手淫より上、夢精より下
※性描写
築炉が着物の襟を直すのを見ていた。外はまだ日も暮れておらず、手入れの追い付いていない雨戸の隙間から細く朱色の光が差していた。温かな西日を受ける青褪めた膚が目に焼き付いている。
擦り切れそうな藍の襟を指先で摘まむと、築炉はふと手を止めて鋼鐵塚を見上げた。なんとなく腹の奥がぞわぞわして、鋼鐵塚は手を離す。通りの方から誰かの往来の気配がした。高い笑い声が通り過ぎていく。
いやなきぶんだ、と思った。おそらくそれは腹の底を震わす悪寒が自分に制御の利かない情動であったからだ。刀にまつわる激情を除けば、そういうものは大抵が苦手だった。意識的に無意識的に関わらず遠ざけてきた。
大小の火傷跡が残る二の腕にもう一度触れたいと思った。薄く漉いた紙のような生気のない肌にそう感じることが自身でさえ奇妙に思う。しかし、そう感じてしまったのだからどうにもならない。
ひんやりと体温を感じさせない首筋が、急に甘く湿っぽくにおう気がした。幻覚だろうかと鼻先を近付ける。すん、と息を吸うと、樟脳の強いにおいが鼻腔を満たす。うっすらと、淡く、女の肌のにおいがする。そんなものを幾度と嗅いだことはないが。
顔を近付けていた首筋に触れる。思っていた通りにひんやりとしているが、指先に触れた薄い肌は汗ばみ、とくとくと脈打っていた。
「なんだよ、生きてるんじゃねえか」
ぽつりと呟くと、築炉はわずかに肩を震わせた。伏せた目がついと逸らされ、鋼鐵塚は口を噤む。その言葉が気恥ずかしさと気まずさを押し殺すための虚勢であるという自覚がそうさせた。
しばらく伏せられた顔を眺めて、鋼鐵塚は鼻を鳴らして築炉の頬に手をやった。薄い頬を指先でつつき、摘まみ上げる。
そうするとおどおどと顔を伏せていた築炉が困り顔で鋼鐵塚を見上げることを、鋼鐵塚は短い共同生活の中で知っていた。
鋼鐵塚の思惑通りに顔を上げ困惑気に己を見上げてくる築炉の目を睨む。
なんて顔しやがる、と鋼鐵塚は内心で溢した。これではまるで虐めているみたいだ。別にそんなつもりはない。むしろ意思を無視して勝手に劣情を催させられて、不愉快なのはこっちの方だ。
口をへの字にしたまま築炉の黒瞳を見下ろしていると、築炉は再び目を伏せた。所在なさげにつくねんと床に座っている築炉の腕を引く。一瞬細い腕が強張ったが、すぐに諦めたように脱力した。落ちるように築炉の体が己の胸に寄り掛かる。髪留めに収まらない中途半端な長さの前髪が顔に落ちて目元を隠している。鋼鐵塚はそれを手のひらで掻き上げた。薄い眉のあたりを親指で撫で、ふと「あ、こいつ俺の女房だった」と思った。
めおとである。触れたところで何の咎めがある。鋼鐵塚はさっそく築炉の袖口から手を入れ、枯れ枝のように頼りない前腕を撫で上げた。肘の上のあたりから、引き攣るような火傷跡が指先に触れた。辿るようにそれをなぞると、築炉は身をすくませて鋼鐵塚の手から逃れようとする。鋼鐵塚は築炉の半幅帯の上端に指を引っ掛け引き寄せた。己の胡坐の中で膝立ちになる築炉を見上げた。築炉はただ不安そうに鋼鐵塚を見下ろした。
鋼鐵塚は築炉のきっちりと着付けた着物の膝のあたりから中に手を入れる。無遠慮な手つきのせいか、腿に触れた手が冷たかったせいか、築炉はびくりと身を震わせた。
「――あの、」
遠慮がちにそう言われる、手首のあたりをこしょこしょと築炉の指先が行ったり来たりした。
「なんだよ」
「あ、あの――」
「なんだって」
きゅ、と築炉の眉根が寄る。
「お外、明るいですよ」
「ああ? だからなんだよ」
「いえ……ああ、あの……」
腿の裏を手のひらでぺたぺたと触っていると築炉は黙り込んでしまった。閉じられた唇は薄い尻を撫でると何か言いたげに開いたが、すかすかとした息しか漏れ出て来なかった。
「ああ……でも、明るくて……」
