あのこがほしい(四)



 鋼鐵塚築炉は――正確には鋼鐵塚築炉であったよくわからない小さな生き物は、暇を持て余していた。
 鋼鐵塚は朝も早くから鉄穴森や他の鍛冶師の制止を振り切って研ぎ場に籠もっている。竈門炭治郎の刀を研いでいた。
 鍛冶師の誰もが無茶だ無謀だ休んでいろと止めはしたが鋼鐵塚の決定を揺るがすことは出来なかった。体を動かせば額は脂汗が滲み息の上がるような満身創痍の有様だ。それを見た鉄地河原は「そんなザマでやれんのかいな」と溜め息をつき、鋼鐵塚は「やれる」と答えた。語尾に疲労と痛みが滲む。
 鉄地河原は面をつけたままの鋼鐵塚を頭の先から爪先まで眺め回し、小さな肩を竦めた。「もう知らん。好きにさせたり」と鉄地河原が言ったので、鋼鐵塚の体と二つとない名刀を思いやった鍛冶師たちは渋々引いた。

「体調いいわけにええ加減な研ぎしてみい。そんときは、蛍、儂の前にその面二度と見せられると思うなや」

 普段の好々爺めいた雰囲気は鳴りを潜め、鉄地河原は冷ややかにそう言い放った。体調が万全ならば十にも二十にも言い返したであろうが、鋼鐵塚はそぞろなうめき声だけをそれに返した。
 だが鋼鐵塚は鋼鐵塚であるので、件の見事な業物を鞘から引き抜けば目穴から覗く眼はぎらぎらと光を帯び、痛みのために緩慢であった肢体は淀み無く刀を扱う。あれならば体が利かぬと癇癪を起こし誰彼構わず噛み付くこともないだろうと皆が胸を撫で下ろした。

 築炉はといえば、家にぽいと投げ出されていってしまった。鋼鐵塚は研磨に取り憑かれたようになっていて、築炉の頭を一撫でして「家で待ってろ」と言うだけで出て行った。
 飯もいらず、排泄もせず、眠りも必要としない築炉は放っておかれようと死ぬことはなかったが、五つの童と同じ程度のものの考え方しかしないものであるから、半刻もすれば飽きて飽きて、寂しくて寂しくて、家の中をうろうろ歩き回っては鋼鐵塚の姿を探した。
 家の中にあるものといえば、半端に中身を引っ掻き回された行李くらいのものであった。築炉はそれの蓋を端から全部順に開け、中身を覗いた。
 家財道具やらが雑多に詰め込まれた行李は、見ても大して楽しくはなかった。やはり一番楽しかったのは藤柄の着物がぎゅうぎゅうに詰め込まれた行李だ。白地に藍の花、墨色に薄紅色の花、濃紺に淡黄色の花、薄緑に紫色の花、透かし織の花。
 築炉はそれを全部取り出して、色ごとに並べたり、花の形ごとに集めたりした。長く枝垂れる藤の花も綺麗だし、ころんと丸い花もかわいい。色の濃い順に並べて、好きな色の順に並べて、花の大きさの順に並べて、暗い色と明るい色を互い違いに並べて、そこまでしたところでそれ以上の並べ方を思いつかなくなった。
 爛漫と咲いている色とりどりの藤の花に囲まれて、築炉は膝を抱えた。腹は減らないのに腹が空いた気がしたし、眠らないのに眠い気がした。
 築炉は三日より前の記憶がない。真白い紙にぽつりと垂らした墨のようだ。父と母がいて、兄弟がいた――ように思う。そのことを考えようとすると、はるか昔のことを思い出すかのように頭がぼうとした。
 それが嫌かと言われれば、築炉は嫌とは思わなかった。ふうわりと、何か不思議な気もしたが、それでいいような気もした。
 はがねづかさん、と呼ばれる男がいて、築炉はその男の後を追いかけてさえいればよかった。特に理由は思い付かない。面白い面を着けているからかもしれないが、里の男たちは大抵皆それを着けていたから違うのかもしれない。
 築炉は床に寝そべり、濃い紫色の着物に頬を寄せた。虫除けのにおいが小さな鼻をくすぐる。白く小さな花がいっぱいに染め抜かれた華やかな着物が、築炉は一番気に入っていた。
 数度目を閉じたり開けたりする。締め切られた雨戸の隙間から入ってくる細い光を眺めてみる。
 築炉は冷たい床の上でごろごろと仰向けになったりうつ伏せになったりしたあと、急に耐え難いほど寂しくなった。
 開けるなと言い含められた雨戸にそっと手を伸ばし、引っ込める。それを何度か繰り返した頃、表の方から木戸を引く音がして、築炉ははっと顔を上げた。

