簗は煉獄邸が苦手である。
 まずもって調度がいちいち高価そうであるのがいけない。何気なく床の間に飾られている焼き物や掛け軸など、簗は恐ろしくて値段も聞けない。そもそも全ての居室が畳敷きであるのが怖い。初めて訪れたときに煉獄に「畳縁を踏むな」と厳しく叱責されたのだが、簗は畳に巻かれた帯をそう呼ぶことすら知らなかった。
 簗は礼儀作法など「目上の人間に茶を運ぶときは唾が入らぬように目より上に上げる」くらいしか知らぬ。しかし煉獄は簗の唯一知っているその作法を「なんだそれは」と一蹴したので、どうやらここでは通用しないらしい。
 煉獄瑠火ほど美しい女を簗はこれまで見たことがなかった。体が弱くめったに表に出て来ないが、簗の前に現れるときはいつもきちんと着物を着込み髪を結っている。きりと目尻の上がった冷たげな双眸が簗を見たとき、簗はぽうとなり煉獄に「柱になるとあんなに綺麗なかかあと一緒になれるんですか」と尋ねて無言で殴られた。
 透けるような雪白の膚、折れそうなほっそりとした体、胸の痛みにひそめられる眉根の艶っぽさに簗は物珍しさから一種憧れめいた感情を抱いた。だが結局それは己の肉体で立ち働き糊口をしのぐ必要がないからこそ尊ばれる美しさで、それに気が付いたとき簗はふと馬鹿々々しさも感じた。
 煉獄槇寿郎も瑠火も一門で並外れて素行が悪く気性の荒い簗に呆れこそすれ根気強く接した。女の、それも体の弱い良家の御新造など表に出るのも厭うてもおかしくないところを、病身をおして簗に声をかける。簗にとって他者は、大抵が不可解で不愉快で気に喰わないものであった。時折やたらと気の長い変わり者がいて簗と親交を結びかけることもあったが、簗の方がそれを拒絶した。良い奴は嫌いだった。いずれ傷付けてしまうからだ。身の回りに置くなら糞野郎が丁度良かった。

 煉獄邸に集められたのは、体の空いている炎の呼吸とその派生の隊士であった。炎柱による稽古は隊士にとって絶好の成長の機会である。そこで柱の眼鏡に適えば継子となりさらに実力を付けることも出来る。
 簗は周囲の隊士の鬼気迫る雰囲気が嫌いだ。己の為すことのためなら死んでもいいという気迫には怖気が走る。簗はそういう自己犠牲めいた精神とは縁遠い。鬼殺で死ぬことは好ましくなく、だが諦めてもいた。殴られ蹴られ側溝で死んで冷えていくよりは、鬼と戦って食われた方が少しは格好がつく。閻魔の裁きにも色を付けてもらえるかもしれない。
 だが強くなれるならば願ったり叶ったりである。理想も志も持たない簗であるが、白瀬の顔を一発殴るためなら多少無理をする覚悟はある。

 炎の呼吸の隊士による掛かり稽古は苛烈を極める。強烈な一撃を受け続ける元立ちも、息つく暇なく攻撃を要求される掛かり手も困憊する。緊張を切らそうものならすかさず煉獄の喝が飛ぶ。一人、二人と脱落し、最後に立っていたのは煉獄と簗だけであった。すでに呼吸もままならない簗は喉の奥に血と吐瀉物のにおいを感じながらやぶれかぶれに煉獄に殴りかかった。日輪刀はすでにどこかに放り出されていた。煉獄は足下の覚束ない簗の頸を刀の柄で殴打した。

「剣士が刀を手放すとは何事だ! 話にならん!」

 煉獄の叱責が飛んだが、簗はそれが耳に入った様子もない。恐水症の野犬に似た常軌を逸した殺意を漲らせた四白眼に、煉獄は溜息をつく。こうなった簗はどうにもならぬことを煉獄は承知していた。
 惜しいことだと煉獄は思う。煉獄は簗の剣の腕は一定認めている。はじめは簗を手のつけようのないチンピラと断じ、必要とあらば鬼殺隊を辞めさせることも考えていた。近頃は多少言動も落ち着きを見せている。だが、それは以前の簗に比べて多少という意味であり、病的に激昂しやすいことには変わらない。騒動も起こす。担当鍛冶を幾度となく殺しかけている。
 炎の呼吸は烈々たる気性の者に適性が高い。一方で激情を抑制出来ぬ者に炎の呼吸を極めることは出来ない。制御の利かぬ猛火が凶器であるように、統制されぬ情熱は譫妄である。簗の激情は明らかに狂奔に近かった。
 煉獄は濡れた手拭いで簗の頬を打つ。

