三
選別から一年が経つ頃には山繭白瀬が斬った鬼は両手足の指では足りない程になっていた。斬った鬼の数が多いというのは、畢竟体が動く期間が長いということだ。寝付いていればそれだけ任に就くことが適わない。
白瀬は鬼狩りで傷付くことはほとんどなかった。鬼の一撃を受ければ大抵は死ぬか再起不能になるかであるので必然ではある。鬼と相対したときに一合、二合、と切り結ぶことはそうはない。刀が鬼の頸に届くか、鬼の爪が己の頸に届くか、いずれかである。
隊士としての年月が半年を越えたあたりで次代の柱はあいつではないかと白瀬は囁かれるようになった。大抵の隊士は半年で身体と精神と生命を消耗する。白瀬はよくもった方だ。斬った鬼が十五を超えた頃、白瀬は水柱からの召喚を受けた。柱といえば葦の如く刈り取られていく鬼狩り達にあって鬼と渡り合う力を持った剣士だ。如何ほど威圧感のある大男が現れるのかと思えば、白瀬と大して変わらぬ背丈の若い男であった。
水柱は二言三言白瀬と言葉を交わした。あまり口数の多い男ではなかった。ゆっくりとした瞬きが特徴的な、草を食む大きな獣を思わせる自若とした風情の男だ。腰に佩いた剣が不似合いであった。寂寞とした庵で筆を持ち詩作をしてる方が余程しっくりとくる。
水柱は数度、白瀬を伴って任に当たった。はじめのうちは柱に割り振られる鬼の強大さに白瀬は手も足も出なかった。幾度かの任を終えた頃、水柱は白瀬の太刀筋を見てどこかほっとしたような顔をした。張りつめた青白い顔を弛めて笑った。それが彼と任を共にした最後であった。一月後、白瀬の鎹烏は水柱の訃報を鳴いた。
白瀬は剣の似合わぬ物静かな水柱の横顔をふと思い出す。詩人めいた夢見るような眼差しは、いったい誰の幻影を見ていただろう。一度尋ねたら良かった、と白瀬は思い、空に向かって手を合わせた。驚きはなかった。それは水柱の挙動の節々にそういう予感のようなものが付きまとっていたからだ。
簗とは担当地域が被っているために幾度か顔を合わせた。死んではいないが、何度か死にかけてはいる。相変わらずの勝負強さと剽悍さで鬼の首を捩じ切っていた。風の噂で今は炎柱のもとで世話になっていることを聞いた。継子ではない。炎の呼吸の使い手とみれば誰彼構わず喧嘩を売っては叩きのめすため、本部に呼びつけられ叱責を受けたうえで目付も兼ねて処遇は炎柱預かりとなった。煉獄槇寿郎という男である。白瀬は一度だけ会ったことがある。いかにも柱然とした体格に恵まれた男であった。
煉獄は優れた炎柱である。簗は身柄を押さえられたその日から頭をきっちりと押さえ付けられていた。とはいえ全く頭が上がらないかといえばそういうわけでもない。強く熱く烈しい炎の呼吸、それを極めた炎柱に隊士達は型に嵌まらぬ天衣無縫さを求める。そのために煉獄はしばしば無頼を気取りたがるきらいはあったが、簗は気取るも何も根からのチンピラである。相性はいいとも言えたし、よくないとも言えた。少なくとも簗は炎柱に一定の敬意を払っているが、炎柱が簗を少々持て余していることもまた確かであった。
鬼を斬る裏渡世の人間とはいえ戦国時代より続く名家の出である煉獄槇寿郎と、産まれついての破落戸である簗の取り合わせは他の隊士達の興味を惹いた。実情を知らぬ平隊士は「さすが炎柱は度量が違う」と感心し、煉獄の人となりを知る柱達は「どうしてああ厄介事を抱え込みたがる」と静観に徹した。
それ以外、変わったことは特に無い。白瀬は鎹烏が鳴くままに居所を転々としながら鬼を斬った。寝て、起きて、飯を食い、求められれば鬼を斬り、任が無ければ水の呼吸の稽古をした。水柱の流麗な足捌きが目に焼き付いていた。