「日のたけえのが俺にどうにかなるかよ」
触れた脚は見なくても分かるほど頼りない。だが腕より幾分か柔らかな脂肪ののった内股がたぷたぷとしていた。なめらかでひんやりした皮膚の上をすべる指先に、時折不穏な感触が引っ掛かった。
尻を撫で上げると帯にその先を阻まれる。鋼鐵塚は帯の下に手を捻じ込もうとしたが、己の大きな手は小指すら入りそうになかった。
着物の下から手を抜いて、なんという結び方かは知らないが端正に結ばれた帯に手をかける。鋼鐵塚は築炉が着物を着換えるときの、しゅるしゅると淀みない衣擦れの音が好きだった。だが、実際に帯を結んでいるところは見たことがない。
手探りで帯の結び目をあちこち確かめ、鋼鐵塚は舌打ちすると築炉を抱き上げ後ろ向かせた。そう乱暴にしたつもりは無いが、築炉はひゅうと小さく息を吸った。
築炉の後姿は己にあちこち引っ張られ、たるまされ、着物はよれよれとずり落ちているにもかかわらず帯だけは形を保っている。
兎の耳のように飾りの飛び出る結び目は、鋼鐵塚の目にはどこが端かもよく分からない。適当に引っ張りやすいところを引っ張ったり、押したり、緩めたりする。たまに間違えて帯を締めあげてしまい、築炉は小さく呻き声を漏らした。
築炉が三度目の呻き声を漏らしたところで、鋼鐵塚は痺れを切らして目の前にある築炉の尻を平手でぺちんと叩いた。
「クッソ、どうなってんだよ。どんどんこんがらがる」
築炉は鋼鐵塚に背中を向けたまま肩を竦める。
「――すみません」
「おまえこれどうやってほどくんだ。毎日こんなの結んでんのか」
「でも、明るいから――」
「このへん切っていいか? ここ切ったらほどける気がするんだよ」
「あ、あの、」
「いやでも切ったら使い物にならなくなるな」
「あの、傷が――」
傷が、というので鋼鐵塚は思い切り眉をひそめた。
「揃いで良いってバカみたいなこと言ってたのはそっちだろ」
「いやなきもちにさせてしまいます」
「もうなってる」
築炉は口を噤んでしまった。迷うように揺らめいた指先が恐る恐る背中の方に回され、鋼鐵塚の手でぐちゃぐちゃにされた結び目を数度なぞるように動く。凝った結び目は鋼鐵塚の奮闘し続けた時間を嘲笑うようにするすると布切れに変じていった。
体温の移った帯を引き剥ぐように奪う。手間かけさせやがって、とやり場のない怒りを納戸色の帯に向けた。
丸まった背中を覆う単衣を摘まんでついと引けば、押さえるものを失った着物はするりと鋼鐵塚の膝の上に落ちる。背骨の数えられそうな痩せた背中を見て顔をしかめる。いやに目立つ肩甲骨をなぞると、築炉はますます身を竦ませた。
「飯」
「――はい」
「食ってんのかって」
溜息交じりに言いながら、鋼鐵塚は築炉の脇腹を摘まむ。築炉がくすぐったそうに身をよじらせると、背中にまで肋骨がうっすらと浮き出て見えてうんざりした。
「おかげさまで」
常と変わらず築炉はそうだけ答えると、ぺたりと床の上の着物に腰を下ろした。
「こんな痩せっぽちじゃ怪我させちまうだろうが」
薄い着物一枚を失っただけの肢体が、これほど頼りなく不安を誘うとは思わなかった。鋼鐵塚が何気なく振り回した腕に当たるだけで、ぽきりと折れそうな体をしている。
己の周りにあるものが、大抵は己より硬いもので出来ていると気が付いたのはいつの頃であろうか。
四歳の頃、蹴躓いて茶箪笥の角で生え際を切ったときかもしれないし、五歳で足の甲の上に鏨を落としたときかもしれない。河原で転び、膝をひどく擦りむいた時にも地面でさえ己の身体より硬いのだと感心した。
周囲の人間も筋骨逞しい鍛冶師か、呼吸法を極め常ならざる身体能力を持つ剣士か、そのどちらかが大半を占めた。己よりずっと弱く、頼りなく、脆い生き物の扱い方など生まれてこの方真剣に考えたことがない。
