あのこがほしい(一)



 隠れ里が鬼に襲撃されたのだということを知ったのは、鋼鐵塚が炭治郎から預かった刀の研ぎを第一段階まで終えたところであった。手を止め経過を検分する鋼鐵塚から時透が滅の一字を刻んだ刀をもぎ取り去っていくときに、研磨に取り掛かってから初めて刀以外のものを視界に入れた。そこであたりの惨状に気が付いた。
 家屋には大小無数の爪跡が刻まれ、ありとあらゆる道具が散乱している。火男面の欠けて血だらけの鉄穴森と、ぼろぼろの小鉄が何かを言いかけたが、鋼鐵塚はそれよりも持ち去られた刀を追いかけようとした。

「鋼鐵塚さん! 鬼が出たんですよ! 上弦です、それも二体――!」
「くっそ、なんだあいつ俺の刀を!」

 追いかけようとするも体が利かない。気付けば着物も袴もぐっしょりと血で濡れ重くなっていた。視界の半分が赤くぼやけている。足を踏み出そうとするたびに皮膚の下に針が敷き詰められたかのようにきりきりと全身が痛む。だがそれをどくどくと巡る血流の激しさが押し流していた。
 鼻の下をうるさく伝う血を手の甲で拭い時透を追おうとする鋼鐵塚に、鉄穴森が縋りつく。

「鋼鐵塚さん、まず手当てを――」
「うるせえ、はなせ!」

 刀の事となれば他人の言葉も自身の心身の不調も顧みぬ鋼鐵塚の性質を知って、鉄穴森は鋼鐵塚を行かせた。行かせたのを後悔したのは、しばらくして血相を変えた里の男が鋼鐵塚夫人が倒壊した家屋の下敷きになったことを知らせに来たときである。
 なんてことだ、と鉄穴森は痛む傷を押さえた。容体はどうだと尋ねる鉄穴森に、男は額の切れた顔を横に振った。

「分からない。まだ瓦礫の下だ。だが――息はかなり細い」

 鉄穴森はそれをやり切れない気持ちで聞いていた。鬼と戦うことを定められた家の者でも、そのための武器を作るのでも、自身が鬼と戦うというのでもないのに、鋼鐵塚築炉という女はひどく鬼と死に近しいように思えてならない。こんな不条理があるだろうか。
 鉄穴森は軋む体に鞭打って立ち上がり「鋼鐵塚さんを呼んできます」と言った。男は浅く頷き、俯いて声をひそめると「急いだほうがいい」と溢した。鉄穴森はそれを聞いて想定していたより状況が芳しくないことを察した。 
 鋼鐵塚が点々と残していった血の跡を追いながら、鉄穴森は築炉のことを考えていた。約束された死を一度免れたというのに、まるで帳尻を合わせるようだと思った。
 鋼鐵塚は結婚する前も後も大して変わらなかった。相変わらず稚気が失せず偏屈で癇癪持ちではあったが、それでも伴侶に対して彼なりに最大限の愛情と責任を感じ、また示してもいた。鋼鐵塚に対する「刀の次に女房を大事にしている」という評は決して皮肉や揶揄ではなく事実であり、ある種賛辞でもあった。
 それほど鋼鐵塚は刀に対して愛情を傾けている。不器用ながら女房も大切にしていた。それは鉄穴森から見れば微笑ましく、ともすれば痛々しい程であった。
 この世に神か仏がいるならば、どうして刀があれば他に何もいらないというような男がひっそりと大切にしているだけの女を執念じみて奪おうとするのであろうか。
 鋼鐵塚の喚き声が聞こえて鉄穴森は怪我のせいでなく目眩がした。罵倒の先が柱の一である時透であればなおさらだ。このクソガキ! 分からせてやる! などという不敬極まりない悪罵を口にしながら時透の首に手をかける鋼鐵塚に、鉄穴森は息を切らせて駆け寄り羽交い締めにした。

「鋼鐵塚さん!」

 鋼鐵塚はそれでも猫を前にした猛犬のように時透に掴みかかろうとする。体の自由が利かずやっと鉄穴森に羽交い締めにされていることに気が付き、鉄穴森に食って掛かろうとしたが、鉄穴森の必死な様子に言葉を飲み込んだ。

「築炉さんが、建物の下敷きになっているそうです」

 努めて冷静に伝えたつもりが、語尾が震えた。鋼鐵塚は憑き物が落ちたような顔をして、場違いなほど穏やかに「そうか」とだけ答えた。

「そうかって……向かってあげてください、今すぐ」
「悪いのか」
「良くは、ないようです」

 鋼鐵塚は鼻を鳴らすと鉄穴森の手を振り払った。そして急に痛みを訴えるようになった体を引きずるようにして里の方へ足を向ける。先ほどまで時透を追い、鉄穴森の拘束を外そうと暴れていたとは思えぬほど頼りない足取りである。

