吹き散ずるは、我が脳漿よ、血よ、肉よ(中)



 かつて粋と張りを売り物にした辰巳芸者も今は廃れ、冗談のように前髪を膨らませた女たちがモダンな着物に身を包み男の視線を集めていた。
 歴史ある遊郭の見世が取り壊され、西洋風建築のカフェーがぽつぽつと人気を博し始めている。舶来の椅子に腰かけほっそりとした足首をこれ見よがしに男に向ける女は、断髪に洋装姿であった。その物珍しさに人々は足を止めた。
 当世風の吹きすさぶ歓楽街の真ん中に比べれば、大川堂の周囲は百年前と変わらず陰気で煤けて淀んだ水のにおいがした。
 大川堂は骨董屋とは名ばかりの質屋同然の古物買取商である。花街の隅の隅、堀に転げ落ちそうなほどの片隅で、女に入れあげた男、はたまた男に入れあげた女から、端金で古物を買い取っては右に左に転がして糊口を凌いでいる。
 大川辰夫は大川堂の三か四、或いは五代目であった。大川堂はどこか名のある古物商で目利きを学んだ辰夫の曽祖父が開いた店ではあるのだが、途中で店が人の手に渡ったり、店主であった伯父が失踪したりと錯綜している。
 こんな場所で困窮した人間の足下を見る金貸しじみた商売をしていれば、普通でございと胸を張る人間様にはとてもしたことのないような経験をする羽目になる。たとえば、隣家の可愛い坊ちゃんが数年前にこの街を騒がせた連続殺人の下手人であるとか――
 辰夫は数年前より大人びた銀四郎が、変わらぬ人懐こい笑みでにこにこ笑うので、その顔に盛り塩の塩を引っ掴んで投げてやる。銀四郎は台の影にひらりと隠れた。長らく放置されていたせいで円錐に固まっていた塩が台に当たってぱっと砕ける。

「この腐れ外道、露国でおっ死んでくれたとせいせいしてたのに」
「あはは、やだやだそんなこと言って、会いたかったくせに」

 着物の袖をついと目元にやり、さめざめと泣き真似をしながら軽口を叩いた。辰夫は鼻を鳴らす。ついこの間まで街角で鼻を垂らしていた糞餓鬼が、いっぱしの口をきく。

「テメエが俺にしたこたァ忘れてねえぞ」
「覚えててくれてうれしい」

 この男が持ち込んだ煙草入れやら櫛やらを買い取ったところ、件の連続殺人の被害者の持ち物ではないかと警察に目を付けられた。知らぬ存ぜぬで押し通したが、あやうく店も続けられぬところであったのだ。
 そのことを一言も詫びもせず、銀四郎はさっさと陸軍に入隊してしまった。露西亜に出兵した、とは風の噂で聞いた。どの戦地に行ったのか、生死の如何までは耳に入ってはこなかった。死んだものだとばかり思っていた。
 それをまるで昨日振りかであるような顔でつるつると暖簾をくぐるものであるから、すわ亡霊かと肝が冷えた。

「なあ、おれの家、知らねえおっさんが住んでたんですよ。びっくりしたな」
「空き家転がしとく方が悪い」
「おっさんに何か言っててくれても良かったんじゃないですか」
「ふざけんなよ、面倒くせえ」

 銀四郎は肩を竦めて笑うと記帳台にずいと身を乗り出した。男にしてはほっそりとした、だが骨張った指が辰夫の手の甲に触れる。そういうところが厭になるほど母親に似ていて胸糞が悪くなる。

「たつサン、お願いがあるんです。聞いとくれな」
「テメエから物は買わねえぞ。何掴まされるか分かったもんじゃねえ」
「はは、あはは、違うよ、そうじゃない。それに、あれは不幸な事故だって。おれは堀をさらってたら金になりそうなものを拾っただけ。それが殺人被害者の持ち物だったなんて、売っ払っちまって悪いことしたよ」

