君死に給ふことなかれ



※「鬼の居ぬ間の」Ifの「奥様は鬼女」のさらにIf
鍛冶の里襲撃で死にかけている夢主の話


 瓦礫の下から引きずり出された姿の痛ましさに思わず目を背ける。色の白い顔にはささやかな血の気すら見当たらず、青褪めた唇が浅く遅く残滓のような呼吸だけを繰り返す。そのたび、胸の上の血だまりがぶくぶくと泡立った。
 ああ、これはどうにもならない、とその場にいる誰もがそう思った。自身も傷を負った鉄地河原は面の下で静かに「蛍呼びい」とだけ言った。
 凍えているのか、痙攣しているのか、震える手を握ってやる。力なく垂れるだけの手は何度も手の内を滑り落ちそうになった。

「しっかり、しっかりしろ、鋼鐵塚に、せめて……」

 最期のあいさつを。その言葉は胸が詰まったようになって出て来ない。
 この里の者ならば、あの平壊者の不器用者が、どれほどこの華奢でひ弱気な女房を大切にしていたか知っている。刀剣の事しか頭にないような瘋癲が、女房のことは刀の次に大切にしていた。
 刀の次だから、鋼鐵塚はこの非常時にあって妻より刀の研磨を優先した。きっとそれをこの人は、死の淵にあってさえ責めることはないのだろう。
 紫色の唇がわななく。何か言いたそうに開いたり閉じたりする。ごぼ、ごぼ、と泡立つ鮮血に掻き消される。口内に規則正しく並ぶ小さな歯が血で汚れていた。かすかに聞き取れたのは「おねがい」という短く痛切な一言だけであった。

「ああ、ああ、今呼んでやるから、もう少し、もう少しだけ……」

 失われていく体温を補うように手をさする。鋼鐵塚が愛しんで止まなかったほっそりと小さな手だ。その手を最期に握ったのが、せめて己ではないように。
 人垣がざわめき、割れる。顔も体も傷だらけの鋼鐵塚が、足を引きずりながら現れた。着物には血が染み込み、ぐっしょりと重たげだ。この男にも一刻も早い止血と手当てが必要である。
 だが鋼鐵塚はそんなことを気に留めたようでもなく、死に瀕した妻を見て慌てふためくでもなく、あの迷いのない足取りでずかずかと人を掻き分けてきた。
 萎れた菊のように頼りなかった手が、縋るように握りしめられる。裸足の足が地面を掻く。ごぼ、ぐぶ、と血泡を吹きながら、震える唇がたしかに「おねがい、いや、やめさせて」と魂切るように悲鳴を上げた。
 はっとして何かを言う前に、鋼鐵塚に脇腹を蹴飛ばされる。地面に転がされ、痛みに喘ぎながら鋼鐵塚を見上げる。この状況にあってぞっとするほど冷静な目は、火床の加減を見るのと変わらぬ色をしていた。
 鋼鐵塚は固唾を呑んで見守る周囲を一顧だにせず、小刀で己の手の平を切り裂いた。鮮血の迸る手の平で、もうほとんど呼吸もしていない女房の口を塞ぐ。何を、とその場にいる誰もが思った。その意図に気が付いたらしい鉄地河原だけが「蛍、やめえ!」と怒号を上げた。
 鉄地河原の叱責の残響が止むより早く、獣のような咆哮が耳を劈く。穏やかな死から無理矢理引きずりあげられた体が、抗うようにのたうっている。熔かした鋼のような色をした眼が鋼鐵塚を睨み、血の涙をつうと一筋だけ流した。