十
簗が脚を駄目にしたのだと聞いたとき、鋼鐵塚は「なんだ、死ななかったのか」と思った。あの気性である。傷を負って引き下がるような半端な真似をするくらいならば、首だけになっても鬼の喉元に食らいつく男だ。
あの激情と怒りを不具となった体に封じ込めておけるとは思えない。そういう隊士の末路を、鋼鐵塚は子守歌のように聞かされ続けてきた。目の当たりにもした。廃人になるか、死ぬか、どちらかだ。鬼殺隊士という生き物は、大概がそういうものであった。
多少なりとも惜しいとは思った。簗は鋼鐵塚の打った日輪刀を、それなりに上手く扱った。簗は喧嘩のやり方を心得ていて、つまり有効な凶器とそれを繰り出す時機に聡かった。それに、鋼鐵塚の人間性に付き合えるという点でも簗は稀有だった。誰もが――鬼殺隊士であってさえ――理不尽な逆上は耐え難い。怒り喚き散らす鋼鐵塚に同じだけ噛み付くことの出来る簗の気性は、少なくとも鋼鐵塚にはやりやすかった。尤もそれは同じことが簗にも言えたが。
鋼鐵塚が一本立ちして初めて担当した山繭白瀬に作刀を断られ、簗に振り分けられて以降、鋼鐵塚は同じ隊士に三本と刀を打っていない。担当を命じられた新人隊士の半数は早々に鋼鐵塚の癇性に音を上げ担当替えを申し出た。半数は死んだ。それに関しては一概に鋼鐵塚だけを責められるものではないかもしれない。鋼鐵塚にとっては初めて長く受け持った隊士である簗が追いかけまわそうがぶん殴ろうが腹に空いた大穴に平手を入れようがめげずに食らいついてくるものであるから、常人はそうもいかないということをいまいち飲み込めずにいる。
鋼鐵塚は簗のことは結構好きであったが、それは彼が己の刀を振るうからだ。簗個人がどうかといえば、ムカつくチンピラだな、と思っている。鋼鐵塚は簗と刀のこと以外について話したことはほとんどなかった。下の名前は辛うじて覚えたが、姓がどうであったかは知らない。聞いたが忘れたのかもしれないし、そもそも聞いていないのかもしれない。どちらでもよかったし、どうでもよかった。だが、隊士になった理由くらいは聞いておいてもよかったな、とふと思った。
思っていたところに簗が跛足を引きずり家にまで押しかけて来た。顔色が悪いうえに、その顔には鋼鐵塚の記憶にはない傷が刻まれている。地面を抉るほど力強い踏み込みをした右の脚は頼りなく地面に下ろされているだけで、簗の背後には左右非対称の奇妙な足跡が伸びている。
別れの挨拶ならば、無駄なことだ。鋼鐵塚は簗に多少の愛着はあったが、刀を打たなくなればすぐに忘れるだろう。簗の存在は鋼鐵塚の鍛錬技法の中に僅かに息づくだけになる。完全に手元の刀に意識を奪われていた鋼鐵塚に、簗は「カタワでも戦える刀が欲しい」と言った。そうか、と思った。それならば話が変わってくる。隻脚である分、体への負担を減らして短く、薄く、軽い刀身にするか。機動力がない分、一撃を重くするか。刀の形にこだわらず刃のある別の武器を模索すべきか。素材に工夫の余地はあるか。刀で脚の機能を補うことが可能か。鋼鐵塚の脳裏を幾通りかの案が浮かんでは消えていく。
里の者に頼まれていた刀の研磨には集中しながら、鋼鐵塚は歯噛みする。試したいことはいくつか思い浮かんだ。傷を負ってすぐその話が持ち込まれていたならば、今この場で簗に刀を抜かせられた。脚が利かなくなってからこちら、一体何をしていたのだ。まさか寝ていたわけではあるまいな、と眉をひそめる。鋼鐵塚の頭に「重傷で寝ていた」であるとか「隊士を続けることに葛藤があった」などという配慮はない。
