吹き散ずるは、我が脳漿よ、血よ、肉よ(下)



 鍛冶の隠れ里へと向かう隠を付け歩くものがいる、という話は多少の衝撃を以て鬼殺隊の内部で共有された。鬼殺しの長い歴史の中で鬼が隠れ里を襲撃せんとしたことがないわけではない。
 だが、只人が隠れ里を追い求めたのは初めてのことだ。鍛冶師が日輪刀の製法を求めたか、実業家が猩々緋鉄鋼に目を付けたか、それとも珍奇を愛する好事家か。しかし銀四郎という男はそのどれにも当てはまらないらしかった。
 東京都江東区永代寺門前町の生まれ、母親は芸妓崩れの私娼で父親は記録には残っていない。子供の時分は花街で使い走りや喜助の真似事をしていたが母が亡くなり十七で陸軍志願兵として露国へ出征した。陸軍での評価は「協調性に欠け序列を軽んじ風紀に著しい悪影響を及ぼす」との一文のみで満期を待たずに除隊。それ以降の消息は知れない。
 そんな男がいったい日輪刀に何の用がある。そう悲鳴嶼が問うと、銀四郎は笑い声をあげた。血のにおいがした。血の腐ったようなにおいがする。いや、気配であろうか。首筋のあたりがひりひりと総毛立つ。
 産屋敷がこの男への尋問に立ち会うように言った理由が、悲鳴嶼にはうっすらと分かった気がした。

「だぁから、言ってるでしょ。あんまりきれいな刀を拾ったもんだから、出処が知りたくなったんです」

 ふふ、ふ、と罅割れた笑い声を上げながら銀四郎は言った。何が面白いのだろう。隠に目耳を塞がれ、用件も告げずに連れて来られたにしては奇妙なほどに落ち着き払っていた。
 場所は藤の紋の家の一室である。明かり障子は閉められ外は窺えず、室内には三人きりしかいない。
 悲鳴嶼は銀四郎の前に巨躯を縮こまらせ、その顔を大きな手で掴む。ぐ、と銀四郎は小さく呻いた。

「もう一度だけ聞く、何故隠達の後を付けた」
「何度でも言いますよ、雲水殿。こんなきれいな刀を作る男っていうのを一目見たかった」

 銀四郎は懐から布の包みを取り出し、畳の上に放る。白緑の刀身が無造作に投げ出された。
 触れた頬が強張ることもない。脈も変わらない。声音も平穏そのものである。真実を言っているか、病的な嘘吐きか、己の虚言を真実と思い込む才能があるか、いずれかだ。

「見て、どうするつもりだった」

 問うと、へらへらと弛緩していた頬がふと引き攣った。すぐに笑みが浮かぶ。

「さあねえ、そこまで考えてなかった」

 産屋敷がこほんと小さく咳をした。彼は近頃ますます体調が思わしくなかった。
 銀四郎は巴旦杏に似た形の目でちらと産屋敷を見、それから悲鳴嶼を見た。

「雲水殿、アンタ目暗なの?」
「――そうだ」
「そっちの子も?」

 無礼を咎めようとした悲鳴嶼は、背後の産屋敷が笑う気配を感じた。

「彼のように完全な盲目ではないよ。でも、いずれ見えなくなる」

 穏やかな声がそう囁いた。こちらも二十歳に満たぬと思えぬ落ち着いた声音であった。

「君は目がいい方かな」

 産屋敷は穏やかにそう尋ねた。銀四郎は首を傾げ、口の端を上げた。

「どうかな、でも、まあ、目端は利きますよ」

 産屋敷はするりと立ち上がると、悲鳴嶼に並び銀四郎の前に膝をつく。柄を外されたた刀身をほっそりとした手で拾い上げ、銘に指を滑らせる。

「この刀を打った鍛冶師に会うかい」
「ああ、……やだな、そりゃ何かを差し出させようってツラだ」
「ふふ、そうだね。鍛冶師には会わせる。そのかわり、その鍛冶の打った刀を使って鬼を斬ってほしい」

