金屋子神と消えかけの蝋燭
※友人から貰い物
※「鬼の居ぬ間の」の三次創作?
******
これほど驚いたのはいつぶりだろうか。そんなことはとうに忘れてしまったが、金屋子神は大層驚いていた。ただしそれは、足下の、獣用の罠に使う網か何かで縛り上げられ、顔を真っ赤にして、フゥフゥと、おそらく憤怒の息らしきものを漏らして転がっている鋼鐵塚にではなかった。その鋼鐵塚を無感動な目でぼう、と見ている、痩せぎすの幸薄そうな女にであった。
「何、見合いだってェ?」
金屋子神はいかにも呆れた、といった声音で眷属に問い返した。
いつもなら、とうに鍛冶場が騒がしくなる時間になったというのに、誰一人として姿を見せぬものだから、もしや人死にでも出たかと眷属の一人に里の様子を見に行かせてみれば、その理由は「鋼鐵塚蛍が見合いをするから」という、何とも平穏なものだった。――いや、もしかすると、人死にの方が平穏だと言う者もいるかもしれないが。
「鉄珍も懲りないねェ、ついこの間、女相撲取りだか女空手家だかと見合いどころか取っ組み合いになっちまって、破談になったばかりじゃないか」
「いえ比売様、その見合いから二年ほどは経っておりますから、人間なら『そろそろほとぼりも冷めた』と思っても不思議ではないかと」
「お前、よくそんな細かいことをいちいち覚えていられるね。……とにかく、それで蛍が来ないのは分かったよ。だけど、他の刀鍛冶はどうしたんだい? いくら蛍が見合いの席で何しでかすか分かったもんじゃないったって、総出で雁首揃えて立ち会うこたァないだろうに」
「それがそのぅ、蛍くんが今朝見合いの席がもうけられたのを知って、山に逃げ込んでしまったようでして。里の男衆皆で山狩りをしているようです」
「……そこまで嫌がってんのに、嫁をあてがう意味はあんのかね」
「……私にも人間のそういうところはよく分かりません」
「……まあいい、つまり、今日は炉に火を入れないってことだね? そんならあたしもちょいと見に行ってみるとしようか」
「またですか比売様! 比売様はあんまり気軽に鍛冶場を留守にしすぎます!」
「かたいこと言うんじゃないよ。母屋の座敷で見合いするんだろ? 目と鼻の先じゃないか。第一お前、刀鍛冶どもが一人もいない鍛冶場にあたしだけボサッと突っ立ってろってのかい? それこそ馬鹿みたいじゃないか、ええ?」
「……それは、そのぅ、……うう……」
そういうことになった。
金屋子神が座敷に入ると同時に、見計らったがごとく向かい側の襖が左右にサッと開き、網でぐるぐる巻きになった鋼鐵塚が放り込まれた。捕獲に相当手間取ったのだろう、鋼鐵塚を担いできて投げ込んだ数人は引っ掻き傷やら殴られた痕やらで満身創痍。それでも「お待たせして申し訳ない、あとはお二人で」と、――この場合はたちの悪い冗談にしかならないような台詞だが――見合いの席での決まり文句を残して去っていった。
やれやれ、相変わらず血の気の多い子だね、と自分のことは棚に上げる金屋子神であったが、ふと見合い相手の女の方に目を向けて、思わずぎょっとした。
ひどく痩せた女である。まるで、骸骨に間に合わせで皮だけかぶせたような窶れようだ。目は落ち窪み、鋼鐵塚を見ているようではあるが、何を思っているのか全くうかがえない、そんな目をしている。そもそも、この状況で悲鳴一つあげないあたり、どう考えてもまともな女ではない。
しかし、金屋子神が驚いたのは、そんな見てくれや振る舞いにではなかった。そうしたことは置いておくとして、魂の気配が感じられなかったのだ。この女、一体全体、人間なんだろうか? まさかおかしな化生の類いじゃないだろうね。そこを確かめるべく、顔を寄せて、びぃどろ玉のような目の奥を覗き込んでみると、何もない真っ暗闇――いや、一瞬だけ、消えかけの蝋燭のような魂がちろりと光るのが見えた。その光り方からして、一応人間ではあるらしい。
一応人間ではあるらしい、と確かめた金屋子神は、今度は一歩退いて、静かに座っている女を上から下までとっくりと眺めてみた。そうしてみると、胸のあたりに何やらよくないものがへばりついている。――呪いだ。この呪いに阻まれて、余計に魂の気配がかき消されてしまっていたのだ。
なるほど、こいつは訳ありだ。三十路も超えた、何より、気性にそれはもう難のある鋼鐵塚の見合い相手として、この女が連れてこられたことに納得しつつ、まだ拘束から逃れようともがき続け、鉄珍に「大人しくするなら解いてやるから落ち着け」と宥められている鋼鐵塚を見て、こりゃいくら訳あり同士とは言え、破談だねェ……と思う金屋子神であった。
ところがである。金屋子神と、里の大半の人間の予想を裏切って、鋼鐵塚と女――築炉というらしい――は夫婦となった。鋼鐵塚の方は、不本意でも、鉄珍の顔を立てる、という意図が多分にあって断らなかったようであるが、では一体、築炉はなぜ断らなかったのだろうか。そこが金屋子神には分からなかった。