「はがねづかさん!」

 短い手脚を目一杯忙しなく動かして表に走る。埃の拭き取られた廊下を走ると裸足の足の裏がぺたぺたして面白かった。
 開けられた木戸から差す陽光に、男の影が伸びている。廊下の端から、築炉はその影に違和感を抱いた。足音をたてて近寄るにつれ、その違和感は確信にかわり、喜び勇んでいた足取りは重く弱々しくなる。
 三和土に下りる頃には、築炉はしおしおとした足取りになっていた。玄関口に立つ鉄穴森を見上げ、築炉はがっかりするやら安心するやらでなんだかよく分からなくなってしまって、ワッと泣きだしてしまった。
 火男面の向こうでも分かるほど鉄穴森は狼狽え、築炉を抱き上げると震える背中を撫でた。

「やっぱり! こんな小さな子を閉じ込めるなんて何を考えてるんですかあの人は! ……築炉さん、ごめんなさい、もっと早く気が付いてあげられなくて」

 泣きじゃくる築炉をなだめながら鉄穴森が言う。築炉は鉄穴森の襟ぐりにしがみついていいだけ泣いたあと、ぐすぐすと鼻をすすった。

「築炉さん、お腹空いて……空かないんでしたね。みたらし団子を買ってきたんですけど、食べますか?」

 鉄穴森の言葉に築炉は首を横に振る。

「うちに来て、鉛と遊んでいますか」
「うちの裏には猫がいるんですよ」
「うちでおまんじゅうを食べますか」

 鉄穴森が提案してくれる言葉の全てに、築炉は首を横に振る。鉄穴森はそういう反応であることを半ば分かっていて、目穴から築炉の顔を覗き込んだ。ふう、と息を吐く。

「鋼鐵塚さんのところに行きますか」
「いきます!」

 鼻水を垂らしながら築炉は勢いよく顔を上げた。鉄穴森は優しく苦笑し、手拭いで築炉の顔を拭いてやる。

「鋼鐵塚さんは大事なお仕事をされてるんです」
「あい」
「邪魔せずにおとなしくできますか」
「あい」
「そうですよねえ、鋼鐵塚さんじゃあるまいし」
「あい!」

 築炉が元気よく返事をするので、鉄穴森は築炉の頭を指先で撫でた。身も世もなく大泣きしていた築炉はもう晴れ間のようににこにこと笑っている。
 連れ立ち研ぎ場を訪れた二人は、木戸の前で顔を見合わせた。鉄穴森は屈み込み、築炉に顔を寄せて突き出た火男の口吻の前に指を立てる。

「しずかに」

 築炉はことさら神妙な顔をして見せ、小さな両手で口を塞ぐと何度も深く頷いた。鉄穴森はそろりと木戸を細く開ける。薄暗い室内には砥糞が堆積し、鍾乳洞のように垂れ下がっていた。鉄穴森には見慣れた光景であるが、築炉はいかにも興味深そうに息を呑んで身を乗り出す。
 砥石台に向かう鋼鐵塚の背中だけが見えていた。あとは刃が砥石の上で滑る音と、鋼鐵塚の浅い息遣いだけが響く。

「仕事をしている鋼鐵塚さんは格好いいでしょう」

 緊張の漲る鋼鐵塚の背中を穴のあくほど見つめていた築炉に、鉄穴森はそう問う。築炉はちょっと笑って恥ずかしそうに肩をすくめると小さく頷いた。鉄穴森はそれを見て目を細める。

「築炉さんは、記憶がなくなっても鋼鐵塚さんのことが好きなんですね」

 鉄穴森の言葉に築炉は不思議そうな顔をしたが、顔をくしゃくしゃにして「はがねづかさん、すき」と笑った。いとけない笑顔に、鉄穴森はどうしてか胸が痛んだ。慎み深い築炉が口にしない明け透けな好意の言葉を衒いなく口にする幼い築炉が眩しい。

