十三



 随分立っ端があるな、何食えばそんなにデカくなるんだ。という声は悲鳴嶼行冥の胸のあたりから聞こえた。藤の紋の家でのことである。
 非常な長躯である悲鳴嶼の胸元に口があるということは、目の前にいる男もかなり上背があるようだ。声の響き方や呼吸の感じからして体格にも恵まれている。「あなたも上背のあるようにお見受けしますが」と言うと、声の持ち主は怪訝そうに「見受ける? おまえメクラなんだろ」と言った。無遠慮な物言いである。不躾と言っても差し支えない。

「ウブヤシキの坊ちゃんが直々に迎えに行ったっての、おまえのことだろ」

 彼を悲鳴嶼の恩人と知ってか知らずか随分な呼び方であった。鬼を徒手で圧倒した新人隊士の令聞はまたたくまに隊士の間に広まった。巨躯、盲目、僧形の悲鳴嶼をそれと見定めて声をかけてくる隊士は幾人かいたが、お館様を坊ちゃんなどと呼ぶ隊士はいなかった。
 呆気にとられる悲鳴嶼に男は喉の奥で笑う。

「ンな顔すんなよ、カタワ同士仲良くしようや」

 そう嘯いて男は縁側に腰を下ろす。確かに片脚を引きずっている。次いで日輪刀を投げ出す硬く重い音がした。

「マッポに引っ張られたんだってなあ。どこに入った?」
「どこ、とは――」
「ハコ。留置所」
「……青梅の、」
「あ、そのへんは入ったことねえわ」

 苦い記憶に土足で入り込まれていい気はしない。閉口する悲鳴嶼を男は気にかけていないようであった。

「鬼殺隊ってのも業が深えな、人殺しも使うんだな。俺だって精々喧嘩か恐喝だぜ」
「それは……それは誤解です」

 悲鳴嶼に声をかけてくる隊士は大抵その経緯も知っているから、この男も知っていると思っていた。不幸な冤罪であることを釈明しようとした悲鳴嶼の言葉を、男はさっさと遮ってしまう。

「あ? 記憶違いか? まあ、何でもいい」

 男にとっては何でもよくとも、悲鳴嶼にはそうもいかないのだが。それで何かご用ですか、と問う声音も知らず硬いものにになる。
 男は初めて言葉に迷った様子だった。ああ、とか、うーんとか言いながら身じろぐ気配がする。

「用って程でもねえんだけどよ、おまえの図体で刀提げてると爪楊枝みてえだな」
「……はあ」

 それは他の隊士にも指摘された。七尺を超える長躯の悲鳴嶼が一般的な長さの刀を扱うとまるで短刀か包丁のようである。爪楊枝とまで言われたことはなかったが。

「誰が担当か知らねえけど、鍛冶屋にメクラで戦える刀をくれって言ってみろ。いい感じにイカれた奴なら喜んでいいモノ作るぜ。渋られたら――」

 男はそこで言葉を切り、不愉快そうに鼻を鳴らす。

「鋼鐵塚っつう男がいて、気は違っているが悔しいことに腕はいい。あの糞野郎に我慢できるなら依頼してみろよ」

 男はそれだけ言った。
 悲鳴嶼は先に何か続くのかと待っていたが特に何もなかったので拍子抜ける。それだけを言うために足を止めたのだろうか。共に不具の体を抱えているということがその理由であるならば、親切な男なのだろうか。
 悲鳴嶼がおずおずと礼を述べると、男は息が漏れるように笑う。

「喧嘩するなら得物が重要だろ、まあテメエにゃ関係ねえかも知れねえが」

 鬼を空拳で殴り続けたことを男はからかうようにそう言う。悲鳴嶼はふと気にかかっていたことを尋ねた。

「脚のことを聞いても構いませんか」

 男は己の脚を二度手のひらで叩く。

「こいつか? 駄目だ」

 駄目、と言われると思っていなかった悲鳴嶼は少々面食らう。

「別に格好のつく理由じゃねえし。おまえは――」
「悲鳴嶼です。悲鳴嶼行冥と申します」

 やっと名乗った名前に男はふうんと言っただけだった。

「大層な名前だな。坊主みてえ」
「仏門の末席を汚しております」

 悲鳴嶼の言葉に男は口を噤んだ。困惑気な沈黙に悲鳴嶼は言葉を選び直す。

「坊主です」

 端的な言葉に男はやっと反応した。声の感じから年上――二十を少し過ぎたくらいの男かと思っていたが、もう少し若いのであろうか。男は尻の据わりの悪そうなうめき声を上げた。