「来るのが遅ェ」とだけ唸れば、常であれば鋼鐵塚の胸倉の一つも掴み上げるであろう簗がやや息の上がった声で「うるせえ」と呻いた。そこで鋼鐵塚は「あ、こいつ本当に脚をぶっ壊したのか」と遅ればせながらささやかな衝撃を受けた。
刀を置き、立ち上がり、襷を外しながら
簗の立ち姿をじろじろと眺める。それから簗にずかずかと歩み寄ると、杖代わりによりかかっていた簗の日輪刀の鞘を力づくで取り上げた。簗は短く声を上げ、よろけて三和土に尻餅をつく。一瞬呆気に取られて鋼鐵塚を見上げたが、すぐに歯を剥いて怒った。引き攣れた顔面の傷が唇を捲りあげる。
「はァ!? ふっざけんなよ、なんなんだテメエは!」
「テメエこそ俺が打った刀を杖代わりたァいい度胸だ。もう一方の脚も腐って落ちりゃいい」
「言うか! そういうことを! それに鞘だけだからいいだろ!」
怒りを通り越して半ば呆れたように簗は声を荒げ、玄関先の砂利を掴んで鋼鐵塚に投げつける。角のない小さな玉砂利だが、簗が一切の手加減なしに投げたのでそれなりに痛かった。だが鋼鐵塚が簗の真正面に立っていたので、鋼鐵塚の胸に当たった砂利はばらばらと動けぬ簗の顔面に降り注いだ。
鋼鐵塚はそれを火男面越しに見下ろす。
「ばかか、お前は」
「うるせえよ殺すぞ」
「だから傷が絶えねえんだな……お前の傷はばかの証なんだな」
鋼鐵塚は三和土にふてぶてしく座り込んだままの簗の、ぐにゃりと投げ出された右脚を足で踏む。簗は顔をしかめたが、何も言わなかった。そのまま徐々に体重を乗せていく。鋼鐵塚の足の下で簗の脚がみしみしと軋んだ。鋼鐵塚は鼻を鳴らす。
「全く動かないな」
「まあな。さっさと退け、タコ」
「痛むのか?」
「痛かねえけど、痛いんだろうってのは分かるな。ケツのあたりがぞわぞわする」
ふうん、と鋼鐵塚は目下の簗を見下ろす。簗は右脚を抱え込むように引き寄せると、鋼鐵塚に手を差し出した。傷と胼胝だらけの手のひらを、鋼鐵塚は胡乱な目で見た。
「なんだ」
「このまま放っておく気か。立てねえんだ」
「態度がデケえんだよ!」
悪態をつきながら、鋼鐵塚は簗の手首を乱暴に掴むと引っ張り上げる。引きずりあげるように立たされた簗は目を丸くして鋼鐵塚を見る。短い付き合いではないが、鋼鐵塚は簗のそういう表情を初めて見た。
「ンだ、その顔」
「…………俺ァ刀寄越せって手ェ出したんだけどよォ」
鋼鐵塚は簗の手首を握る己の右手と、簗の鞘を握る左手を順に見る。それから鞘を丁寧に壁に立てかけると、簗の手首を掴んだまま空いた左手で簗の顔を殴った。さすがにそれは避けられ、鋼鐵塚の拳は空を切る。
「俺の、刀を、杖に、するんじゃねえ!」
「鞘だけだぞ!?」
「だからなんだ、俺の刀の鞘だ!!」
鋼鐵塚はそれだけを喚くと簗を家に置いたまま鍛冶場に向かった。
それから一月あまり。鋼鐵塚は今まで以上に鍛刀にのぼせあがった。跛足となった隊士の刀を作る機会などそうはない。作ることは出来ても、跛行で鬼を狩ろうなどという酔狂な隊士はいない。
道具で欠けた身体の機能をどれほど補うことが出来るか、骨の髄から鍛治師である鋼鐵塚にとってこれほど面白い刀作りはなかった。不具者を戦場に立たせる是非など、鋼鐵塚の与り知らぬところだ。そんなものは頭の回る誰かが考えればいい。鋼鐵塚は医師ではないので簗の脚を治してやることは出来ず、その人間性のために簗を慰め労ることも出来ないが、優れた職人ではあった。簗も鋼鐵塚に優しさや倫理など砂粒ほども求めていない。要求したのは「カタワでも戦える刀」だけだ。その容赦ない物言いが鋼鐵塚には好ましかった。言葉少ないからこそ強烈に伝わる簗の鋼鐵塚の技術への信頼は、鋼鐵塚の鍛人としての自尊心を十分に満足させ、奮い立たせた。