「頭を冷やせ! この馬鹿!」

 簗は憎々し気に煉獄を睨んだ後、その場で嘔吐し昏倒した。煉獄は他の弟子に簗を運ぶよう言いつけた。
 やがて目を覚ました簗はしばらく起き上がることも出来ず、ぐったりと井戸に寄り掛かっていた。冷たい濡れ手拭いだけが首筋に当てられている。

「簗!」

 名前を呼ばれ、地面にへたり込んでいた簗はのろのろと顔を上げた。煉獄杏寿郎の面差しは容易に煉獄槇寿郎との血縁を想起させた。いまだ幼いその相貌に、簗は呻き声を返した。

「父上相手に食らいついたのは簗だけだったな!」
「——っ、す、ねえ」

 ぜえぜえと血の味のする息を吐きながら簗は答える。白湯の入った湯呑を差し出す杏寿郎の手は、十に満たぬ年齢相応にぷくぷくとして可愛らしい。だがその手のひらには簗と変わらぬような剣胼胝があった。
 煉獄家は鬼殺を旨としている。それを聞いた簗は「へえ」と思った。おかしなことをするものだ。鬼を斬って得た金を元手に商売でも始めたほうが余程まともな生活が出来る。子供には楽で利のある仕事を残してやりたいと思うのが親心ではないのか。名誉とか、大義とか、そういうものは簗にはよく分からなかった。

「特に佐々の太刀を躱しての返し技は見事だった!」
「そりゃあ、どうも」

 あまりよく覚えていないので言葉短く答える。

「俺は、次の炎柱は簗だと思う」

 杏寿郎の言葉に簗は曖昧に呻いた。杏寿郎は大きな瞳で簗を見る。井戸に寄りかかる簗と杏寿郎の視線は、ちょうど同じ高さでかちあった。

「炎柱、ありゃまだまだ引退しないでしょ」

 簗はそう言って鼻を鳴らした。杏寿郎は簗に憧憬を滲ませた目を向ける。裏渡世の住人とはいえ名家の子である。品行方正に育てられた坊である杏寿郎に、簗の無頼じみた雰囲気は刺激が強い。父親に「あまり簗に構うな」と言い含められていることも、杏寿郎のささやかな自立心をくすぐった。
 杏寿郎は簗の目付きのいいとは言えない双眸を覗き込む。鬼殺隊士は誰もが何がしかの事情を抱えて日輪刀を握ることを決める。簗がどうなのか、杏寿郎は知らなかった。槇寿郎に尋ねてもはぐらかされるばかりで、幼い杏寿郎は焦れた。

「いつか俺にも稽古をつけてくれ」
「よしてください。ガラじゃねえ。炎柱にぶっ殺される」

 簗はよろよろと立ち上がると己の手のひらをしばらく眺めた。それからその手を杏寿郎の頭の上に置く。父親によく似た硬い髪の毛を簗は手でかき回した。

「背ェが伸びましたね」
「そうだな、簗にはまだ及ばないが……」

 杏寿郎の言葉の途中で簗は茂みに向かって嘔吐する。黄色い胃液しか出てこなかった。釣瓶に縋るようにして汲み上げた水を頭から被り、口を濯ぎ、簗は浅く息を吐く。

「……大丈夫か?」
「だいじょうぶに見えます?」
「…………いや、」

 簗は呻きながら顔の水を拭い、濡れた袖から腕を抜く。もろ肌脱ぎの厚い上半身に大小の傷が走っている。脇腹が大きく抉れ肉色の皮が水滴をはじいててろてろと光った。杏寿郎はぎょっとしてそれを凝視する。視線に気が付いた簗は眉を上げる。

