あのこがほしい(六)
宇髄天元は膝の上の築炉をゆらゆらと揺らした。ひゃあと築炉は楽しそうな声を上げる。
築炉が「少々厄介なことになっている」というのは、蟲柱胡蝶しのぶからの言で聞いていた。だが、目の当たりにすれば多少なりとも動揺はする。宇髄の半分もないような背丈で、丸い目をきょときょととさせてこちらを見上げてくる築炉に、宇髄は「なんとまあこりゃ派手に……」と呻いた。
家族を鏖殺された築炉を保護したのはまだ音柱となる前の宇髄であった。もとより面倒見のいい男であり、三人の嫁を愛する男である。不幸な結婚に甘んじていたのであろう築炉のことは、折につけ気にかけていた。
何の因果か鋼鐵塚などという結婚相手としてはこれ以上ないほど悪条件の男に再嫁させられたが、紆余曲折を経てどうにか上手くやっているらしい。宇髄はそれを偏に築炉の努力と忍耐の賜物だと思っている。しかし宇髄の見立てでは、鋼鐵塚は鋼鐵塚なりに築炉のことを大切にはしている。その結果がこの様ではあるが。
宇髄はぷくぷくの築炉の腹を指先で擽る。築炉は甲高い悲鳴をあげて宇髄の膝の上で転がった。
築炉は慎み深く控えめな元の姿からは想像できないほど、口を開けて高い声で笑いじゃれつくように宇髄の腕を掴む。
「ひひ、いひひ、くすぐったい」
「おう、おまえさんの大事な人がこっちに気が付いてくれねえもんでな、暇で暇で」
細く開けた木戸の向こうで、鋼鐵塚が一心に刀を研いでいる。鋼鐵塚の姿が見えないと築炉がぐずるので、研ぎ場の前で宇髄は築炉を肴に鋼鐵塚の刀が研ぎ上がるのを待っていた。
古い絡繰人形から見つけられた日輪刀の研磨が今夜終わることを、鬼殺隊本部は把握している。鍛冶の里に鬼の襲撃があった以上、転居した里の道中の安全が確保されるまでは刀鍛冶の道行きには隠でなく隊士が随伴することになっていた。
さらに今回運ばれる日輪刀は、近頃諸々の渦中にある竈門炭治郎の手に収まるものである。万が一があってはならない。
柱稽古のための招集で本部に向かっている最中であった宇髄が、長旅の補給と休養を兼ねてしばらく刀鍛冶の里に逗留することになっていた。刀の研ぎ終わりを見届け、鋼鐵塚と刀を蝶屋敷の炭治郎のもとに無事送り届けるのが任務である。
「きゃーはがねづかさんいそいでぇ!」
「ほらほら、かわいい築炉ちゃんがそう言ってんぞ――っても聞こえてねえだろうが」
宇髄は手足をばたばたさせる築炉を抱き上げた。築炉は宇髄のことを一つ残らず忘れ去ってはいたが、派手な身なりの大男に人見知りもせずにこにこ笑って挨拶をした。
害されぬと信じて疑わぬ両の瞳を、無防備なやわい手足を、宇髄は目を細めて眺める。宇髄の知る築炉は、おどおどと傷付いた目を伏せ、これ以上傷付けられぬよう鎧のように淡い笑みを浮かべた女であった。
それが記憶も痛みも体も手放して、剥き出しの白桃のような脆い生き物になっている。そうして傷付いた心身の快復を図っているのだと胡蝶は推測していた。鬼は己の姿形を好きなように変えられる。攻撃的な姿になる者、美しく長じる者、ただ執着ばかりを肉体に映し込む者。
「あんたは、鋼鐵塚のもとなら無防備でいられると思ったんだなあ」
柔らかいばかりの築炉の腹を撫でると、築炉はただ不思議そうに首を傾げた。
「そこまで信頼されちゃあな、男冥利に尽きるってもんだ」
「うん?」
「分かるか? 分かんねえよな、大人の話だ。おまえにゃまだ早い」
