不安の種



 最近築炉はきれいになった、と里の者は口を揃えて言う。枯れかけた白樺の木のようであった姿は健康的にしゃんと背筋が伸びた。生気を失っていた顔は血の気を帯び、穏やかに笑うようになった。
 もとはといえば地主の嫁に請われた器量よしであったのだ。痩せ窶れ老け込んではいたが、徐々に面影を取り戻しつつある。それを男達が鋼鐡塚に言えば、鋼鐡塚は火男面のままむっつりと「あいつは端からあんなだろ」とだけ言う。照れ隠しだ、と皆笑った。
 鍛冶仲間のほとんどが「婚儀の日に花嫁が逃げ出す」に賭けたとは思えない鴛鴦夫婦ぶりで、人間変われば変わるものだと里の者は狐に鼻を抓まれたような気分でいる。これは子供もすぐか、などと噂しつつ、里の者達は皆心の底から「頼むから母似の子供であってくれ」と願っていた。


 座敷に胡座をかいて己が鍛えた日輪刀を見分している鋼鐡塚を、部屋の隅につくねんと座った築炉が眺めていた。
 手が空いていれば築炉は必ずそうしていて、鋼鐡塚が「楽しいのか」と問えば「はい」と答える。鋼鐡塚は気が向けば刀の拵について話したり、鋼のことを話したり、そのとき製作した刀のこだわりについて話したりした。だが、鋼鐡塚は教え上手な性質ではないし、つい夢中になって喋りすぎる。
 それでも、築炉はいくらでも鋼鐡塚の話を聞いている。時には鋼鐡塚の話に聞き入りすぎて、夕立の中慌てて洗濯物を取り込んだこともあった。

「日輪刀ってなぁ、持ち主によって色が変わる。その中でも俺は熾火のような赤の刀身が好きだなぁ」

 刀身を幾度も裏返しながら、何度目か知れない話をする。

「色の変わった日輪刀は美しいぜ、機会があればそのへんをうろついてる剣士連中に見せてもらえ」
「私はそのままでもきれいだと思いますよ」
「ばかおめぇ、比じゃねえんだ」

 濡れたように光る刀身を一頻り眺めて、鋼鐡塚は日輪刀を鞘に収める。ぱちん、と鯉口が鳴る。

「蛍さん」
「なんだ」
「お茶を淹れましょうか」

 帰り際に菓子を買っていたことを思い出し、鋼鐡塚は刀を置く。築炉はするすると立ち上がった。鋼鐡塚は部屋を出ていこうとする築炉の手首を握る。
 手の内の関節を、筋を、肉の付き方を確かめる。築炉もすっかり慣れて、何も言わずにそれを待っていた。尤も最初から築炉は何も言いはしなかったのだが。
 鋼鐡塚が手を離すと築炉は勝手知ったる様子で厨に向かう。茶を携えて戻った姿を見て、鋼鐡塚はその頬を横に伸ばした。
 最近は皮膚の下に肉を感じるようになった。ここ数週間の築炉の変わり方は、刀以外にさして興味のない鋼鐡塚にさえ見て取れた。痩せて木の瘤のようであった関節にしっかり肉と脂がつき、なめらかな曲線を描いている。薄く、血の気のなかった皮膚も体温と弾力を帯びるようになった。

「おまえ、自分がきれいになったと思うか?」
「それは……」

 返答に困った築炉は言いあぐねて首を傾げる。鋼鐡塚はそれを自分と同様「分からない」という意味だと取った。実のところ築炉が分からないのは質問の意図のほうである。

「里の奴らが言うんだが」
「そうでしたか。近頃体調はいいとは思います」
「肉は付いたな。しかし、そんなに変わったか? 最初からこんなだったろ。毎日見てるからかあいつらが何のことを言っているのか全くわからん」

 里の独身男が聞いたら大顰蹙を買いそうな台詞を鋼鐡塚はしれっと口にする。他者にも己にも容貌に――容貌以前に人間に――頓着しない男である。外貌は個体識別が出来ればそれでいい。
 だんごを乗せた皿を置きながら、築炉は淡く笑った。白い粉引の素朴な角皿に、とろりと蜜色の葛餡が溜まっている。

「一本は築炉のだ」
「勿体無いですよ、味も分からないのだから。蛍さんが召し上がってください」
「うるせえ、無理矢理口にブチこまれてえか」

 鋼鐡塚が凄むと、築炉はほっそりとした指を竹串に伸ばした。里に一軒きりの餅屋のみたらし団子である。そこの女将は鋼鐡塚が団子を買い求める度にやにやしながら「あの偏屈がすっかり恋女房じゃないか。うちの亭主にも見習わせたいよ」と言った。そう言いながらおまけを付けてくれるので、鋼鐡塚は言い返しはしない。
 俯く築炉が団子を齧る。築炉がもそもそと一本食べる間に、鋼鐡塚は三本を食べきっていた。

「美味いか」
「はい」
「味はするか」
「いいえ」

 鋼鐡塚が土産物を買って来る度に繰り返すやりとりを飽きずに問答しながら、鋼鐡塚は茶を啜る。

「長に呼ばれたんだろう、何の用件だった」
「ああ――」
「人の女房呼びつけやがって。大した用事でなかったらただじゃおかねえ」
「大した用事では――」
「用があるなら俺を呼べば……やっぱ面倒くせえから用があっても呼ぶなよ」
「ないのですけれども」

 築炉は串を皿に戻し、鋼鐡塚の湯呑みに茶を注ぐ。鋼鐡塚が無言で先を促すと、築炉はおろおろと視線を泳がせた。

「蛍さんが刀を壊した剣士様を追い回すのをやめさせろとお叱りを受けました」
「ああ? やめねえ。この話は仕舞だ」

 はい、と築炉は目を伏せる。それから二人でしばらく黙って茶を飲んでいた。鋼鐡塚は皿に溜まった餡を指で掬って舐める。鋼鐡塚はもう少し餡がゆるくてあっさりとしたものの方が好みであった。里に餅屋は他にないから贅沢は言えない。
 築炉はゆっくりと目を上げた。はた、と浅く瞬きをする。

「たくさん、悲しいことがありましたけど、でも私は自分の丹精込めて作った着物を粗末に扱われるのがいっとうつらかった」
「ああ、俺の箪笥にあった羽織、お前が作ったのか? 何か言えよ、何かと思ったじゃねえか」
「蛍さんみたいに怒ることが出来ればよかった」
「そもそも作るんなら俺の羽織の前にお前の着物だろうに。俺が襤褸ばかり着せてるみてえだろ」
「蛍さんの刀が粗末に扱われるのは私もいやですけれど、でも使われない道具はもっと悲しいですよ」
「……羽織着るにはまだ暑い」
「そうですね」

 お代わりいりますか? と尋ねる築炉に鋼鐡塚は首を横に振る。築炉は皿と湯呑みを盆に上げはじめた。
 鋼鐡塚は、築炉がこんな話をするのは珍しいと思った。悲しいとか、つらいとか、築炉がそういうことを口にするのはとんと無い。
 鋼鐡塚は築炉の頬に触れる。引き伸ばすのではなく指の背でそろりと撫でると、築炉は困惑げに肩を竦めた。

「餡が付いていましたか」
「いや、――……いや、ああ、そうだ」

 築炉は布巾で口元を拭う。恥ずかしげに背けられた顔に、鋼鐡塚は腹の奥が痛いような妙な気分になった。