「それ、鋼鐵塚さんに言ってあげてくださいね」
「すきって?」
「ええ、きっと喜びますから」
「うふふ、へんなの」

 鉄穴森は身を捩って笑う築炉の頭を撫でる。

「どうしてでしょうねえ。あの人、そりゃ素晴らしい刀工ではありますけど、いい亭主ではないでしょう。あなたはいつも困らされていて、鋼鐵塚さんのせいであちこちで頭を下げたり、叱られたり、そんなのばっかりでしたよ。あのとおりの刀馬鹿で、気は利かないし、繊細さの欠片もないし、築炉さんのことは可愛くてしかたがなかったんでしょうけどね、空回ってばかりで見ちゃいられなかったですよ。築炉さんがこんなになってしまったのだって全部鋼鐵塚さんのせいじゃないですか…………と、言ったって、築炉さんには分かりませんよね」
「わかりません!」

 あまりに元気よく堂々と答えるので、鉄穴森は笑ってしまった。築炉の赤い瞳が鉄穴森を見上げる。

「でもね、おこっているんですよ」
「そうですね、怒っていいと思いますよ。こんな小さな築炉さんを――」
「かってですから」
「――なんです?」

 築炉は鉄穴森の問いが耳に入らなかったようで、木戸の隙間から研ぎ場に入り込むと、規則正しく砥石に刀を滑らせる鋼鐵塚の背中に近寄った。鉄穴森が止める暇もない。

「はがねづかさん、おだんごもらいました」

 築炉は鋼鐵塚の背中に向かって話しかける。返事はなかった。築炉は木戸の向こうの鉄穴森の方を振り向くと、不安そうな顔をする。鉄穴森が戻っておいでと手招きするが、築炉は口を引き結んで首を横に振った。小さな手が、鋼鐵塚の砥糞と研ぎ汁で汚れた腰紐を握る。

「ここにいます」
「築炉さん、だめですよ、邪魔をしては……」

 とはいえ、研磨に全神経を注いでいる鋼鐵塚は静かで小さな築炉を気にした様子もない。それも当然か、と鉄穴森は思う。何しろ上弦の伍の襲撃を受け、目を潰されても意に介さなかった男だ。
 築炉は頬を膨らませて鋼鐵塚の傍に座り込んでしまう。鉄穴森はしばらく思案を巡らせた。埃が取り除かれただけで空き家同然の鋼鐵塚邸に築炉を一人返すわけにはいかない。うちに連れ帰り預かろうとしていたのであるが、この様子では素直に受け入れてはもらえないだろう。
 何より鉄穴森は築炉のわがままを叶えてやりたいという気持ちがあった。常であれば文句も愚痴もなく鋼鐵塚の言うことを困り顔で諾々と聞き入れる築炉が、鋼鐵塚の言いつけに逆らい、鉄穴森の提案に首を横に振り、可愛らしく頬を膨らませている。大人の姿では口に出来ない自分の意思を口にする幼い築炉のささやかな願いを聞き入れてやりたい。
 それに、と鉄穴森は思う。研磨の小休止に顔を上げた鋼鐵塚が築炉の姿を見て肝を冷やすところは少し見てみたかった。いつも築炉に迷惑ばかりかけどおしであるのだから、それくらいしたって罰は当たらないだろう。

「築炉さん、鋼鐵塚さんの邪魔をしないで静かにしていられますか」
「あい」
「道具を勝手に触ってはいけませんよ」
「あい」
「鋼鐵塚さんが気が付いたら、その団子とお水を与えてやってくださいね」
「あい!」

 鉄穴森は築炉の傍らに菓子の包みと自身の昼食と水筒と、腰に提げていた真新しい手拭いを置いてやる。築炉は真剣な顔でそれをひとつひとつ手にとって、大切そうに確認した。
 鉄穴森は築炉の頭に手を置く。