ある日、白瀬は山梨県の山中での任を受けた。ある村に死人に会える泉の言い伝えがある。深山に分け入ると木々の切れ間に美しい泉がある。水は澄みきり、白く美しい石が木漏れ日を反射してきらきらと輝く。まるで浄土との境のように美しい場所なのだという。そこで真夜中に会いたい者の頭と同じ大きさの石を拾い上げ泉に投げ込むと、葉擦れの音に混ざって死んだ者の声が聞こえる。
聞いただけでは山村に伝わる山の怪か怪談か、どちらにせよ与太や駄弁の類である。しかしどこに鬼が潜んでいるか分からない以上、奇妙な噂や不可思議な人死にがあれば一応人を差し向ける。この山中の怪にも隠が二人派遣された。どこからどう聞いても和やかな血のにおいのしない話を聞いて二人の隠は「さて富士山見物して温泉にでも浸かって帰るか」などと軽口を叩きながら現地に向かった。それきり、帰ってこなかった。
次に隊士が送り込まれた。隠が二人消えたのだから物見遊山というわけにはいかない。それが鬼か否かに関わらず隠を捕らえる何者かがいる。それなりに気を引き締めて現地に向かった。やはりその隊士も消息を断った。
これはいよいよ只事ではない。鬼にこそ赤子のようにあしらわれるとはいえ、鬼殺隊士は皆人知を超えた体技の持ち主である。野盗や獣にやられるわけがない。間違いなく鬼がいる。そういうことで白瀬に白羽の矢が立った。
白瀬は泉があるといわれる山の裾にある村に宿をとった。愛想のいい女将に「死んだ者に会える泉があると聞いたのですが」と尋ねると、女将はふくよかな丸い顔をさっと引き攣らせた。
「――お客さん、会いたい人がいるんです?」
「いいえ、話に聞いただけです。でも本当なら見物に行こうかと」
白瀬が答えると女将はほっとしたように眉のあたりの力を抜いた。
「おすすめしませんよ。どこから噂を聞き付けたのか知りませんけど、この村にはそういう人がよく来るんです。何人かは行ったきり帰ってこない。あっちに連れて行かれてしまうんですよ」
あっち? と白瀬が眉を顰めると、女将は誰もいない食堂で周りの目を気にするように視線を巡らせ声をひそめる。
「黄泉に引っ張られてしまう」
それだけ言うと女将は白瀬の茶碗に飯をよそってさっさと奥に引っ込んでしまった。白瀬は湯気をあげる飯を見下ろしため息をつく。どうやら噂は不完全な形で伝わっていたらしい。
白瀬は夜中にそっと宿を抜け出し件の山中へ足早に向かった。出発前に最後の点検をした刀は深く美しい青鈍色をしている。以前より青みがわずかに濃い。白瀬の鬼狩りの日々はさしたる変化もなく刻々と過ぎていったが、一つだけ変わったことがある。作刀を担当する刀鍛冶が変わった。
きっかけは任を共にした水柱の「その刀は君にあっていない」という一言であった。曰く「決して悪い刀ではないが、作っている者の我が強すぎる。君の太刀筋には不似合いだ」と。水柱は時折そういう霊験めいたことを口にする男であった。真に受けたわけではないが、担当の変更を申し出た。本当のところ、刀を折るどころか欠けたり曇らせたりするだけで怒り狂った鋼鐵塚に襲撃されることにうんざりしていた。白瀬は元来荒事を好む性質ではない。怒りに我を忘れて襲い掛かってこられては、なんというか、困るのだ。そうであるからというわけではないのであろうが、白瀬の申し出はあっさりと受け入れられ、担当鍛冶は鉄穴森に変わった。水柱の言は少なくとも刀があっていないという点では間違いではなかった。鉄穴森の打った刀は鋼鐵塚の打ったものよりも白瀬の手によく馴染む。
そういう理由で、今白瀬が佩いている刀は鉄穴森の作であった。
木々の間から射す月の光だけが頼りの暗い道を行くことにも慣れた。木々のざわめく音と何かが下草をぱきんと踏む音とコノハズクの鳴き声が聞こえる。報告を受けていた通りに山中を歩けば、やがて開けた場所に出る。月の光を反射してきらめく泉が、確かにそこにあった。あたりには風雨にさらされた骨に似た白い石が大小落ちている。
