十一



 鬼殺隊本部から甲の隊士が一名行方不明であるという報せを受けたとき、鉄地河原は素知らぬ顔で「はあ、さいでっか。ま、珍しい話でもなし」とだけ応えた。鎹烏は言い含められた言葉だけを繰り返すと、丁稚にかき餅の欠片をもらって満足げに飛び立っていった。

「……よろしいんですか」

 溜息交じりに鉄穴森が言う。誰がいるわけでもないが声をひそめた。それに対して鉄地河原は明け透けに肩を震わせる。

「嘘は言うてへんで。行方の知れん隊士を差し出せとは言われとらんわ」

 施療院で治療を受けていた隊士の某は看護人に「隠れ里へ行く」と言い残し、鎹烏を窓枠に括り付け、そのまま行方を眩ませたという。多忙を極めた施療院ではいくつかの手違いで隊士が退院したものと思い込み病床を片付けてしまった。その隊士を担当していた看護人が親戚の商売を手伝うために離職していたことも手伝い、情報が錯綜してしまった。結局、ある隊士からの問い合わせで三ヶ月あまり消息を絶っていることが判明した。
 施療院の担当者は当然青ざめたであろうが、もとより素行のよろしくない隊士であったので大して責められはしなかったらしい。
 鉄地河原の言うように、何も言わずに姿を消してしまう隊士は珍しくない。任務に赴いてそのまま消えてしまう隊士のうち、ほとんどは鬼の胃袋の中だ。中には鬼狩りの過酷さに音を上げ気を病みどこへなりとも行ってしまう者もいる。
 珍しいのでは、任務を遂行した後で「壊れて」しまい、鎹烏の啼き声の通りに道を辿っているのに本部にも藤の紋の家にも任務地にも辿り着けぬと、同じ場所をぐるぐる回り続けていた者もいた。隠に保護されたときには憔悴しきり浅草の裏路地を泣きながら彷徨っていたらしい。
 そうであるから、柱でもない隊士が一人消えたところで本部の対応など冷淡なものだ。本部が懸念しているのは隊士の身よりも、持ち出された日輪刀や隊服の行方である。此度消えた隊士は日輪刀は損壊し、隊服は施療院に置いたままであるというので、捜索にも力は入らないだろう。
 鉄穴森は天井を仰いで溜息をつく。面の中で対流した息が頬を温く撫でる。

「簗君ときたら……本部に何も言わずに出てきてしまったんですねえ」
「あの悪タレらしいわ、産屋敷の神通力も馬鹿には通じひんってことやな」

 けらけらと鉄地河原が笑う。
 「じーさん、ちょっくら鋼鐵塚ンとこの軒先借りさせていただきますよ」と他の鍛治師が泡を食うほどの無礼さで滞在の許可を勝手に取り付けた簗は、もう三ヶ月あまり鋼鐵塚の家に居候している。
 年の頃は近いとはいえ二人とも極度の癇症で早晩取り返しのつかない喧嘩をするであろうと、鉄地河原は隊士用の宿泊施設の部屋を一つ空けていたが、それも必要にはならなかった。簗は鋼鐵塚の家の軒先どころか母屋で腹を出して寝ていた。庭には勝手に巻藁を立てている。
 鋼鐵塚は黙々と刀を打ち続け、簗はそれを振るっては鋼鐵塚に突き返した。時には鋼鐵塚が簗の手から刀を取り上げる。
 なんや精が出とるな、と声を掛けた鉄地河原に、鋼鐵塚は顔を上げもせず「カタワでも戦える刀がいる」と呟いた。それを聞いた鉄穴森は肩をすくめる。

「取り憑かれていますよ」
「あの子は産まれた時からそうやった。才能も熱意も努力もあって、あの子に足りひんかったんは狂気に付きおうて焚き付けてくれる使い手だけや」
「狂気とおっしゃいますか……」

 鉄穴森はぽつりと呟く。鉄地河原の剽軽な火男面が鉄穴森の方に向けられる。ぽっかりとあいた目穴からは笑声が滲まない。

「な、言うたやろ、やっぱりあの子に付けて正解やった」

 冷ややかな声音に鉄穴森は言葉に詰まる。それからゆるゆると首を横に振った。
 五体満足の頑健な男でさえ、風に吹かれた葦のように薙がれていく。それを不具の体を引きずって鬼殺を続けようというのだから、正気の沙汰ではなかった。困ったことに、投げやりになっているのでも空威張りでも何でも無く、本気でやると宣っているのだから始末に負えない。誰かが止めるべきなのだ。家族か、育手か、同期か、刀鍛冶か。