「鋼鐵塚さん! 肩を貸しますよ!」
「うるせえよ、お前も怪我人だろう」

 鋼鐵塚は鉄穴森を振り向きもせずそう言った。血だらけの背中に、鉄穴森は何と声をかけていいのか分からなかった。

「きっと大丈夫ですよ、命冥加なひとですから」
「ああ」
「医療班ももうこっちに向かっているはずです」
「ああ」
「鋼鐵塚さん、――何があっても、築炉さんは鋼鐵塚さんを責めたりはしませんよ」
「それはどうだろうな」

 崩れた屋根の傍らに人が集まっていて、皆口々に何かを叫んでいた。血相を変えて慌ただしく行き来する人の中で、地面に寝かされている築炉の姿だけが時の運行が遅れているかのように不自然に浮いて見えた。
 その姿は遠目にさえ後戻りのできない死の淵に瀕していることが見て取れ、鉄穴森は言葉を失う。血の気を失った顔は煤けて埃っぽい背景から浮いたように白く見えた。両眼は開いている事もできず、閉じる力もなく、虚ろな半眼で火の粉を映していた。
 立ち尽くす鉄穴森を置いて、鋼鐵塚は迷いのない足取りで築炉のもとに向かう。鉄穴森はその後姿から何も読み取ることができなかった。ただ普段と変わらず、多少足を引き摺りながら、鋼鐵塚は青褪めた築炉の手を握り声をかけ続けていた男を容赦なく蹴転がすと、女房の傍らに膝をつく。物入れから取り出した切り出しを手にし、それで自身の手のひらを裂き、鮮血の迸る手で築炉の呼吸もままならぬ口を塞いだ。
 築炉の手は拒絶するように震えたが、地面からは持ち上がらなかった。誰もが何が起きているか理解しないまま固唾を呑むなかで、鉄地河原だけが「蛍、やめえ!」と罅割れた怒号をあげた。
 鉄の爪で鏡面を引っ掻くような悲鳴が上がった。ほっそりとしたひ弱気な築炉の肢体が鋼鐵塚の厚い体を跳ね飛ばさんばかりに痙攣する。鋼鐵塚は前腕に血管を浮き立たせて築炉の体を地に縫い付けた。その意図を察した鉄穴森は、鋼鐵塚の背中に組み付き築炉から引き剥がす。築炉の口腔に収まりきらなかった鋼鐵塚の血が、ごぼごぼと溢れて地面を汚した。

「鋼鐵塚さん――」

 なんてことを、という呻きは言葉にならなかった。鋼鐵塚は刃文を見るのと変わらぬ冷徹で乾いた目で、地面でのたうつ女房を見下ろしていた。細い指にみしみしと筋が張り、紅い爪が土を抉る。獣のような吐息と唸り声が不穏に耳を打つ。築炉は何かに抗うように身をくねらせ、熔かした鉄のように白熱する双眸で血の涙を流しながら鋼鐵塚を睨め付けた。

「死ぬよりマシだ」

 鋼鐵塚はそれを真正面から睨み返しながら淡々と口にした。
 それは、どうであっただろう。血と土に塗れ、ぎしりぎしりと骨が砕け再生する耳を塞ぎたくなるような音を軋ませながら、築炉は人ならざるものに変容しようとしていた。
 鬼の血を身中に巡らせながらそれを藤毒で封じてきた築炉の体は、人間の血液を注がれ風前の灯に似た均衡を容易く打ち崩された。細い背骨がぼきり、ぼきり、と音を立てて自壊し、四足獣のように湾曲する。そのたびに築炉は獣じみた悲鳴を上げた。その悲惨さに鉄穴森は顔を逸らす。鋼鐵塚は土に塗れる築炉の頭の横に膝をついた。

「蛍!」

 震える怒声とともに鋼鐵塚の頬を鉄地河原の皺ばんだ小さな拳が殴り飛ばす。老いてなお鎚を振るう手は力強かったが、幼い時分に恐れたほどではなかった。鋼鐵塚はそんなことを、ぼんやりと考えていた。

「お前は何を考えとるんや!」

 不貞腐れた子供のように黙り込んで顔を背ける鋼鐵塚に、鉄地河原はもう一度拳を見舞う。鉄地河原の手のほうが痛々しく腫れ上がった。

「誰か、隊士を――いや、日輪刀だけでもええ! はよ持ってきぃ!」

 鉄地河原が声を上げると、何人かが慌てふためいて人を呼びに走る。鋼鐵塚は築炉の白く濁る瞬膜がせわしなく開閉する目をそろりと撫でた。
 けほ、こほ、と乾いた咳を悲鳴と金切り声の間に零しながら、築炉は何か訴えたそうに鋼鐵塚の着物を関節の数がまちまちの指で握りしめる。なんだよ、と鋼鐵塚は小さく悪態をついた。