 いけしゃあしゃあとそう言う銀四郎の顔はほんの少しの罪悪感めいたものと痛ましげなもので顰められている。演技には見えない。そうだと認めたことはない。だが辰夫はこの男こそが下手人であると確信に近いものを抱いていた。
 被害者の持ち物を持っていたからではない。こいつはそういうことをする奴だからだ。
 銀四郎は帳面台の上に風呂敷包みを置くと、まるで壊れ物を扱うかのようにその結び目を解いた。風呂敷の中には本当に「壊れ物」が入っていたので、辰夫は眉をひそめる。日本刀であった。刀身が折れ砕けている。
 破片の一つを摘まんで光に翳す。光の加減か目の錯覚か風呂敷の色が映り込んだものかと思っていたが、その欠片は確かに淡い白緑を湛えている。
 玩具か土産物かと刃に指を添えると、痛みを感じる前に指先がすっぱりと切れた。滲む血を見下ろし舌打ちをすると、銀四郎はにやにやと笑って辰夫の目を覗きこむ。

「これ、誰が作ったのか知りたいんです」

 おねがい、と甘えた声音で銀四郎が言った。女物の着物を着せられていた子供時代と変わらぬ素振りで甘えられるとどうにも弱い。今ではこんなだが、幼い時分の銀四郎は本当に大店の半玉と見紛う程愛らしかったのだ。どこで何を間違えてこうなってしまったのだろう。――それでもあの花柳病と阿芙蓉膏薬で脳まで腐れたような母親に育てられたにしては、十分に真っ当かもしれない。

「変わった色の鋼だな、――鋼かい、こりゃ」

 辰夫は折れた刃と柄を検分する。柄がぱりぱりと乾いた膠のようなもので汚れていた。それの正体を知りたいとは思わない。

「かなり新しい物だ、骨董としての価値はないぜ」
「はは、おれァ真っさらな新品の方が好きだから、古い物好きってなぁ分かりませんよ。新しいに越したこたァない」

 外した目釘で銀四郎の額を小突く。

「ばか、おめえ、このご時世に新しい刀なんか作ってるとこがそうあるかよ」

 そう言うと、銀四郎は薄い唇をにいと横に引き伸ばした。

「へえ、じゃあ、案外すぐ作った人が分かります?」

 辰夫は黙って柄の目釘を外した。柄から外した刀身の茎に刻まれた銘を検める。荒っぽい深い刻印で「鋼鐵塚」と彫ってある。

「なんだ……こりゃなんて読むんだ」

 聞かぬ銘である。数寄者の土産か好事家が作らせた模造品かは知らぬが、こんな無銘を彫ってどうする。
 刀身を裏返すと、数字が彫り込んであった。銘を刻んだ者と同じ人間が刻んだらしい。直線的な刻印で、今日からおよそ四ヶ月程前の日付が記されている。不自然なほどに新しい。
 今日日、日本刀などを拵える鍛冶場がそうあるとも思えない。作るとすれば儀礼用か観賞用か、どちらにせよ四ヶ月でへし折るような使い方を想定してはいないものだ。
 その点、今手の内にある刀の残骸は、かなり実用に寄っていると言えた。人間が構え、振り回し、何かを斬るための刀だ。背筋にうそ寒いものが走る。

「銀四郎、テメエ、どうして作り手が知りてえんだ?」

 辰夫が美しい刀身からついと目を逸らして尋ねると、銀四郎は喉の奥で小さく笑う。

「きれいでしょ?」

 銀四郎は熱を帯びた目をうっとりと細めてそう言った。たしかに淡い緑に輝く刀身は美しい。この刀がどういう理由で作られたものかは知らないが、世の中にはこういうものを好む洒落者もいるのかもしれない。