「ですがあのままではいずれ――」
「鉄穴森、おまえさんが簗に肩入れするのもよーお分かる。簗はえらいおまえのことを慕っとったさかい。――でもな、人間なんて遅かれ早かれ死ぬもんや。鬼殺隊士なら尚のこと。だが技術は継承する限り死にはせん」

 ま、ワシは幸か不幸か長生きしとるけどね、と鉄地河原はおどけて見せる。

「あの子には蛍のために死んでもらうわ」

 事も無げな言葉に、鉄穴森は目を伏せる。返したい言葉はいくつもあった。だがそれら全てを飲み込んだのは、鉄穴森にも刀鍛冶としてそれが最善であることは分かったからだ。何を言っても私情になる。

「長も蛍君に肩入れしすぎですよ」

 温厚で礼節を重んじる鉄穴森にしては珍しく苦言じみたことを言う。鉄地河原はちんまりとした丸い肩を竦めた。

「そらそうやろ。ワシかて人の子やもん」

 息子同然の鋼鐵塚は可愛い。特別刀鍛冶の才に恵まれているなら尚更。
 鉄地河原は面の下で笑う。

「あーあ、蛍も運がええんか悪いんか、二十も半ばで色恋沙汰の一つも無い男ンとこに、一つ屋根の下あの癇癪に負けん子が転がりこんできたっちゅうんに、男なんやもんなあ。簗が女の子やったら知らんうち祝言挙げさせとったわ」
「怖いことおっしゃいますね、怒り狂うあの二人に詰め寄られることを想像するだけでうんざりします」
「しょーもない鬼のしょーもない血鬼術か何かで簗が女の子になってくれへんやろか」
「そんなほんとしょうもないことを……」


******


 子供なんぞというものは幼気で純真で可愛らしく、同じくらい残酷で考えなしで腹立たしいものだ。それは隠れ里でも変わらない。隊服を脱ぎ、萎えた脚を引きずった簗は里の子供にとってみればただの奇妙な男である。
 刀を打つでもなく、商売をするでもなく、日がなよろよろと覚束ない足取りで刀を振っている。風体は傷だらけで顔など古傷で引き攣り歪み化け物じみていて、体格こそいいが脚が悪いので子供の足でも逃げられる。からかわれると声を荒げ顔を真っ赤にして怒り狂うのがまた良くない。子供にとっては格好のおもちゃだ。
 隠れ里の閉塞した日常で暇を持て余した悪童が、簗を見つけては「やい、山魈、悔しかったら追いかけてこい!」と舌を出し尻を叩いて見せる。それに簗はいちいち律儀に激昂する。はじめのうちは子供を注意していた大人達も「ああまたやっている」と注意するのは三度に一度程度になっていた。
 結局のところ、簗の悪評を小耳に挟んでいた鍛冶師でさえ、その病的な癇症を甘く見ていた。我が身を省みず鬼狩りに人生を捧げているような男が、まさか悪童相手に本気で怒り狂うほど幼稚で粗暴で恥知らずなわけがない、と思い込んでいる。己の打った刀を使う隊士にそんな男がいてほしくないという願望とも言えた。
 だが簗は幼稚で粗暴で恥を知らない男である。簡単に本気で怒り狂う。簗が刀を振るう稽古を欠かさないのは、再び戦場に立ち、山繭白瀬を見返し、悪童どもの顔面を鼻が折れるまでぶん殴るためだ。
 簗はその一心で跛足を引きずり移動する術を身に付けていた。杖代わりの鞘に体重を預け、隻脚で跳ねるように地面を漕ぐ。奇異ではあるが、転ぶのではないかという恐れさえ抱かなければそれなりに速度は出た。それなり、というのは、二つ足であった頃に比べれば劣るが、只人には十分驚異的な速度だ。
 簗はそれを巧妙に隠しながら悪童を追い回した。簗は幼稚で粗暴で恥知らずではあったが喧嘩慣れだけは人一倍していた。こういうときは頭を引きずり出して完膚なきまでに叩きのめすのがいい。
 簗は悪童を取り仕切っているのが他の子供達より体格のいい少年であることを知っていた。取り巻きを焚き付けたり、気の弱そうなのを脅しつけて、自分は精々遠くからにやにやと石を投げるくらいだ。簗はそういう喧嘩をする奴が一番嫌いだった。
 相手の様子を見ながら追いつけぬ程度の速度を装い悪童どもを脅しつける。徐々に背後に迫るようになってくる簗を見て子供達は竦み上がり、積極的に簗虐めに参加する者は減ってくる。となれば娯楽を取り上げられた頭は子分どもに示しを付けてやらねばならない。己が先陣を切って、あんな男は大したことはないと見せてやらねば結束が弛む。それはおおむね簗の想定通り事が運んだ。