どうすりゃいいんだ、と鋼鐵塚は目の前のひ弱い体を茫然と眺めた。それからふと思い立ち、袴の腰紐に手をかける。袴を脱ぎ捨て着物を落とし下履きまで外した。洗いざらした木綿の着物さえ、築炉の薄い皮膚を擦りむき傷付ける気がした。
ぽんぽんと床に投げ出される着物を築炉は肩越しに見下ろし、それから困ったように鋼鐵塚の方を見て、目を逸らす。
「蛍さんは――」
「日と傷のこと言ったら怒るからな、大概くどいんだよおまえは」
「……お元気で羨ましい」
「は? 何がだ? 竿か? どこ見てんだ」
「いえ、そうでは――」
「おまえも人並みに男の体に興味あるのか」
ならば夫婦になって数か月も放っておいたのは悪いことをしたものであろうか。築炉は鋼鐵塚に背を向けたまま自身の膝に向けてぽそぽそと呟く。
「大きくて、厚くて、血色がよくて――」
ああ、と鋼鐵塚は自身の肉刺だらけの分厚い手を裏表しながら眺めて、鼻を鳴らすと築炉の肩に腕を回した。胸に築炉の小さな背の皮膚が触れる。温かかった。
「俺が元気なんじゃねえよ。おまえに元気がないんだ」
そうなのでしょうね、と築炉は笑みめいた声を漏らした。
「今、笑ったか」
「え? ええ ――いえ、どうでしょう?」
「知らねえ」
内臓の位置が触れて分かりそうな腹をぞろりと撫でる。肉刺だらけの硬い手で触れば、それだけで壊れそうな気がした。実際そんなことはなかったが。
くしゅん、と小さなくしゃみとともに築炉はぶるりと震えた。さむい、と小さく囁く。鋼鐵塚は脱ぎ捨てた自身の着物を築炉に頭から被せる。
「被っとけ」
「――ありがとうござ、」
「日の高いのが嫌なら顔も隠しとけ」
「――は、」
「入れる」
「なんでしょう」
「入れて、出す」
なにを、と築炉の唇がその形に動いた気がした。真面目に答えると築炉が嫌そうな顔をする予感がしたので黙っていた。
床に広がる築炉の着物の上に築炉の体を押し倒して、その上にのしかかる。うう、と築炉が呻いた。
「どこか千切れそうなときは早めに言えよ」
「ちぎ――」
「おまえひょろひょろだからなあ」
反らされた白い喉に鼻先を近付ける。確かに甘く湿ったにおいがした。
遥か昔に女の相手をさせられた記憶を掘り返す。いい歳になっても女に興味の一つも示さず刀ばかりに目の色を変える鋼鐵塚への、若中達の計らいであった。相手はあの頃の鋼鐵塚よりずっと年上の女で、あれが娼婦であったのか若中のうちの誰かに頼まれた素人であったのか今となっては定かではない。
若中の厚意は、鋼鐵塚に身体的な快楽よりも、べたつく体だとか、ああしろこうしろといちいち指示される煩わしさだとか、裸の女が毛の生えた股座を晒している奇妙さだとか、ひいひいと大袈裟に泣いたり喜んだりして見せる女の声の姦しさだとか、それに勃起する己の滑稽さだとか、そんなことばかりを印象付けた。
それ以来、女の体など触れたこともなかった。興味も暇もなかった。だが、築炉はうるさくないし、あれこれ言うたちでもないし、何より女房だから、別にしてもいいだろうと思った。手淫よりは多分マシだ。
築炉の脚の間に体を割り込ませる。丸みに乏しい下腹に薄く生える陰毛をなぞると、ぬるりとした粘膜が指に触れた。薄く脂のついた白い内股に、肉の色をした性器が納まっている。指を押し付けると、ずぶずぶとどこまでも沈んでいきそうだった。
己の陰茎をそこにあてがい進入させようとするが、ぬるぬると滑って上手くいかない。濡れた陰毛と粘膜が陰茎を擦り上げ、それだけで少し頭がぼうとした。もうここに出してしまってもいいな、と思った。
築炉の手がおずおずと鋼鐵塚の陰茎に触れる。ひんやりとした指先に急に触れられたものだから、鋼鐵塚は虚を突かれて腰を跳ねさせた。築炉の腰が浮き、導くように陰茎を押し当てられる。腰を進めるとずるりと中に入っていった。加減が分からず勢いが良すぎたせいか、築炉は苦し気に声を漏らした。