 そう言った。
 悲鳴嶼は弾かれるようにして身を起こし、産屋敷を盲目で睨みつけた。

「お言葉ですがお館様、この男、信用に値するとは思えませぬ」 
「だが彼には才能がある。余人には得難い才能が――」
「お館様、その男は――人を殺めている」

 それも大勢を。悲鳴嶼が言うと、産屋敷は沈痛げに眉を寄せる。

「分かっているよ」

 では何故、と反駁しかけた悲鳴嶼を、銀四郎が軽やかな声音で遮った。

「アンタ、産屋敷サンって言いました? どこかでお会いしたでしょ? どこだったかなァ」

 悲鳴嶼は鼻白み、産屋敷は虚を突かれたように沈黙した。それから産屋敷は常と変わらず応えた。

「私は滅多に外出出来ぬ体だからね。きっとよく似た誰かだろう」
「あら、そうでした? こりゃ失礼」

 悲鳴嶼は男の気配の方に顔を向ける。柔らかな物腰に、時折冷たいものが見え隠れした。
 そういう隊士は少なくない。鬼への強い憎悪が、不甲斐ない己への怒りが、そうせしめるものであろうか、極めて有能な者が多かった。
 だが、この男の冷たさは、憎悪にも怒りにも由来していないのではないだろうか。ふわふわと羽二重のように柔らかで、暗く淀んだにおいがした。

「君が入隊する前に住んでいた街で人死があったね」

 産屋敷が問う。銀四郎は目を細めて微笑んだ。

「そう、でも、よく人の死ぬ場所だった」
「二年間で五件の不審死。手口は共通、鈍器で殴り、首を落とす。――単刀直入に聞こう、君はいったい何人殺したんだい?」
「はは、産屋敷サン、おれ試されんの嫌いなの。アンタに許されようとも思わない。その義理もありゃしねえ」
「君の過去を如何するつもりはないよ。君の耐え難い破滅への衝動も、破壊への渇望も、誰かの安寧と幸福のために昇華するとこが出来る。そういう償いを提案しているに過ぎない」
「上手いこと言うんだもんな、おれには償うようなことなんか何一つありませんや。おれはね、なァんにもないの。だからそのきれえな刀が欲しくて欲しくてしょうがねえんだ」
「いいよ、君に刀をあげよう。刀を打った男にも会わせよう。そのために、私に君を信用をさせて欲しい。君は虚ろを愛しているが、その刀を愛する気持ちは本物だということは分かる。――君は何人殺した。それだけ、正直に、私に教えてくれ」

 ふ、と男は牙を剥き出すように笑った。

「四人、お袋入れりゃ五人。反吐を喉に詰まらせて勝手に死んでいくのを眺めていたのが殺しに入るのかは知りませんけどね」

 悲鳴嶼は口を挟む。

「しかし、不審死は五件であったはず」
「知りませんよ、どっかの莫迦が真似たんじゃねえのかい」

 産屋敷はしばし沈黙した。室内にひりつく静寂が満ちる。産屋敷は真正面から銀四郎の目を見つめ、銀四郎は真っ直ぐそれを見返した。

「――そう、話してくれてありがとう」

 はは、あは、と銀四郎は痙攣のように肩を震わせる。

「露国でさ、大勢露人を殺したよ。それは聞かねえの? アンタにとっちゃ、それは償う必要はないの?」

 銀四郎は一頻り笑うと、ねっとりとした目付きで産屋敷の姿を眺めた。温度のない、爬虫類めいた光を帯びた双眸が、無感情に産屋敷の表面を滑る。

「ああ、そっか、アンタ誰かに似てると思ったら、おれに似てんだ」

 銀四郎の言葉に産屋敷は困惑したように眉尻を下げ、首を傾げた。

「光栄だ、と言うべきかな?」
「いいや、怒るべきだと思いますけどね」

 銀四郎は端正な動作で立ち上がると、明り障子に近寄り開け放つ。ついと視線を外に向けると「いったいここはどこなんだよ」と小さく呟く。
 産屋敷がその背に声をかけた。

「条件は三つ、育手の修練を受け選別を突破すること、鬼以外を殺めないこと、他の隊士を害さないこと」
「――修練? なあ、まさかおれに仏道修行をしろってんじゃねえんだろ?」

 銀四郎は悲鳴嶼の方に視線をやりながら呻く。悲鳴嶼は産屋敷を庇うように立ち、銀四郎を睨み付けた。

「この男は己のさがを抑えることが出来ない。考え直してください」

 産屋敷が口を開く前に、銀四郎が肩を竦めた。口元に表情を窺わせぬ笑みを浮かべながら、昏い目が悲鳴嶼を見上げる。

「分かんない人だな、こちらの旦那は抑えなくていいって言ってんのに」
「人を殺めずにいられるのか」
「かわりに鬼を殺しゃあいいんでしょ?」
「人と鬼は違う」
「はァ、慈悲深いんですねえ。おれにとっちゃ変わんねえよ、人間の女の股座からひり出されて、食って糞して死ぬんだろ? 斬れば血が出て、ギャアと鳴くなら、そりゃ人よ」

