あのこがほしい(七)



 後藤は隠であるが、鋼鐵塚蛍という名の刀鍛冶のことを話には聞いていた。良く言えば職人気質で情熱的な、実情は傍迷惑な激情家で、隊士達は刀きちがいと容赦なく罵る。鍛冶の里に繋がりのある同僚にそれとなく聞けば、苦笑いを浮かべて「まあ、隊士の言うことももっともだ」と言う。曰く、刀を折った隊士を包丁で刺した。曰く、刀を失くした隊士を三日三晩追い続けた。曰く、刀を粗末に扱う隊士を滝つぼに投げ込んだ――と、逸話には事欠かない。
 後藤は初めて実物の鋼鐵塚を見て「なるほど」と思った。一筋縄でいかぬ男であることは確かであるらしい。炭治郎が言うには「あれでも大人しい方」とのことであるので、大人しくない方を思うと肝が冷えた。
 炭治郎と鋼鐵塚のやりとり――というよりも、鋼鐵塚が一方的に捲し立てている――を聞いていた後藤は、鋼鐵塚の背中に幼い少女が隠れていることに気が付いた。年の頃は五つかそのくらいで、絣の着物の可愛らしい少女である。
 屈んでちょいちょいと手招くと、少女はにこにこ笑って後藤に近寄ってきた。見れば額には木の枝のようなねじくれた角が生え、瞳は茱萸のように赤い。こりゃワケアリだなと後藤は思ったが、それを口にはしなかった。

「よう、どこのお嬢ちゃんだ」

 後藤の問いに、築炉はことりと首を傾げる。

「はがねづかさんの……」
「あの人の娘さんか?」
「ちがうの。おくさんなの」
「…………は?」

 後藤は目の前の小さな少女と、炭治郎に向かって恨み言を吐き続ける壮年の男を見比べた。

「えっ!?」

 思わず大きな声が出る。
 鋼鐵塚と少女はどう好意的に見積もっても親と子程度には年齢が離れている。というよりも目の前の少女は結婚の「け」の字も知らないような小さな子供である。
 後藤は青褪め声をひそめながら築炉に囁く。

「……お嬢ちゃん名前は?」
「んん、みんな、築炉ってよびます」
「そうか、築炉ちゃん、お家はどこだ? お父さんとお母さんは?」
「おうちは……かたなのあるとこ……」

 こいつはまずい、と後藤は焦る。この頓狂な男のことである。どこかの娘さんを無理矢理かどわかして来たのではなかろうか。

「おとうさんと、おかあさん、は、あんまりおぼえていません。……でも、はがねづかさんがいます」
「そ、そうかあ……よかったなあ……」

 後藤はさりげなく鋼鐵塚と築炉の間に体を割り込ませる。

「築炉ちゃん、あの人に嫌なことされてないか? 家に帰らなくて大丈夫か?」

 築炉は怯えたように目を丸くし、一歩後ずさる。おい、と鋼鐵塚が築炉に声をかける。その途端に築炉は仔犬のように鋼鐵塚の足下に駆け寄った。鋼鐵塚の腿のあたりに築炉は額を摺り寄せる。

「なんだよ」

 鋼鐵塚は後藤を面越しにじろりと睨むと一言それだけ言った。後藤は短気で激昂しやすい鋼鐵塚に対して慎重に言葉を選んだ。

「可愛い子だな」
「そうかい」
「あんたの娘さんか?」
「――おい、こいつ可愛いと思うか」
「……は?」
「お前いくつだ」
「いや、何……」
「二十は超えてんな。ちと歳が離れすぎだ」
「何の話だよ!」

 すっかり鋼鐵塚の調子に巻き込まれた後藤が声を荒げる。寝台で体を起こしていた炭治郎が「あれ、その子は……」と目を丸くする。
 鋼鐵塚はむっとした様子でぶっきらぼうに「築炉、だった」と答えた。炭治郎は事態が飲み込めずに目を白黒させる。

「え、でも、築炉さんって、大人の女性でしたよね……」
「はあ? そりゃそうだろお前には何に見えてたんだよ」
「でも、この子は……築炉さん、だった?」
「はあい」

 築炉が間延びした返事をする。鋼鐵塚は築炉の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。築炉は目を細めて「いやー」と悲鳴を上げる。

「お前の妹もでかくなったり小さくなったりするだろ」
「は、はあ、しますけど」
「それだ」
「それだ、って……」

 鋼鐵塚はそれ以上話をする気はないらしく、ふいと顔を逸らしてしまう。炭治郎が築炉をじいと見つめると、築炉はふくふくとした指先をいじりながら炭治郎を上目遣いに見つめ返した。幼い日の妹の姿が思い出され、炭治郎は微笑む。