「あ、まずいな。坊さんにこんな口利いたら罰が当たるか」
「隊士になるにあたり僧籍は返上いたしましたので」

 相手が鬼とはいえ殺生をするには変わらない。手を血で汚しながら僧侶であり続けるわけにもいくまい。
 そう沈痛な気持ちになる悲鳴嶼の言葉に返答はなかった。悲鳴嶼は眉を顰め、言い直す。

「元坊主です」
「なんだ、紛らわしい」

 膝のあたりを蹴られた。
 男は弾みを付けて縁側から立ち上がる。左脚を踏み出す音、重々しく右脚を引きずる音、それを補うように日輪刀を地面に強く押しつける音がする。
 離れていた声が、ずいと近付く。

「経とかさ、あげられんのかい」

 誰かから隠れるように声をひそめてそう言う。悲鳴嶼も思わず声を落として「ええ、簡単なものならば」と答えた。

「俺が死んだら経の一つもあげてくれよ、なんでもいいからさ、ありがたいやつ。おまえくらいでっけえ坊さんの念仏なんか景気がいいよなあ」

 笑みの滲む声だった。悲鳴嶼は何と答えたらいいか分からず目の前の男に顔を向ける。悲壮感はなかった。明日の荷の準備をするような口振りであった。それがどうしてか悲鳴嶼の胸を打ち、盲いた両の瞳からはぼろぼろと涙がこぼれる。男はぎょっとし、呆れた声を上げる。

「おい、なんで泣くんだよ! 俺ァ何もしてねえだろ!」
「――申し訳ない」
「デケえナリしてめそめそすんじゃねえよ、俺が新人いじめてるみたいじゃねえか」

 きし、と悲鳴嶼の背後で縁側の板が軋む。それほど近付かれるまで悲鳴嶼はその気配に気が付くことが出来なかった。滑るような歩様と体重の乗せ方だけで背後の男が手練れであることが分かる。

「簗、こんなところで油を売っていたのか」

 穏やかな声であった。水を打つ滴のように心地いい。その声に簗と呼ばれた男は居心地悪そうに鼻を鳴らす。

「後輩激励しちゃ悪いかい」

 激励だったのか、と悲鳴嶼は思う。

「泣いているじゃないか。泣かせたのか」
「泣かせてねえよ」

 疑わしげな沈黙の後、簗は「なあ」と悲鳴嶼の方に顔を向けた。はあ、と曖昧な返事をすると簗は高い位置にある悲鳴嶼の肩をばしばしと叩く。
 そのまま挨拶もなしに男の気配は遠ざかっていった。あの人はいったい何者であったのだろうかと悲鳴嶼は首を捻る。
 後日、素行宜しからざる跛足の隊士の話を小耳に挟んだときに「あ、まさかあの人か」と膝を打った。


******


 白瀬は簗との共同任務を言い渡されたとき、否応なく簗と顔を合わせるのは気楽でもあり、心苦しくもあった。本当ならば、己から声をかけるべきであったかもしれない。白瀬は己の不用意な発言が簗の矜持をひどく傷つけたことを承知していた。
 だがそれ以外に何を言えば良かったと言うのだろう。それは白瀬の偽らざる本音であった。
 本部から落ち合うよう指定された藤の紋の家で簗の姿を見たときわずかな安堵を抱いた。巻木綿に覆われ寝台に寄り掛かり立っているのがやっとであった簗が二本の脚で立っていたからだ。自分が思っていたより軽傷で済んだのか、という期待はこちらに気が付いた簗が長刀を杖代わりに足を引き摺りながら歩み寄ってきたことで簡単に打ち崩される。
 威勢のように虚勢のようにふてぶてしく肩で風を切りのし歩いていた姿はどこにもない。ひょこひょこと肩を上下させて歩く様は老人じみていて、以前を知るだけに痛々しさばかりが募る。