 この男は知らぬのだ。鬼の恐ろしさを、その醜悪さを。あれが人であっていいはずがなかった。
 親しき者が、愛した者が、豹変し人の血肉を喰らうのだ。怪物と化したのだと思い込まねば立ち行かぬ。
 あれが人だと認められるほど、人は強くも優しくもない。理性を失い人を喰らう生き物を、昨日のその人と同じように思えるものか。己が明日はそうなるかもしれないという事実を、あるがままに受け入れられるものか。
 鬼を人の法の内に勘定するのか。人を殺す鬼は悪か。鬼が人ならそうだ。だが、我々は鬼が人でないから法の外で斬り殺している。化生が人を喰らうのは、果たして悪なのか。
 しかし人を喰らう生き物を、そのままそれとして自然の摂理を受け入れられるほど我々は慈悲深くはあれない。理性が感情を塗り潰すことはない。
 我々は正義ではない。怒りと苦悩と憎悪で動いているに過ぎない。私情と私欲の私兵でしかない。食われる前に殺すのだ。それだけだ。正しいかは分からぬ。しかし生きるとは、つまるところそういうものだった。
 人が弱い生き物であるがゆえに、鬼は醜い化物だった。
 誰もが抱える矛盾と誤謬を嗤う男が、悲鳴嶼には悲しい生き物に見えた。


******


 新人隊士の刀を打てと命を受けたときに、鋼鐵塚はそれに生返事を返した。特別に己だけ別室に呼び立てられ、説教でもされるのかと思えば次の刀の持ち主について申し送りがあった。そうであるが、鋼鐵塚はそれをほとんど聞いていなかった。己は刀を作るし、剣士はそれを使う。剣士の為人や人格の如何を気に留めたことはない。これからも気に留めることはない。
 鋼鐵塚が熱心に目を通したのは己が討つ刀を使う者の性別、身の丈、腕の長さ、扱う呼吸、それくらいであった。その男に関しては――新人のわりにとうが立っているな、と思った。
 不都合ではなかった。出来上がった体にならば、それにはそれなりの刀の打ち方がある。一度か二度しか己に刀を打たせぬ子供にばかり刀を打つのにも飽いていた頃であった。
 何度か通ったことのある育手の屋敷の前にさしかかると、門扉に男が寄り掛かって立っていた。遣いの者か、下働きか、あの婆、若い下男を置くとは、などと益体のないことを考えながら門前で足を止める。

「俺は鋼鐵塚という者だが――」
「そう読むのかい、アレ。一字余計じゃありませんか」
「新人隊士の刀を打ち、参じたが、銀四郎という男はいるか」
「おれですよ。剣士に見えませんでした? こんなにボロボロになっちまって、ほら、見てくださいよ、ここもあそこも痣だらけ。はは、脱ぎます? あはは」

 なんだこいつか話が早い、と鋼鐵塚はその場で荷を下ろす。

「そうか、これが日輪刀だ。俺が打った」
「あははは、アンタ、鋼鐵塚サン、こんなとこで風呂敷広げていいのかい? お巡りさんが来ちまうよ、いや、来ねえかこんな山ん中。旦那、よくもまあ遠いところまでご足労頂きまして。会いたかったんだよ」

 鋼鐵塚はそこではじめて男の顔を見た。黒目が大きい。その黒目を数度瞬かせて、銀四郎は鋼鐵塚の面の目穴を覗き込んだ。
 鍛冶師が初めて刀を運ぶ新人隊士は、大抵は疲労と重圧で青褪めた顔をしているものだ。中には最終選別で身体的、或いは精神的に打撃を受け使い物にならなくなるものもいる。刀を届けに向かうととうの隊士が臥所から起き上がれもしない、といったことはさして珍しくもなかった。――そういう場合、鋼鐵塚は隊士を蹴り起こし色変わりだけを確認してさっさと帰る。
 目の前の男はといえば、笑みを浮かべて鋼鐵塚を眺めていた。見るなら俺ではなくて刀だろうが、と思った。面の下で顔をしかめながら、刀袋から鞘に納められた日輪刀を取り出す。漆塗りの鞘が昼下がりの陽光を淡く反射する。

「猩々緋鉱石と猩々緋砂鉄を使った日輪刀は唯一鬼を殺す刀だ」
「んん、鋼鐵塚サン、思いのほかお若い? たつサン、熊みてえな爺なんて言いやがって、許せねえなあ。そう思いません?」
「使い手によって刀身の色が変わる。色変わりの刀とも呼ばれている」
「なあ、ちょいとそのヘンテコなお面を取っちゃくれねえかい」
「――テメエ、人の話聞いてんのか」
「聞いてますよ。鬼を斬る色の変わる刀だろ? おれがどれだけ待ち侘びたと思ってんです」