宇髄は築炉の細い髪を撫でる。
「築炉さん、鋼鐵塚が好きかい?」
問えば、築炉は顔中を笑顔にした。
「すき」
「どこが」
「わかんない」
けらけらと築炉は声を上げて笑った。真夜中も近いひんやりとした夜に、高く明るい声だけが響く。
宇髄は白く輝く月を見上げながら、築炉の髪をくしゃくしゃにした。
「はぁーもったいねえなあ、こんなカワイコチャンが鋼鐵塚に首ったけかよ」
「くびったけ!」
「うちの子になるか? ん? 母ちゃんが三人もいるぜ」
「やーですぅ」
「なんだと、なるって言うまで擽りの刑だな!」
「やだやだ、きゃー、やめてぇ! いひひ!」
研ぎ場の扉が乱暴に開かれる。蓬髪に無精髭、着物はどろどろで足取りも覚束ぬ男が、月の光を受けてぬめるような光を帯びる刀をぶらりと片手に提げている。暗闇で見れば――暗闇でなくとも――完全に狂人の類である。
泣く子も黙りそうな怖ろしげな姿を見て、築炉は嬉しそうな声を上げて宇髄の腕の中を飛び出していった。
「はがねづかさん!」
ぴょんと飛び上がる築炉を、鋼鐵塚は刀を提げていない方の腕で抱き上げた。研ぎ汁やら汗やらが染み込んだ着物に縋りつくものであるから、築炉の着物にも薄汚れた液体が染みていく。
ありゃ女衆にどやされるぞ、と宇髄は顔を顰めた。
「おわり?」
「あ゛あ? なんでテメエがここにいる?」
鋼鐵塚は築炉を無視して宇髄を睨んだ。経緯を説明しようと口を開きかけた宇髄を、築炉の甲高い声が遮る。
「ねえ、はがねづかさん、おわり?」
「そういや柱は辞めたんだったか?」
「ねーえー、おわり? おわり?」
「じゃあ余計なんでここにいるんだよ。冷やかしなら後にしろ」
「はがねづかさんきいてよー!」
騒がしいやりとりに宇髄は頭を抱える。
「鋼鐵塚、まず築炉に答えてやれよ。ぴいぴいとうるさくて敵わねえ」
宇髄が言うと鋼鐵塚は鼻白んだように築炉の体を揺すりあげた。
「いや、今から刀を届けに行く」
「いま? よるですよぉ?」
「行く。今寝たら起きられねえ」
「ええー、はがねづかさん、へん。いくじほーき。ぽんこつ」
「……お前、俺が刀研いでる間に何吹き込まれた!?」
「えへへ、はがねづかさん、すき」
築炉の言葉に鋼鐵塚は怒気を引っ込め、築炉の首元に顔を埋める。
「すぐに出る」
「わたしは?」
「行くか?」
「うん」
宇髄は鋼鐵塚から築炉を取り上げる。汚れてしまった築炉の着物を見て溜息をついた。
「すぐ出るのは構いやしねえが、鋼鐵塚、風呂くらい入って髭あたれ。そんな不潔極まりねえ格好で蝶屋敷に出入りしてみろ、冗談でなく胡蝶に殺されるぞ」
「風呂は無理だ。入ると寝る」
「じゃあ、水でも引っ被ってこい」
宇髄の言葉に鋼鐵塚は反駁しかけたが、築炉に「はがねづかさん、きたないしくさいですね」と言われてさすがに堪えたのか言葉を飲み込んだ。
支度しとけ、と築炉に言うだけ言って、鋼鐵塚はふらふらとその場を後にする。宇髄は築炉の染みのついた着物を見てやる。
「あーあ、女の子の着物になんてことすんだあの阿呆は。着替えはあるのか?」
「あります!」
「持ってこい、着替えさせてやるから」
「自分でできますぅ!」
築炉は小走りに研ぎ場に飛び込むと、着物を着替えて帰ってきた。代わり映えのしない絣の着物だ。宇髄は築炉が会うたびに藤柄の着物を着ていたことを思い出す。