「いいのか、彼は――」

 盲目から零れる涙を親指で拭いながら立ち尽くす彼を見遣る。簗は顔をしかめて「構うかよ、俺が泣かせたんじゃねえ」と言った。
 四白眼がぎょろりと白瀬を見下ろす。

「おう、久しぶりだな」

 白瀬は唇を歪ませ笑う。そう恬淡と口に出来る気安さが羨ましくもあり憎らしくも思う。

「そうだな」
「とうに辞めていると思っていたか」

 ふ、と眉根に皺を寄せる。そう願ってはいた。簗は盛大に鼻で笑った。

「カタワでも戦えんだよ、ザマア見ろ」

 けらけらと小気味いい笑い声が響く。
 二人は用意されていた座敷に入る。簗は座布団を手に取ると一枚を白瀬に放り投げ、一枚を尻の下に敷いてどかりと座る。動かぬ脚を器用に折りたたむ様子がそういう玩具のようで面白かった。

「柱になったってな」

 座るなり簗はそう言う。大層な上っ張り着やがって、と悪態をつく。白瀬は美しい白の正絹を摘まみ上げた。手を離すとそれは水が低きに流れるようにするりと落ちる。

「着せ替え人形になった気分だ」

 白瀬が答えると簗は苦々しげな顔をする。

「テメエが柱になったもんで鋼鐵塚がいつ俺は柱の刀が打てるんだとうるさくっていけねえ」

 嬶かあいつは、と簗が溜息をつくので、白瀬は苦笑した。笑みは瞬きの間に淡く溶け、痺れていく。
 跛足の簗の狂剣と、担当鍛冶である鋼鐵塚の尽力は、白瀬の耳にもうっすらと届いていた。良心的な隊士の中には「鋼鐵塚があの刀さえ作らなければ、簗が凄惨な剣を振るうことはなかった」と言う者もいる。
 白瀬は以前、簗の身に余る重量の刀を打ち使わせていることで鋼鐵塚を責めた事を思い出す。それが間違っていたとは思わない。白瀬は心から簗の身を案じた。その結果、鋼鐵塚は白瀬を鼻であしらい、簗は傷付いた体を引き摺り鋼鐵塚を頼った。同期の己ではなく。間違っていたとは思わない。だが、正しくはなかっただろうか。
 白瀬はその先を聞かずに現地調査を行っていた隠が記した報告書を広げる。

「先に隠に話は聞いている」

 簗は報告書を見る素振りすら見せない。白瀬はふと溜息をついた。
 東京郊外の、もとは荒れ寺が一つ建ったきりの人の住まぬ湿地であった。二十年ほど前に新興宗教団体がその荒れ寺に住み着いた。寺を所有する権利は正規の手段で買い入れたものか、勝手に占拠したものかは不明である。
 神の声を聞くという評判の教祖のもとには多くの人々が集まった。その人らが荒れ寺の周囲に居を構え、商売を始め、集落のような体をなして今に至る。
 周辺の集落の者に話を聞くと、決して良い顔はしなかったが悪い評判は聞かなかった。信者たちは貧しいながら助け合い慎ましやかに暮らしており、性質は穏やかで笑みを絶やさない。それが気味が悪いという声こそあれど、問題を起こした様子はない。
 問題なのは、信者の家族が信者に会えぬと訴えていることである。「体調を崩していて会えない」「会いたくないと言っている」「そんな人間はここにはいない」と、家族や恋人に会うことを要求するとやんわりと穏やかに返される。信者はそこに戸籍の類を置いているわけではない。「ここにはいない」と言われてしまえば、警察といえどお手上げである。もとより信者の大半は事情のある者が多くを占めていて、警察も本腰を入れて探そうという気はなかった。
 教祖と呼ばれる男が鬼か、或いは信者の中に鬼が紛れているのか、はっきりとしたことはいえないが、多くの人間がその集落を経て消えていることは確かであった。
 白瀬の言を聞いた簗は傷だらけの顔をいびつに引き攣らせ「また寺か」と言った。意識的にか無意識的にか、手がぞろりと右の膝をなぞる。

