飛んで火にいるつやつやの栗



「いいか伊之助、結婚っていうのはな……」

 炭治郎は頭を抱えながら何から言うか迷う。伊之助はいかにも不貞腐れたように脚をぶらつかせた。

「メシが食えるとか、そういうんじゃないんだよ」
「なんだよ、紋逸がそう言ったろうがよ!」
「善逸を信じるのか!」
「……たしかに信用足らねえわ」

 完全にとばっちりの善逸が目を剥く。善逸が何か言う前に炭治郎は続けた。

「結婚っていうのは、家族になるってことなんだよ。お互い協力して生きていくことを約束するんだ」

 炭治郎が言うと、伊之助は何を考えているか判然としないぎょろぎょろとした猪の眼を炭治郎に向ける。

「だから、そんな軽々しく言うのは失礼だぞ」

 むう、と伊之助は唸った。

「俺はコロッケ女と家族になれるぞ。あいつ、優しいし、飯は美味いし、箸を使えとうるせえところは嫌いだけど、まあまあ好きだ」

 炭治郎は目を丸くする。伊之助からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
 伊之助は常と変わらず訥々と続ける。

「髪がさらさらしてて、いつもしゃんとしてて、いいにおいがして、柔らかくて、笑った顔がホワホワしてて、」

 もしかすると伊之助は本気で淑子に惚れているのかもしれない。本人に自覚があるのかないのか分からないが。

「春の若い雌猪みたいだ!」
「――待て、 伊之助! 伊之助が本気なのは分かった! でもそれは言っちゃ駄目だ!」
「なんでだ! 最高の褒め言葉だろうが!」
「駄目なものは駄目!」

 雌猪と呼ばれて喜ぶ女はいないだろう。炭治郎でも分かる。伊之助は不機嫌そうに地団駄を踏む。
 善逸がやっかみ半分からかい半分のような顔で茶々を入れた。

「それに、結婚するなら親の赦しがいるんだぜ」

 伊之助は首を傾げる。

「はぁ!? 家族になるのになんでそいつの親が出てくんだ!?」

 伊之助は時折野生の勘で真理を突いてくる。それについては家父長制と民法の話になる。善逸はたじろいで口籠った。

「なんでって……そういうもんだからだよ。なあ、炭治郎」
「えっ? ああ、うん」

 二人とも歯切れが悪い。伊之助は鼻を鳴らした。

「俺は親がいねえから関係ねえ!」

 そう胸を張る。

「でも淑子さんは分からないだろ。あの感じだといいとこのお嬢様と見た」

 善逸がどうだとばかりに言うので、炭治郎は「どうしてこいつはこんなことばかり鼻が利くんだ」と内心ちらと思う。
 ふうん、と伊之助は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「じゃあ、親の赦しがありゃいいんだろ」

 伊之助はそう言う。
 炭治郎は嫌な予感がした。


******


 恋の予感、と蜜璃は嬉しそうに囁き、手元の焼き菓子に菓子楊枝を刺した。淑子は片眉を上げ「あなたはいつもそればかりですね!」と言う。

「年下の剣士に情熱的に求婚されるなんて羨ましい! まるで物語みたい!」
「代わりましょうか?」
「代われるなら代りたぁい!」

 言いながら、蜜璃は楊枝を刺した菓子からどろどろと中身がこぼれているのを見て目を丸くした。

「あら、これ生焼けじゃない?」
「いいえ、ゆるい黄身餡を入れているんです」

 ふうん、と言いながら蜜璃は不思議そうに皿に溢れるクリームを菓子楊枝でつつく。傍らのしのぶが「変わっているけど美味しいですよ、これ」と褒めた。

「ありがとう。高糖質高脂質で戦時糧食にどうかと思ったのですが、携帯性が悪く日持ちもしないので失敗でした。ですのでどんどん消費してしまってください」

 山のように菓子盆に盛られた洋菓子を見て、蜜璃はひゃあと歓声をあげる。

「こんなにいいの? 本当に食べちゃうわよ?」
「おや、あなたが遠慮するなんて珍しい!」
「やだあ、そんなことない! わ、これ本当に美味しいのね!」

 屈託なく笑い、あられ菓子のような気軽さでぽいぽいと口に拳ほどある洋風饅頭を放り込む蜜璃を、淑子はいっそ清々しい気分で眺める。
 胡蝶しのぶ、甘露寺蜜璃とは歳の近い女性隊員として親交が深い。人的消耗の激しい鬼殺隊において、隠や業務部といった裏方もその例外ではない。隠はその後処理の陰惨さに、業務部は家族同然の隊士がぼろぼろと欠けていく日々に耐えられなくなる。五年も在籍すれば古株だ。十年いれば奇人と呼んでもいい。
 そういう場において「古株」であるしのぶと淑子は互いを気遣い合う仲である。特にしのぶは食が細く、油物も肉類も受け付けぬたちだ。最近は何をしているものか、食べても痩せる一方である。大豆を擂り潰したものを汁に混ぜ込んだり、食事に菓子を添えたりしているが、いい傾向は見られなかった。
 この菓子もしのぶにこそ食べさせたかったのであるが、半分も食べれば楊枝を置いてしまう。それから淑子の方を見て、ふと微笑んだ。

