栄耀、静寂、快楽(一)



※男主

 抹香臭い風に鼻唄が乗る。なんという歌であったか、覚えていない。歌詞すら定かではなかった。耳で聞いた旋律だけが脳裏にこびり付いている。
 ある山の麓には樹海のように墓石が林立している。その全てが鬼殺隊士の物であった。風雨と時間によって刻まれた字はおろか石の角まで取れたころんとしたものから、昨日刻まれた真新しいものまでおびただしい数の冷たい石が立ち並ぶ。
 その下に眠る者が納得尽くであるのかは分からない。興味もない。街一つ死に絶えたのかというほどの墓の中を、鼻唄交じりに片手に刀を提げてうろついている。



 母親の胎にいたときの記憶があるのだ、と銀四郎は言った。鋼鐵塚は箱から取り出した日輪刀に運ぶ途中で傷などついていないものか見分しながら鼻を鳴らした。

「莫迦言ってんじゃねえ」

 銀四郎は笑う。

「本当ですよ。本当にあるんだ」
「なんだ、言ってみろ」
「赤い蛇がね、集ってくるんですよ。ぞろぞろとね」

 銀四郎はそう言った。鋼鐵塚は面の下で顔をしかめる。

「そんなことがあるものかよ。夢でも見たんだろう」
「赤子の時分の夢を?」
「女の胎の中に蛇なんていねえ」

 鋼鐵塚の言葉に、銀四郎は目をきゅうと細めた。

「そうですねえ、ははは、まあ、そうだ、はははは」

 鋼鐵塚の差し出した日輪刀を受け取り、鞘を払う。冷ややかに光を映していた鋼色の刀身が、錆びつくように朱殷に染まる。ふ、と銀四郎は口の端を上げた。

「色変わりは何度見ても綺麗ですね」
「肺病み爺の吐いた血みてえな色に変えやがって、気に喰わねえ」

 漆を塗りこめたような深い赤を、鋼鐵塚はそう腐した。鋼鐵塚が好むのは灼けるような赤色だ。暗く沈むような紅色ではない。
 銀四郎は鋼鐵塚を見下ろし、苦笑を浮かべながら首を傾げた。

「本当は緑の刀身が良かったんですよ」

 銀四郎は囁くようにそう言う。鋼鐵塚は刀身の色をじっくりと眺めたまま適当に生返事を返した。こいつの使う呼吸の流派はどこであっただろうか。

「美しい淡い白緑の、真珠のような艶を帯びて、月の光を浴びて燐光を帯びたように輝く――」

 見たように銀四郎は言う。鋼鐵塚はその刀の色に覚えがあった。

「俺の打った刀だ」
「知っていますよ」
「最近打ってねえな」
「ははは、持ち主が死んでますもん」

 銀四郎はあっさりとそう口にした。鋼鐵塚も「ふうん」とだけ答えた。たった一年で何人の隊士が死ぬかなど、鋼鐵塚は数えようと思ったことはない。その一年を、十重二十重と繰り返している。

「おれの前でね、鬼に食われましたよ」
「あの刀を最後に打ったのは、お前の刀を打つより前だ」
「そう……そうですよ、おや、鋼鐵塚の旦那には言っておりませんでしたっけぇ」

 く、く、と銀四郎は含みのある笑い声を溢す。納めた刀を抱えながら蛇のように体をくねらせた。

「おれは、その刀を見て、あんまり綺麗で、どうしても欲しくなっちまって――」

 鋼鐵塚は顔を上げる。かち合った視線がきりきりと鋼鐵塚を穿つ。

「探したんだ」
「何をだ」
「あんたを」

 長く骨張った指が鋼鐵塚の胸元を突いた。鋼鐵塚は己の胸元を見下ろし、次いで銀四郎を見る。

「探してどうする」
「分からない」
「見つかったのか」
「探していたら、見つかっちゃって、捕まったんですよ」

 そう言って銀四郎は隊服の裾を抓んだ。鋼鐵塚は鼻を鳴らす。

「笑える話だ」
「夢にまで見た鋼鐵塚蛍の刀で、大義名分の赦しのもとヒトサマが斬れる」
「鬼だろ」
「はは、まあ、そうとも言いますね」

 銀四郎は刀を鞘に納めた。
 鬼殺隊に入る者の原動力は鬼への強い憎悪だ。少なくとも鋼鐵塚の知る限りはそうであった。この男は鋼鐵塚の刀を手にしたいというだけで過酷な鬼殺しに身を投じることを決めたのだという。
 だが銀四郎の言うことであるから、どこまで本気であるか分かったものではない。
 鋼鐵塚は銀四郎の方に向かって指を曲げた。「こっちへ来い」と合図され、銀四郎はひとかけらの警戒心もなく鋼鐵塚の方に一歩進み出た。鋼鐵塚は銀四郎の胸倉を掴み上げる。

「俺の刀で人を斬ってみろ、お前を膾にして川に流してやる」
「……旦那、そりゃ矛盾ってもん――ああ、分かった分かった分かりました、人なんか斬りませんって。おっかないんだからなァ、もう」
「鬼殺しの刀で人っぽっち斬るのはもったいねえ、俺が許さん」
「あっ、そっち、そういう。はは、そうですねえ、おれやっぱり鋼鐵塚サン好きだな」

 気色の悪いことを言う。鋼鐵塚は突き放すように手を離した。銀四郎はよろめくでもなく襟を直し隊服の皺を伸ばした。

「正味な話ね、おれは鋼鐵塚の旦那の打った日輪刀を拾って――人生変わってんですよ。やだね、影響力のある男は。自覚のないならなおさら」
「なんだお前、気持ち悪いな」
「拾った刀があんまり綺麗で、塗っているのかと思ったら折れた刀の断面まで淡い緑色できらきら光ってて、おれはね、このままだと色褪せちまうんじゃないかって心配になって、小さい欠片をひとっつ飲み込んだんですよ」
「なんだお前、気持ち悪いな」
「ははは、女の胎に赤い蛇はいねえが、おれの肚にはあんたの刀の欠片が入ってるよ、あははは」
「なんだお前、気持ち悪いな」

 鼻白んだように肩を竦める銀四郎の顔を、鋼鐵塚はまじまじと眺める。

「なんだお前……気持ち悪いなあ」
「そんな駄目押しするこたないだろ、旦那」

 ひでえな、いじわるだ、と銀四郎は悲しそうな顔をして、袖で目元を拭う仕草をした。気持ち悪いな、と思った。