「言いたいことがあるなら生き延びてみろ」

 びちん、と水っぽいような、引き伸ばされた水風船が割れたような、奇妙な音がした。

 その後、理由もよくよく告げられぬまま引っ張ってこられた鬼殺隊士が見たものは、鉄地河原と鉄穴森にぽこすか殴られる鋼鐵塚と、鋼鐵塚の膝に抱えられてきょとんと首を傾げる幼い少女の姿であった。


******


「まったくお前はいったい何を考えとるんや、だいたいこないだ儂の部屋の畳を全部引っ剥がして焚き付けに使いよったときも、まあ考えなしで――!」

 そりゃ二十年も前の話じゃねえか、と四十を目前にして地べたに正座させられている鋼鐵塚は内心で抗議しておいた。と、本人は思ったのであるが声か顔かその両方かに出ていたらしい。鉄地河原は血の染みの残る面の向こうで「言い訳をすな! それに、十八年前やわ!」とぴしゃりと言い放った。よく覚えているものだ。
 鉄地河原の厳しい語調に、鉄地河原の膝下で砂をいじって遊んでいた築炉――であった小さな生き物はびくりと不安そうに肩を震わせ、鉄地河原を見上げる。鉄地河原は面を外さずとも分かるほどに相好を崩して築炉の頭を撫でる。

「おお、おお、おまえさんを怒ったんとちゃうで。安心しい」

 なんか食べるか、と鉄地河原は懐を探る。鬼に散々嬲られて砕けた飴玉とかりんとうの包みを築炉の小さな手に握らせた。築炉は小さな欠片を指先でつまみ、しばらく矯めつ眇めつしたりにおいを嗅いだりしたあとに、ぽいと小指の先のように小さな牙の生える口に放り込んだ。
 いや食うのかよ、とたまたま連れてこられた鬼殺隊士が呟く。鬼であれば人間の血肉以外のものは口にしないはずであった。

「えらい可愛らしいなあ、お前みたいな悪タレやのうて女の子引き取ればよかったわ」

 鉄地河原はいっそ投げやりな皮肉じみてそう言い、築炉の小さな頭を撫でた。また頭を撫でられ、築炉はにこにこと笑った。すっかり爺と孫である。鋼鐵塚は面白くなくて、築炉をじろりと睨む。

「おい、こっち来い」

 言われ、素直に鋼鐵塚の方に寄ろうとする築炉の帯を鉄地河原が摘まむ。寸法の合わない着物は脱がされ、近所の子供の古着を着せられていた。つん、と引っ張られた築炉はつんのめり、不思議そうに鉄地河原の方を振り向く。

「そないな頭のおかしなオッチャンには近寄らんときなさい」
「誰が頭のおかしいオッチャンだよ!」
「お前や!」

 鉄地河原は傍らで成り行きを見守っていた鉄穴森に築炉を押しやり目配せした。鉄穴森はおずおずと築炉を抱き上げる。
 小さな体はふくふくと柔らかい。だが、熔けた鋼の色をした双眸には、瞳孔が縦に裂けている。小さな口にはそれに見合った小さな牙が、丸く広い額には二寸ほどの小さな角が生えていた。絵に描いたような鬼娘であるが、素直に鉄穴森の腕に回される手には、人間の子供と変わらない程度の力しかなかった。
 どうしたものか、と鉄穴森は溜息をつく。溜息をかけられた築炉は首を傾げておろおろと鉄穴森の顔を覗き込んだ。

「そんな顔をしないでくださいね、ぜーんぶ鋼鐵塚さんが悪いんですから」

 幼気なばかりの丸い顔には、築炉の寂しげな面影はあまり見当たらない。にこにこと底の抜けたように笑っていればなおさらだ。
 鉄穴森があやすように築炉を揺すると、築炉はくすくすと笑って「はがねづかさん」と言った。その姿になってはじめて喋った言葉がそれであるので、鉄穴森は驚きのあまり築炉を取り落しそうになる。

「わ、わああ、築炉さん、話せたんですね! ほら、もう一回、はがねづかさん」
「はがねづかさん」
「お上手!」
「なんや儂にもやらせえ。ほれ、築炉ちゃん、てっちんって言うてみい」
「はがねづかさん」
「あ違う! 惜しいわ!」