「きたねえもん見せちまって――」
「そんなことはない。でも、すごい傷だな」
「杏寿郎坊ちゃんが思ってるほど強くねえんですよ、俺」

 杏寿郎は一歩前に出る。

「触ってもいいか?」
「……は? 傷を? そりゃ構いませんけど」

 杏寿郎は肉が削がれたまま皮の張った脇腹に触れる。くすぐったそうに簗は身を震わせた。杏寿郎にしてみれば遥かに年上で大人に感じられる簗はその実二十そこそこでしかない。その体は幾重にも付けられた傷で古木のように引き攣りひねこびている。
 子供らしい紅葉のような手のひらが、ぺたりぺたりと簗の腹に触れる。簗は杏寿郎の旋毛を眺めた。やや色を失った顔の真剣な大きな目が、穴のあくほど簗の傷を見つめる。

「俺は……俺はまだ鬼と相見えたことが無い。恐ろしく、強く、醜悪な生き物だという。簗は、鬼が怖くないのか」

 問われ、簗は肩を竦めた。誰かに打たれた肩がびりびりと痺れる。簗の記憶が曖昧としていたのは相手にとって幸いであった。報復を恐れる必要が無い。

「さあねえ、恐ろしいこたァ恐ろしいんでしょうけどね、そんなこと言ったってしょうがねえでしょうよ。俺も、杏寿郎坊ちゃんも」
「仕様がない……」

 杏寿郎は困惑気に繰り返す。簗は天を仰いで短い髪を掻き回した。指先にぬるりと何かが付いたので手を見ると指先が血で濡れていた。気が付いた途端に側頭部がずきずきと痛む。
 簗は杏寿郎を妙にこましゃくれた可愛げの薄いガキだと思っていたが、不愉快には感じなかった。求められれば声を荒げずに相手もした。それは簗が杏寿郎の境遇にうっすらとした共感と憐憫と自己嫌悪に似た何かを抱いていたからだ。

「簗は、どうして鬼殺隊士を志したんだ?」
「――杏寿郎坊ちゃんとおんなじです」

 簗は薄い唇を歪める。杏寿郎は目を輝かせて笑った。
 そのとき空から黒い翼が降りてきて、簗の肩にとまる。鎹烏がけたたましく街の名前を繰り返した。途端に簗の顔が引き攣る。

「いやだ、行きたくねえ」

 拒否する簗の頬を鎹烏の翼が何度も打つ。口の中に細かい羽がふわふわと入ってきて簗は閉口した。命令拒否、隊律違反、処罰、と不穏な内容を喚いた。


******


 東京府本所区の外れの小さな蕎麦屋で月見蕎麦を啜っていた白瀬は向かいに座る男が頬に小さな蚯蚓腫れをいくつも付けているのを見つけて首を横に振った。

「随分駄々を捏ねたらしいな」

 注文を取りに来た蕎麦屋の主人を「うるせえ」と一蹴した簗は白瀬を睨む。白瀬は簗の剣幕に圧されてすごすごと厨房に戻った哀れな亭主を見送る。
 口数の多くはない白瀬に似ずおしゃべり好きの鎹烏は道中簗の動向を逐一鳴いた。煉獄邸は白瀬が逗留していた藤の紋の家より遥かに任務地に近かったが、結局白瀬と簗の到着はほぼ同日になった。簗は炎柱に尻を蹴飛ばされ煉獄邸を追い立てられるまで出立を渋り、道中もぐずぐずと道草を繰り返していたらしい。
 簗は椅子にふんぞり返って四白眼を白瀬に向ける。

「駄々なんか捏ねてねえ」
「随分渋ったらしいじゃないか。喧嘩なら人相手でも鬼相手でも喜んで担ぎ上げられるお前が珍しい」

 簗は鼻を鳴らしたが、それに関しては何も言い返さなかった。苦々し気に「言っておくが」と前置きする。

「任務に怖気付いたわけじゃねえぞ」
「それじゃあ何をぐずっているんだ」

 簗がのろのろと口を開きかけたところで、蕎麦屋の表戸が乱暴に開けられる。風体宜しからざる男が数人立っていて、その姿を見た途端に店内の客たちに緊張が走った。亭主は給仕の若い娘を慌てて奥に呼び寄せる。
 白瀬は眉をひそめる。どうやらこのあたりで幅をきかせている不逞の輩であるらしい。どうか騒ぎを起こしてくれるな、と白瀬は簗に目配せした。白瀬の願いも空しく、男たちは他の客に目もくれず店内を肩で風を切りながら横切り、白瀬の前、簗の背後に立つ。