「あんまりきれいだから、どんな奴が作ったのか気になっちゃったんです」
「そりゃあ、刀鍛冶だぜ? 熊みたいにデカい禿親父に決まってらぁな」

 辰夫が言うと、銀四郎は一瞬憑き物が落ちたような顔をして、それから鼻白んだように眉を寄せた。

「ああ、おれ、これ作ったの、女の人だと思ってた」

 どこかふわふわとした口振りで、独り言のようにそう囁く。

「やだな、こんなきれいなモン、熊みたいな男が作ってるなんて。夢見させとくれよ」

 茶化すような声音に、隠せぬ痛みが滲む。辰夫は小さく溜息をついて、銀四郎の頭を撫でる。餓鬼でもあるまいに、なぜこんなことをしてやらねばならぬのだろう。
 銀四郎はいやがるでもなく喜ぶでもなく、当て処ない視線を辰夫に向けた。

「兵隊行っても野郎嫌いは治んねえのかい」
「別に嫌いじゃないよ、たつサンは好き。ふふ、この街で唯一女のマン汁で食ってない男だかんね」
「俺がその気になりゃ、どんな良い女も喜んで何もかも差し出すぜ」

 女郎の子など皆望まれずに産まれてくる。男ならば猶更。
 女が働き、女が稼ぎ、女が死に、男がそれを啜る花街で生まれ育った銀四郎が、己の性に昏い軽蔑を抱くのは必然であったのかもしれない。
 銀四郎は女と同じくらい男が嫌いで、男と同じくらい女を憎んでいた。だが男よりも女よりも銀四郎が忌み嫌っていたのは自分自身だった。

「そっか、男が作ってんのかい」

 こんなにきれいなのにね、と銀四郎は白緑の破片を摘まみ上げ、眉根を寄せて見下ろした。

「刀鍛冶は、男だろ」

 辰夫が素っ気なく言うと、銀四郎は淡く笑う。はた、はた、と伏し目がちな瞳がゆっくりと瞬く。

「よっぽど会ってみたくなった」

 銀四郎は風呂敷包みをがちゃがちゃ言わせながら辰夫の方に押しやると、ことりと首を傾げた。

「たつサンのお友達には、こういうのに詳しい人がいるんでしょ?」

 引き受けてくれるんだろうという態度が、また小憎らしくて気に入らない。辰夫は風呂敷包みを押し返す。

「俺ァ忙しいんだ。一銭にもならねえヤマはしねえ」

 辰夫がそう言って銀四郎を睨みつけると、銀四郎は昏い双眸をゆるりと細めた。血色のいい唇が穏やかに弧を描く。

「たつサンにおれの頼みは断れねえよ。おれは親父に瓜二つだもんなァ」


******


 辰夫が言うには、神楽坂の刀剣を主に取り扱う古美術商が、得体の知れない刀を一振り買い取ったのだという。
 あたりでは旧家で知られた商店の放蕩次男坊が持ち込んだもので、さぞ価値あるものかと期待したが無銘も無銘、しかもここ最近鍛造されたものであったらしい。趣向を凝らした包丁、と買い取った骨董商は嘯いていたという。
 ただし作りは見事の一言で、刀身は不思議と鮮やかな桔梗色に輝く。茎には荒っぽく「鋼鐵塚」の銘が刻まれている。よくもあの細い茎にこれほど画数の多い字を詰め込んだものだ――

 その話を聞いて、銀四郎は辰夫への礼もそこそこに聞かされた住所に向かった。而待庵と仰々しい墨文字の看板を構えた店主は、急に現れた銀四郎に怪訝そうな表情を隠そうともしなかった。
 自分は呉野という者で、大井堂で見習いとして勉強させてもらっている。ここで買い取った桔梗色の刃をした刀が素晴らしい出来だというので、ぜひ拝見させていただきたい。
 そう申し出ると、店主は銀四郎を頭から爪先まで、まるで贋作を見抜こうとでもしているかのように睨め回した。心地いい視線ではなかった。
 頬のあたりに笑みを貼りつける銀四郎に而待庵の店主は「大井堂? 聞かん店だね」と鼻で笑った。