築炉の顔を見ると、どこか眠たげな目と目が合う。すぐに逸らされたので、鋼鐵塚は築炉の顎を片手で掴んで無理矢理自分の方を向かせた。
「見とけ」
「な、なんで……」
「いいから」
「は、あ――」
体温のなさそうな、生きているか死んでいるかよく分からない外側をしているくせに、腹の中は湿って熱かった。
やっぱりこんなの面倒だ、と心のどこかで思いながら、乱暴に腰を振る。膝の裏を汗が伝う。床に広がる藍色の着物が、乱れて湿って皺になっていた。築炉の髪留めが外れて床にぽつんと落ちていて、半端な長さの髪が着物の上に広がっている。
雨戸の向こうを子供が笑い声を上げながら駆けて行った。築炉はそれをしきりに気にしているようで、瞬きをしながら頭上に何度も視線をやっている。
「見とけって」
「あ、でも……」
「どうせみんなやってることだろうが」
鋼鐵塚のうなじを伝う汗に長い髪が張り付いた。俯くと長い鬢の髪が落ちてきて鬱陶しい。鋼鐵塚は髪を掻き上げ後ろに流し、築炉の所在なさげに着物を握っていた手を首に回させた。
「押さえとけ、邪魔だから」
「……はあ、」
体温の低い手がうなじに当たって心地良かった。時折髪が引っ張られることを除けば、鋼鐵塚の思惑通りになる。
腹の奥を突き上げてやるたびに、ふ、ふ、と築炉は短く息を漏らす。切なげに眉根を寄せる顔にはそそられた。熱くぬめる女陰も具合がよかった。
疼痛に似た射精感がこみ上げ、鋼鐵塚の腰の動きが早まる。振り落とされまいと築炉は鋼鐵塚の首にしがみついた。耳元にある築炉の唇が、湿った吐息とともに小さく細く猫の仔のような声を上げていた。
鋼鐵塚は憑かれたように腰を振りながら、ぼんやりと別のことを考えていた。明日打つ刀のことかもしれないし、今日の晩飯のことかもしれない。内股を伝っていく体液とも汗ともつかない液体の不快さのことかもしれない。なんとなく、里の男たちが必死に女の尻を追いかけ回していた理由が分かるような気もした。だがそれらの思案は鋼鐵塚が築炉の腹の中に思い切り射精するのと同時に吹き飛んだ。
腰の奥が痺れたようになり、内股の筋が攣る。妙に切ない気持ちになって、目の前にあった築炉の細い肩を甘噛みする。
思うまま吐き出して、しばらくそのままでいた。築炉の腕は鋼鐵塚の首から下ろされて、くたりと床に投げ出されている。築炉の薄い胸に頬を当てた。早い鼓動の音が耳を打つ。築炉がもぞもぞと身動ぎするので、萎えたものがずるりとぬかるんだ女陰から押し出され、後を追うように精液がぼとぼとと床の着物の上に落ちた。一瞬これは染みになるのではないかと思ったが、怠かったので何も言わなかった。
着物を引き寄せ起き上がろうとする築炉を着物ごと腕の中に閉じ込めて、床の上でごろりと寝転がる。寒いと言われては敵わないので、己の腹の上に築炉を抱き上げておく。築炉はそれでも身を起こそうとするのをやめていないようであった。鳩尾のあたりに肘が当たり、鋼鐵塚は築炉の首根っこを掴んで押さえつけた。
「じたばたすんな、俺の腹に穴が開く」
「すみません、――お湯をお持ちいたしますので」
「はあ? いらねえよ」
「……では、お水を」
「いらねえって」
「それでは、私は何をしたらいいのでしょう」
「知るか。寝とけ」
そう答えると、築炉はしばらくそわそわとした後、観念したように鋼鐵塚の胸の上に頭を落とした。そして鋼鐵塚にとっては予想外なことに、本当にすうすうと寝息を立て始めてしまった。
汗ばんだ小さな体を抱えて身動きのとれないまま天井を眺める。やっぱり面倒くさいし、女の尻を好んで追いかける男の気持ちは分からないと思った。
腿に生温い液体が垂れてきて、それが築炉の体の中から滴る自分が排泄した物だと気が付いて「最悪じゃねえか」と呟いた。