 鋼鐵塚の打った重い刀を担ぎ上げ、重力に任せて振り下ろす。頸、肩、背がみしりと軋む。それ自体に重量のある刀は、踏み込み体重を乗せずとも容易く巻藁を両断した。地を抉り止まった刀を上体を捻りながらいっきに担ぎ、二の太刀を振るう。巻藁の支柱が音を立てて割れる。
 簗は軋む肩をぐるりと回し、頸を左右に伸ばす。多少はマシに刀を扱えるようになってきた。
 ふと視界の端に取り巻きを引き連れた少年の姿を見つけ、簗は地面に刺さったままの刀から手を離す。

「おい、片跛!」

 少年は怯えた目で巻藁の残骸と割られた支柱を見ながら言った。簗は鼻を鳴らす。

「ンだ、これ見て喧嘩売ってくんのか。意外と度胸あるんじゃねえか」

 簗がその場から一歩も動かずに木っ端を顎で示すと、少年は少しほっとした顔で一歩前に出る。手の内でじゃらじゃらと礫を鳴らした。勢いづいた取り巻きもにやにや笑いながら手を打ち鳴らす。

「やーい、山魈、」

 悔しかったら追いかけてこい、という決まり文句の囃子を最後まで口にする前に、簗は鞘を手に取り隻脚で地面を蹴る。へらへらと笑う取り巻きのこめかみを、鼻面を、喉を鞘の鐺で突き、次々と地面に沈める。礫を握ったままなすすべ無く立ち尽くす少年の横面を鞘で一発殴り、次いで向こう脛を突く。痛みに屈み込む少年を蹴転がすと、胸ぐらを掴んで引きずり上げた。

「おう散々っぱら虚仮にしてくれたなクソガキ!!」

 怒鳴りつけ、鞘の跡が痛々しく残る頬を拳で殴る。少年の頸はねじ切れるほどにぐるんと横を向いた。吹き飛ばされた少年はもんどり打って地面に叩き付けられうめき声を上げる。土埃がもうと上がり、乾いた地面に鼻血がぼたぼたと落ちる。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と震え声を上げながら蹲り震える少年を簗は足蹴にする。

「ゴメンで済めばヤクザはいらねえんだよ!!」

 ヒイ、と少年の弱々しい悲鳴が上がる。そのとき血の上りきった簗の頭に、背後からざぶりと水が掛けられた。

「つめてえっ! 何すんだ鋼鐵塚! 野良猫じゃねえんだぞ!」
「似たようなもんだろうがギャーギャー盛りやがって!」

 簗に水を掛けたのは鋼鐵塚であった。面のせいで表情は見えぬが、声音は呆れていることが明らかだ。桶を脇に抱えた鋼鐵塚を簗は睨む。大きな手はがっちりと少年の胸ぐらを掴んだままだ。

「やっと多少動けるようになってやることがガキ虐めか!? 馬鹿かテメエは!!」
「るせえな!!」
「俺ァそんなくだらねえことのために刀打ってねえぞ!」
「くだらなくねえよアホ!」
「くだらねえよタコ!」

 気色ばんだ簗の手が少年の胸ぐらから離れるのを見て、鋼鐵塚は少年の頸を掴んで引きずり放り出す。

「これに懲りたら馬鹿焚き付けんのはやめろクソガキども!」

 鋼鐵塚は簗以上の大音声で怒鳴ると、げほげほと咽せながら四つん這いになる少年の尻を蹴飛ばした。顔から地面に突っ込んだ少年は、弾かれるように立ち上がるとよろよろと逃げ帰っていく。取り巻きの少年達はとうに姿を消していた。
 簗は伸びた前髪を掻き上げ、水を絞った手を振るう。濡れて張り付く上着を摘まんで顔をしかめた。

