それでも生きてみた
宇髄天元は音柱である。
半年程前に五十体目の鬼を討伐し柱となった。身の丈六尺を超える美丈夫で力も強い。当然、持つ刀もその身体に見合った大振りなものとなる。天元は己の、そして妻達の命を守る自身の装備に手抜かりはしない。必ず鍛冶の隠れ里に出向き、鍛冶と意見を交わしながら刀を作る。
天元が倒した五十体目の鬼の「食べ残し」がこの里にいるのだと教えたのは産屋敷であった。「君は随分と気にかけていたようだから、もし良ければ様子を見てきてあげるといいよ」と彼はゆるりと微笑んだ。
天元は産屋敷に彼女のことを尋ねたことはなく、気にかけているなどおくびに出したこともない。ただ、産屋敷はそういう男である。人の心の内を見通しそっと寄り添う。それを知っていたがゆえに天元は特に疑問も持たずに「そうします」と答えた。
澄んだ水の美しい、山間の平場であった。田植えを待つ水田にはうっすらと雪が積もり、月の光に淡く輝いていた。割合に豊かに見える集落で一際大きな屋敷は、血と臓腑の臭いに満ちていた。
鬼を斬った天元は、駄目だろうと思いながら屋敷の中で生きた人間を探した。誰が何人いるかも分からない。どの部分が何であるかも判然としない食い散らかし方であった。
血溜まりの中には女も、おそらく子供であったものも散乱していて、天元はそれらに肩入れしないように死体の数を数えて回った。そうしているうちに富裕な家らしく広く立派な厨に、ぼうと女が立っているのを見つけたのだ。斬り残しか、と刀を構えた天元に、女は怯えもせず視線を向けた。
痩せていて、棒きれのように立ち尽くしていた。その印象通りそぼそぼとした足取りで天元の方に二、三歩歩み寄り、女は「家の者は――留守でございます」と呟いた。彼女の足元に転がっている下顎は、彼女の家の者だったのだろうか。
「生き残りか?」
或いは、鬼の残党か。変化の途中か。しかし天元にはそうは感じられなかった。
問われた女は困惑したように首を傾げた。裂けた着物から傷だらけの肌が覗いた。鬼のつけた傷ではない。鬼が付けた傷はこんな程度では済まない。
「皆、死んだのですか?」
「ああ、死んでいる」
恬淡と答えてから、もっと思いやりのある言い方をすればよかったか、とも思う。だが、何と言えばいい。いくら言葉を弄そうと彼女の家族が惨たらしく死んでいることには変わりない。
「そうですか」
女はそう言って、何とも言い難い目を天元を透かした向こう側に向けた。それからうっすらと、無感情に微笑んだ。
女は名前を築炉といった。施療院に入院している間、築炉の実家は築炉を引き取ることを拒み続けていた。出戻りは外聞が悪いと思ったものか、鬼に傷付けられた者は鬼と化すという迷信を信じていたものか、そのどちらもか、他に理由があるのか、天元には知り得ない。
だが、彼女の体と様子を見れば、彼女が婚家でどういう扱いを受けていたかは分かった。それを実家が容認していたであろうことも。
いつの間にか彼女は施療院から退院していて、それ以降のことは知らない。隠の誰かに聞けば分かったのだろうが、そうはしなかった。どこか遠いところで、鬼とも鬼畜とも無縁に心穏やかに過ごしていればいいと願っていた。
まさか隠れ里にいたとは知らなかった。天元は教えられた家の戸を叩く。
戸の向こうから「はい」と小さな声がした。天元でなければ聞き逃してしまう程の声であった。引き戸が軋み、戸の隙間から築炉が天元を見上げる。
「よう、築炉さん、達者だったかい?」
「ああ、あなたは――」
「宇髄だ、宇髄天元。忘れられるのは地味に悔しいが、でもあんたは全部忘れちまった方がいいんだろうな」
「いいえ、忘れるなどとんでもないことです。その節は大変お世話になりました。ご健勝そうで何よりです」
顔色は青白いが、それでも以前ほどは悪くなかった。皮の張った髑髏のようであった顔は、多少生気を帯びている。それなりに人らしい暮らしをしているようで何よりであった。
するりと彼女は表に出てくる。髪を切って纏めていた。仏門に下ったのであろうか。追及するつもりはないが。