簗はなぜか鋼鐵塚のもとに居着いている。帰れと詰め寄る鋼鐵塚に「脚の調子が悪いから遠出したくない」とか「出来た刀の調子をすぐに試せる」とか、ぐずぐずと言い募ってはずっと鋼鐵塚の家にいる。
一度痺れを切らした鋼鐵塚は簗に掴みかかり力尽くで追い出そうとしたのだが、脚が利かぬとはいえ呼吸を身につけた鬼殺隊士に敵うものではなかった。お互い浅からぬ傷を受けながら鋼鐵塚が惜敗を喫したので、それ以降簗のことは放っておいている。
男の一人暮らしであるのでそう家財も充実していない。そもそも鋼鐵塚は自宅にいることより工房に引き籠もっていることの方が多かった。特に簗の刀を作り始めてからはその頻度も増えた。家主のいない空っぽの家で、簗が何をして過ごしているか鋼鐵塚は関知しない。たまに帰れば簗は寝ているか、刀を振るっているか、どちらかであった。
寝具さえ一組しかなかったので、鋼鐵塚が自宅に寝に帰った晩は布団の取り合いで喧嘩になった。幾度かの不毛な争いの後、暗黙の了解で鋼鐵塚が敷き布団を、簗が掛け布団を使うことになった。隠に頼んで布団をもう一組持ってこさせてもよかったのだが、なんとなくそれは腹が立つのでしなかった。
簗の脚の具合は相変わらず良くはならないようである。杖代わりの鞘を使っては器用に動き回るようにはなっていたが、なければ重たげに脚を引きずって歩くしかない。狂ったように鍛練ばかりに明け暮れてはいたが、往時の獰猛な踏み込みを知っている鋼鐵塚にしてみればその姿は痛々しいほどに頼りなかった。「そんな屁っ放り腰に使わせる刀はねえぞ」と鋼鐵塚が言えば、簗は無言で鋼鐵塚の腹に思い切り拳を入れた。一週間は痣が消えなかった。
数日鍛治場に泊まり込んでいた鋼鐵塚は、さすがに他の鍛冶達に追い出されて帰宅することになった。軒先で簗が刀を振るっているところに行き会い足を止める。
上衣を脱いだ簗は傷だらけの上半に汗を滴らせながら鋼鐵塚の試作刀を振っている。横顔には焦燥めいた感情が滲んでいるように見えた。
鋼鐵塚はその姿を遠目に眺める。立ち姿は多少見られるようになったが、剣を振るう姿はやはり心許ない。足を踏み出し体重を刀に乗せられないとあれば斬撃は軽くなる。鋼鐵塚は簗の背後に忍び寄り、背中に手のひらを当てる。簗は文句こそ言わなかったが振り向きもせず盛大に舌打ちをした。
「テメエ、巻き込んで殺すとこだぞ」
「ンなふらふらな剣に当たるかよ。もういっぺん振ってみろ」
鋼鐵塚が言い終わる前に、鼻先を刀の切っ先が掠めていった。ほつれていた前髪が数本地面に落ちた。鋼鐵塚は己の鼻先に触れ、薄皮一枚切れたそこに血が滲みさえしていないことに鼻を鳴らした。案外器用だ。
鋼鐵塚は己の手の下の簗の背中の筋肉が強くうねるのを感じる。失った下肢の機能を補うように簗の上半身は短期間で厚みを増した。だが上肢と下肢ではもとから備わる筋肉の量が違う。いくら上肢を鍛えたところで、以前と同じようにというわけにはいかない。
では以前と異なる戦い方は、と鋼鐵塚は面の下で眉ひそめる。
「刀を重くする。構わねえな」
「どの程度だ」
「最低で倍」
簗は振るっていた刀をだらりと下げると、振り向いて鋼鐵塚を睨む。もとより簗の刀は長く、厚く、重い。打刀の規格を超え太刀に近いものだ。