「ひでえことしやがる」
「里のガキっぽち殺すつもりかよ、さすがにここにいられなくなるぞ」
「……ああ、うん、そりゃそうか」
「ばか」
「るせっ」

 鋼鐵塚は残骸と化した巻藁を横目に見た。

「いい感じじゃねえか」
「おう」
「カタワでも戦える刀だ」

 鋼鐵塚はそう言って火男面をどうだとばかりに簗に向ける。簗は顔を歪めた。

「あんなカジキみてえに重い刀、俺以外に誰が扱えるんだ」
「カタワで鬼を狩ろうなんざテメエくらいだ」

 それを聞いた簗は違いねえと笑った。頬の傷が大きく引き攣る。

「鋼鐵塚、おめえよう、人間としてはゴミだけど刀鍛冶としては一流だよ」

 地面に刺さったままであった日輪刀を引き抜き鞘に納めながら簗は言う。鋼鐵塚は簗の言葉に覿面に狼狽え、面の下で目を瞬かせる。

「お、おう、……あ? おい、もいっぺん言ってみろ」
「は? 人間としてはゴミ」
「そっちじゃねえ!」
「…………やだ」
「言え!!!」
「いやだっつってんだろ!」

 どちらからともなく掴み合い、地面の上で上になり下になりしながら取っ組み合いの喧嘩を始める。良いだけじゃれ合ったあと、いい歳して泥だらけになった二人はのろのろと立ち上がると、めいめい「はーやめやめ疲れるったらねえ」「喧嘩に呼吸使う奴があるかよ」などとぼやきながら母屋に帰った。


******


 炎柱煉獄槇寿郎の近頃の懸案事といえば、もとより体の強くなかった妻の体調が最近いっそう優れないことと、己が身柄を預かっていた隊士が行方を眩ませたことである。
 簗は素行よろしからざる男ではあったが、鬼殺へののめり込み方は尋常ではなかった。これが簗以外であれば過酷な任務に気を病み消えたのかとも考えられたが、簗の気性を鑑みればその可能性は低い。
 思えば簗はいつ鬼殺隊を去ってもおかしくない男であった。修行と選別を強制され隊士となり、実力はあったが柱にはなれぬ境遇にあり、その挙げ句脚の機能を失った。不遇といえば不遇で、自業自得といえばその通りだ。だが槇寿郎は己が何かしてやることも出来たのではないか、とも思った。
 任務地ではなく施療院から消えたというのだから、鬼に殺されたのではなく自らの意思で出て行ったのであろう。そういう隊士を手を尽くして探し出すほど鬼殺隊は暇ではない。他の柱達も脚を失い鬼殺に見切りを付け消えたのだろうと意見が一致した。ただ一人それに表立っては異を唱えずとも不愉快そうな顔をしたのが水柱の山繭白瀬であった。
 白瀬と簗は同期である。何も言わずに消えたことに対して思うところもあるのだろう。槇寿郎は静観することとしたが、ある日柱合会議で思い出したように「煉獄殿、簗の行方はお耳に入りましたか」と尋ねてきた。
 いや――と答えた槇寿郎に、白瀬は冷ややかに「そうですか」と言った。陰鬱に濡れた黒目が空恐ろしい。声音は穏やかで態度も礼を失さないが、身柄を預かった男の行方も分からぬのか、と責められているような気がする。山繭白瀬はそういうところがあり、槇寿郎は苦手とまでは言わぬがやりにくさを感じてはいた。槇寿郎は苦し紛れに「近く刀を受け取りに隠れ里に赴く。簗は里へ行ったきり消えたというから、長に何か知らぬか聞いておこう」と言った。白瀬は「それはわざわざお手間をおかけいたします」と深く頭を下げたが、その眦に「そんなこともしていなかったのか」という色を滲ませていた。
 とはいえ、覇気を失い逃げた隊士を連れ戻したところでどうにもならない。鬼殺隊は軍隊ではない。団体行動も集団戦もありえない。隊士を隊士たらしめるのは規律ではなく各々の戦う理由だけであった。それを失えば、隊士は鬼殺隊には戻られない。戻る理由もない。
 その場しのぎの口約束とはいえ、約束は約束。煉獄槇寿郎は義理堅い性格ゆえに、いかに反りの合わぬ水柱相手とはいえど約束を反故にすることは出来なかった。
 里に赴き刀を受け取り、挨拶ついでに長へと一応事の次第を尋ねようとした。里長の屋敷を訪れ、門前に出てきた下男に長に一言挨拶がしたいと言付ければすぐに中へ通された。
 他の家に比べれば広く、手入れはされているが、決して豪奢な建物ではない。建具など簡素なもので、装飾らしい装飾は床の間の刀剣や壁に掛けられた槍くらいのものだ。その質実剛健さが槇寿郎には好ましくもあった。だが同じほど歴史のある産屋敷や煉獄の邸宅よりも遙かに見劣りする屋敷で鍛冶師の長が寝起きしていることを「好ましい」で終わらせてしまう程度には、煉獄槇寿郎は結局は煉獄なのだ。