「こんにちは」

 炭治郎が言うと、築炉は笑って挨拶を返した。その笑顔が自我を失っていた頃の禰豆子に似ていて、炭治郎はなんとなく経緯を察する。

「鋼鐵塚さんのことは、覚えているんですか」
「さあな」

 鋼鐵塚はさして興味もないように返すと、いいからさっさと刀を抜けと炭治郎に迫る。女房を殺しかけ、記憶も身体も失わせしめ、自身も命を落としかけ目を潰してまで研ぎあげた刀である。早く色の変わるところが見たかった。
 寝台に腰掛けながらすらりと抜かれた刀が、焔に炙られたように黒に変わる。鈍い光沢を帯びる刀身が美しい。鋼鐵塚ははじめ炭治郎と顔を合わせたときに、赤い刀身を期待した。だが今は、彼の刀が黒でよかったと頭の片隅で思う。
 炭治郎が刀をしげしげと見つめながら何事かを言い、鋼鐵塚はそれに対して何事かを答えたのであるが、鋼鐵塚の意識はただ絹糸のように滴る光を湛えた狂いのない刃にだけ向けられていた。
 その刀が無事に炭治郎の手の内で色を変えたことに鋼鐵塚は内心で安堵した。同時に胃の腑あたりに苦いものがこみ上げる。それはごく単純にこの一週間あまり無理に無理を重ねた代償かもしれず、またごく単純に嫉心であったのかもしれない。
 少なくとも為すべきことを為した安堵は鋼鐵塚の疲弊した体を弛緩させた。途端に眩暈がするほどの眠気と疲労と、耐え難い体の痛みを思い出す。鋼鐵塚は肩で息をして、手近にあった椅子の背に手をかける。肉刺が潰れ裂けた手のひらがひりひりと痛んだ。
 小さな椅子は鋼鐵塚の体を支えるには足りず、脚が宙に持ち上がり倒れた。鋼鐵塚は屈んでそれを直す気にもならない。後藤が呆れたように倒れた椅子を立て直し、炭治郎は気遣わし気に眉を寄せる。

「だ、大丈夫ですか、鋼鐵塚さん。だいぶ無理されたんじゃないですか」
「うるせえ」
「少し休んで――」
「うるせえ」
「で――」
「うるせえ」

 うるせえの一言を単調に繰り返すだけの鋼鐵塚に、炭治郎はそれ以上言い募るのはやめた。築炉は、血が滲み研糞で汚れた鋼鐵塚の手をそっと握る。鋼鐵塚はそれ以外に縋るものが無いかのように小さな手を握り返した。その力があまりに加減を知らないものであるから、築炉は「いたい!」と甲高い悲鳴を上げた。
 炭治郎はいとけない悲鳴に苦笑を浮かべながら、鋼鐵塚に体ごと顔を向ける。

「鋼鐵塚さん、ありがとうございます」
「うるせえ」
「鋼鐵塚さんのおかげで、禰豆子は助かりました。ものも言えるようになって、おはようって、俺に――」

 うるせえと一蹴されるかと炭治郎は覚悟していたのであるが、それに反して鋼鐵塚は何も言わなかった。顔と面の隙間から苦し気な息だけを漏らす。

「築炉さんのことは、本当に……寂しいかもしれないですけど」

 愛する家族が変質する恐ろしさと蕩ける自我を目の当たりにする辛さは、炭治郎が誰よりもよく知っていた。慎重に言葉を選ぶ炭治郎の真剣な顔を、鋼鐵塚は面越しにぼんやりと眺めていた。

「でも、生きていてよかった」

 生きてさえいれば、打つ手がある。希望さえ捨てなければ、道がある。炭治郎はそこまで言葉にすることは出来なかった。大勢の人間――当然、それには鋼鐵塚も含まれる――の協力を得てここまで辿り着いた。それを我が事のように喧伝するほど炭治郎は恩知らずではなかった。それに、訳知り顔で助言が出来ない程度には浅からぬ懊悩があることを、炭治郎は身をもって知っている。
 言葉少なにそれだけ言う炭治郎に、鋼鐵塚はかさかさと掠れた声で「ああ」と答えた。それから間髪入れずに「帰る」と呻く。築炉を引きずるように手を引き、ふらつく足取りで本当に蜻蛉返りしようとする。炭治郎はその背中に慌てて声をかけた。

「は、鋼鐵塚さん、一晩くらい休んで行った方がいいですよ」
「うるせえよ、やることがあるんだ」

 喘鳴のように鋼鐵塚は零す。木戸が閉まる前の一瞬、築炉は炭治郎を振り向き小さく手を振った。薄桃色のふくりとした唇が、その動きだけで「ばいばい」と炭治郎に伝える。炭治郎がそれに応える前に、戸板が乱暴に閉められた。

「大丈夫か、あの人」

 後藤が木戸に向かって呟く。それが鋼鐵塚の体調のことなのか、もっと如何ともしがたい性根に関することなのか、炭治郎には分からなかった。なので、炭治郎は曖昧に笑って「どうでしょう」と言うことしか出来なかった。