「テメエよくものこのことうちのシマに現れたもんだな!」

 男の一人がそうがなり立て簗の頭を小突く。簗は昏い無表情で白瀬の顔を正面から見据えた。顔が「こういうことだ」と語っていて、白瀬はそれでおおよその経緯を察した。白瀬の深い溜息でそばつゆからあがる湯気が揺れた。

「おまえはどうしてそう……」
「俺か!? 俺が悪いのか!? ふざけやがって、俺ァ悪かねえだろ!」

 言うなり簗が椅子を蹴立てて立ち上がる。すでに目は血走り息は荒い。簗を取り囲んでいた男たちは気圧され数歩後退る。白瀬は努めて平静に簗の名を呼んだ。

「簗、よせ」

 ふー、ふー、と息を荒げたまま、簗は横目に白瀬を見る。

「自覚を持て。自律しろ。いちいち相手にするな、簗」

 白瀬の言葉に簗は顔を引き攣らせながら倒れた椅子を立て直しそれにどかりと座った。額の血管が今にも破裂しそうに浮き上がっている。白瀬は食べかけの蕎麦の脇に箸を置く。出るぞ、と目配せしたところで、男たちの中で一番小柄ないかにも腰巾着風の男が他の男たちを伺うようにしながら笑った。

「尻尾巻いて逃げるくらいならはじめっから寄り付くんじゃねえよ、この腰抜け」

 白瀬はそれを聞いて蕎麦屋の低い天井を仰いだ。簗が白瀬の湯呑を取り上げそれを男の口に力任せに押し込むのを他人事のように視界の端で見る。割れた湯呑が飛び散り、口元をずたずたに引き裂かれた男は血まみれでその場に蹲る。簗は追い打ちとばかりに男を蹴り転がすと顔を踏みつけた。陶器の破片が顔中に食い込んだ男は悲鳴をあげて手足をばたつかせる。他の客は悲鳴も上げずに店の隅で固まっている。
 白瀬は置いたばかりの箸を取り、蕎麦を啜った。丼が空になる頃には血だらけの男たちと、割れた食器が散乱する中に、こちらも上衣を血で汚した簗が息を荒げて立ち尽くしている。

「なァ! こりゃ俺ァ悪くねえだろ!」

 口角泡を飛ばしながら簗は喚いた。白瀬は丼を持ち上げ残ったつゆをすする。

「おまえの喧嘩好きにはほとほと呆れかえる」

 簗は頬についた血を指先で拭った。

「あ゛ァ!? 好きなわけねえだろ! 拳は痛えし、血は汚えし、恨みは買うし、なのにこいつら俺に殴らせるようなことばっかりするんだ。ムカつくよなァ、だから殴るんだ」
「人を殴ったことがないから分からないな」
「そうかい」

  言うなり簗は白瀬に向かって拳を振り上げた。白瀬は簗の手首を横から掴み卓上に叩きつける。硬くて重いものを落としたような音がした。簗は血走った目で面白くなさそうに白瀬を睨んだ。

「テメエは俺に殴らせねえから、他の奴よりはマシだ。嫌いだけど」

 白瀬は箸を置いて手を合わせた後、衣嚢から財布を出す。蕎麦代には多すぎる額の金を蕎麦屋の主人に渡した。主人は渡された金を見下ろし目を丸くする。

「騒ぎを起こして申し訳ない。これは心ばかりですが、後片付けに使ってください」
「そんな、これほどは頂けませんよ」
「そのかわり、私達のことはどうか口外いたしませんよう。これは破落戸同士の喧嘩で、相手はとうに逃げたということで警察を呼んでください」