 銀四郎は懐から何かを取り出そうとする。鋼鐵塚はその懐に短刀の柄を垣間見、何とはなしに男の胸元に手を突っ込んだ。指先に手垢でつるつるとした柄の感触がある。それを引っ掴んで奪うと、銀四郎はつんのめって悲鳴を上げた。

「何すんだい!」

 抗議の声を無視して懐刀を見分する。古いものだ。道具にしては、の但し書きが付くが。
 鞘は湿気で膨れ上がり、歪んでいる。柄は見よう見まねで柄革を巻いたようなお粗末な出来だった。鍔はない。付けられていた痕跡はある。外して売ったものだろうか。刀身など見るべくもなかった。道端で売っている包丁の方がマシな代物に決まっている。
 物が悪ければ手入れも悪い。あちこち錆びつき、手垢か血か何かの染みがべったりと残っている。柄革など巻き直そうと思ったこともないのだろう。

「俺の前にこんな鈍ぶら下げてんじゃねえぞ!」

 どういう意図で作られたのかは知らぬが、刀とも呼べぬ鉄の棒だ。そんなものを、己が打った刀を使う男が後生大事に懐に仕舞い込んでいることは許しがたい。己の打った刀を使う男が、刀を大事に扱わぬことはもっと許しがたい。
 鋼鐵塚が吐き捨てると、銀四郎は不愉快そうにこちらに手を差し出した。

「手前が勝手にほじくり返してその言い草かい。返しとくれ、怪我したくないだろ」
「いやだ」

 銀四郎の眉間に不穏に皺が寄った。

「なんだと」

 鋼鐵塚は銀四郎を無視して懐刀を鞘から抜こうとした。ざり、ざりり、と雪駄に砂が入り込んだような不快な感触とともに鞘と刀身の間からぱらぱらと赤黒い粉が落ちた。
 曇り黒ずんだ刀身に、乾いた血と脂が纏わりついている。鋼鐵塚は舌打ちして、それを鞘に戻す。

「……返しなよ」
「いやなこった」
「なあ、おい、頼むよ、返しとくれな。怪我させたくないんだよ」
「いやだっつってんだろ」

 鋼鐵塚は取り上げた短刀のかわりに、日輪刀を銀四郎に押し付けた。

「いいか、それが本物の刀だ。こんな鈍後生大事に抱えるような不様は俺が許さん。四の五の言わずにさっさと抜け」

 鋼鐵塚はそれだけ言うと、小汚い短刀を助走を付けて邸の脇を流れる小川に投げ捨てた。ウワ、と背後から短く声が上がる。それは無視した。
 弧を描いて飛んで行った短刀は、ささやかな飛沫をあげて川面に沈んでいった。瞬きのうちに川面は何事もなかったかのように常の運行を再開する。
 鋼鐵塚は肩を怒らせて振り返ると、火男面越しに銀四郎を睨んだ。多少は怒るかと思っていたが、銀四郎は目を丸くして川面と鋼鐵塚を順に見た。

「アンタ、無茶苦茶だなあ」
「文句あんのか」
「――ははは、あははは、ねえよ、ねえよ、なぁんもねえよ。あはははは!」

 急に上機嫌に笑う男を、鋼鐵塚は怪訝に思う。
 銀四郎は柄に手をかけ鞘を払うと、刀をだらりと地面に下げた。血を吸い上げるかのように、切っ先からじわじわと暗い紅色に染まっていく。陽光に燦々と照らされる血の色の刀が、不吉なほどに美しかった。
 朱殷に変わった刀身の切っ先を鋼鐵塚に向け、銀四郎は口の端を上げた。

「なあ、鋼鐵塚の旦那、どう? こいつぁアタリかい?」
「知るか」

 役目を終えた鋼鐵塚が早々に荷を纏め始めると、銀四郎は刀を納めながら鋼鐵塚の横に立つ。

「次はいつ会いに行きゃいいの?」

 鋼鐵塚はそれを聞いて、銀四郎が日輪刀の手入れの頻度を聞いているのだと思った。新人は刀の手入れも儘ならぬくせに勇んで無茶をし日輪刀を駄目にすることが多い。それに比べればいい心がけだ、と内心でこのにやけた男を少し見直しさえした。

「鬼を一体斬ったら持って来い。どうせ碌に刀の手入れも知らねえんだろ」
「あは、鬼を斬ったら旦那に会い行くよ」

 銀四郎は心底楽しそうに笑った。