白瀬はあたりの気配をうかがう。不審なものは何もない。巣の中で身を丸める山鳥が身動ぎ、それを狙う狐が羊歯を踏む。白瀬は刀を抜いた。
泉の周囲を刀を片手に回る。数分もあればぐるりと一巡できる小さな泉であった。だが水深はそれなりにありそうだ。水面が暗く揺らぐ。白瀬は足元の拳ほどの石を拾い上げ、暗く粘ついてさえ見える水面に投げる。どぼん、と石が飛び込む音がする。水面が揺らぐ気配がして、それだけであった。
何も起きない水面をしばらく眺め、白瀬はいやな気分を噛み殺しながら再び足元の石を探す。いくつか石を拾ったり戻したりして一つの石に決める。両手で持ち上げるほどの、ちょうど子供の頭くらいの大きさの石を拾い上げた。それを、水面に落とす。先ほどより高く水がはねた。どぼん、という音が夜闇に反響する。
「おにいちゃん」
子供の声がした。白瀬は刀を握り直す。
「おにいちゃん、たすけて、わたしここだよ」
妹の声だった。六歳で死んだ可愛い妹。鬼に食われて死んでしまった。
「おにいちゃん、いたいよぅ」
白瀬はあたりに視線をやる。音の出どころはわからなかった。妹が生きていたか。そんなわけはなかった。白瀬は目の前で妹の脳味噌が啜られるのを見た。肉のほとんどを失った体を抱き上げて土に埋めた。妹を知っている鬼がいるのか。まさかそんなことはない。あの時の鬼は、首を落とされ塵と消えた。白瀬はその目ではっきりと見たのだ。どうしてもう少し早く来てはくれなかったのかと鬼殺の剣士を恨みもした。
白瀬は刀を正眼に構えてじりじりと歩を前に進める。雪駄のつま先が水際に触れた瞬間、水面が大きく揺れ激しい水柱とともに何かが飛び出した。白瀬は飛び退り、刀を真横に振った。相手の姿は見えねども、およそこのあたりが頸であろうという算段はあった。しかしそれは唸り声とともに白瀬が立っていた場所に喰らいついた。幾重にも生えた歯が地面を抉る。牙ではなかった。すべて人間の臼歯のように押し潰し擂り潰す形をしている。針のような毛がみっしりと生えた平らな猪のような奇妙な生き物だ。額には血走った目が無数にひしめき合っている。人の形ではないから、白瀬の目測は当たらなかった。
海象のような胸鰭が地面を打つ。
「お、ぬいい、ぢゃああああん」
「お、ぬいいい、ぢゅああああああん」
奇妙に間延びした声が大きな口から発されるたびに、喉が赤く膨れてぶるぶると震える。鬼は猛然と首を横に振りながら白瀬に踊りかかった。陸地に打ち上げられた巨体は予想に反して素早い。全身をくねらせて白瀬に襲い掛かる。
「おにいちゃん、おにいちゃん、たすけて、おにいちゃん」
灰色の涎を撒き散らす黒紫色の口から妹の痛切な叫び声が聞こえた。異形化の末声帯模写能力を得たらしい。がふう、がふう、と荒い鼻息の合間にか細い妹の啜り泣きが聞こえる。鬼殺隊士は皆多かれ少なかれ大切な人間を失っている。故人の声を聞いて思わず無防備に泉に足を踏み入れてしまうことは十分に考えられる。いやな能力だ。だが、それだけだ。
白瀬は鬼の頸に刀を突き立て、一息に切り裂く。最早頸骨で引っかかるような未熟な真似をすることはなくなった。おにいちゃん、おにいちゃん、と呻きながら鬼は塵となっていく。白瀬はその姿をぼんやりと眺めていた。
鬼の鳴き声は妹の声によく似ていた。だが語尾は平坦で違和感があった。言葉の必死さと裏腹に口調は抑揚を欠き同じ言葉ばかりを繰り返す。この鬼は人間を苦しませその反応を得ようと声色を真似たわけではない。人間に対して有効な疑似餌として近しい者の声を真似る。そこにあるのは悪意でも邪気でもなく、ただより多く捕食の機会を得ようとする寒々しい進化と変異ではなかったか。人間の姿をとる鬼が多いために心得違いをしてはいないか。最早これらは人間の理の範疇を超えた生き物ではないのか。人の倫理のうちで裁き罰することが、果たして正しいのか。