「淑子、大丈夫?」

 淑子は一瞬眉をひそめ、唇の端を上げる。

「ええ、何も問題ない」

 大丈夫でないのはしのぶの方です、と言えばしのぶは目を伏せて笑っただけだった。
 一方でまた別の問題で淑子を悩ませているのが甘露寺蜜璃である。しのぶと対称的にこれがまたよく食べる。相撲取り三人分よりもよく食べる。その華奢な体のどこに吸い込まれていくのか、と怖くなるほどによく食べる。
 はじめ「食欲旺盛、特異体質ニツキ十分量ノ糧食ヲ用意スベシ」の申し送りがあったとき、淑子は一般的な女性隊員三人分で換算した。全く足りなかった。彼女のおやつにもなりはしなかった。
 足りぬと言われては糧食班の名折れである。今は甘露寺が本部に滞在するときは彼女一人で男性隊士二十人分換算の食事を用意している。となれば厨房は大戦争である。手の空いている隊員を総動員で、厨房の稼働範囲ぎりぎりまで回すことになる。
 柱が来るぞ、となれば本部に緊張は走るものであるが、恋柱が来るぞ、となれば糧食班は震え上がる。

「いいな、いいな、淑子ちゃんは寿除隊ね!」
「いたしませんよ、結婚も、鬼殺隊をやめることも」

 にこにこと笑う蜜璃に、悪気がないとわかっていてもちくりと胸が痛くなる。
 自身も長机につこうとしたところで、荒っぽい足音が近付いてくるのが聞こえた。溜息をひとつこぼし、足音だけで判別がつくようになってしまった己に辟易する。

「伊之助、食堂で走るのはやめなさい」
「おう、コロッケ女!」

 あらら噂をすれば、と甘露寺が呟くのが聞こえた。

「なあ、おまえ親は」
「……今度はなんです」
「お、や!」

 詰め寄られ、淑子は目を丸くする。

「お館様を第二の父と頼んでおりますが、それがどうかしましたか」
「ハァん!? いやふつーに親だよ、どこにいんだ!」

 淑子は冷笑を浮かべて天井を指差す。

「は? 上の階か?」
「いいえ、浄土に。両親も兄弟姉妹も亡くなっています。これで満足ですか」

 淑子なりに冷ややかでキツい言い方をしたつもりであったのだが、伊之助は意に介した風もなく「あっそ」と言った。

「んだよ、俺と一緒じゃねえか」

 淑子は閉口する。

「ふうん、あ、なあ、それなんだ?」

 伊之助はずけずけと菓子の山を指差す。先程の話はいったい何であったのかと問い質したく思っていた淑子であったが、料理の話となればついそちらに気を取られてしまう。

「シウ・アラ・ケレムという洋菓子ですよ。おひとついかがですか」
「ひとつだけか?」
「それでは、炭治郎と善逸にもひとつずつ」

 差し出された菓子を伊之助は手に取り、そのまま握り潰した。カスタードクリームが手の上であふれる。

「なんだ、ごつごつしてるから硬いかと思った!」
「だからといってそんなに力いっぱい握ることはないでしょう! ああ、まったく、ほら手をお出しなさい。こんなに汚してしまって!」

 おしぼりで伊之助の手を拭こうとすると、伊之助は手を猪頭の口から中に入れる。どうやら手についたクリームを舐め取っているらしく、淑子は呆れてその様子を見ていた。

「行儀の悪い」
「これウマイな! 拭いて捨てるなんてもったいねえ!」

 手放しに喜ばれ、悪い気はしない。粗野で粗暴で常識知らずで騒がしく人の迷惑を考えないところを除けば、悪い子ではないのだ。多分。

「では、次は握り潰さないようになさい」

 淑子は賄い方の一人に菓子をいくつか包むように指示する。 
 それを待つ間、淑子は伊之助の手を拭いてやった。分厚く傷と肉刺だらけの荒々しい手だ。だがまだどこか少年らしさを残している。
 猪頭の向こうで己の手を拭く淑子を見ていた伊之助が、不意に口を開いた。

「俺、おまえと家族になれるぞ」

 はい? と淑子が首を傾げる前に、伊之助はその分厚い手で淑子の腹に触る。

「ガキは十二人くらいだな。四胎を三回産めばすぐだろ」

 言いながら、割烹着の上から腹を撫でられた。
 蜜璃が絶句し菓子を取り落とす。顔を引き攣らせたしのぶが伊之助を叱り飛ばそうと立ち上がる前に、淑子の平手が伊之助の猪頭を張り飛ばした。被り物が吹き飛び、床に落ちる。

「――伊之助、人間は原則単胎です」

 しのぶと蜜璃が揃って「え、そっち」という顔をした。間違えた、と淑子は額を押さえて天を仰ぐ。息を深く吸い直し、きっと伊之助を睨んだ。

「婦女子の体に無断で触れるとはどういう了見ですか!」

 伊之助は堪えた風もなく猪頭を拾い上げ、手で弄ぶ。

「なんで殴るんだよ! 腹ァ触っただけだろ!」
「まさか他の女の子たちにそんな真似をしていないでしょうね! うちの子たちを辱めてみなさい、あなたを牡丹鍋にしてやりますからね!」
「……ははーん、わかった、妬いてんだな!」

 だはははは、と伊之助が笑い声を上げるので、淑子は細く呻いてしのぶの方を睨んだ。

「ここの性教育はどうなっているのですか!」
「そこまで面倒見きれませんよ。自主鍛練です」

 しのぶは穏やかに笑いながら、だが困ったように答える。淑子は次に蜜璃を睨む。蜜璃は気まずげについと視線を逸した。

「蜜璃! あなた恋柱でしょう! こんなのが隊士にいて嘆かわしいとは思わないのですか!」
「そんなぁ、とばっちりじゃない……」

 とばっちりである。
 伊之助は賄い方から菓子の包みを受け取ると、びょんと飛び上がり窓から外に駆けていく。

「これウマイな! また作れ!」

 叫ぶ声が遠ざかっていった。淑子は深い深い溜息をつく。しのぶはちょっと眉を上げて「あれは手強い」と呟く。羨ましい、代われるなら代わりたいと言っていた蜜璃は素知らぬ顔で菓子をまたひとつ食べた。