「殺す気か」
「死ぬ気で振れ」
「殺してやる」
簗は吐き捨てるなり脇に放っていた鞘を片足立ちで腰を曲げ拾い上げた。鞘を杖代わりにすることを、鋼鐵塚に何度怒鳴られようと簗はやめなかった。木工の出来る職人は里に腐るほどいるのだから杖の一本でも作らせろと言えば、簗は「杖なんか持ち歩けるか、ジジイじゃねえんだ」と言い放つので馬鹿々々しくなった。
鞘に体を預けながら、簗は鋼鐵塚に歩み寄る。傷だらけの凶相にぎゅっと皺が寄った。
「テメエは俺をぶっ壊す気か」
「知ったことかよ、もうぶっ壊れてんだろうが」
鋼鐵塚が言えば、簗は野犬が牙を剥くように笑う。
「ちげえねえわな」
それから、ふと表情を曇らせる。
「どうでもいいけど、おまえめちゃくちゃ汗臭い」
鋼鐵塚はこめかみに青筋を立てると拳を簗の頭に振り下ろす。簗は少し首を竦めるだけでそれを避けた。
「テメエには言われたかねえよ! なんか濡れた犬みてえなニオイがすんだテメエは!」
「はァ!? ンなわけねえだろ! 毎日湯治させられてんだぞ――あっ、おい! 言い逃げか!? 待てコラ!! 臭くねえよ!!」
鋼鐵塚は言うだけ言うとギャアギャアと喚く簗を置いてその場を後にする。湯を浴びて着替え家に戻る頃には日も傾きかけていた。
開け放たれた雨戸の縁側で、簗は刀と鞘を抱えるように眠っている。西日を受けた頬の傷が濃い影を刻む。頬骨の目立つ顔は、だがいまだどこか幼さを残している。隊士として幾度もの修羅場をくぐったとはいえ、その傷んだ肉体は二十そこそこのものでしかない。鋼鐵塚は鼻を鳴らし、簗の肩口を蹴りつけた。
「起きろバカ」
「――るせえな、寝かせ……」
簗は鋼鐵塚を見上げると眉間に皺を寄せる。
「誰だテメエ、人ん家に何の用だ」
そう言うので鋼鐵塚はとうとうこいつは記憶力までどうかしたのかと呆れ果てたのであるが、己が面を外していたことを思い出した。湯上がりは汗をかくから面をしていたくない。
「お前の家じゃねえだろう」
鋼鐵塚が言えば簗は狐に摘ままれたような、寝ぼけたままのような、なんともいえない顔をして鋼鐵塚を見上げた。
「……あ? 鋼鐵塚か? 鋼鐵塚蛍」
「下の名前を呼ぶんじゃねえ!!」
「お、おお、本物かよ!」
面をつけ直そうとする鋼鐵塚の手から簗は蛇のような素早さで面を毟り取った。取り返そうと伸ばされる鋼鐵塚の手を簗は片足だけでかいくぐり壁際まで後ずさる。背中から壁に思い切りぶつかった簗は咽せながら鋼鐵塚の顔をまじまじと見る。
「鋼鐵塚おまえ……人間だったんだな……」
「ぶん殴るぞ、返せ!」
「いやいやいや! もうちょっとツラ見せろよ! お、おまえ、おまえ……人間だったのかよ!」
「なんだと思ってたんだテメエは! か、え、せ!!」
むきになって掴み掛かる鋼鐵塚の手首を簗はいとも簡単に掴む。それだけで鍛冶仕事で鍛えられた鋼鐵塚の肩から先が容易に固定されてしまった。鋼鐵塚は時折、目の前の男が人知を越えた力を発揮出来ることを忘れる。
人好きのしない四白眼が今は目一杯見開かれている。簗は至近距離で鋼鐵塚の顔を眺めた。
「何が腹立つって意外と見られるツラしてることだなァ。その火男面、俺の方が必要なんじゃねえか」
傷だらけの顔を簗は歪める。鋼鐵塚が「そうだな」と答えると、簗は鋼鐵塚の額に己の額をぶつけた。衝撃と痛みに鋼鐵塚は声もなくその場で崩れ落ちる。簗も頭を抱えて蹲った。
「俺の刀鍛冶じゃなかったら腕の一、二本へし折ってる」