白瀬はそこまで考えたが、ゆるく頭を振って刀を納める。考えても詮無いことだった。どうであれ己は討つ者がなければ立っていられないのだから。白瀬は帰り際、猯を一頭捕まえた。女将に鍋にでも仕立ててもらおうと首の骨を折って持って帰った。
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藤の家の門を叩いた鋼鐵塚は、老女が分厚く重い門扉を内側から息も絶え絶えに押し開けるのを見て乱暴に門扉を引く。老女は数歩よろめき鋼鐵塚を見上げ、深々と頭を下げる。鋼鐵塚が用件を伝えると老女は先導しようとしたが、この蝸牛のような歩みに付き合っていては日が暮れる。部屋の場所だけを聞いて、鋼鐵塚は大股でその部屋に向かった。歩くたびに脇に抱えた笠に提げた風鈴がちりちりと細かな音を立てる。
襖を引くと座敷に布団が敷かれ、その中に男が寝ている。簗という名の鬼殺隊士は仕様もない騒動ばかりを起こす男である。轟かせているのは主に悪名であった。曰く、誰彼構わず喧嘩を売る、給金を早々に博打で失い野垂れ死にそうになる、藤の家の奥方にちょっかいをかけて主人を呆れさせる、数え上げればきりがない。だが腕は悪くない。おおよその人間の願望に反して、剣の腕は生き方の堅実さとは比例しないものだ。
「おい」
襖を閉めながら低く唸ると、簗は腫れた瞼を億劫そうに開ける。そう顔を合わせたことはないが、この男は一年三百六十五日のうち三百四十日程度は満身創痍であるような気がした。はだけた寝間着の胸元から幾重にも巻かれた巻木綿が白く目につく。
簗は半覚醒であった目を一瞬で険に満ちたものにした。布団を蹴飛ばし跳ね起きると掠れた声で「なんでテメエがここにいる」と露骨に顔をしかめる。
「鉄穴森の刀を折っただろう」
鋼鐵塚はそう言うと負っていた刀箱を下ろした。簗はむっすりとした顔で鋼鐵塚を睨む。
「鉄穴森さん、怒っていたか」
「怒りゃしねえよ俺じゃあねえんだ」
生活も戦いぶりも粗暴で無頓着な割に、簗は刀の扱いは丁寧である。荒々しい太刀筋であるために刀を損ねることはあったが折ったことは鋼鐵塚が知る限り数度しかない。もっとも鉄穴森の打った刀の出来栄えが優れているということは無視できないが。それを問えば簗は鼻を鳴らす。
「当たり前だろ。鉄穴森さんの刀はきれいだからな。俺はきれいなものが好きなんだ。女も海も刀もきれいなのがいい」
「お前、藤の家の婆に言い寄ったんだろ」
「あ゛あ!? おめーそりゃ誤解だぞ!!!」
激昂する簗に鋼鐵塚は日輪刀を突きつける。簗はきゅっと口をつぐみ、嫌いな食べ物を強要された子供のように顔を背ける。
「鉄穴森さんの刀じゃねえ」
「俺が打った」
「なんでだよ」
「担当が変わった。聞いていないか」
「知らねえよ!」
簗は迷子のような顔をして鋼鐵塚の胸倉をつかむ。
「なんで変わったんだ! 俺ァなんも聞いてねえぞ!」
「……俺の担当が外れて、鉄穴森が持つことになった」
「だからなんだ!? 俺ァ押し出されたってか!」
「そういうことだろうな」
簗は血走った目で鋼鐵塚を睨む。
「俺は鉄穴森さんの刀がいいんだ。ずっと使ってきた。大事に使ってたんだ」
「知るか」
「クソッタレ、テメエを外した馬鹿はどこのどいつだよ!」
「山繭白瀬」
