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 不死川玄弥にとってナマエは初めて合同で仕事をした鬼殺隊員であった。兄や他の鬼殺隊員のように、死を覚悟した悲壮な顔はしておらず、かわりに陽気で剽軽でお調子者。そしてちょっと馬鹿だった。
 誰も彼も葬式前のような顔をしている鬼殺隊においては異質であったかもしれないが、不思議と愛嬌のあるせいか煙たがられてはいないようであった。
 ナマエと任務で出会う数日前に、玄弥は実の兄に手痛い拒絶を受けていた。その痛みはまだぐじぐじと熱を持ったままで、へらへらと笑って「風柱の弟分」を名乗るナマエに、玄弥は尖った氷の欠片を丸呑みしたような気持になった。
 風柱の弟だと自己紹介したのは、ほんの少しの当てつけであったのかもしれない。己の知らない兄を知る、兄をアニキと慕う男への。
 だが玄弥が自身の稚い嫉妬をうっかり忘れてしまうほどに、ナマエは細い目を丸くし驚き、寝ている鳥がどこかへ飛び立つほどの大声で喚いた。五度も六度も「本当に?」「嘘じゃねんだな?」と確認し、じろじろと顔を見ては「む、確かに顔が似てんなァ」と頷いた。兄に似ているといわれるのは嬉しかった。
 ナマエは「ふうん」とか「むう」とか何かを考える素振りをした。今思えば、多分彼は玄弥が思うほど何かを考えていたのではないかもしれない。そして玄弥の背中をばしんと叩き「アニキの弟なら俺の弟も同然よ。そうだろ? 困ったことがあったらなんでも言え」と笑った。それを聞いて玄弥の胸はつきりと痛んだ。理由はよく分からなかった。

 玄弥とナマエは任務で組むことが多かった。担当区域が被っていて、二人の連携も悪くない。もしかすると、風柱の弟と、風柱の弟分と、何がしかの配慮が働いていたのかもしれない。
 だが、どういう理由であれ玄弥はナマエと組むことが嫌ではなかった。ナマエは新人の玄弥をきっちり援護出来る程度には腕が立ち、足を引っ張っているのではないかと悩まない程度には間が抜けていた。玄弥がナマエを助けたことも幾度もあった。
 ナマエが鬼に対してそれほど恨みの感情を抱いていないことも救いであった。鬼の体を喰らい鬼の力を得る玄弥のことを、ナマエは恐れるでも忌避するでもなく目を輝かせて「やるじゃねえか」と言った。
 そのあと、ナマエが切り落とした鬼の髪の毛を玄弥に隠れて口にしているのを見たとき、玄弥は思わず笑ってしまった。玄弥の能力を目の当たりにして自分も試そうとしたのは、後にも先にもナマエだけだ。口の中で絡まる鬼の剛毛を吐き出し、ナマエは顔を真っ赤にして玄弥の窃視を叱責した。玄弥はそれをまた腹を抱えて笑った。

「わ、わ、わ、笑うなよテメエ!」

 地面に吐き出した毛を踏みにじりながらナマエはますます顔を赤くする。

「だ、だって、ひー、ナマエさん、そんな、口ぱんっぱんに……!」

 息が出来なくなって地面に膝をついて笑う玄弥の横で、ナマエは大人げなく地団駄を踏んだ。

「笑うな笑うな、俺はな、強くなれるんだったらなんでもするぞ!」

 そう居直るナマエに玄弥は笑みを引っ込めた。見上げたナマエの顔は、紅潮してはいたが真剣そのものだ。

「ナマエさんは強いよ、俺なんかよりずっと……」

 玄弥は思わずそう呟く。呼吸も使える。日輪刀の色も変わった。己よりずっと才も適性もある。何より不死川に近しいところにいる。
 目を伏せる玄弥の頭の、ちょうど刈り上げた箇所をナマエはざりざりと手の平で撫でる。まめだらけの手はごつごつしている。

「ばかおめーそりゃそうよ、年季が違う。だが、おまえさんは強くなる。俺には分かる」
「……根拠は?」
「こんきょ? なんだそれ、大根か何かか?」

 冗談で言っているのか本気で言っているのか分からない調子でナマエは言った。

「実弥さんの弟だろうが、しゃきっとしろ。大根だけにな」

 背中を叩かれる。その拍子に涙がこぼれそうになり、唇を強く噛む。お前なんか弟じゃねえ、という冷ややかな声が頭の中のどこかで反響した。

「ちがう、俺は……」
「はっ!? 違うのか!? テメエ嘘ついてやがったな!」
「えっいやそうじゃなくって」
「こんにゃろう実弥さんの弟を騙るふてえ野郎め!