 黒煙を上げる瓦礫に囲まれてわいわいと団欒する二人と一匹――便宜上――を見て、鋼鐵塚は「何やってんだ」と顔をしかめた。

「おい、ちまっこいの、こっちに来いって」

 築炉は優しげに垂れた眉をいっそう自信なさげに垂れさせて鉄穴森を見上げる。鉄穴森は苦笑を零して築炉を地面におろしてやった。築炉は二、三歩たたらを踏むと、ふわふわとした足取りで鋼鐵塚に歩み寄った。
 正座をする鋼鐵塚とほとんど目線の変わらない築炉は鋼鐵塚の周囲を興味深そうにぐるりと一周したあと、正面から鋼鐵塚をまじまじと見つめた。

「はがねづかさん」
「おう」
「はがねづかさん」
「なんだよ」

 くひひ、と築炉は何が楽しいのか身を捩らせて笑う。なんなんだ、と思ったが、土の上でのたうち回って身を捩らせているよりは精神に優しい光景であったので何も言わないでおいた。
 築炉の小さな手がそろそろと鋼鐵塚の傷だらけの頬に触れる。応急処置で巻かれた左目の布を、細かい指先でちょっとつまんで引っ張る。

「おい、よせ。いてえ」

 はがねづかさん、と築炉はたどたどしく繰り返す。

「だれ?」
「うん?」
「なに?」
「はあ?」

 鋼鐵塚は築炉の赤い目を眺める。水分を多く含んで艶々として見える眼球の表面に、程々の年数を連れ添った女房に「誰?」「何?」と言われて少なからず気分を害した滑稽な男の姿が映っているのを見た。

「……刀鍛冶だ。そんでお前の亭主だったな、一応」

 鋼鐵塚がぶっきらぼうに言うと、築炉は目を丸くする。

「てーしゅ」
「そうだよ。結婚してた。分かるか?」

 築炉は自分の紅葉のように小さな手のひらを見下ろししばらく考えたあと、ぱっと顔を上げた。

「わかる! へんたい!」

 にこにこと嬉しそうに、築炉はそう言った。鉄地河原と鉄穴森が同時に勢いよく噴き出し、それぞれ深い傷を押さえて痛みに呻く。鋼鐵塚は女房が死んでも言わないであろう言葉に一瞬放心し、それからいきり立って膝立ちになる。

「はあ!? 何言ってんだこのちび! てめえちょっとこっち来い! あ、クソ! 腹がいてえ! 血が出た!」
「はがねづかさん、きゃー」

 ちょこまかと逃げ回る築炉を捕まえ、もちもちの頬を限界まで横に伸ばした。

「勝手にちんちくりんになりやがってこの阿呆!」
「ひゃひゃふ、ひひ」
「だいたいなんだこの角は! 鹿じゃねえかよ!」

 小さな顎を片手で掴み逃げられないようにして、額の角を指先でつつく。途中で枝分かれした細い角は、たしかに鬼というよりは鹿に似ている。

「ふざけた角だな! 鹿ってお前、馬鹿の半分だ――」

 ぽきん、と音を立てて折れた角の先端が鋼鐵塚の手のひらの中に落ちてくる。鋼鐵塚は呆然とそれを見下ろし「うお」と短く声を上げた。まさか折れるとは思わなかった。
 築炉は鋼鐵塚の手の中を見、鋼鐵塚の顔を見、自分の額にぺたりと触れると「ひょ」と細く声を漏らす。その驚き方は少し築炉に似ている、と鋼鐵塚は思った。築炉の大きな紅い目がみるみるぐじゅぐじゅに涙を浮かべ始めたので、鋼鐵塚はぎょっとする。

「うう、うううう」
「な、泣くこたねえだろ、鬼ならすぐ治るだろうが」

 そうは言ったものの、欠けた角の先は折れたままである。鋼鐵塚は駄目もとで欠けた角のかけらを継いで押し付けてみたが、手を離せばぽろりと落ちる。

「ああもう何をやっているんですか!」

 鉄穴森が築炉を抱き上げると、築炉はひいんと泣き声をあげて鉄穴森の首に腕を回し、胸に顔を押し付けてめそめそする。記憶がないのだと分かっていても、築炉とは別物なのだと分かっていても、なんとなく気に入らない。

「あっ、てめ、俺の女房だろうが!」

 年端も行かぬ幼い娘に無体な台詞を叫んでいるように見える――見えるというか、事実そうなのであるが――鋼鐵塚に、鉄穴森は肩をすくめる。

「鋼鐵塚さん……」
「なんだよ」
「……いいえ、何も」

 しかしまあ、と鉄地河原は禿頭を掻く。

「どうしたもんかなあ、とりあえずお館様に相談やろなあ」

 そういうことになった。