鋼鐵塚が名前を告げれば、簗の気勢は目に見えて削がれた。簗は白瀬に対して複雑な感情を抱えていた。今となっては同じ選別を突破した者は白瀬と簗しか残っていない。そういう根拠のない仲間意識と白瀬の強さへの憧憬の念が簗の中にはある。それ以上に簗は白瀬を奇妙だと思っていた。いかにも育ちのよさそうで、聞けば実際裕福な家の出である。全てを失った、と言う白瀬は、簗には何でも持っているように見える。それがどうして命を削り暴力で身を立てる必要があっただろう。
「くそっ、他の奴ならぶん殴って無かったことにさせたが白瀬じゃ無理だ!」
「あいつ、強いか」
「次の水柱はあいつだろうよ」
「そうか、惜しいことをしたな」
さらりとそう言う鋼鐵塚に簗は噛みつきそうな勢いで食ってかかる。鋼鐵塚は簗の血の滲む眦を見た。
「テメエは悔しかねえのかい! あんなガキに担当変えろと言われておめおめ従ったってか! 情けねえ!」
「俺は俺が今打てる最高の刀を打つだけだ。それを気に入らねえと言うんなら仕方あるまいよ」
実を言えば担当の変更の知らせを受けたとき、鋼鐵塚は怒り狂い高熱が出て倒れるまで暴れ回った。だがその怒りは白瀬に対してではない。不甲斐ない己自身に対してである。刀を損ねるのは剣士の落ち度だ。刀が馴染まぬというのならそれは鍛冶師の責だ。しかしそれをわざわざ簗に説明してやろうとは思わない。
「俺は柱候補相手だろうがヒラの馬鹿隊士相手だろうが刀打つのに手は抜かねえ。誰が使うかは関係ねえ。俺の刀が気に入らねえってんなら担当替えを申し出ろ」
「そうすりゃ鉄穴森さんに戻んのかい」
「それは無理だな。鉄穴森は今手一杯だ。柱でもなけりゃ鍛冶師の指名なんざ大層な真似は許されねえ。他の鍛冶師に回る」
「ああ、そうかい、けったくそ悪い、舐めやがって! なんで俺が弾かれたんだよ、俺ァ鉄穴森さんの刀を死ぬまで使うつもりだったんだ!」
簗の口から「死ぬまで」という言葉が出てきたので、鋼鐵塚は眉を顰める。それを比喩や強調のために使うには、鬼殺隊士は死に近しすぎた。ふー、と簗は荒い息を吐く。
「業腹だ。許せねえな。舐められっぱなしは性に合わねえ」
「そうかい。ならどうする。鍛冶の里に殴りこむか」
この男ならばやりかねない、と鋼鐵塚は思う。それもまた一興だ。癇性の鋼鐵塚に真正面から噛み付くほど気性の激しい人間はそういない。簗は血走った目で鋼鐵塚を睨んだ。
「柱になりゃ我が通るんだな! じゃあ柱にでも何にでもなってやるよ!」
「は?」
鋼鐵塚は男の顔をまじまじと見つめる。冗談を言っている風ではなかった。
「あ、お前、さてはバカだな」
鋼鐵塚が思わずそう言うと簗は拳を振り上げたが呻き声を漏らし脇腹を押さえて布団の上に蹲る。傷は深いらしい。鋼鐵塚はそれを呆れ半分に見下ろす。努力や信念で柱になれるならば全ての隊士が柱になっている。
「あ゛あ、くそ、いってえ! ムカつくなァ!」
鋼鐵塚は屈むと溜息交じりに簗の顔を覗き込む。
「お前――」
「俺ァ白瀬も気に入らねえんだ! スカしやがって!」
「本当に聞きしに勝るバカなんだな」
簗は鋼鐵塚の羽織に爪を立てた。
「はン! テメエだけは関係ねえみてえな顔しやがる! ええ? 今日は随分大人しいじゃねえか! 白瀬に食ってかかった威勢はどうしたよ! テメエの刀はいらねえと言われて落ち込んでるんだな!? ああ!? そうだろ!?」
鋼鐵塚は簗の安い挑発を鼻で笑った。鼻で笑い、簗の手を振り払い、その鼻面に渾身の力を込めて拳を叩き込んだ。がぶっ、と簗は水っぽい喘鳴を漏らす。綿布団にぼとぼとと血が落ちた。
「っっせえなオイ!!!! ブチ殺すぞクソバカ!!!! こっちはな、腸煮えくりかえってんだ!!! あ゛あ!? 何が太刀筋に合わねえだ昨日今日刀を握ったようなトーシロがナマ言いやがってこっちは洟垂れが寝小便してる頃にゃとっくに鍛冶場に出入りしてんだ!!!!!」