 それだけ言い含めると白瀬は店主に金を握らせさっさと店を出る。後をついてきた簗が「金なんか渡さなくたっていいだろ」とぼやいた。

「お前みたいに暴力に物を言わせて黙らせるのか?」
「そうは言わねえけど――なんだ? なんだよ、おまえ、怒ってんのか?」
「呆れているんだ」

 白瀬が冷ややかに答えると簗は鼻を鳴らした。

「あのな、あいつら警察より余程統制が取れてんだ。今日の晩には俺もおまえも街を歩けなくなってる」

 白瀬は顔を手のひらで覆って溜息をついた。

「おまえって奴は……」

 だが、今回の任務に簗が選ばれた理由も分かった。ここに来るなり潜入調査をしていた隠に引き継がれた事の次第を思い出す。
 この界隈の博徒的屋を長く取り仕切っていたのは、野鉄砲のタケナガと呼ばれる顔役とその一門であった。言ってしまえばヤクザ者ではあるが、大層したたかで金の回りもよく警察官にも一目置かれている。これが睨みを利かせているものであるから、ながらくこの辺りは大きな揉め事もなかった。その均衡が崩れたのが一年程前のことだ。
 町から無宿人や渡世人がぽつりぽつりといなくなる。もちろん相手は吹く風次第の根無し草。いつどこに消えようとおかしくはない。だが、どうにも奇妙ではあった。貸した金を返される約束をした男が、金を受け取る前に消える。旅芸人の一座に何も言わずに芸人が一人消える。長くこの町をねぐらにしていた跛足の物乞いが一晩で消える。消えるはずのない者、消える理由のない者が続々と姿をくらませる。町中にうっすらと恐怖と混乱が蔓延した頃に勢力を伸ばしたのが荒川龍儘會と名乗る愚連隊であった。
 消えた者のうち、少なくはない者たちが龍儘會に関係する者と関りがあった。男が金を貸していたのは龍儘會の下っ端で、芸人は龍儘會の構成員の情婦と懇ろになっており、乞食はショ場で揉め事を起こしていた。あそこに楯突くとまずい思われるまで、時間はかからなかった。
 次第に龍儘會は町で大きな顔をするようになり、野鉄砲一門との衝突が頻発した。後ろ盾もない新興の愚連隊が、妙に強気で結束が固い。はじめは「所詮ガキの任侠ごっこ」と軽くあしらっていた野鉄砲一門も、龍儘會の一挙手一投足に注意を払うようになる。とはいえ野鉄砲一門は官憲にさえ顔の利く大侠客である。勢いがあるとはいえたかが愚連隊如きにどうこう出来るものではない。
 だが、二月前に大きく事態が変わった。タケナガの腹心である猪狩小吉という男の家に夜討ちに入った者がいた。小吉とその妻、倅と幼い孫まで首を門前に晒された。小吉の家には血気盛んな若いのや、肝の据わった市井無頼の輩が大勢いたが、一人残らず無残にばらばらにされていた。駆け付けた警官が「まるで獣に食い散らかされたようだ」と嗚咽を漏らしたその陰惨な光景を見て、野鉄砲一門は報復だと息巻いた。それに待ったをかけたのが、他ならぬ野鉄砲のタケナガこと武永仁五郎である。
 武永は賢明な男であり、よくよく目端が利いた。あの龍儘會の増長ぶり、そして唾を吐くかのような奇襲、どうにも裏があるように思えてならない。独自の伝手を頼って繋ぎをつけたのが鬼殺隊であった。武永は龍儘會の暴虐の裏に、鬼か、それに類するものの手引きがあると見た。それは間違いではなかった。どうやら龍儘會には鬼が紛れ込んでいる。それも生半可な鬼ではなさそうである。手練れの隠にも尻尾を掴ませぬのだから、決して欲望のままに人間を貪る類の鬼ではない。狡猾で人心を掌握し操ることのできる知能の高い鬼だ。
 簗と白瀬が選出されたのは、簗がこの界隈の裏渡世に明るく、白瀬の稀血が老獪な鬼を引きずり出すことができるからだ。
 宿をとっている藤の門の家を目指して歩いていると、顔に大きな傷のある男が二人の前に立ちはだかった。目に見えていきり立つ簗を抑えて白瀬は前に出る。傷の男は二人をじろりと眺めた。