「……るせーよ、頭蓋砕けるかと思ったぞ」
呻く鋼鐵塚を簗は鼻で笑った。それから「ん」という短い一言とともに両手を鋼鐵塚に差し出す。鋼鐵塚は取り返した火男面をつけ直しながらそれを見下ろす。
「さっき元気に刀ぶん回していただろが」
「稽古はする。それ以外は何一つ頑張りたくねえんだよ俺ァ」
「俺の面毟ったときの身のこなしはなかなかだったぜ」
「そうかい。そりゃどうも」
簗は立っている鋼鐵塚の前腕を掴んで立ち上がろうとする。簗はいつも躊躇いなく鋼鐵塚を杖か手すり代わりにした。上背と体格に恵まれた男が全力で寄りかかってくるのだから堪らない。鋼鐵塚は肩を引っこ抜かれる前に簗を引き起こすしかない。
立ち上がった簗は礼の一つを言うでもなく足を引きずりながら西日の当たらぬ部屋の奥に向かう。
「おい」
鋼鐵塚が傾いだ背中に声をかけると、簗は億劫そうに首だけ振り返る。鋼鐵塚はこの男が死ぬ前に聞いてみたいと思っていたことを口にしかけ、やはり口を噤んだ。
「――なんでもねえ」
簗の眉間に皺が寄る。
「なんだよ、言えよ、気になるだろ」
「気にすんじゃねえ」
「言え、答えてやる」
「なんで上からなんだよ」
「いいから言えよ、落ち着かねえ」
鋼鐵塚は黙って簗の頬をつねり上げる。頬の傷の皮膚が思いの外薄くぎょっとした。親指と人差し指の間に、皮二枚ほどの距離しかない。
「ぎゃ、お前、これ、穴あきかけてんじゃねえか! 気持ち悪ィ!」
叫ぶ鋼鐵塚に簗は楽しそうににやにやする。
「あやうく口裂けになるところよ」
「おお……あ、ここちょっと開けたら口閉じたまま味噌汁飲めるな」
「わはは、ばかじゃねえの」
鋼鐵塚は容赦なくぐいぐいと簗の頬を引っ張る。西日が透けそうな薄い頬に、網の目のように細い血管が走っている。
「顔に穴開けてまで隊士でいてえのか、分かんねえな」
鋼鐵塚が言えば、簗は眉を上げる。
「あ? おまえは片腕なくなったら刀打たねえの?」
「ああ、分かった」
短く答える鋼鐵塚に簗は口を開けて笑う。顔の傷が大きく引き攣った。
「イカレてんだろ」
「お前にだけは言われたくない」
簗は「あーよっこらしょ」と年寄りじみたかけ声を出しながら薄暗い上がり框に腰掛ける。それからふと思い出したように鋼鐵塚の方に上体を傾けた。
「そういや、俺が隊士になった理由って言ったか?」
「いや、聞いてねえ」
「財布を掏った相手が育手で、ぼこぼこにされてふん縛られて無理矢理修行させられた」
鋼鐵塚はあっけらかんとそう言う簗の顔を見下ろす。簗の背後に腰を下ろしながら、鋼鐵塚は面の下でため息をつく。
「お前が他の隊士に煙たがられているのはすぐキレるからだけじゃねえんだな」
「これ言うと奴らは大抵ゴミを見るみてえな顔するんだよなあ」
「まあ、そうだろ」
大切なものを奪われ、怒りと苦しみに取り憑かれ刀を取った者が隊士には大勢いる。そうでない理由の者もいるにはいるが、これほど馬鹿馬鹿しい理由で隊士になった者はそういない。
そのうえ実力では切実な過去を抱えた並の隊士より抜きん出ているというのだから始末に負えない。簗が脚の機能を失ったことに、憐れみ惜しむ以外の感情を抱える隊士は少なくないはずだ。
ハ、と簗は短く笑う。
「カワイソウならまっとうなのかい。俺の方が鬼の頸掻ッ切った数じゃ上よ。誰にも文句は言わせねえ」
黒い瞳孔に怒りが滲む。鋼鐵塚は細く息を吐いた。
「親兄弟が生きてるんなら、心配されてんじゃねえのか」