「築炉さんがここにいるって聞いてな。俺はあんたに鬼とは縁遠いところにいて欲しかったが」
築炉はうっそりと微笑んだ。その空虚な微笑みに天元の胸は痛む。
ああいう人間を天元は幾人も見てきた。許容量を越えた辛苦を身に積もらされた人間の中には、ああいう風になる者がいる。死ぬのでも、壊れるのでもない。見てくれを保ったまま、精神が徐々に摩耗していく。人間らしさを装ったまま、人間性を失っていく。壊れないために、感受性を自切していく。
かつて忍仲間には、そういう者が多くいた。そういう者達は大概が己とは違い「優秀な忍」で、そして淡々と死んでいった。
「だが、少しは元気そうでよかった」
「心配してくださって、ありがとうございます。――ああ、あの、宅に何か御用でしょうか?」
「いや、築炉さんの様子を見に来ただけだ。元気なら――」
天元は築炉の物言いにふと言葉を切る。宅、と言ったか。
「再婚したのか?」
「ええ、はい、恥ずかしながら」
「……あ、いや、こりゃめでたいな! そうか、おめでとう」
ありがとうございます、と築炉は深く頭を下げる。これで彼女が隠れ里にいる理由にも合点がいった。
「一応聞いておくが、いい夫か?」
「はい、優しい人です」
乏しい表情のまま築炉は呟く。嘘ではなさそうで、天元は目を細めた。
「重畳だ。何かあったら頼れなんて言うつもりだったが、こりゃ派手に筋違いってやつだな」
誰かがこちらに歩いて来る気配がして、天元は目を向ける。火男面の男である。尤もこの里の男は皆そうなのであるが。
火男面の男が、荒々しい競歩で包丁を腰溜めにこちらに向かっていた。なんだあれは、と一瞬天元も呆気に取られる。
火男面の男は包丁の先が築炉の胸に刺さる直前でぐるりと身を翻し、肩から築炉に激突した。よろめいて転びそうになる築炉を天元が抱き留める。
「避けろよ!!!」
刺そうとした張本人がそう声を上げ、築炉に詰め寄った。
「むざむざ刺される奴があるか!!! 避けろ! 逃げろ! バカヤロウ、刺さったらどうすんだ!」
無茶苦茶なことを言う。築炉は怒るでも戸惑うでもなく「次はそうします」と頷いた。そのやり取りを眺めていた天元は、経緯を察して頭を抱える。
「嘘だろ、よりによって鋼鐡塚か。築炉さん、あんた本当に男運がねえんだな」
鋼鐡塚と言えば鬼殺隊隊士の間でもその気難しさと面倒くささは札付きである。刀を折り、彼に追い回され殴られ罵倒され血文字を送りつけられた隊士は両手でも足りない程だ。そのせいで、腕はいいのだが彼に製作を頼む者は少ない。
包丁の腹でべしべしと叩かれている築炉を鋼鐡塚から引き剥がす。
「築炉さん、派手にヤベェのに嫁がされちまったな。俺はもう嫁が三人いるっちゃいるんだが、一時避難で四人目の嫁になるか?」
言った瞬間天元の顔の横にズダァァアンと包丁が突き立てられた。背後の土壁に刀身が半ばまで埋まり、しなってビィインと音が鳴る。砕けた土壁がぱらぱらと地面に落ちた。包丁程度の小さな刃物でこの鋭さと強度は流石と言うべきであろうか。
「あ゙? 俺の女房に色目使ってんじゃねえブチ殺すぞ……!」
火男面にメンチを切られた。面の目穴から覗く目が血走っている。フゥゥウ、と荒い息が面から漏れる。
「優しい人なんですよ」
「へえ、あんたの優しい人、念仏みてえにコロスコロスって唸りながらすげえ勢いで包丁素振りしてっけど」
築炉は淡々と天元を見る。
「冗談の好きな人で」
「そうかい、俺にはとても冗談に見えねえが」
駄々漏れの殺意を一身に受け、天元は苦笑いした。
「でも、まあ、愛されているようで何よりだ」
天元が言うと、急に鋼鐡塚は静かになった。手をぶらりと下げて、しばらくハァハァと荒い息を吐きながら呆然と立ち尽くす。それから急に包丁を天元に向かって振りかぶった。
天元はそれをひらりと避けると、塀の上に跳ね上がる。
「またな、築炉さん。鋼鐡塚に耐えられなくなったら俺に言うんだぜ?」
築炉は穏やかに目を細めると「はい」と小さく手を振った。