泣きっ面に餅



 厨房で新しい包丁の包みを広げた淑子は、それを光に翳して矯めつ眇めつし、試しに大根を切ってみてにこりと笑った。

「ありがとうございます、鋼鐵塚殿。鋼鐵塚殿は本当に、鍛冶の腕だけは素晴らしい!」

 鋼鐵塚は淑子の嫌味とも、ある意味心からの賛辞ともとれる言葉を聞いて鼻を鳴らした。

「俺に包丁を打たせるとはいい度胸だ」

 淑子は切った大根を投げ上げ、落下の軌道上で包丁を上向きにする。刃の上に落ちてきた大根は、分断されて俎板の上に落ちた。淑子は眉を上げる。

「今年だけで何人の隊士に作刀を断られましたか? どうせ暇なのでしょう」
「お前が無能でなきゃ依頼はひとつ多かったはずだがな。おい、俺の刀、しまいこんでいるだけなら返せ」
「鋳潰して包丁にしてくださいますか」
「んな勿体無いこと出来るか、ブチ殺すぞ」

 きりきりと言い合う二人を見て、他の休養員は手も止めず「またやってる」と視線だけをそちらに向ける。
 淑子が元は鬼殺の剣士として鬼殺隊に所属していたことを知る者は多くない。同期のほとんどが死んだからだ。今は下で働く休養員達が「そうであったらしい」と知っているくらいで、他は胡蝶しのぶをはじめとした古株数人しかそれを知らない。
 親兄弟を鬼に殺され、復讐を誓って藤襲山の試練を突破したはいいものの、淑子の日輪刀の色が変わることはなかった。努力も、執念も、志もあって、ただひとつ才能だけが欠けていた。
 白々と鋼色にきらめくだけの刀を握り、息をするのも忘れる程に茫然自失となっていた淑子の胸倉を掴み上げ「てめぇ、俺の刀を無駄にしやがったな! くそが! 才能ねえんだ! やめちまえ! もしくは死ね!」とボロカスに扱き下ろし詰ったのが鋼鐵塚である。
 言われた当初こそ顔も見たくないと思うほどに傷付き、死んでしまいたいと思うほどに落ち込んだが、それがあったからこそ業務部として働くことを思い切れたような気もしている。そうでなければ色の変わらぬ刀を持って戦場に出向き、とうに犬死していただろう。鋼鐵塚の言葉のせいで、淑子はやめてもいなければ死んでもいない。
 それはともかく淑子はまだ鋼鐵塚のことを機会があれば殺してやりたいとは思っている。

「ああ、そういえば面白い話を聞いたな」

 普段はめったに刀以外の話をしない鋼鐵塚がそう言う。火男面の向こうでにやにやしている気配がした。

「それは重畳! 里長にでも話して聞かせてさしあげてください!」
「お前、二刀流の餓鬼に追い回されてるんだって? 鉄穴森の刀を使ってる奴」

 淑子は顔を上げて鋼鐵塚の方を見る。大概刀キチガイだとは思っていたが、この男は人を持っている刀で判別しているのだろうか。

「追われているうちが花ですから」
「あいつは打ったばかりの刀を石で打って欠けさせるようなイカレ野郎だぜ」
「そんなことを」
「ありゃねえよなあ……鉄穴森がえらく怒ってた。俺でさえ鉄穴森をあれほど怒らせたことはない」

 鉄穴森殿が、と淑子は目を丸くする。目の前の男ならばともかく、あの温厚で篤実な鉄穴森が怒るというのだから余程である。
 
「言って聞かせなければなりませんね。まったく、製作者と製作物を軽視することは許せません」
「俺の目を見て言ってみろ」
「製作者と製作物を軽視することは許せません!」

 淑子は鋼鐵塚の面の目穴を見てきっぱり言い切ると、包丁をしまった。

「結婚しろと大騒ぎをされているのですよ」
「ふうん、言い寄られてんのか」
「いえ、文字通り追われています。全力疾走です」

 鋼鐵塚はとぼけた火男面のまま黙り込む。淑子は溜息をついた。

「結婚の意味も知らぬ野生児が騒いでいるだけのこと。そのうち飽きるか諦めるかするでしょう」
「なんでまたお前なんかに」
「結婚すれば毎日飯が食える、と」

 ああ、そりゃあいいな、と鋼鐵塚は呟く。

「鬼殺の奴らと結婚だなんてむざむざ不幸に飛び込むようなもんだ。それならうちの若いのに嫁ぎゃいい。そして里で飯屋をしろよ」
「鋼鐵塚殿、余計なお世話です。あなたはまずご自分の心配をなされよ」

 淑子は昼食を摂る予定の人数を確認する。いつもより少ない。恋柱も任務に出ている。比較的余裕がありそうだ。

「お昼は召し上がって行かれますか」
「言っておくが飯が食えなきゃ包丁なんか作んねえよ」
「光栄ですね! ついでに鍋も鋳掛けてくださいませんか!」
「調子のんな!」

 鋼鐵塚が声を荒げた途端、何かが脇から飛び出してきて鋼鐵塚にぶつかった。かなりの勢いだったようで、鋼鐵塚がもんどり打って吹っ飛んでいった。淑子は呆気に取られ、それから慌てて厨房を出る。

「伊之助! いったい何事ですか!」

 飛び出してきたそれは伊之助で、鋼鐵塚に思い切り頭突きをしたらしい。床に二人引っ絡まって倒れている。伊之助が「猪突猛進! 猪突猛進!」と雄叫びを上げながら跳ね起きる。淑子は額を押さえて項垂れた。