「さあなあ、家出たのなんかずっと前の話だし、金は送ってるから生きてることだけは伝わってんじゃねえの」
「へえ、意外と孝行息子だな」
給金は全て博打につぎ込みいつでも金欠だと揶揄されていたが、事実ではなかったのかもしれない。簗は鼻を鳴らして顔を背けた。
「母ちゃんが飢えちまうだろ。あと弟たちも」
「父親は?」
「クソ」
あまりに短い物言いに鋼鐵塚は笑ってしまう。吹き出す鋼鐵塚を簗は横目に睨んだ。
「おまえに言われるんだから相当じゃねえか」
「うるせえよ、相当なんだよ。金は寄越さねえし、飲んだくれるし、母ちゃん殴るし――テメエの嬶、顔が分からなくなるまで殴るかフツー」
「お前だって女も殴りそうだけどな」
「……ああ、うん、そりゃまあ、いやちっとは堪えるだろ、多分」
鋼鐵塚は簗の横顔を眺めた。そんなに嫌いなら、と鋼鐵塚は前置きする。
「殺しちまえば?」
「は?」
「お前の方が強いだろ」
「……は?」
「なんだよ、お前の親父は鬼なのか?」
「いや人間だよ。え、鋼鐵塚知らねえの? 人間殺すとハンザイなんだぞ」
「産屋敷がなんとかするだろ」
「…………こえーよ」
「冗談だ」
簗は右の目蓋を引き攣らせた。
「おまえさぁ、そういう冗談は面外して言えよ。分かんねえよ」
鋼鐵塚は己の顔に貼りついた面をぞろりと撫でる。目穴を覗き込んでくる簗から顔を逸らした。
「なあ、お前、山繭白瀬の話を聞いたか」
温泉で小耳に挟んだ話を切り出す。その名前を出した途端、簗の顔が複雑に歪む。それは顔を縦横無尽に走る傷のせいかもしれず、簗が白瀬に抱える奇妙な情緒のせいかもしれない。
同期であり付き合いの長い二人が仲が良いのか、悪いのか、鋼鐵塚には分からない。関知しようとも思わない。ただ鋼鐵塚ははっきりと山繭白瀬のことは嫌いであった。それは物静かで曖昧な態度が不気味であるとか、陰鬱な顔が気に食わないであるとか、いくらでも理由は湧いて浮かんでくる。だが結局のところ鋼鐵塚は作刀を断られたことを根に持っているに過ぎない。
「柱になった。水柱だ」
簗は不愉快そうに顔を顰めて舌打ちをした。
「だからなんだよ」
そうだけ言って短い髪を掻き上げる。手の甲に青筋が浮き出ている。簗の物言いに鋼鐵塚の頭にカッと血が上った。
「だからなんだっつったかテメエ!! 俺は柱の刀を打つ絶好の機会をフイにしたんだぞ!!」
鋼鐵塚が金切り声を上げて簗の胸倉を掴み上げると、簗は虚を突かれた間抜け面を晒す。
「は、はああぁ!? 知るかよ! テメエのせいだろうが!!」
「うるせー!!! クソッ!!! あ゛ー!!! 口にしたら腹立ってきた!!!!」
「じゃあ黙ってりゃいいだろ!!!」
「テメエが黙ってろ片跛!! バカみてえに怪我ばっかりしやがって!! バーカ!」
鋼鐵塚は簗が咄嗟に立ち上がれないのをいいことに言うだけ言うと簗を突き飛ばし拳の届かない場所に逃げる。眼前を拳が通り過ぎ肝が冷えた。血走った目が鋼鐵塚を睨む。ふゥ、と震える息の音が鋼鐵塚の鼓膜を打つ。刀鍛冶を殴るのに全集中の呼吸を使うのは反則ではないか。
「いいからさっさとテメエも柱になれ」
鋼鐵塚は冷や汗を指先で拭いながらそう吐き捨てる。簗は憑き物が落ちたような顔で鋼鐵塚を見た。
「…………おん」
肯定とも否定ともつかない呻き声を零し、簗は鋼鐵塚に背を向けてごろりと横になる。深く息を吸う音がして、背中が丸くなった。
「はらへった」
小さな声で簗が呟く。鋼鐵塚はそれを見下ろしながら「知らねえよ、そこで飢えて死ね」と罵倒した。