栄耀、静寂、快楽(終)



「おれ、人を殺したことがあるんですよ」

 と、銀四郎は「昨日の夕飯は筑前煮だった」と変わらぬ口振りで言った。新しい日輪刀を受け取り、刀身が朱殷に染まるのを眺めながら「ああそういえば」という前置き一つでそう口にする。
 知ってる、と答えると、銀四郎は刀身を蕩然と見つめていた目をすいと鋼鐵塚に向けた。

「何人だ」
「七……いや、八かな」
「ふうん、意外と少ないな」

 鋼鐵塚が言うと、銀四郎は目元に喜色を滲ませる。それからいつものように芝居がかって口元に手をやった。

「ほんと? よかった」
「お前、ろしや帰りだろ」

 銀四郎が日露戦争の帰還兵であるということは、表立っては口にはされないが誰もが知っていた。銀四郎はちょっと眉を上げる。

「おっどろいた、旦那、刀のこと以外も記憶できんのかい」
「馬鹿にしてんのか、テメエ」
「あ、やだ、怒んないでよ、褒めたんですよ」

 褒めてはいないだろう、と思うのであるがそれ以上は追及しない。面倒くさいからだ。銀四郎は激戦地から命辛々生き延びたとも思えぬ腑抜けた面を鋼鐵塚に向けた。

「はは、露助は物の数にいれてないです」
「あ、聞きたくねえ」
「出征の前に七人、帰ってから一人だなあ。もちろん隊士になる前ですよ。ん、いや、待っとくれな、――おれをさんざ嬲った将校を帰り際に殺したのは計上したほうがいいかい?」
「知るか、好きにしろ」
「じゃあ八人」
「末広がりでめでてえな」
「そうだろ、さすが鋼鐵塚の旦那は分かってる」

 人を殺めるのが好きで好きでしかたないなら、兵士は天職であったろう。なぜ満期を待たずに除隊したのだ。訝し気な鋼鐵塚の視線に、銀四郎は刀を納めるとけらけらと笑った。

「おれね、団体行動が向いてないんですよ。志願兵で一番年下で何かと目を付けられて、上には虐められるし、同期には弾除けにされるし、最悪だったなあ。ははは、殺しなんて強要されるもんじゃないよ、ほんとサ」

 よくもまあこんな男を鬼殺隊士にしたものだ。上の考えはたまに分からない。
 銀四郎はふと真顔になる。

「鋼鐵塚サン、おれは三十年式歩兵銃を持ってたし、手榴弾だって使ったし、このへんに露製の砲弾の欠片が入ってるけど――」

 銀四郎は胸のあたりをとんとんと指でついた。

「でも、あんたの作った刀がこの世でいっとう強くて美しい武器だと思ってるよ」
「当然だろうが、何言ってんだ」

 鋼鐵塚が銀四郎の頭を拳で殴ると、銀四郎はしばらく目を丸くしていたが、くすくすと肩を震わせた。

「エヘ、おれ鋼鐵塚の旦那好き」
「気持ちわりいこと言うんじゃねえ」
「おれのためにいっぱい刀を作ってくださいね」
「お前のために作った覚えはねえ」
「あ、いぢわる」

 銀四郎はぞろりと鋼鐵塚の面を手の平で撫でた。目穴から差す光が失われ、面の中が薄暗くなる。

「おれなんかね、ぶっ壊すことしか出来ないの。女のひり出したもん全部あの世にぶち込んで、それが男らしくあるよすがだと思ってた。あんたは産む男なんだね、どうしてだろうね、羨ましくてしょうがないんだ」

 鋼鐵塚が覚えている限り、それが銀四郎の最期の言葉であった。
 使い手が死んだ、と鋼鐵塚のもとに返還された日輪刀は、暗く沈む朱殷の色をしていた。持ち主を失っただけでその刀身は匂うような艶めかしさをも失い、本当に錆びた鈍のようであった。
 鋼鐵塚は舌打ちをして刀を取り上げる。欠けどころか、血曇りのひとつもなかった。最期の最期で己の刀が役に立つことはなかったらしい。

「一太刀も入れずに死にやがったのか、口ほどにもねえ」

 鬼狩りなんてそんなものだ。強くとも弱くとも、気紛れに吹いた風が稲を薙ぎ倒すように呆気なく死んでいく。
 刀を鞘にしまう。これはもう日輪刀ではなかった。日輪刀の死骸だった。

 鋼鐵塚はその足で鬼殺隊士の墓苑に向かう。
 抹香臭い風に鼻唄が乗る。なんという歌であったか、覚えていない。歌詞すら定かではなかった。耳で聞いた旋律だけが脳裏にこびり付いている。
 ある山の麓には樹海のように墓石が林立している。その全てが鬼殺隊士の物であった。風雨と時間によって刻まれた字はおろか石の角まで取れたころんとしたものから、昨日刻まれた真新しいものまでおびただしい数の冷たい石が立ち並ぶ。
 その下に眠る者が納得尽くであるのかは分からない。興味もない。街一つ死に絶えたのかというほどの墓の中を、鼻唄交じりに片手に刀を提げてうろついている。
 真新しい墓の真新しい卒塔婆に、生き生きとした濃い墨で「吠日院落獄信士」とふざけた戒名が綴られている。あの男の墓に違いがなかった。そうでなければあんな奴がこの世に二人といることになる。そんなことがあるはずなかった。
 あの男はご丁寧にも己の戒名を決めて、同期に託けていたらしい。
 鋼鐵塚は墓の前に敷き詰められた玉砂利に刀を突き立て、鼻を鳴らした。やりたくはないが、宣言した手前死んでちゃらというわけにもいくまい。墓の前で三秒ほどくねくねと奇妙な動きをする。盆踊りのつもりであった。
 それからさっさと踵を返す。ああ、くそ、きっと己は赤い刀を打つたびに、あの男のにやけたツラを思い出すのだ。