「あの刀は、売りに来た若造の親が買い取っていったよ」
「返しちまったんで?」
「そりゃあな、こっちは提示した金額さえ支払ってもらえるならいつでも手放すさ。商売だからね」

 そのまま軒先の猫を追いやるように追い払われる。刀を売った家の場所を尋ねると一軒の薬問屋の場所と屋号を教えられた。

「近くまで行けば分かるさ。門柱に大きな藤の紋が入ってるからね」

 そう言って店主は早々に奥に引っ込んでいってしまう。
 銀四郎は大きな看板の下でさてどうしたものかとしばし着物の袖を摘んだり落としたりしていたが、まあとにかくその場所に行ってみようと思った。その放蕩次男を脅すなり宥めすかすなりすれば、何か有用な情報を搾り取れるかもしれない。
 俥や駕籠を使う金もないので、とぼとぼ歩くしかない。件の薬問屋のあたりに着く頃には、日が傾き掛けていた。
 教えられたとおりの店構えを探す。探すまでもなく立派な門柱には藤の紋が描き入れられていた。銀四郎はその前に立ち、中に声をかける。返事はない。これほどの大店で使用人や丁稚の一人もいないことはないだろう。
 違和を感じたのは、蹴破られたように半開きになった門扉にであった。触れると蝶番が今にも引き千切れそうな音を立てる。金具がいかれてしまっているらしい。
 銀四郎は開け放たれた門からするりと中に入る。洒落た洋風のドアーに、包丁が突き立っていた。銀四郎は眉を顰める。金持ちの間ではこういう門飾りがハイカラなのだろうか。
 ドアーをこつこつと叩く。応えはない。と、思うと扉が向こうから押し開けられた。中年の女が怯えた様子で銀四郎を見上げる。

「あ、どうも、牛沢と――」
「いま、たてこんでおりますの!」

 女はそれだけ言うと銀四郎の鼻先でドアーをぴしゃりと閉めた。締め切る前のドアーの隙間から、和洋折衷の廊下を走る洋装の男達が見えた。背中に滅の一文字を揃いで背負っている。そういう愚連隊か何かだろうか。洒落ているとは思えなかった。
 邸の奥から男の喚く声が聞こえる。それを取り押さえようとしている声も。なるほど、これは立て込んでいる。過激団体の内部抗争であろうか。
 銀四郎はドアノブを捻り、引く。重い金属音がして、それ以上戸板はびくともしない。錠がかかっている。
 そこに、窓枠を乗り越えて男が一人生け垣に落ちてきた。刈り込まれた木の枝から逃れようと藻掻く男は、銀四郎の姿に気が付くと悲鳴を上げた。

「やめてくれ、やめてくれ、殺さないでくれ!」
「なんだい、これっぱかしも覚えがねえよ」
「ヒイ、許してくれ、刀売ったのは悪かったよ! でも一円にもならなかったし、それに、それに――!」

 ああ、と銀四郎は笑う。これはどうにも僥倖である。笑いながら軽い足取りで男に近付くと、丸まった背中にどかりと座り込む。窓枠を乗り越えたときにどこか打ったものであろうか、男は大袈裟に悲鳴を上げた。
 しい、と銀四郎は唇の前に人差し指を翳す。

「何から逃げてるか知らねえが、静かにしとけよ。黙っておれの尋ねたことにだけ答えてりゃ殺しゃしねえ――おれはね」

 銀四郎は男の小指を空に向かって圧し曲げる。ぱきん、と軽やかな音がした。鳥を絞め殺すような悲鳴が耳を劈き、尻の下の肉が痙攣のように波打つ。

「騒いだら指を折る、分かったかい?」

 銀四郎の言葉も耳に入っていないものか、男はひいひいと泣き声をあげながらぶるぶると震える。銀四郎はぴんと空に向かって立った小指を踏み付けた。釣り上げられた魚のように男が跳ね上がる。

「返事が聞こえねえよゥ」

 男は手を胸の下に抱え込み、口の端から泡を吹きながらがくがくと首をもげそうなほど縦に振った。