない男もおるまい。
 背負い箱が中からきしきしと音を立てる。禰豆子が這い出し、築炉の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄った。小さな手が築炉の細い指先を掬う。

「禰豆子さんに、みてほしいものがあるの」

 築炉は畳紙を持ち出し、床に広げる。

「炭治郎さんからのご注文なの。どうかしら、禰豆子さんのお着物」

 禰豆子は目をくるくると丸くした。
 築炉が里で和裁の依頼を受けているのだと聞いたとき、炭治郎は築炉に、禰豆子の着物を一枚注文した。築炉は快諾しお代はいらないと言ったが、炭治郎はそれを押し切った。築炉は少し笑って「そうですね、鬼狩りとして立ち働いていらっしゃる炭治郎さんからお金を取らないのは失礼でした。ごめんなさい、ついつい子供のように扱ってしまって」と眉尻を下げた。
 思いやりのある聡い人だと思った。「なんでこんな人が鋼鐵塚さんの奥さんに」とも思うし「このくらい出来ていないと鋼鐵塚さんの奥さんは務まらないのか」とも思う。
 築炉はしつけだけした着物を広げる。薄暗がりでもぱっと目に鮮やかな真っ赤な生地に、浅葱色と黄色の大きな八重咲きのセイヨウソウビが咲いている。

「娘さんはこれくらい華やかでないと。針が付いているから気を付けてね、刺さらないように……」

 築炉はそろりと着物を禰豆子に着せかけた。

「素敵ね、華やかね、とってもモダンですよ。なんて可愛らしい」

 雨のように褒め言葉を降り注がれ、禰豆子は分かっているのかいないのかふわふわと微笑んでいる。
 築炉もまるで我が子を見るように目を細め、胸の前で手を合わせた。炭治郎は築炉の横顔を盗み見る。鬼に我が子をも食い殺されたのだという築炉は、幼い姿の禰豆子に亡き子の面影を見ているのかもしれない。
 築炉は着物の衿のあたりを少し直した後、炭治郎の方に顔を向けた。

「どうです、炭治郎さん」

 炭治郎は何か言おうとして口を開け、そのまま喉の奥で何かが詰まったかのようになって何も言えなくなってしまう。赤い着物の禰豆子を見つめながら、炭治郎は頬を涙が伝うのをぼんやりと感じた。
 禰豆子がおろおろと目を移ろわせ、築炉は困惑したように眉を下げる。
 ずっと禰豆子に着物を作ってやりたかった。今思えば平穏で幸せに満ちた生活で、炭治郎はそんなささやかな不満をずっと気にかけていた。
 今、炭治郎は全ての安穏と幸福を引き換えに禰豆子に着物を贈る夢を叶えた。鬼を斬った対価で禰豆子に着物を作った。真新しい今風の着物を着た禰豆子は綺麗で、それがいっそう炭治郎を堪らない気持ちにさせた。

「どうしましょう、柄が派手過ぎましたか」

 見当違いのことを言う築炉が少し面白くて、炭治郎は吹き出して笑う。目元を拭い、首を横に振った。

「いえ、すごく素敵だと思います。ありがとうございます、良かったな禰豆子」

 禰豆子は心配そうにしながら炭治郎に歩み寄り、濡れた頬に触れる。

「ごめん、ごめんな禰豆子、大丈夫だから」

 炭治郎は禰豆子を抱きしめる。指先をまち針が引掻き、ちりりとした痛みが走る。いた、と炭治郎が小さく呟くと、築炉は炭治郎に指先を見せるように言った。
 炭治郎はきまり悪くて肩をすくめる。

「す、すみません、針に気を付けてと言われていたのに……」
「禰豆子さんにはね。炭治郎さんには言い忘れていました」

 築炉は炭治郎の手の赤い引掻き傷から血も出ていないことを確認すると、安心したように炭治郎の手を撫でた。

「大切にしないと。刀を握り、禰豆子さんを守る手ですよ」

 炭治郎が笑いながら「鋼鐵塚さんの刀ですしね」と言うと、築炉もふと微笑んだ。
 築炉は禰豆子に着物を脱がせ、角を揃えて畳みながら遠慮がちな伏し目を炭治郎に向けた。

「私、炭治郎さんに聞かなくては聞かなくてはと思っていたことがあって――」

 炭治郎は「なんでも聞いてください!」と胸を張る。築炉はしばらく言い淀んだが、いかにもおそるおそると言った風に小作りな唇を開いた。

「蛍さんは、炭治郎さんにご迷惑をおかけしておりませんか」

 そう問われ、炭治郎は何と答えることも出来ず口の中で「あえう」と奇妙な声を上げる。それだけで築炉は全て察したように悲しそうな顔をした。

「ああ、やっぱり……」
「あ、ちが……その、あの……ぎぇ、ぐ、ぐう……」

 嘘の吐けぬ炭治郎は何と言ったらいいか分からず苦しげなガ行を漏らすだけになる。築炉は畳紙の紐を結わえながら、肩を落とした。

「本当に申し訳ないばかりで。私が強く言えないのがいけないのです」
「え、ええー!? いやいや築炉さんは全然悪くないですよ! 鋼鐵塚さんを甘やかしすぎじゃないですか!?」