宇髄は築炉が藤の花を好んでいたことも、鋼鐵塚が愚直にそれを買い与えていたことも知らない。ただ、築炉が洒落た人なのに季節を問わずいつでも藤柄を身に着けていることを不思議に思っていた。
やがて水を浴び髭を剃った鋼鐵塚が戻ってくる。宇髄が幾度か目にしたことのある旅装に、件のふざけた笠を手にしていた。ちりんちりん、と夜風に揺さぶられて涼やかな風鈴の音がする。
鋼鐵塚の姿を見るなり抱っこをねだりに駆け出す築炉を、宇髄は背後から捕まえた。
「おっと、やめとけ。あいつ濡れ鼠じゃねえか。築炉さんまで風邪ひいちまう」
鋼鐵塚はそれを聞くと濡れ髪を乱暴に手で絞る。ぼとぼとと地面に水が垂れた。
「そうでもねえ」
「よく言えたな」
それで、と鋼鐵塚が宇髄を睨む。
「用向きは」
「護衛だ」
それだけ言えばある程度察した鋼鐵塚は鼻を鳴らした。
道中、鋼鐵塚も宇髄もほとんど口を聞かなかった。男二人で連れ立って、そう盛り上がる話もない。
宇髄に背負われた築炉だけが、時折調子外れな歌を歌ったりした。
「うずいてんげんさん」
「ん、どうした?」
「うずいと、てんげんと、どちらがおなまえですか?」
「天元の方だな。分かりづらいか?」
「ううん、すてき」
宇髄の耳元で築炉は小さく笑った。宇髄は小さくて軽くて冷たい体を揺すり上げる。
宇髄が鋼鐵塚の方をちらと見ると、鋼鐵塚の足取りはだいぶ重く見えた。首筋に油汗がつうと落ちている。宇髄は己が代わりに刀を運ぶと申し出ることも考えたが、素直に聞くタマではないので放っておいた。
昏倒して一歩も歩けなくなり、文句も愚痴も言えない状態になったら次策を考えようとしていた。
「鋼鐵塚、築炉さん、早く元に戻るといいな」
宇髄は何とはなしにそう言った。胡蝶は様子を見るしかないと言っていた。鋼鐵塚はどこか朦朧とした様子で前だけを見ていた。脚を動かしているのはもはや刀鍛冶としての執念だけなのであろう。
「別に戻らなくてもいい」
不貞腐れたような声音で鋼鐵塚は呟く。宇髄はそれに「ああそうあんたの趣味にはどうこう言わねえが」と軽口を返した。
「俺ァ、築炉が嫌いだったんだ」
鋼鐵塚は低く呻く。宇髄は眉を顰めた。築炉の鋼鐵塚への愛情と献身を知っている宇髄にしてみれば、鋼鐵塚の言葉には多少思うところはあった。
「……そうかい、テメエにゃ過ぎた嫁さんだったろ」
「言いたいことも言わねえ、いつでもおどおどびくびくしやがって、夜中にゃ何かに怯えて泣いて飛び起きる」
鋼鐵塚は宇髄の方を――宇髄に背負われている築炉の方を見た。
「お前――お前、築炉の裸見たことあるか」
「あるわけねえだろ、あったらどうすんだよ」
「そのちびすけ見てみろ、まるまるふくふくして、剥いたばかりの茹で卵みたいに傷の一つもねえんだ」
宇髄のうなじに、築炉のひんやりとした柔らかい頬が寄せられる。
「馬鹿みてえにへらへらして、くだんねえイタズラばっかりしやがる。――そいつが嫌なことも何も全部忘れっちまってんなら、それでもいいだろ。無理に思い出すこたァねえよ」
宇髄は再び前を向いてしまった鋼鐵塚の横顔を眺めた。しばらく黙ってその痛々しい横顔を見て、前に視線を戻す。
「あんた意外と――……まあいいや、なあ鋼鐵塚、もし育てきれねえときは俺んとこに預けろよ。うちは女手だけは余るほどある。男手は片手落ちだがな」
笑えぬ冗句を笑って言う宇髄を、鋼鐵塚はじろりと睨んだ。
「馬鹿言うな。こいつは里で育てる。いっとう腕のいい職人の嫁にする」