「出会い頭に頭突きをするものではありません!」
「ああン!? おまえが変なのに絡まれてたから助けてやったんだよ!」
「変なの……!?」
「家族は助け合うもんなんだろ!」

 伊之助はばしばしと淑子の肩を叩く。いつ我々が家族になったというのだ。

「誰ですかあなたにそんなことを吹き込んだのは!」
「権八郎」
「…………誰です?」

 聞かぬ名である。淑子が眉をひそめると、伊之助は猪頭の大きな目の上をぐるぐると指差す。

「ここに、こう、傷のある」
「炭治郎ですか! 友人の名前くらいきちんと覚えなさい!」

 真面目で優しい少年のことである。きっと誠実に彼に結婚とは家族とはを語って聞かせたのだろう。伊之助がそれをおかしな風にとらえただけで。

「伊之助、……ああ、何から言えばいいのでしょう。私と伊之助は家族ではありません。それに、仮に家族であったとしても他者に無闇に暴力をふるってはなりません。家族で助け合うというのは、周囲をなんでも排除することとは違います」
「なんでだよ、ケッコンするって家族になることだろ?」
「私と伊之助は結婚していません。その予定も、約束もありませんよ」
「でも、あの白目は良いって言ったぞ」

 伊之助は隊服の洋袴から鼻紙のようにクシャクシャになった紙を取り出す。淑子は促されるままにそれを手に取り、内容を見て青褪めた。
 そこには確かに伊之助と淑子の結婚を許す由と産屋敷耀哉の署名が記されていた。

「俺は字が読めねえけどケッコンしていいって書いてあんだろ、それ」

 平然と言ってのける伊之助に、淑子は深く息を吸い、吐いた。
 淑子が何か言う前に、鋼鐵塚が呻きながら立ち上がる。

「こりゃ聞きしにまさる……」

 脇腹を押さえながら苦しそうに喘鳴する。いい気味であるが、手を貸さないわけにはいかない。

「鋼鐵塚殿、平気ですか。 蝶屋敷から人を呼びますか」

 淑子が言うと、鋼鐵塚は淑子の手を振り払いながら面の目穴から睨みつけてくる。覚えてろ、と掠れ声で言われて肩をすくめた。

「平気ならばいいのです。私はこれから少し……お館様のところに昼食を届けに参りますので――」

 伊之助はずいずいと淑子と鋼鐵塚の間に割り込んだ。

「しのぶに聞いたぞ! 人間は一回に一人しか子を産まないんだな! じゃあ十二の半分で七だな! 七人はどうだ! まだ多いか!?」

 淑子は肺が引き攣り痛むほど深い溜息をつく。

「伊之助、十二の半分は六です」


******


「お館様昼食をお持ちいたしましたがその前に申し上げたいことがございます。私、僭越ながら立場上お館様にお言葉差し上げることはございますが、それは鬼殺隊を思ってこそ。このような仕打ちを受けるとは思いもしませんでした」

 淑子が息継ぎもせずに言うと、産屋敷はふと微笑んだ。

「いい香りだ、鰈の煮付けかな」
「ええ、――ええ、そうですが話を続けてもよろしいですか。続けさせていただきますが、私の働きぶりに何か問題でもありましたでしょうか。それならばあのようなやり方ではなく、面と向かって指摘していただきたい!」

 腸煮えくり返るとはこのことである。淑子はふつふつとした怒りを抑えながら産屋敷にそう言い放つ。柱の一人でもいれば不敬だと切り捨てられただろうか。だがこちらはたかだか飯炊き女である。守るものなど何もない。何とでも言ってやる。
 産屋敷は丁寧に手を合わせると箸をとる。今日はだいぶ体調が良さそうである。

「落ち着きなさい、淑子。私は結婚してもいいとは言ったけれど、結婚しなさいとは言っていないよ」

 詭弁ではないか、と淑子は眉をひそめた。

「彼の言うのは子供の戯言です。結婚の意味すら分かっていない」
「伊之助は分かっていたよ。家族になり、助け合うのだと。それ以上に何を知っていればいい? そして彼は君に結婚を申し込み、君が親と頼む私に結婚の赦しを得に来た。立派なものじゃないか」
「それは――」

 確かに筋は通っている。しかし到底納得出来るものではない。言い淀む淑子に産屋敷は続ける。

「私は赦した。君がどうするかは、君次第だよ」

 淑子は唇を噛む。

「剣士ですよ、伊之助は!」
「そうだね、優秀な可愛い我が子だ」
「飯炊きになんぞかかずらってはなりませんでしょう。彼には、鬼を斬るという大切な使命があるのです」
「そして君も、私の子だ。子の幸せを願わない親がいようか」

 淑子は首を横に振る。

「私はお館様のご期待には応えられなかった。刀の色も変えられず、親の仇も討てぬ不佞の輩です。徒な慰藉はよしていただきたい」

 産屋敷はそれ以上何も言いはしなかった。淑子は己が肉親への呵責から頑なに自罰的になっている自覚があった。自覚があったからとてどうなるものでもない。
 それを受け入れた上で淑子が伊之助に感じているのは、愚直に己を慕う可愛らしさと、引け目と負い目とどうしようもない憎らしさだ。なぜ己には彼の半分も剣の才が無かったのか。
 淑子はふうと息をつくと、席を立つ。

「お館様、今晩の献立はライスカレーです!」

 産屋敷は箸の手を止める。

「それはいい、皆喜ぶ」

 淑子は「そうでしょう!」と言うと産屋敷の前を後にした。