 築炉はしおしおと口元を手で覆う。

「長にも何度か蛍さんをどうにかしろとお叱りを受けているのですが」

 そうなのか、と炭治郎は目を丸くする。でもそれはひどいような気もする。本人に伝えるべきではないか。聞き入れるかは別としても。
 築炉は眉をひそめて胸が苦しいような顔をした。そういう顔をしているのが妙に似合う女性である。

「蛍さんは一生懸命刀を作るのですよ。蛍さんが刀の話をしているときの顔があんまり真剣だから、そう怒るなとはどうにも強く言えなくて……」

 言うことは言っているらしい。だが築炉の細い声でいかにも控えめに「剣士様を追い回すのは控えてくださいな」と言ったところで、鋼鐵塚が聞き入れることはないような気がする。そもそも築炉がどうこういうよりも基本的に鋼鐵塚は誰の話も聞かない。

「作ったものを粗末にされる悲しさは分かりますから」
「えっ、」

 炭治郎は禰豆子の着物に視線をやってしまう。築炉は肩をすくめて笑った。

「着物は着られてこそでしょう。解れたり破れたりしたくらいで追い回したりはいたしませんよ。持ってきていただければすぐに直しますから」
「よ、よかったです……」

 夫婦に揃って追われるのは嫌だ。

「刀だって使われてこそですのに……蛍さんの刀が、蛍さんが一生懸命なあまりに使われなくなってしまうのはとても悲しい」

 築炉はそろりと禰豆子の髪を撫でた。炭治郎は、怒り狂う鋼鐵塚の姿を思い出し、こんな優しい奥さんを悲しませるなんて、と心の中で憤慨する。
 そして、こうまで築炉が鋼鐵塚を思っていることが、炭治郎にはやはり不思議に思えるのだ。

「そう言ってあげればいいんじゃないですか」
「悲しいって? 言ったのですけどねえ」
「鋼鐵塚さんはなんて?」
「うるさい、って」

 ころころと築炉は笑う。その光景がありありと想像できて、炭治郎も笑ってしまった。

「でも、それからしばらくは厨から包丁を持ち出すこともなくなって、少しは聞き入れて頂けたのかとも思ったのですけど」

 炭治郎はしばらくとはどのくらい前だろうかと思う。炭治郎が知る限りでは鋼鐵塚がその蛮行を控えたという話は聞かない。
 築炉は息を吐く。

「ある日、蛍さんが刀を届けに行くときの荷物に忘れ物を入れていたら、荷物の奥に包丁を見つけてしまって」
「あ、ああー」
「私に内緒で剣士様を追いかけていたみたいで」

 鋼鐵塚は鋼鐵塚なりに築炉の気持ちに報いたいとは思ったのかもしれない。やり方がどうにも常人とは掛け離れているのだが。

「私には代わりに謝る事しか出来ないのですが、本当にごめんなさい」

 頭を下げられ、炭治郎はぶんぶんと首を横に振る。鋼鐵塚はともかく、鋼鐵塚夫人に謝られる理由はない。

「頭を上げてください! 築炉さんが謝るようなことじゃないですよ!」
「どうか炭治郎さんは蛍さんを嫌わないでいてくださいね。ちょっと奇骨な方ではあると思うのですけど、でも、とっても一生懸命炭治郎さんの刀を打っているので」
「それは分かっているので大丈夫です!」
「炭治郎さんは理解してくださっていてよかった」

 築炉はほっとしたように微笑んだ。それからむうと眉間に皺を寄せる。

「も、もし、もし本当に蛍さんをちょっと許せないと思うようでしたら……炭治郎さんにご迷惑をかけないようにと、なんとか伝えますので……」
「そのときはよろしくお願いします!」
「が、がんばります……」

 自信なさそうに苦しそうに築炉は何度も頷く。これはむりそうだなー、と炭治郎は思った。
 炭治郎は禰豆子の髪を撫でる築炉の横顔を眺めた。お茶のおかわりは、と問われ、お願いしますと湯呑みを差し出す。湯呑みにお茶が満たされるのを見ながら、炭治郎はついと顔を上げた。