「炎柱殿が来てはる言うんにご足労させて申し訳ない、本来はこちらから出向かなあかんところを。なにせ歳も歳でしてな」

 常と変わらず飄々とした口ぶりで鉄地河原は頭を下げた。槇寿郎の父の、そのまた父の世代からこの老爺は鍛冶師であったと聞く。もちろん隊士の世代交代が早いということも指すのだが。

「いえ、何をおっしゃいますか。鉄地河原翁もご健勝のようで何よ――」

 部屋の前の廊下を奇妙な足音が通り過ぎていく。一つ先の座敷の襖を開け、閉める音がし、その足音は部屋の前に戻ってくる。ちょうど、片足を引きずるような足音であった。
 無遠慮に襖がひかれ、傷だらけの凶相がひょっこりと覗く。

「じーさん、鋼鐵塚のアホがキレすぎて泡吹いてぶっ倒れ――あ、炎柱」

 この四ヶ月あまり喉の奥に蟠りを植え付けていた男が、あまりにあっさりと現れたので槇寿郎は目を剥いたまま言葉を失う。
 鉄地河原は平然と「これ、客人の前やで。それに、そんなこといちいち報告せんでええ。死んだら教え」と答えた。

「いやだって鉄輪が長に報告しろってうるせえんで……」
「簗! 鉄地河原翁に向かってなんだその口の利き方は! 無礼だぞ!」

 言ってから槇寿郎はそれどころではないことに気が付く。槇寿郎は座布団から立ち上がると悪びれたところ一つ無い簗に詰め寄る。

「簗、おまえ……生きていたのか!」
「へ、へえ? まあ、そりゃ、何度か鋼鐵塚に殺されかけちゃいますけど」
「なんだ、どういうことだ!? おまえ、ずっとこの里にいたのか?」
「そうっすけど……え? だって俺、隠れ里に行くって言ってましたよ」
「そ、そうだが……! なぜ鎹烏を置いていった!」
「うるせえからっす」
「は、はあ!? ではなぜ隊服を置いていったんだ!」
「だってぼろぼろだし……」

 槇寿郎はあっけらかんとした様子の簗を見て叱責する気すら起きず額を押さえて天井を仰いだ。

「鉄地河原翁……これは、これはいったいどういうことか」
「はて、なんやろ」
「隊士が行方不明という報せは行っていたはずですが」
「週に一個はそんな報せが来よる、やーうっかり忘れとったわ。簗、留守の報せくらいちゃーんとせなあかんよ」

 急に話を振られた簗は四白眼をぎょろりと丸くして「へえ」と答える。槇寿郎は剽軽な火男面の下で舌を出しているであろう老爺を「狸め」と横目に睨んだ。

「お騒がせして申し訳ない。少しこの男と……話をしてもよろしいか」
「構わんよ」

 鉄地河原が言うなり槇寿郎は簗の耳を捻り上げる。

「来い!」
「あああいてえ! 取れる! 耳取れる!」
「うるさい! さっさとしろ!」
「勘弁してください、俺耳取れやすいんっすよ!」
「知るか!」

 床板を踏みならしながら鉄地河原邸を後にし、表通りに出てやっと簗の耳を離してやる。簗は二、三歩蹈鞴を踏んだ。動かぬ右足のぎこちなさが痛々しい。

「おまえなあ! 一戦を退くなら退くで身の処し方というものがあるだろう! 勝手に隠れ里で遊んでる奴があるか!」
「は、はあ……」
「傷を受け気落ちするのも分かるが、隠や育手という道が……」
「あ、俺、鬼殺隊に戻ります」
「――は?」