見合いも惨憺たる有様だったが、鋼鐵塚が遁走したため、祝言に至っては執り行われることすらないままに、それでも二人は結婚した。そして、金屋子神はどうにも気になってしまって、暫くこの奇妙な夫婦を観察していた。
鋼鐵塚に関しては、何の変化もない、と言ってよかった。嫁を取ったのに何の変化もないこと自体がおかしいと言えばおかしいが、一度なぜか半裸で鍛冶場に現れ、熱いと癇癪を起こした以外は、本当に何の変化もなかった。金屋子神としては、鋼鐵塚が変わらず刀を打ってくれているなら何の不満もないので、そのうち観察の対象は築炉一人にしぼられていった。
昼時になると、鋼鐵塚のためにこしらえた膳を運んできて、無言で鍛冶場の入り口に起き、帰っていく。鋼鐵塚はと言えば、何か常人には理解しがたい意地でも張っているのか、一度も膳に手をつけないのだが、一時間ほど経って再びやってくる築炉は、置いていった時そのままの膳に落ち込むでもなく、機嫌を損ねるでもなく、無言で膳を下げる。鋼鐵塚が鍛冶場に籠りきりになった時などは、昼飯どころか朝、昼、晩と三度の食事に加えて、その合間に軽食まで届け、それでも手の付けられない膳を黙って下げるという尽くしようであった。
また、眷属たちが里中で聞いてくる評判も、すこぶるよいものばかりであった。朝から晩までよく働き、万事控えめでよく上の者を立てる。おまけに、鋼鐵塚のことを「不甲斐ない女房にも文句の一つもいわない出来た旦那」だと言ってのけたらしい。
しかし、だからこそ余計、金屋子神は築炉という人間が気になった。
鋼鐵塚が大のお気に入りである金屋子神だが、それは刀鍛冶として優秀だからであって、彼が夫という役割には向かないことくらいは、いかに人間と違った感性の持ち主といえども、何となく分かる。
「なァ、女、築炉、あんた、何でまた蛍と妹背になったんだい?」
返事が返ってくるはずもないが、そう問いかけてみる。見合いの席で見た時と変わらず、消え入りそうな魂だ。今日も手付かずの膳を持って家へと戻っていく、築炉の頼りない背中を見送りながら、大声で
「あんた、飯はちゃんと食べてんだろうね!?」
と声をかける。やはり返事はなかった。
そしてある夜、ついに金屋子神は、築炉が嫁に来てから初めて、鋼鐵塚の家を訪れた。またもや眷属たちに諫められたが、それで大人しく言うことを聞く金屋子神ではない。
勝手知ったる蛍の家、とばかりに鋼鐵塚の私室に乗り込んだが、そこには布団が一組しか敷かれていなかった。その中身も鋼鐵塚一人だ。
では、築炉はどこにいるのか?
大して広くもない家の中を歩き回れば、築炉はすぐに見つかった。――何と、土間で赤毛布にくるまって眠っている。
これにはさしもの金屋子神も二度びっくりである。
鋼鐵塚は「良い人間」と迷いなく断言出来る男ではない。とんでもなく面倒くさくて、いつも周囲の者を困らせてばかりいる。
だが、「悪い人間」なのかと言えばそれは違う。少なくとも、意に染まぬ結婚だったとはいえ、妻に土間で寝ろと言いつけるような陰湿なことはしない。
まあ、気の利かない子だからねェ……大方布団の手配どころか、築炉がどこで寝てんのかすら考えてもいないんだろうよ。そんな風に当たりをつけて、金屋子神は地べたで丸まっている築炉を見やった。
この女は、どんな人生を歩んできたのだろう。骸骨のように痩せさらばえて、魂すら元の形が分からないほどにすり減らして、おまけに呪いまでくっつけられて。夫に無視され、土間で眠ることに疑問を持ってもいない。
ああ、あたしは築炉を哀れに思ってるんだね。
そう思うと、築炉が気になってしまう自分がすとんと腑に落ちた。それは、神特有の気紛れだったのかもしれない。それでも、その時その瞬間に金屋子神が築炉に覚えた憐憫の情は本物であった。
しゃがみ込んで、築炉の胸に手を当ててみる。呪いの力か、軽く押し返されるような感覚を覚えたが、構わず胸の中に右手をずぶずぶと差し込んでいく。そうして、風前の灯火といった風情の魂に触れようとして――やめた。何だか、この弱々しい魂に触れたりしたら、途端に消えて、築炉の命もついえてしまいそうな気がしたのだ。左手も差し込み、火種を風から守るように、魂を両手でかこってみた。だが、それで何が変わるわけでもない。
金屋子神は自分が鍛冶の神、火の神で、そして、神と呼ばれる存在の中ではさほど高位にあるわけではないことをよく知っている。同時に、神の一端であれば命を奪うのは簡単なことでも、命を与えるとなると、それは余程格の高い神でなければ不可能な所業であることも。
だから、こうして築炉の魂を哀れんだところで、それは何の意味もなさない。
どれくらいそうしていただろうか、金屋子神は立ち上がって、静かに厨を離れた。せめて、鉄地河原邸から布団を一組ちょろまかして、鋼鐵塚の家に届けてやろうかとも考えたが、自分がそれをするのはどうにも筋違いのような気がした。
鍛冶場に戻る前にもう一度鋼鐵塚の私室に立ち寄り、
「蛍、あんた、築炉を大事にしておやりよ。あんたのその真っ赫な魂が近くにありゃあさァ、築炉のあんな魂でもちっとは勢いが出るだろ」
と、声をかけた。
妻と同じく、やはり返事はなかった。