*****


 今より刀が、刀による命のやりとりが、身近であった時代に打たれたそれは、ただ生物の命を潰える形をしていた。武骨だが洗練された殺戮の道具だ。鬼殺への冀求が刀の形をしている。
 鋼鐵塚は常々、そういう刀を打ちたいと願ってきた。そういう刀を打ってきたはずであった。今、四百年余り過去の刀鍛冶に対して、完全に後塵を拝している。何故この技術が途絶えた。何故己はこの域に辿り着けない。傷付いた目の裏がカッと熱くなる。
 鋼鐵塚は根から「隠れ里の刀鍛冶」である。鬼殺隊士には思い入れや執着を持たない。意識すべきことではなく、気が付けばそうなっていた。尤も仕事への姿勢に多少の難がある鋼鐵塚は、鬼殺隊士と懇意になるほど長期間一人の作刀を担当することはそうそうなかったのではあるが。
 鋼鐵塚は産まれた頃から鋼の灼ける煙を吸い、文字を覚える前に炭切りを覚えた。ただ目の前の刀を打つことだけを考えてきた男が、初めて「こいつのために刀を打ってやりたい」と意識の外ながらも思ったのが炭治郎であった。炭治郎も鋼鐵塚の熱量に応えた。
 そのはずが、鋼鐵塚は炭治郎に己が打った刀を持たせることすら叶わないでいる。己の拙劣が故に。名も知らぬ過去の鍛人の刀を黙々と研ぐしか術がない。これが刀鍛冶として最大の屈辱でないというならば、いったい何だというのだ。潰れた左目から溢れ面の内側に溜まる涙は、本当に傷のためだけであったか。

 鋼鐵塚は里に帰るなり道具類が運び込まれたばかりの鍛冶場に閉じこもった。傷と体調を気遣い休むよう助言する仲間を怒鳴りつけ、払いのけ、まだ熱い火床に火を入れる。
 仲間は呆れかえり、或いは鋼鐵塚の態度に腹を立て、最後まで鋼鐵塚を止めようとした鉄穴森に「死ぬまでやらせておけ」と言って引き返していった。鉄穴森はしばらく鍛冶場の外にいたが、鋼鐵塚に聞く耳が無いことを悟ってそのうちいなくなった。
 ごうごうと鞴が唸り、火床の火が赤く白く燃え盛る。小炭がぱちりと爆ぜる音が神経をささくれ立たせた。ここだという場所に炭を組み火を入れたのに、勝手に爆ぜて位置が変わる。それだけで鉄の沸き具合が思うようにいかないような気分になる。
 吐き気がするほど眠く、着物の内側に針が生えているのかと思うほど全身が痛んだ。だがそれをものともしないほどに鋼鐵塚を突き動かしていたのは、怒りと焦燥と苛立ちである。何かせずにはいられなかった。最後に目覚めたのがいつか思い出せない。

「はがねづかさん」

 鍛冶場の隅に立ったままの築炉が、鬼気迫る様相の鋼鐵塚に不安げな声を上げる。

「静かにしてろ! 出来ねえなら出ていけ!」

 鋼鐵塚は築炉の方を見もせずに怒鳴る。返事の代わりに息を止める音がした。
 何もかも気に喰わなかった。己の未熟さも、築炉が何だかよく分からない生き物になったことも、鉄が思うように沸かないことも、築炉が他人行儀に己を呼ぶことも、向こう鎚がなければ刀など打てるはずがないという事実も、何もかもだ。鞴を蹴飛ばし火箸を火床に投げ込み叫びだしたくなる。刀工としての矜持だけが鋼鐵塚にそれをさせなかった。
 築炉は鋼鐵塚に言いつけられた通り、口を噤んで鋼鐵塚の背後に立つ。触れられそうなほどぴりぴりと張りつめた空気の輪郭をなぞるようにうろうろとする気配を、鋼鐵塚は背中で感じていた。何も言わない気配が、背後からそろりと鋼鐵塚の痺れた指先を掴んだ。ひんやりとした皮膚の向こうに、体温を感じる。
 鋼鐵塚は火を上げる火床とそこに差し込まれ赤められた地金を見つめながら、細い指を握り返す。しばらくそのまま立ち尽くし、炭が燃え白く灰になるのを睨んでいた。
 ある瞬間、ふと気が付く。握った指先がわずかな熱を帯びている。鋼鐵塚がぎょっとして振り返ると、誰が置いていったのか分からない丹前をぞろりと羽織っただけの築炉が藤色の瞳で鋼鐵塚を見上げた。言葉を失い眉間にしわを寄せる鋼鐵塚に、築炉は瞼を震わせると「ねむい」とだけ呟きその場に崩れ落ちた。
 何事かと身構える鋼鐵塚の足の甲を枕にして、築炉はすうすうと規則正しい寝息をたてはじめる。鋼鐵塚はしばらく茫然とそれを見下ろしていた。

「ふ、――」

 吐息とつかぬ声が己の唇から漏れる。

「ざけやがって」

 鋼鐵塚は息も絶え絶えにそれだけ呻くと床で丸くなる築炉に折り重なるように倒れ、そうと気付かぬまま早々に意識を失った。