「うおあああイテエ!! 聞け! 聞けよ!」

 背後から背中に飛び乗られ、首を腕で締め上げられる。玄弥は咽てもがいた。長身の玄弥よりもナマエは小柄であったが、力は負けず劣らず強い。地面に引き倒され、土の上に二人絡まり合いながら転がる。

「弟じゃないって!」
「弟じゃねえのかよ!」
「言われたんだよ! 兄貴に!」

 ふ、と首に回された腕が緩む。玄弥はナマエの腕を抜け出すと、眉尻を下げたナマエの顔を睨んだ。ナマエは首を傾げる。

「なんでだよ」
「……いいだろ、別に」
「よかねえよ」
「関係ねえ」

 ふいと顔を背ける。上を向いていないと目の縁から涙が零れそうになった。

「なんでだよぉ、そんなことがあるかよぉ」

 涙声にぎょっとして玄弥がナマエの方を見ると、ナマエは今にも泣きそうな顔をしてしきりに隊服の袖で目や鼻を拭っている。

「な、なんだよ! なんでナマエさんが泣くんだよ!」

 玄弥が涙も引っ込んでそう叫ぶと、ナマエは強く袖で顔を擦り「泣いてねえ!」と叫び返した。

「いや……いや泣いてるって」
「だって、おまえ、そんな、兄弟なんだろ、それが、そんな、そんな悲しいことあるかよ……俺はもう泣けてきて泣けてきて……」

 と、そのままおいおいと泣くので、玄弥はそのままどうしたらいいか分からず立ち尽くす羽目になる。鬼の気配がしていた頃は静まり返っていた虫の鳴き声がいやに鋭く聞こえた。
 ナマエはその辺の倒木に腰掛けると、隣に座れと身振りだけを玄弥に向けた。鬼が蹴り倒した木だった。ささくれだった断面がいまだに生々しい。

「俺、兄弟いねえんだ。親もな」

 ぐすぐすと洟を啜りながらナマエは言った。そういう者は鬼殺隊では珍しくもなかったので、玄弥は「そうか」とだけ答えた。

「俺、実弥さんが好きだよ。本当のアニキみたいに思ってるんだ。本当のアニキは知らねえけど。――でも、俺は、おめえを見てやっぱり俺じゃ足りねえんだと思った」

 玄弥は膝を抱えて、ちらとナマエの顔を盗み見た。何度も強く擦られた目と鼻が、赤く腫れている。どうしてそんなことを言うんだろう、と思った。ナマエは玄弥の知らない兄を知っていて、任務にも同行していた。ナマエのことを聞けば誰もが「風柱のとこの」と言う。
 兄にひどい言葉を投げかけ、それからずっと交わりもなく、やっとのことで辿り着いたら拒絶されるような己とは違う。

「兄貴に、俺は、ひどいこと言っちまったから……」
「そんなの関係ねえよ、俺ァはじめ実弥さんの頭カチ割って財布奪おうとしたんだ」
「は!? なんで!?」
「俺も馬鹿で餓鬼だったの」

 馬鹿で餓鬼なのは今もそう変わらない気がする。そんな玄弥の思惑に気付かないまま、ナマエは恥じ入ったように頭を掻いて玄弥の方をちらと見た。

「でも俺は実弥さんに水をかけられてもぶん殴られても拝み倒してここまでついてきたんだ。おまえがあんまりめそめそしてんなら、俺が弟の座を奪ってやるからな」

 暗がりの中でその表情をよく見ようとするが、ぼんやりとしか見えない。彼はどういう顔で己にそれを言ったのだろうか。
 ナマエは勢いよく立ち上がると玄弥の鼻先に人差し指を突き付けた。 

「第一回、実弥さんの真の弟は誰だ選手権の開催をここに宣言する!」
「なんだそれ」

 なんだそれ。
 目を丸くする玄弥の鼻をナマエは指で押し潰す。やめろよ! とその手を振り払うと、ナマエは細い目をいっそう細くして笑った。笑ったように見えた。

「変な気分だな。俺はおまえが実弥さんの弟だと知ったときに、二、三発どつかなきゃ気が済まねえと思った」
「なんでだよ!」
「わかんねえ」

 心底不思議そうにナマエは首を捻った。