 槇寿郎は不躾と承知でまじまじと簗の跛足を凝視する。慎重に何か言おうとし、結局直截な一言を口にする。

「無理だろ」
「や、鋼鐵塚が刀を打ったんで」

 簗は淡々とした口振りで言うと「見ます?」と顎をしゃくる。
 簗が槇寿郎を連れて行ったのは、里の外れの家屋であった。挨拶もなしに庭に入り込む。庭というより空き地に近い庭木も石もない殺風景な四角い土地に、ずたずたの巻藁と支柱がいくつも打ち捨ててある。簗はその中から比較的原形を留めているものを選んで立てた。
 縁側に無防備に転がされた日輪刀を手にする。漆塗りの鞘が黒くぬらぬらと光を映す。大柄な簗の手の内にさえ存在感がある。簗はその飾り気のない鐺を足の指で挟むと、伸び上がるようにして鞘を払う。剥き出しの刀身の鋼の色に緋色の一線が煌めく。確かに三尺を超えようかという刀身を腰に佩いて抜刀することは難しい。剛毅果断を旨とする岩の呼吸の使い手でさえ、あれほど長大で武骨な武器を使う者はいない。
 ひゅ、と鋭い呼吸音が鼓膜を打つ。ぐらりと簗の身体が傾いだ。重い刀に身体の均衡を崩したのかと槇寿郎は思ったが、それを改める前に簗は動く足を一歩大きく前に出す。大きく振りかぶった刀を重力のままに振り下ろすと、厚く鋭い刃は地を抉った。それを弾みに刀を支点にぐるりと上体を捻りあげ、いっきに刀を担ぎ振り下ろす。地の震えるような剛剣である。
 踏み込みの甘さは刀自体の重量が、頼りない足元は地を抉るほど長い刀身がそれぞれ補う。合理的といえばそうかもしれないが、それをここまで練り上げるのは狂気の沙汰と言ってよかった。
 刃のある所を叩き切る凶暴な剣は巻藁を破砕し、その背後の木塀さえ木っ端にした。簗はよろけ、剣を納める。

「あ、やべえ、鋼鐵塚に殺される……」

 不貞腐れ鼻の頭を掻く簗に、槇寿郎は短く問うた。

「いつ戻る」

 それ以上の言葉はいらなかった。簗は鼻を鳴らして頬を引き攣らせる。

「これ、鞘に笄を付けてもらってねえんで。それが出来たら」
「そうか、俺はこの後任務がある。それを終えたら、ともにお館様に謝りに行こう」

 謝る? と簗は不思議そうな顔をしたが、槇寿郎はそれを黙殺した。それの説明は後でいい。

「簗」

 地面に投げ出されていた鞘を足の指に引っ掛けて拾い上げていた簗は不安定な姿勢のまま槇寿郎を見る。

「おまえが身体を損ねてまで鬼殺を続ける理由はなんだ?」

 槇寿郎が問えば簗はちょっと斜め上を見て「さあ」と肩をすくめた。

「鬼への怒りか」
「そういうもんっすか」
「大抵の者は、そうだ」
「そんなの無理だな。俺でさえ怒りなんて長続きしねえんだ。一発二発もブン殴りゃどうでもよくなっちまう。それを鬼なんか相手に、何年も腹を立て続けられる奴がいるもんかよ」

 鞘に刀を納めながら簗は独り言のように言う。

「だが、隊士は皆そうだ。皆信念を、決意を胸に戦っている」
「徒党を組んでりゃどうでもよくなったからイチ抜けたなんか出来なくなる。あいつがやられた、こいつを見返したい、そいつに義理がある。そんなんで身動きとれなくなっちまって、あとは死ぬまでそこで藻掻き続ける。ヤクザと一緒だろ」

 槇寿郎は犬の頭と尾の方角を唱えるように言ってのけた簗の顔をまじまじと見つめた。

「それがおまえの戦う理由か」
「え? ああ? そうかな、そうかも?」

 簗は以前よりだいぶ伸びた前髪を掻き上げむうと首を捻る。槇寿郎は深く溜息をつき「俺が帰ってくるまでに髪を切っておけよ」とだけ言ってその場を後にした。
 帰途につきながら槇寿郎は、己の戦う理由を考えた。不思議なことにあれほど即答できたはずの答えがぼんやりと掴み所を失っていた。