「俺も、築炉さんに聞きたいことがありました」

 築炉はゆっくりとまばたきする。
 炭治郎は、常に胸に引っ掛かっていることを吐き出す。

「築炉さんは、鬼を憎いと思いますか」

 築炉は首を傾げた。
 鬼殺隊は、鬼への憎悪と復讐心で回っている。炭治郎は家族を食い殺し、妹を人ならざるものへと変質させた鬼を憎いと思う。だが、その妹自身が鬼で、鬼も元は人なのだと思えば、炭治郎は人を食う鬼どもを、どうしても心から憎めないでいる。
 築炉は家族を殺され、鬼を憎いと思うのだろうか。自身が鬼と成りかけながら。
 築炉はそうですねえと囁くように話し出す。

「だって、私もうっすら鬼ですものねえ」

 困ったように築炉は禰豆子に「ね」と問いかける。禰豆子は禰豆子でふうわりと微笑んだ。

「私は以前の家族を鬼に殺されてしまったのだけれど――」

 築炉はそこで言葉を切った。しばらく黙り込み、それから目を細めて炭治郎の方を見る。

「でも、そうでなければ蛍さんと一緒にはなれなかった」

 ふう、と淡く笑う。炭治郎は背筋が寒くなった。

「か、家族は――」
「前の?」
「……はい」
「死んでいます」

 開けてはいけない箱を開けてしまった気分だ。

「悲しくは……ありませんか」

 築炉は藤色の瞳で炭治郎の目を覗き込む。

「悲しいと思えないことが悲しい」

 それ以上、彼女は何も言わなかった。炭治郎も聞かなかった。

「炭治郎さんは、私のようになってはなりませんよ。禰豆子さんと助け合って、支え合ってください」

 築炉は禰豆子に笑みかける。禰豆子ははたはたと目を瞬かせ、じいと築炉を見上げた。

「人の生き方が変わるのは、鬼のせいだけではない。鬼のせいで変わったとしても、全てが悪いものとも限らない。人を食べる生き物が人に与える影響は、きっと人が思うほど大きくはない」

 ああ、と炭治郎は呻く。築炉の手が、形を確かめるようにそっと炭治郎の肩に置かれる。

「ただきっかけにすぎないのです。石に躓いたからといって、全ての石を憎まなければないわけではないでしょう」
「――はい」

 炭治郎はきつく目を閉じ、頷く。目蓋の向こうで築炉が微笑む気配がした。

「まあうすら鬼の私が言っても言い訳のようで格好がつきませんけど」

 築炉はほろほろと笑った。

「う、うすら鬼……」

 その間抜けな語感に炭治郎は何とも言えなくなる。

「築炉さんは、鋼鐵塚さんと結婚して、その、幸せですか」
「ええ、そうですね、そう思いますよ」

 そうですか、と炭治郎は呟いた。それから、薄暗くてよく見えなかった築炉の着物の柄が細かな藤文様であることに気が付く。

「築炉さんは、いつも藤の花の着物を着ているんですね」

 なんとはなしにそう言うと、築炉は己の着物の袖を摘み上げた。

「前は藤の花が好きで、一度蛍さんに藤柄の着物をねだったことがありました。でも、こうなってからは毎日たくさん藤の花を口にしなくてはいけなくて――今でこそ胡蝶様が飲みやすく丸薬にしてくださいますけど、はじめのうちはそのまま食べていて、つらくてつらくて、藤の花なんてもう見たくもないのですけれど」

 築炉は袖を摘み上げていた手を離す。薄桃色の地に濃い青色でころころと文様化された藤の花が可愛らしく描かれている。

「でも、蛍さんは衣替えのたびに必ず藤柄の反物を買ってきてくださるので、藤の花は嫌いだとも言い出せず、私の箪笥は藤柄の着物ばかりになってしまいました」

 鋼鐵塚が築炉に季節ごとに反物を買っているなんて、意外すぎて言葉もない。この可愛らしい色柄を、あの人が選んで買っているのだろうか。

「……優しいんですね」

 鋼鐵塚が気分を害さないように、好きな柄でないことを黙っている築炉のことをそう言ったつもりであったが、築炉は嬉しげに目元を和ませた。

「ええ、優しい人ですよ」

 鋼鐵塚は築炉が藤の花を嫌ってしまっていることも気が付けずに、愚直に築炉に藤柄の反物を贈り続ける。築炉は何も言わずに嫌いな花の着物を仕立て、身につけている。なんだか馬鹿馬鹿しい気もするが、この二人らしいとも思った。