「イヤになるな。鬼がいてそれでも楽しくやってんなら、わざわざ鬼斬りでございなんて首突っ込みに行く必要あんのかよ」

 簗は舌打ちして天井を仰ぐ。白瀬はその尖った喉仏を眺めた。

「食われ死んでいく人間がいるんだ」

 我々が鬼を憎み地の果てまで追いかけて斬る理由は本当にそうか。白瀬は自問し、自答する前に簗に視線を向けた。

「命令があれば斬りに行く、それだけだ」

 ちげえねえわなあ、と簗は肩を竦めた。白瀬は座敷に無造作に投げ出された日輪刀を見る。

「簗、少し手合わせをしてくれないか」

 白瀬の言葉に簗は怪訝そうな顔をした。

「隊士同士の私闘は御法度だといつもうるせえのはテメエじゃねえか」

 微笑み、立ち上がった白瀬は日輪刀を腰に佩いた。変わらず鉄穴森の作であったが、柱になってから拵えが多少手の込んだものになっていた。お祝いとお守りに、と鉄穴森から手渡された龍の鍔は気に入っている。

「私闘じゃない。手合わせだ」

 白瀬が言えば簗は黙って日輪刀を手にした。脚を引き摺りながら掃き出し口から中庭に下り、鞘を放る。白銀の分厚い刀身に緋色の一線が迸っている。
 簗はそれを片腕で上段に担ぎ上げる。相変わらず人間離れした膂力だ。

「おら、来いよ。こっちは足が動かねえんだ」

 簗は不敵にそう言う。白瀬は座敷で刀を抜き放ち、縁側を蹴って簗の頭上から切りかかる。
 宙で簗と目が合ったとき、明確に己の頭蓋を真っ二つに割られる幻影を見た。白瀬の攻撃をものともせず、簗は分厚い刃を振り下ろす。断頭台のように真っ直ぐ落ちてくる刃を刀で受けようとし、とっさに身を捻ってそれを避けた。ず、と音がして日輪刀の先端が地面に埋まる。地面に突き立てた刀で萎えた脚を補い大きく踏み込みすかさず二撃が眼前に迫る。白瀬はそれも飛び退って避けた。あれを刀で受けては刀が駄目になる。刀ごと頭を割られかねない。

「ちょこまか避けるなよ、鬼よりすばしこいな」
「そうでなければ無傷でいられない」
「嫌味か」

 ぞぶ、と聞き慣れぬ音を立てて地面が抉れ弾ける。白瀬はその砂礫を羽織の袖で払い簗の手の内に飛び込む。耳元で鋼の気配がした。

「もうよそう」

 白瀬が言うと空を切っていた刃がぴたりと止まった。簗は唇の端を上げる。

「なんだ、怖気付いたか」
「そうだな、このまま続けてはお互い無傷でいられないだろ」
「構いやしねえよ」

 言いながら簗は足の先に鞘を引っ掛け跳ね上げると拾い上げた。鈍く光る刀が鞘に納められる。
 数度刀を振るう姿を見れば分かる。萎えた体を刀に預け、命を削りながら戦っている。凄惨だと顔を背けられる理由も分かった。
 簗が鋼鐵塚を心底信頼し、刀と命を預けていることも。
 白瀬は息を吐き、呼吸を整え、刀を納める。潮が引くように高くなっていた心音が鎮まっていく。
 簗は刀の柄にかけたままの白瀬の手首を握る。みしり、と骨と筋が軋んだ。針の穴のように細い瞳孔が白瀬を睨み、歯列の間から獣のような息が漏れる。

「俺はな、白瀬、テメエの言ったことをまだ許してねえんだ」

 囁くような低い声だった。それを聞いた白瀬は「そうか、よかった」と笑った。