「鬼殺隊の面々とお見受けしました。うちの若えのがどうも失礼を」

 分厚い体を折り畳むように男は頭を下げる。簗が居心地悪そうに肩をすくめる気配がした。

「武永仁五郎の旦那がお二人にご挨拶申し上げたいということでして、どうか招待を受けては頂けませんか」

 白瀬は眉をひそめて頭を横に振った。

「せっかくの申し出ですが、お断り申し上げる。我々は鬼を斬りに来たのであって、どの陣営の肩も持つわけではない」
「ですがこちら方が呼んだ客人にまさかご不便なぞあっては面子も立ちませんな。伍井屋に置いてあったお荷物はうちと懇意の宿に運ばせていただきましたので」

 白瀬はぎょっとして思わず簗の方を見た。簗は心底いやそうに唇を歪める。

「諦めろ、これが極道のやり方だよ。ああ、だから俺はヤクザは嫌いなんだ」

 男に連れられた屋敷は由緒ある武家のような佇まいであった。飴色に輝く廊下には塵の一つも落ちておらず、隅々まで手が行き届いている。通された客間には床の間に水墨画の掛け軸が掛けられていた。広く豪奢なつくりの客間には簡素すぎる掛物であるが、その前に座した男の存在感がそれを感じさせない。
 白瀬は促されるままに座し、正面から男の姿を見た。白髪交じりの初老の男であるが体格はがっしりとして逞しい。男は一見穏やかな、だがはっきりと値踏みするような目で二人を見た。ゆるりとした仕草で畳に額が付くほど頭を下げる。

「御控え下され、当家主人の武永仁五郎なる下拙の者でござんす。此度はこちらの類まれな鬼殺の剣士お二方をお招き出来ましたこと心より嬉しく思いまする。産屋敷家の方々には今後とも行末万端御昵懇に願います――さて、そっちの傷だらけの兄ちゃんは見覚えがあるな。何年か前に、とにかく手の付けられねえ喧嘩っ早いガキがいて手を焼いたもんだが……」
「さあ、どうでしょうね、他人の空似じゃねえのかい」
「そういうことにしといてやるこのバカタレ」

 男はそう言って豪放に笑った。猛禽を思わせる鋭い目が二人を睨みつける。

「人間相手に切った張った出来ても相手が人外とあっちゃそうもいかねえ。お二方にはよくよく御礼申し上げる。何か手伝えることがあれば何でも申しつけてくれ。ここにいる間は不自由させねえ」

 白瀬はそれに曖昧に答えて頭を下げた。武永はずいと身を乗り出す。

「時に。無礼を承知でお聞かせ願いたい。鬼を斬るというその刀、ちっと拝見させてはもらえますまいか」

 白瀬は一瞬迷ったが、ことを荒立てたくないので腰から外して背後に控えていた刀を取って差し出す。武永は作法に則り鞘を払うと、青鈍色の刀身に目を見張った。明かり障子から射した光が刀身の上できらめく。

「こいつは――見事だな。こんな刀を作る職人がまだいるとは驚きだ。叶うならば俺にも一振り拵えてほしいものだ」

 武永はそう言い、丁寧に刀を鞘に納めると白瀬に差し出す。次いで男は簗を見た。簗は鼻を鳴らして首を横に振った。

「無茶言うな。知らねえおっさんにこいつを抜かせたとあっちゃブチ転がされる」
「ほおん、誰に」
「鋼鐵塚」
「……誰だそりゃ」
「その刀を作ったやつ。頭がおかしい」

 お前が言うなよ、と武永が言った。白瀬はまったく同感であったので特に何も言わなかった。
 は、と武永は溜息をつくように笑った。

「剣士とあろうもんが鼻黒鼬に頭が上がらねえってか」
「ヤクザの親分怒らせるより鋼鐵塚を怒らせるほうが面倒くせえ」
「そりゃ見くびられたもんだな」
「あんたからは逃げりゃいいが、鋼鐵塚からは逃げるわけにいかねえ」

 簗はそう言うとさっさと立ち上がり腰に刀を佩いた。白瀬はそれに倣うように自身も日輪刀を佩く。どうやら簗は鋼鐵塚とは上手くやっているらしかった。白瀬は安堵したが、胸の内のどこかに違和も感じた。だがそれは鬼を斬ることに関係ないので、努めて忘れることにした。