「ついていてあげてください」

 鉄穴森がそう言うと、築炉は嬉しそうに胸を張り大きく頷いた。
 築炉は鉄穴森が去って行った研ぎ場で、座り込んだままそっと鋼鐵塚を見上げる。
 やることもないし、道具があちこちに置かれた研ぎ場では動き回れば何かを蹴飛ばしてしまいそうな気がする。築炉はじっと鋼鐵塚の集中が滲む耳の裏を見ていた。
 ふと思い立ち、だんごの包みを開けて、黄金色の蜜が照るみたらし団子を取り上げる。面をした顔の、突き出た口の前に団子をぷらぷらさせてみた。特に反応はない。築炉はがっかりして団子を包みに戻すと、餡で汚れた手を鋼鐵塚の袴で拭く。
 鋼鐵塚と膝を並べるようにして座り、築炉はその手元を見つめる。明り取りから入ってくる陽光をぬめるように反射する刀身が美しい。鋼鐵塚が刃を滑らせるたびに、濡れた砥石の表面を弧を描くように波立つ粒子の動きが面白くて、ずっと見ていられる――と、築炉は思ったのであるが、しばらくすると飽きてきた。
 膝でいざり場所を変え、規則正しく動く背中に寄り掛かり、耳を当てる。鋼鐵塚の厚い体越しに、さりさりと鋼が研ぎ澄まされていく音がした。息をするたびにくぐもった音が体の中で響いている。
 鋼鐵塚が刀を一押しするたびにゆらゆらと揺さぶられ、築炉は一人くすくすと笑った。
 築炉は立ち上がり、鋼鐵塚の周囲をうろうろする。

「はぁがねづかさん」

 名前を呼んでもこちらに気が付いた素振りもないので、築炉は鋼鐵塚の顔の横に立つ。

「はがねづかさん、おみみかしてくださいねえ」

 腰を折り曲げ刀身に鼻の先を近付けた鋼鐵塚の耳に、築炉は背伸びして唇を寄せた。

「すき」

 小さな声でそれだけ囁いて、築炉はくすぐったさに「いひひ」と一人で笑った。こんなことを喜ぶなんておかしいと思った。
 それからまたやることがないので、みたらし団子の餡を指につけて、伸ばしたり粘らせたりして遊んでいた。
 研ぎを手の離せる段階まで終えた鋼鐵塚が刀から顔を上げ物音に顔を巡らせる。築炉が足下で寝そべって遊んでいるのを見て、思わず「うおお」と声を漏らした。
 何やってんだこんなところで! 踏むところだぞ! と大きな声を上げそうになったが、築炉を跨いで研ぎ場の外に向かうことを先決した。いかに集中していようと耐え難い生理現象というものは存在する。

「あ、はがねづかさん、どこいくんですか」
「小便! ついてくんな!」

 袴の紐を緩めながら外に出、早々に用を足して研ぎ場に戻る。研糞で汚れた床に座ってこちらを見上げる築炉を見下ろし、鋼鐵塚は眉をひそめた。

「おい、家で待ってろと言っただろうが」
「はがねづかさん、おだんご」
「食う」

 築炉の差し出す団子を片手で二串取り、空腹に任せて一口で四玉を一気に頬張る。性急に咀嚼嚥下し、築炉の差し出す水筒の水を呷った頃には、何を言おうとしたのかすっぽりと抜け落ちてしまった。

「お前、ずっとここにいたのか」
「あい」
「さみいだろ」

 鋼鐵塚が築炉の小さな手を取ると、凍えているのかと思うほど冷たくてぎょっとする。すぐに「そういうものであった」と思い出し、鼻を鳴らして手を離した。
 誰かが忘れていった丹前を築炉に被せてやると、築炉は綿の重みでよろめいた。

「構ってやれねえぞ」
「あい」
「邪魔したらぶん殴るからな」
「あい」

 鋼鐵塚は築炉の頭をぐしゃぐしゃと掻き回すと、空いた片手で握り飯を流し込むように口に押し込む。汗と研ぎ汁で濡れそぼった手拭いで顔を拭くとそのへんに投げ出し、新しい手拭いを巻いた。
 ふと、鋼鐵塚は刀を研いでいるときのことを思い出す。意識の片隅で「誰かが来たな」というのは分かっていた。その人は部屋の中をうろうろとした後、鋼鐵塚の耳元で何かを囁いた気がする。

「おい、ちびすけ」
「はあい」
「お前、俺に何か言うことがあったのか?」

 そう尋ねると、築炉はことんと首を傾げる。

「ううん、なあんにも」

 そうかい、と鋼鐵塚は訝しく思いながらもそれ以上追究しなかった。すでに鋼鐵塚の意識は研磨の続きに向いている。
 研ぎ桶から次に使う砥石を引き上げ研ぎ台に据える。研磨を再開した鋼鐵塚の背に築炉は寄り掛かり、分厚い丹前に包まりゆらゆらと揺られながら、ぼんやりと暗い天井を眺めていた。