鋼鐵塚のこめかみがどくどくとうるさく鳴る。視界が赤っぽくなった。知らせを受けた日の怒りがつい先程のことのように湧き上がる。鋼鐵塚は布団の上でだらだらと鼻血を流し続ける簗の首根っこを引っ掴んで無理矢理立たせる。うそだろ、と簗は悲鳴じみた呻き声をあげた。
「俺のことが気に食わねえならそう言やあいいんだ!!! それを、がっ、くそっ、よりによって太刀筋に合わねえだァ!? 馬鹿にしていやがる!! 殺してやる! 犬の餌にしてやる!!!」
「ぐおおおおおおおモツが出るモツが出る……おえっ」
「柱になると言ったな!!! テメエにゃ無理だこのザコ!!! だが俺は水柱だろうが何だろうが使わせてくださいと頭を下げにくる刀を作ってやる!!! 見てろボケ!!!!!」
簗が腹を押さえて身悶えするので鋼鐵塚は手を離した。簗は布団の上に崩れ落ち、よろよろと敷き布に両手を置く。鋼鐵塚はいつかの仕返しとばかりに簗の尻に蹴りを入れた。腹でないのはせめてもの慈悲だ。簗は声もなく布団に顔から突っ込んで動かなくなった。
鋼鐵塚は鼻息も荒いまま部屋を後にする。血だらけで廊下を闊歩する鋼鐵塚を見て女中がぎょっとして道を開けた。簗の寝ていた部屋から甲高い悲鳴が聞こえた。布団の中で血だまりに沈む簗を見つけたのだろう。
鋼鐵塚は「刀が色代わりするところを見損ねた」と思い一度帰ろうかと思ったが、面倒くさいので諦めた。笠をかぶるとちりんと軽やかな風鈴の音がした。手が鼻血で汚れてべたべたした。
******
鉄穴森は最近一層小さくなったように感じる長の姿を見た。火男面の大きな目が真っ直ぐ火床の火に注がれている。揺らめく火の光を受けた面が不気味な陰影を描いた。
「どうや、白瀬っちゅう子は。なんやえらい頑張っとるみたいやけど」
「……はあ、稀に見る才能ある剣士だと思いますよ」
鉄穴森はそれきり火床に目を戻してしまった鉄地河原の横顔に目をやり肩をすくめる。
「長もよくよくお人の悪い。何も山繭殿の担当を私にしなくてもよかったでしょう。簗殿は随分私の刀を気に入っていたのですから。そうとう揉めますよ、これは」
「あの坊が気に入っとったんはおまえの刀やのうておまえや。それにもう揉めたみたいやわ。蛍のやつが血だらけで帰って来よったで」
鉄穴森はぎょっとして泡を食う。鋼鐵塚は若い衆の中では頭一つ抜けた技術を持っているが、気性に難がある。己の打った刀が損なわれることが心底許せないらしく、刀が折れるたびに隊士に食ってかからずにはいられない。今まで担当であった白瀬は温厚な性質であったうえ刀鍛冶の襲撃程度ものともしなかったから大事にはならなかったが、これが簗となればどちらかが死ぬまで喧嘩をしかねない。そして喧嘩となれば当然鋼鐵塚の分が悪い。
「ま、ぜえんぶ返り血みたいやし。安心しい」
「いや……いやそれも安心できませんよ……」
長は面の下で笑う。
「私の考えを申しても?」
「ええで、言うてみ」
「簗殿の担当を蛍にすべきではありませんでした。今からでも私が変わるべきだと思います」
ふう、と長の面の突き出た口吻から息が漏れる。
「おまえがこれ以上抱え込むのは無謀や」
「それでは鉄池でも金井でもいいでしょう。蛍くん――蛍だけは、簗殿の刀を打つには向いていない」
「儂はそうは思わん」
常の好々爺めいた口調は鳴りを潜め、冷ややかな声音で短くそう言われる。鉄地河原は鉄穴森を見上げる。
「似た者同士の聞かん坊、けしかけ合わせたらおもろい思たんやが」
「あの二人、歯止めがききませんよ」
「それもまたよし」
鉄穴森は深いため息をつく。
「知りませんよ、私」
「あ、元担当のくせに冷たいやっちゃなあ」
どの口が、と鉄穴森は鉄地河原の顔を見た。無いほうが違和感のある火男面が、今だけは邪魔だった。